第9話 親友
自由騎士団副団長兼補佐官、カイル・デューイの主な仕事は、団長であるヴァルク・カーディアの護衛であった。
何しろヴァルクは、革命の日までずっと指名手配されていた。懸賞金は日々跳ね上がり、仲間のフリをして近づいてナイフを振り上げる奴もいた。ヴァルクは強いが、背中まで目がついているわけじゃない。その背中の目の役目をこなしてきたのが、カイルだった。
とはいえ今やヴァルクは英雄。城を占拠した今、傍に張り付いて神経を尖らせている必要もない。そんなわけでヴァルクが執務室に入り浸っている間は、カイルは各地で蜂起した自由騎士団の部隊と連絡を取り合い、会議の決定事項を伝達したりトラブル解決のために遠征したりしていた。王代行といってもいい英雄ヴァルクがおいそれと王都を離れるわけにいかないので、彼の手足代わりというわけである。
先日も地方の領主軍と現地の自由騎士団が衝突し、カイルが小隊を率いて援軍に加わり、領主の首を刎ねたところだった。領主の館には若い村娘達が集められ、奴隷同然の生活を強いられていた。本当に権力を持ったケダモノというのは、どこにでもいるものだとウンザリする。
王城に戻って書記官のジェラルドに報告を入れ、カイルはのんびり気侭に一人で城内を歩き回っていた。どこへ行っても視界を遮る城館や塔や城壁が目に入り、広い場所なのに窮屈に思える。ケダモノ退治でも王都の外をぶらつくほうが気楽だ。
訓練場に差し掛かると、人の気配がした。覗いてみれば時の英雄、ヴァルクが一人で木偶人形を模擬剣でメッタ斬りにしているところだった。
「何やってんだ、こんな所で。書類仕事に追われてるんじゃなかったのか?」
カイルが話しかけると、ヴァルクは肩で息をつきながら「ああ…」と返事をした。
「全部、王子に押しつけてきた」
「はあ?」
「暇そうにしてたし、俺よりは向いてるだろう」
「向いてなかったらどうするんだよ」
「一応、あとで目は通すさ」
つまりハナから王子をアテにはしていないのに、書類を押しつけたわけだ。カイルは笑った。
「要は王子への嫌がらせか?」
「……話しているとイライラして、つい」
ヴァルクは罪のない木偶人形の腹を剣で殴った。まあ、あんな堕落王子を相手にしていれば苛つくのもわかる。カイルは木箱に突っ込まれていた模擬剣を一本、引き抜いた。
「そんな木偶人形じゃ、ストレス解消にならないだろう。おれが相手してやるよ」
「いいのか? おまえ、剣はあまり得意じゃないだろう」
「だから訓練相手になってくれ」
カイルは剣を構えた。剣なんて持ったのは、それこそここ数年の話だ。下町の孤児院で育ったカイルは、ケンカといえば身一つでやるものだった。
ヴァルクも下町で育った悪ガキ仲間だが――カイルは幼い頃、ヴァルクのことが嫌いだった。理由は簡単、自分には家族がいないのに、ヴァルクには両親がいることが妬ましかったからだ。おまけにカイルのじいさんは元騎士で、王都の外れに割とでかい家を持っている。ヴァルクの父親は、じいさんと若い頃に大げんかして家出したらしい。それきり絶縁状態で下町暮らしをしていたが、ヴァルクは時々、そのじいさんちに遊びに行っていた。
「おれは大きくなったら、王様みたいな強い剣士になりたい。だから、じいちゃんと同じ騎士を目指す」
十歳のヴァルクがそう宣言した時のことを、今でもよく憶えている。夕焼けに包まれた王都広場。ヴァルクの鳶色の髪はいっそう燃えるように赤く照らされ、夢を見据えた目も同じくらい赤く輝いて見えた。
その時のカイルがしていたことは、日が暮れて撤収し始めた屋台のあとを練り歩き、店主や客がうっかり金を落としていやしないか、ハイエナのように探し回ることだった。銅貨かと思って石畳の隙間をほじくり返したら、ただの鉄錆のクズで非常にガッカリしていた。
