第4話 英雄王



 国王ジリオン・アイゼン・レアは、年老いて痩せ細った体をベッドに横たえ、眠りについていた。侍女が水を飲ませ、スープを与え、体を拭き――甲斐甲斐しく世話をしているものの、回復する兆しは一向になかった。

 かつて大陸を剣のみで駆け抜け領地を広げた軍神は、もはや見る陰もなかった。


「申し訳ございません、陛下……」


 ヴァルクはベッドの傍に膝をつき、皺だらけの王の手を取って額に押し当てた。ヴァルクは子供の頃から、王の英雄譚を聞いて育った。きっと国中の子供達がそうだろう。味方の軍と分断され、圧倒的な数的劣勢にもかかわらず王自身が最前線に立ち、勝利を手にした“赤の谷の戦い”や、敵に奪われた砦を少数精鋭の部隊のみで突破し奪い返した“グリムフォード砦の戦い”、他にも襲ってきた熊を一太刀で両断したという逸話など、王の武勇伝は数知れない。

 王に、生きた英雄に憧れて剣を取った。平民は騎士になれないと言われていたが、十六歳の時、王都の剣術大会に出場した。そこで優勝を勝ち取ると、観客席にいた王がみずからやって来て、お声をかけてくださったのだ。


「良い戦いだった。仕えている騎士はいるのか?」

「い、いいえ……」

「ほう。ならば剣は独学か。すばらしい才能だな。そなた、近衛騎士になる気はないか? おまえは息子と歳が近い。いずれはあれの護衛になってくれれば良いと思うが」


 騎士。それも近衛騎士。王太子の護衛。

 あまりにも嬉しい言葉が飛び込んできて、これは夢じゃないかと疑った。心臓が破裂しそうなくらいドキドキして、緊張して何をどう答えたのか覚えてない。しかし王は豊かな口髭を揺らして笑い「城に来るのを楽しみにしている」と言った。

 自分を騎士にしてくれたのは、他でもない、憧れのジリオン王。息子の護衛にと言ってくれたのに、自分がやったことは彼を投獄することだった。

 たとえ息子でも、王の国を蹂躙する彼が、どうしても許せなかった。彼のせいで両親を失った……。


「兄は、どうなるんです」


 跪いていたヴァルクの傍で、王女エリアナが暗い面持ちで呟いた。十八歳になったばかりの彼女は、王と同じ栗色の髪で、兄と同じ青い瞳をしている。


まつりごとをしていたのは、ほとんど後見人のディオニー公や元老院の方々です。兄は――彼らに良いように操られただけです。愚かだとは思いますが、悪意はありませんでした」

「……王子が王女殿下と同じ年頃であれば、まだ擁護の余地はあったかもしれません。しかし彼はもう二十四だ。立派な成人男性です。悪政の責任は取らねばなりません」

「殺すのですか」


 血の気の引いた白く美しい顔で、エリアナが静かに問う。怯えたように涙を滲ませてはいるが、喚くわけでも暴れるわけでもない、冷静でいようと努める気品のある態度。無様に取り乱していた兄王子より、六つも年下なのかと疑いたくなる。

 母を亡くし、父は倒れ、彼女が家族として頼れる存在はもう兄のリオネルだけだ。あんなのでも、かけがえのない存在なのだろう。ヴァルクは立ち上がった。


「命までは奪いません。おとなしく塔に幽閉されていれば、ですが」

「……わたくしはどうなるの」

「王女殿下は今後、新政府に加わっていただきます。残った貴族達に対する抑止力として、王家の人間が必要なのです」


 こちらとて、無駄に血を流したくはない。貴族達は平民を舐めているが、逆に王家には頭が上がらない。彼女がいるだけで、ずいぶん動きやすくなるだろう。


「ヴァルク、ちょっといいか」


 ドアを開けて入って来たのは、幼馴染みのカイルだった。ヴァルクは眉を寄せた。


「王の居室だぞ。せめてノックくらいしろ」

「すいませんね。礼儀のなってない下町育ちなもんで」


 小汚い服装でズカズカ入ってくる男に、エリアナが怯えたように身を竦ませる。ヴァルクは溜め息をつき、エリアナに向き直った。


「護衛をつけますので、何かありましたら彼らに申しつけてください」

「……はい」

「では、失礼します」


 ヴァルクは会釈をして、カイルを連れて部屋の外へ出た。廊下を歩きながらカイルが言う。


「リストに載っていた貴族どもは、あらかた始末した。城壁に吊してやったら、市民達が大喜びで死体に石を投げてるよ。ただ――」

「ディオニー・スヴァンテか」

「ああ。王都の家はもぬけの殻だし、おそらく昨夜のうちに逃げたんだろう。一応、皆に探させているが捕まえるのは難しそうだ」


 ヴァルクは舌打ちした。逃がさないよう王都中に包囲網を張っておいたのに、その裏を掻くとは喰えない男だ。さすが王の顧問役にまで登りつめただけのことはある。


「でな、城中を探してたら良いものを見つけたんだ」

「良いもの?」


 カイルが「こっちだ」と浮かれた足取りで案内した先は、王城の地下室だった。見張りの自由騎士達が松明を掲げている。彼らはヴァルクが来ると、重厚な鉄扉を押し開いた。

 広々とした石造りの部屋の中央に、幾つかの木箱と金属のケースが無造作に積まれている。その中には宝石、大量の金貨、王家の紋章が彫られた品々が散らばっていた。どうやら宝物庫らしい。カイルが興奮したように言う。


「な、スゲーだろ? こんだけあれば、一生遊んで暮らせるぜ」

「それでおまえも、城壁に吊されてみるわけか?」


 ここにあるのは、民から搾り取った税金だ。空いた空間や空箱も多いから、本当はもっとあったんだろう。それを王が倒れてからの十二年ほどで、ここまで使い込んだのだ。


「一生は冗談でもよ、命張ったんだぜ。ちょっとくらい褒美があったっていいじゃねえか」

「褒美ならあるだろう。自由を手に入れた」

「ったく、まじめなんだからよ……。ま、そんなおまえだから、リーダーに選んだわけだが」


 カイルは残念そうに、がしがしと頭を掻いた。

 

「この部屋の鍵は?」

「ここだ。スヴァンテの執務室にあった」


 王子の部屋じゃなく、か。諸悪の根源はやはりスヴァンテのようだ。逃がしたのは本当に口惜しい。ヴァルクは金の鍵を受け取り、しっかりと鉄扉を施錠した。


「鍵は王女に預かってもらう。皆を広間に集めてくれ。今後のことを話し合おう」




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