第10話 わからないこと




 ヴァルクはリオネルのいる牢の、鉄扉をノックした。中から返事はない。おおかた、勅書なんて放り出して昼寝でもしているんだろう。


「失礼します、殿下」


 それでも一応、声をかけて扉を開ける。真っ先に目についたのは、机に向かっている丸まった、ふくよかな背中だった。

 なんだ、起きてるじゃないか。ヴァルクは意外に思いながらも鉄扉を閉めて、リオネルに近づいた。リオネルは唇に指を当て、熱心に勅書を眺めていた。

 何をそんなに眺めているんだろうと書類に目をやる。どうやら、教会への献金を記載したもののようだ。


「何かご不明な点でも?」

「え、うわっ」


 声をかけるとリオネルは驚き、椅子ごと後ろに傾いた。そのまますごい音を立てて倒れる。


「い、痛い……」

「椅子は壊れてませんか?」

「他に言うことないの……」


 それだけ分厚い肉がついていたら少々の衝撃は大丈夫だろうし、巨体ごと倒れたぶん古い椅子のほうがダメージは大きそうだった。しかし幸いにも椅子の脚は折れていない。椅子を起こしてやると、リオネルが座り直した。


「すごく真剣に眺めていたようですが、何か気になることがあったんですか」

「別に……僕にはわからないことだらけだから」


 ずっと政務に関わっていなかったと言っていたし、当然だろう。ヴァルクにもわからないのだから。


「構いませんよ。あとでジェラルド達にも確認してもらいますから」

「ジェラルド?」

「ジェラルド・ヴァスティ男爵です。これまでも王城で書記官を務めていたそうですが、ご存知ありませんか」

「知らない」


 まあ城には大勢の貴族が出入りしていたから、知らなくても無理はない。しかしヴァルクは内心、ジェラルドに同情した。一生懸命働いても王太子に認知もされないようでは、出世の道は厳しかっただろう。

 リオネルは付け加えるように言った。


「ニ……ディオニー公が、貴族でも下等な階級と関わったら品位が下がるって」

「ああ、はい」

「……呆れてる?」

「今更でしょう」


 ヴァルクは落ちていた、さっきまでリオネルが見ていた書類を取り上げた。他の書類とともに揃えて片付けようとしていると、リオネルが「え…」と戸惑った顔をする。


「何してるの」

「見てもわからないんでしょう。持って帰ります。俺も少しムキになりすぎたと思いますし……」

「……僕なんかが見ても、時間の無駄ってこと?」

「誰もそこまで言ってませんが、見たいんですか?」


 偉そうに振る舞うかと思えば、急に卑屈になる。そもそも最初は嫌がっていたはずだ。リオネルは俯き「別に」と呟いた。ヴァルクはイライラした。


「言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってください。聞きますから」

「き……気になっただけ。なんで教会への献金額が、そんなに高いんだろうって。協定で決められているのより、ずいぶん高いから……」

「協定?」

「先王の時代に、教会と王室で結んだ協定だよ。それまで教会とはいろいろ、特権のことで揉めてたから……王室が一定の献金をする代わりに、教会は王室を支持するように約束をしたんだ。玉座は神が王族に与えたものだと認め、祝福のミサを行うようにって。その金額が10万ゴールドだったよ」


 ヴァルクは書類を見た。献金額には20万ゴールドとある。二倍だ。


「協定の金額が変わったとか?」

「……父上は10万ゴールドしか払ってなかった。書類を確認してみたけど……金額が上がったのは、十二年前からだった」


 王が倒れた年だ。リオネルは「それから…」とごそごそ積み上げた書類から、一枚の用紙を引っ張り出した。


「これ、橋の修繕費用。もう五年も前からずっと支出されてる。こんなにかかるものなの?」

「……いえ。この橋の工事は、三年前に終わってます」

「でも遡って確認したらずっと申請されてたよ。工事が終わっても修繕費って必要なものなのかな。あと、わからなかったのが他にもたくさんあって」


 ヴァルクは「ちょっと待ってください」と慌てて止めた。


「さっきから十二年前とか五年前からとか言ってますが、ここの書類を全部読んだんですか?」

「全部じゃないよ。そっちから向こうはまだ手つかずで……」

「この机に積み上げているものは全部読んだと? たった三時間程度で?」


 紙の束はざっと見ても千枚はある。リオネルは「え…うん」と何でも無いように頷いた。なんという――驚くべき理解力と記憶力だ。


「また呆れてる?」


 リオネルが自信なさげに呟いた。


「僕が何にもわかってないから、呆れてるんだろう。もういいよ。皆でそうやって僕をバカにして……」

「バ……バカになんかしてません」

「嘘つき。だったら僕はなんで、こんなところに閉じ込められているわけ?」


 それは贅沢三昧して国を傾けた、愚かな堕落王子だからだ……。しかし、この有能ぶりはいったいどう解釈すればいいのか。ヴァルクが何も言えないでいると、リオネルは椅子から立ち上がった。そのままベッドに向かっていく。


「殿下?」

「寝る。起きてるとお腹がすくだけだし」

「いえ、どうか起きてください。殿下のお力が必要なんです」


 思わずそんな言葉が口を突いて出た。するとリオネルがごろりと、こちらに寝返りを打つ。小さな青い瞳が、不安げにヴァルクを見た。


「……僕、何もわからないのに?」

「わからないのは、これが不正行為だからです。工事が終わったら修繕費はいりません。誰かが横領していただけです」


 教会の献金額については調べないといけないが、少なくとも橋の工事に対しては断言できる。王都の外れにあるあの橋は、工事が終わってからはその後、補修もされず放置されているのに、修繕費が使われているはずがない。

 リオネルはパッと起き上がった。


「ずっと同じ財務官が申請してたから、その人じゃないかな。トーマス・ベネット。それで似たような案件が――」

「ま、待ってください。メモを取りますから」


 そう言って室内を見回すが、牢獄にはインクも羽根ペンもない。ヴァルクは「ちょっと待っててくださいね!」と言い置いて、下の看守室まで書くものを取りに走った。



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