何が王みたいな剣士だ。騎士だ。ばかばかしい。そう思った。
「知ってるか? 剣を買うにも金がいるんだぞ」
「じいちゃんが、死んだらおれに剣をくれるって」
「へえ。じゃあ今からブン盗りに行こうぜ。売ってガチョウの丸焼きを喰う」
怒らせるつもりで嫌味を言ったのに、ヴァルクは笑っただけだった。
「売ったら一回しかガチョウは喰えないけど、おれが騎士になったら何度でも喰える」
ヴァルクなら本当に騎士になれそうな気がしたし、似合うと思った。でも、それがなんだか腹が立って、カイルはヴァルクをど突いた。すると、ど突き返された。そのまま殴り合いになった。でも殴り合った次の日には何もなかったみたいにまた会う。自分だったら、自分みたいに面倒くさい奴とは友達にならない。でもヴァルクは気にしない。怒ってもあんまり長続きしないのだ。ぬるくて甘い奴で、そういうところは嫌いじゃなかった。
小銭拾いや、スリやら盗みやら、食いつなぐために何でもやった。十代も半ばになると雇ってくれるところが出てきて、石工や大工、酒場の仕事など、声をかけられたら働いた。その頃に孤児院を追い出されたが、誰とでも適当に付き合ったせいか、泊めてくれる奴は多かったから困らなかった。たいていは女のところだったが、ヴァルクの家にもよく泊まった。おじさんもおばさんも親切で、優しかった。ヴァルクはその頃、鍛冶屋に弟子入りして仕事を教わりながら、死んだじいさんにもらった剣でよく素振りをしていた。あいつが剣術大会で優勝して騎士になったと聞いたのは、それからしばらく経ってのことだった。
ヴァルクが近衛騎士になったあと、あいつは城の兵舎で寝泊まりしていたので、ほとんど会うこともなくなった。その頃、カイルは王都を出て酒飲み仲間に誘われるまま、鉱山で働くようになった。寝泊まりする村には宿舎もあったし、女はほぼ皆無だったが、気さくな連中ばかりで楽しかった。
けれど王が倒れたと噂を聞き――それから、どんどん生活がきつくなった。給料は上がらないのに、税金が跳ね上がっていく。きりつめて生活しても、食料を買うだけで金がなくなる。仕事中にケガをして働けなくなったら、飢え死にするしかないような有様で、そのせいか仲が良かった鉱山仲間同士も空気がピリピリしてケンカが多くなった。盗みや強盗が増え、人は減った。人が減れば仕事はきつくなる。なのに給料は上がらない。そしてまた税金が上がる。頭がおかしくなりそうだった。
ヴァルクが近衛兵団に指名手配されたと噂で聞いたのは、日常が完全な地獄と化した頃だった。ヴァルクとはすっかり疎遠になっていたが、カイルはその日のうちに荷物を纏めた。鉱山の仕事に嫌気が差していたのもあるが、とにかく事の真偽を確かめないことには落ち着かなかったからだ。
何かの間違いだと思った。あんなにまじめな男が、指名手配されるような犯罪をするはずがない。けれど――王都に戻ったカイルが見たのは処刑場で見せしめになっている、優しかったヴァルクの両親の亡骸だった。
あまりの怒りと悲しみで、体が震えて止まらなかった。その辺にいた民衆を捕まえて聞いてみれば、ヴァルクが指名手配されたのは、そもそも哀れな老人の命を助けようとしたためらしい。
税金が上がり続けているのは、王族や貴族が贅沢ばかりしているからだ。そんなことのために、人が死んでいる。
「ふざけんな……! 城のやつら、全員ぶっ殺してやる……」
今すぐにでも、拳一つで殴り込みにいきたいくらいだった。そんなカイルの様子を見て、ヴァルクについて教えてくれた男は言った。
「それなら、王都の外れにある廃墟の邸宅に行ってみるといい。あそこに、おまえと同じ気持ちの連中が集まってるんだ」
「王都の外れ?」
