第7話 書類仕事



 ヴァルクが怒って出て行ってから、食事が出たのは本当に二日後の朝だった。見張りが鉄扉の下側にある床近くの小窓から乱暴に放り込んだのは、石のように固い小さなパンが一個。腹が減りすぎて今ならネズミでも食べられると思ったのに、固すぎて歯が立たないパンは、水にふやかしても酸っぱくてまずかった。

 ヴァルクはよほどリオネルに腹を立てたのか失望したのか、あれっきり一度も顔を見せない。水を持ってきたのも見張りの兵士で、やはり床近くの小窓から水差しを乱暴に置いただけだった。水を飲んだあとは、カラになった水差しを小窓から扉の外へ返さないと、新しいものをくれない。小窓から外に返していても一日一回、朝にパンが放り込まれる時にしかくれなかった。

 ネズミは相変わらず格子窓の外から出入りしている。最初は気持ち悪くて怖かったが、来訪者のいない独りぼっちの牢獄にいると、そのうちネズミさえも可愛らしく思えてきた。


「チュチュ。おいで、パンをあげるよ。笑っちゃうくらいまずいけど」


 リオネルはネズミにチュチュという名前をつけて、固くて酸っぱいパンを一欠片、分けてやっていた。そのせいか、ネズミはリオネルが近づいても逃げなくなった。せわしく鼻をヒクつかせ、ちょろちょろと走り回っている姿を眺めるのが唯一の楽しみだった。


「ここを出られたら、もっとおいしい餌をあげるからね……。バターと蜂蜜がたっぷりの、ふわふわのパンケーキを食べたことある? すごく美味しいんだよ」


 ここに閉じ込められて、もうどれくらい経つだろう。二週間……三週間はまだ経っていない気がする。父や妹、王城の皆がどうしているのか、まるでわからなかった。

 ヴァルクがやってきたのは、前と同じ夕暮れ時だった。もう二度と来ない気がしていたので、彼が新しい本を三冊ほど持って現れた時は驚いた。


「ちょっと痩せましたね」


 ヴァルクは前と同じに本を置き、とっくに火が消えていたオイルランプを新しいものと交換してくれた。ちらりと本の背表紙を見ると伝記と、詩集と、異国の兵法書だった。


「……君もなんだか、やつれたように見えるけど」


 前に会った時より頬が痩けているし、目の下の隈もすごい。ヴァルクは「そうですか」と他人事のように呟いた。


「山のような勅書を整理しているところです。玉璽が押されているものについても、あきらかに不正だらけで……。あなた方を捕らえて処刑しても契約は生きているわけですから、十数年分を一つ一つ確認して訂正していくのは骨が折れるんですよ」


 ヴァルクは疲れたように壁にもたれて腕を組んだ。


「地方への補助金は偏っているし、土地や商業特権だって一部の貴族の私服を肥やすものばかりだ。なぜああも杜撰な真似ができるんです。ちょっと考えれば国が傾くとわかるものじゃないですか」

「……知らないよ。玉璽はニーニが持ってたんだ」

「冗談でしょう」

「嘘なんかついてない。最初からずっとそうだよ」


 王の代理を任された時、自分はまだ右も左もわからない十二歳の子供だった。だから責任の重い仕事はディオニーが引き受けてくれたのだ。それが、今まで続いていたというだけ。


「では――彼が事実上の王だったも同じじゃないですか。なぜそんなことを許したんです」

「ニーニが、そうするのが一番いいって言ったんだ。何がいけないんだよ。今だっておまえ達が玉璽を持っているんだから、おんなじじゃないか」

「一応、エリアナ王女に印を押してもらっています」

「言われるまま押しているだけだろ? あの子は詩と刺繍しか出来ない」


 事実だったのか、ヴァルクは口ごもった。リオネルはフンと鼻を鳴らす。


「責任を妹に押しつけて、失敗したら今度はあの子を罰する気か」

「そんなことは……」

「じゃあ、自分の手で玉璽を押せよ。王だと名乗りを上げればいい。妹や父に何かしたら許さないからな」


 ヴァルクはキッとリオネルを睨み付け、声を荒げた。


「よく言う。俺の両親を処刑しておいて……!」

「命じたのは僕じゃない。責任がまったくないとは言わないよ。でも、君だって覚悟してやったことじゃないのか。両親を守り切れなかったのは、君の落ち度だ。全部人のせいにするのは筋違いだ」


 ヴァルクはとうとう黙り込んだ。やつれた顔に暗い陰がいっそう濃くなる。


「……では、殿下が責任を果たしてください」

「え?」

「ここに勅書を持って来ますので、採否を判断していただきます。そして玉璽を押すのは王女殿下にお願いする。それならいいでしょう」

「い……いいわけない。無理だよ、僕なんか。政治に関わってこなかったのに」

「本来なら殿下の仕事です」

「でも」

「いいんですか? 俺達が適当に採否した結果に、妹君が責任を負う形でも」

「だから君が玉璽を押せばいいだろっ」

「俺は王族じゃない。他国にも示しがつきません」

「――…っ」

「エリアナ王女のためにも、せいぜいがんばってくださいね」


 挑発的に言い捨てられ、リオネルは途方に暮れた。





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