第14話 パンケーキ



 リオネルに書類仕事を任せて少しは楽になるかと思えたが、逆にヴァルクは忙しかった。

 何せ、最初は嫌がらせのつもりで運び入れた膨大な書類でさえ、彼はあっさりと読み倒して精査してしまう。是正が必要な書類はジェラルド達に回し、会議をし、悪人逮捕に駆けずり回り、また新たな書類を運び入れる。その繰り返しだ。

 それでも執務室に放り出されていた書類は、だいぶ片付いてきていた。新たなひと束を抱え、ヴァルクは王子のいる塔へ向かう。中庭を通っていると、侍女が通り過ぎるのに気がついた。

 今、塔の方角から歩いてきたような。

 不審に思ったが呼び止めてまで確認する理由もなく、大量の書類を抱えていたこともあってヴァルクはそのまま通り過ぎた。塔へ入ると、一階の看守室にイードがいた。看守といっても塔には王子しかいないので、暇なのだろう彼は剣の手入れをしているところだった。


「なんだそれは」


 机にカラの皿とカップがある。どちらも装飾が美しい高価そうなものだ。イードは嬉しそうに言った。


「さっき、ケイトさんが持って来てくれたんです。手作りのパンケーキを」

「ケイトさん?」

「王子の侍女だった人ですよ。王子は甘いものが好きだったから差し入れたいって。おれの分も持って来て下さって」


 イードはもともと近衛兵団の騎士だった。同じ近衛兵団とはいえ城壁や王都の守りばかりさせられていたヴァルクとは違い、彼は騎士家系だったので王城内の警備も受け持っていた。王子の侍女と知り合いでもおかしくない。


「じゃあ、王子にもパンケーキを?」

「ええ。だめでした?」

「いや……」


 堕落王子と嫌われている彼にも、差し入れをしてくれるような侍女がいたのか。考えてみればこれほど仕事を手伝ってくれているのだから、たまには甘い物くらい許してやってもよかったかもしれない。


「以前、菓子と紅茶を持ってこいと駄々をこねていたからな。喜んだだろう」

「仕事するようになってから、おとなしくなりました。メシを入れてやったら『ありがとう』なんてお礼を言うようになったし」

「元々、そういう性格だったんだ」


 口にして、苦い記憶が過った。ちらりと、自分より歳下の男を見る。


「イードは、近衛兵団に入ったのはいつだ?」

「三年前ですね」

「入ってすぐ辞めたんだな」


 革命軍に加わったのも、その頃だったはずだ。苦笑したヴァルクにイードは「そりゃ…」と肩を竦める。


「上官は酒飲んで賭博ばっかりだし、王太子やエライ貴族の方々は遊び呆けてるし。革命でも起こさないとまずいって、誰でも思いますよ」

「そうか」


 ヴァルクは書類を抱え直した。


「それじゃせっかく革命を起こしたことだし、殿下にはもう少し働いてもらわないとな」

「今なら機嫌がいいから、何でも引き受けてくれますよ」

「機嫌が悪くてもやってくれるさ。意外と責任感のある方だ」


 ヴァルクは螺旋階段を上がり、鉄扉をノックした。返事はない。また仕事に熱中しているのかもしれない。


「失礼します、殿下――」


 扉を開け、ヴァルクは一瞬、呆然と立ち尽くした。部屋の隅で固い椅子に座っているはずの王子は、床に倒れていた。口の周りに、床に、べっとりと血をつけて。


「殿下!」


 抱き上げると顔色は真っ青だったが、まだ浅く息をしていた。一体何が――と周囲を見れば、ネズミが血を吐いて死んでいる。顔を上げると、机に美しい陶器の食器が置かれていた。皿もカップもカラになっている。


「イード!」


 名前を叫ぶと、イードはすぐに「はい、団長っ」と駆けつけてきた。しかし、そのまま現状を見て凍りつく。


「いったい何が……」

「毒だ」

「えっ、じゃあ、さっきの――」


 侍女のパンケーキ。イードの顔が青ざめる。しかし彼が無事だということは、毒はリオネルのものにだけ入っていたのだろう。


「その侍女を捕らえ――いや、まず医者だっ。医者を呼べ、すぐに!」

「は、はいっ」


 イードが泡を食ったように、階段を駆け下りていく。

 ヴァルクは水差しを掴んだ。注ぎ口から、リオネルの口に水を流し込む。リオネルが小さく噎せて水を吐いた。ヴァルクは焦る気持ちを抑え、少量ずつ水を飲ませる。


「くそ……っ、死なせてたまるか」


 一時は、処刑も考えた相手だ。

 王の息子だから、見逃してやっただけ。

 そのはずなのに目の前で血を吐いて死にかけているリオネルを見ると、どうしても受け入れられない自分がいる。

 忘れていたはずの――いや、思い出さないようにしていた懐かしい記憶が、ヴァルクの胸を、息苦しいほどに締め上げていた。




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