よく場所を聞いてみれば、ヴァルクのじいさんが昔住んでいた家だった。ヴァルクの父親は結婚を期に妻の姓を名乗り、ヴァルク自身もそうしている。だから近衛兵団の連中は、ヴァルクが騎士ヴァルブロ・オットソンの孫だとは知らなかったのかもしれない。もちろんちょっと調べればわかることだろうが、その“ちょっと調べる”こともしなかったんだろう。家と身内を突き止め、虫けらのように惨殺し、それで満足した。そのおかげでオットソンの邸宅も、ヴァルク自身も無事だった。
けれど、心は無事じゃなかった。再会した時、ヴァルクはやつれきり、暗い目をして怒りと殺意に満ちていた。ヴァルクの最初の標的は、両親を殺すよう命じた近衛兵団の騎士、男爵家の若い男だった。そいつが再び、罪ともいえない罪を犯した平民を処刑場に引っ立てた時、ヴァルクは堂々と姿を現し、民衆の前で容赦なくその男を斬り捨てた。反撃に出た近衛兵団の小隊も、本気で敵意を抱いているヴァルクを止めることはできなかった。民衆は、待ち望んでいた救世主の登場に歓喜した……。
「……ッ」
ガキンッと刃を丸めた鉄製の模擬剣同士がぶつかり、重い振動に手首までジンと痺れた。こっちも鉱山での力仕事で筋力は負けてないはずだが、ヴァルクは剣撃をしかけてくる角度が絶妙にいやらしい。防ぎにくいところを突いてくるし、おまけに速いのだ。
殴り合いなら、こっちに分があるのに――カイルは忌々しく思いながら、剣を振りかぶった。しかし予測していたように、ヴァルクの剣に受け止められる。腹が立ってめちゃくちゃに攻撃しても、全部避けたり受け流される。
「あーっ、もう! やってらんねえッ」
イライラしながら叫ぶと、ヴァルクが笑った。
「俺は楽しい」
「そりゃこんだけ人を弄んでりゃ楽しいだろうよ! ちょっとは手加減しろよっ」
「そんなことしたら怒るだろ?」
「おれにバレないようにやればいいんだっ」
「さすがに難しいな。カイルは剣に慣れてないだけで、動体視力はいい。それに、その辺の騎士なんかよりは充分強いよ」
「褒めるな、気色悪い」
「そういうところが好きだ」
ヴァルクは軽やかに笑う。本当に気色悪い奴だ。だが、どうやら機嫌は直ったらしい。カイルは模擬剣を木箱に突っ込んだ。
「にしてもまさかこのおれが、王城の訓練場で剣の稽古なんかする日が来るとはな」
王城の近衛兵団の訓練場は数体の木偶人形の他にも、兵舎の壁沿いに古びた木製の的が並べられていた。騎馬訓練のための障害物もあり、とにかくだだっ広い。兵舎の頂上には王家の紋章である金獅子の旗が風に揺れていた。
大理石の敷かれた王城内を自由に歩き回り、この旗を見上げているなんて変な感じだ。
「そんなにいいものでもないだろ?」
「ああ、おまえが逃げ出すわけだ」
自由に歩いていても、妙な窮屈さを感じる。それは、これまでこの城が刻んできた歴史の重さかもしれなかった。ヴァルクは笑い、模擬剣を木箱に片付ける。
「さてと。王子の様子でも見てこようかな」
「イライラするのにか?」
「勅書を破り捨てられてても困るし……イラつくのは俺の問題だ。あの王子は、いちいち人の痛いところを突いてくる」
「へえ。そりゃ剣を握らせてみれば、案外いい腕前なんじゃないか?」
冗談のつもりで言ったが、考えてみればあの剣豪たる王の息子だ。素質はあるかもしれない。ヴァルクは「かもな」とぼやいて取り合わなかった。
「また剣の相手をしてくれ」
「嫌だね」
「そう言うなよ。手加減の練習をしておく」
そう言って、ヴァルクは塔のほうへと歩いて行った。ムカつく奴だ。本当に昔から。
それにしてもあの唐変木をイラつかせるとはたいしたもんだと、カイルは王子を少しばかり見直すのだった。
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