第13話 今しばらくの辛抱
教会の司祭達は摘発され、その後も過去の横領が明らかになった貴族達が次々に逮捕されていった。民衆は大いに喜び、自由騎士団と英雄ヴァルクの名声はますます高まっていった。
その事実はヴァルクを通じてリオネルにも知らされた。ヴァルクは喜んでいいはずなのに、ものすごく暗い顔をしていた。
「殿下の功績を奪った形になってしまい……まことに申し訳なく……」
「なんで? 実際に現場にいって調査して逮捕してるのは君達でしょ。僕の功績じゃないよ」
「いえ、ですが殿下の指摘に基づいて動いているだけですし」
「僕の代わりなんて、誰だってできるよ。暇潰しになるし、役に立ってるなら嬉しいよ」
リオネルは本心から言った。今まで誰かの役に立つという経験もなかったので、認めてもらえることが嬉しくてたまらなかった。せっかくなら大喜びしてほしいのに、ヴァルクはますます暗い顔で「はあ」と呟いただけだった。
そんなわけでリオネルは、一生懸命執務に取り組んだ。『わからない』ことが『正しい』のだと理解したら、何も怖いことはなかった。
書類の中には『わかる』けど、悪習ではないかと思える事案もあった。たとえば農地から受け取る貢納だ。季節ごとに一定量の農作物を貢納しなければいけないが、収穫期はともかく冬はきつい。農民は自分達の蓄えを収めるしかなく、それができないと領主――王都なら王室に、財産や家財を取り押さえられているようだ。その書類が束になって出てきて、リオネルはあまりに哀れな民の生活に絶句してしまった。
中には不当でないかと思える過剰な取り立てもあった。過去を遡ってみると冬の貢納は微々たるものでよかったのに年々、民の負担量が増加している。おそらく農民に限らず、他の界隈でも同じなのだろう。
「これじゃ革命も起きるわけだよ」
思わず、そんな独り言をぼやいてしまう。
納税額が増えたのは、国庫が減っていったから。国庫が減っていったのは、自分やディオニー達が散財したから。
ひどいと思える勅書には、必ずディオニーが関わっていた。これだけ現実を見せつけられたら、さすがに理解せざるを得ない。
リオネルは牢獄の天井付近に見える、鉄格子越しの小さな青空を眺めた。
「ニーニは……僕を、助けに来ない……」
奪われた父の領地。玉璽。この国。
利用しただけの王子を、わざわざ命懸けで助けに来たりするはずがない。実際、革命が起こって三ヶ月ほどになるのに、彼は密書一つ寄越さない。
時間を巻き戻せたら――と考えたけど、おんなじだろうなと思えた。たとえば自分一人が慎ましく節約したって、そのぶんディオニー達が遊んだだろう。むしろ彼らに反抗する自分を扱いにくいと見られて、それこそ幽閉されていたかもしれない。
父上なら……そう思うと、情けなくなった。もう十二歳の子供じゃない。二十四歳にもなって、子供みたいに何もできないなんて。
――殿下、何もお出来にならないからといって、ご自分を恥じる必要はございません。殿下には私めがついておりますからね……。
「僕には、何もできない……」
呪いのように、繰り返された言葉。
――すごいですね、殿下。他に気になったことはありましたか!?
驚きと賞賛の混じった声で、人の話を真剣にメモしていたヴァルクの姿が浮かんだ。
「――…」
そうだ。今からでも変われるかもしれない。
リオネルはヴァルクが用意してくれた羽根ペンをインクに浸し、羊皮紙を広げた。
その時、誰かが石段を登ってくる足音が聞こえた。兵士でも、ヴァルクでもない。小さな足音。コンコンと鉄扉が控えめにノックされる。
「殿下。お茶とお菓子をご用意いたしました」
「え……その声、ケイト?」
リオネルの専属侍女だったケイトの声だ。ケイトは「はい、殿下」と依然と変わらない、優しい声をかけてくれる。
「見張りの方にお願いして、通していただきました」
ケイトは慣れない手つきで床に近い小窓を開けた。
「扉を開けられないので、こんな場所からで申し訳ないのですが……」
銀のトレーに載せられた陶器の皿には、リオネルの好物であるパンケーキが置かれていた。そして湯気を立てている、香りのいい紅茶。リオネルは本気で泣きそうになった。
「……僕のために、わざわざ……?」
「わざわざだなんて。これが私の仕事です、殿下」
贅沢を当然だと思い、彼女にもいばりちらしてばかりだったのに。リオネルは「ありがとう」とお礼を言った。本当に嬉しい。
「殿下、大変だとは思いますが、今しばらくの辛抱です」
「うん……がんばるよ」
ケイトは「それでは失礼いたします」と、まるで依然と変わらない、王太子の私室から去るような丁寧さで離れていった。遠のく足音を見送り、リオネルは銀のトレーを手に机に戻った。
「おいで、チュチュ。前に言ってたパンケーキが食べられるよ」
「チュチュッ」
足元を走り回るネズミに微笑み、リオネルはパンケーキをナイフとフォークで切り分けた。一欠片をチュチュのために床に置いてやり、もう一欠片は自分の口に放り込む。
なんという幸せな甘さ。ふわふわだ。こんなに美味しいものが、世の中に他にあるだろうか。紅茶を一口飲めば、花の香りが鼻孔に広がる。目を閉じればもう、そこはかつての日常、ベルベットの絨毯が敷かれた自分の部屋が瞼の裏に浮かんでくる。
一秒でも長く幸せを味わうために、掻き込みたいのを耐えてゆっくりと楽しんだ。そうしてカップに残った最後の一滴まで紅茶を飲み干し、ほうと息をつく。
「あぁ、美味しかった……ねえ、チュチュ。……チュチュ?」
足元を見ると、ネズミが蹲っていた。か細く震え、よく見れば血を吐いている。
「チュチュ!? ――…っう、ゲホッ」
立ち上がった瞬間、胃からせり上げるものがあって、リオネルは口元を抑えて噎せた。掌を見ると、べったりと血がついている。
「え……」
なに、これ。
「…ッ、ゲホッ、ゲェッ」
急に腹から喉まで締め付けられるような苦しさが襲ってきて、リオネルは咳き込みながら膝をついた。息ができない。苦しい。指の合間から、血がぼたぼたと垂れていく。
視界の端で、チュチュが倒れたまま動かなくなっているのが見えた。
――殿下、大変だとは思いますが、今しばらくの辛抱です。
ケイトの、最後に聞いた言葉が脳裏を過る。
今しばらくの辛抱って……牢を出られるって意味じゃなかったのか。
ああ、やっぱり僕ってダメだなあ。
リオネルはそんなことを思って、床に倒れこんだ。
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