(5)魔剣

 マリトは数瞬、リリエラの目を見たまま答えなかった。同じような依頼をついさっき当のリリエラ本人の口から聞いた気がするが、その時リリエラは自分のことを「この小娘」などとは言っていない。マリトはごく自然に、この場に最もふさわしい問いを発した。

「お前は誰だ? リリエラなのか?」

「無論違う。言っておくが、魔族などという下品な連中でもないからな」

 では何だと聞こうとするマリトを制して、リリエラの唇が動いた。

「私は剣、この小娘が持っている東方剣だ。銘はテルフェンタリス。今は小娘の体を借りて話している」

「剣?」マリトは眉を上げてリリエラと、その腰の東方剣を交互に見比べた。「では昨夜、魔族軍の部隊長を討ち取ったのも……」

「私が小娘の体を操った。まだ小娘の技量は未熟ゆえ、本来の動きには遠く及ばなかったがな」

 マリトはしばらくリリエラを見つめていたが、やがて無言でその場を去ろうと踵を返した。

「おい待て、まだ返事を聞いておらぬぞ」その背にリリエラ――を乗っ取っている剣――のやや狼狽した声が響いたが、マリトは立ち止まらず、目だけで振り返った。

「リリエラに剣を教える話ですか? それは私の一存では決められませんよ。私個人としては教えてもいいと思っていますが」

 マリトは足を緩めて顔を向けた。「あなたは何故リリエラに剣を教えたいと思うのです?」

 リリエラはマリトに追いつくと、鋭い視線を送りつつ口元に笑みを浮かべた。

「こちらにも事情があってな。それより貴様、私が剣だということを信じるのか?」

「正直、人を操る剣なぞ信じていいかどうかは分かりません。しかしリリエラが嘘をついて別の人格を演じているとは思えません……それならもっとましな嘘をつくでしょうから」

 再び歩き出したマリトの脇にリリエラは寄り添うよう付き添った。マリトはいつでも抜き打てるようリリエラを自分の右手に置いたが、少女の歩様に隙は無く、おそらく抜き打ちを浴びせても初太刀はかわされると直感した。

「ふん、まあいい。剣を教える話は考えておけ。私は少し休む」

 突然リリエラの足が止まり、ふらりと体を揺らして倒れそうになるのをマリトは咄嗟に抱きとめた。

「……あ……えっ? マリト……さん?」

 まるで今目覚めたかのような声で、リリエラがマリトの目を見上げた。彼女の目からは鋭い眼光が消え、長椅子の上で見た可憐な少女そのものの柔和な表情を浮かべている。

「大丈夫か?」

「え、はい……でも私、なぜここに? 広間で休ませてもらっていたのに」

 どうやら本当にさっきまでの記憶が無いらしい。居館から出て石壁で隔てられた砦の中庭に出てきたことも、抜き打った剣で襲いかかってきた盗賊の短剣を跳ね飛ばしたことも、自分は剣だと名乗ったことも。マリトはリリエラを立たせて、ちらりとその腰の剣に視線を落とした。

「ここは砦の中庭だ。どうやら君は、館の広間を出てここまでやって来たことを覚えていないようだが」

 マリトはリリエラを安心させるように微笑んでから問うた。「さっき広間で言っていたが、その剣を手にしてから記憶が飛ぶことがあるとか。今もそうだったのか?」

 リリエラは目を伏せながらうなずいた。「はい。持って来ていただいたお食事をいただこうとしたところまでは憶えているのですが、気付いたら、ここに……」

「気にしなくていい。それより」

 剣を教えるという話だが、とマリトが切り出そうとした時、居住区と中庭を隔てる扉が開いて人影が姿を現した。革の胸当てを着けて片手に短剣を持ったその顔の目よりも下は、狼の面で覆われている。リリエラが驚いてマリトの顔を見上げたが、マリトはひょいと片手を挙げて狼面に言葉をかけた。

「すまんフルグ、起こしてしまったか? というより、その格好で寝ていたのか」

 狼の面がうなずいた。面の上の赤味がかった茶色の瞳がリリエラに向けられる。

「昨夜の子だ。それよりフルグ、襲撃は撃退したから後始末を手伝ってくれないか」

「襲撃? 魔族?」

 狼の面のせいでくぐもった声だが、リリエラは自分よりも幼い少女の声であることに驚いた。マリトは彼女の反応に苦笑しつつ、魔族ではないよと説明した。

「彼女は私と同じくパランディル隊の隊員のフルグ。あの馬鹿兄弟なんぞよりもはるかに強い」

 狼の面が無言でリリエラに会釈すると、リリエラもあわてて頭を下げ、リリエラ・オルネットと申しますと言い添える。紹介を終えたところで、マリトはフルグに向き直った。

「フルグ、副隊長は帝国兵と一緒に中立地帯に行っている。司令棟の屋上から襲撃があったと火矢で知らせてくれ。状況はその後で説明するよ」



「さて、君に剣を教えるという話だが」

リリエラと二人で砦の北壁の上に立ちながら、マリトはおもむろに切り出した。異変を知った副隊長たちが戻るのを待つ間に、この話は片付けておきたかった。

「剣は人を斬るためのものだ。それを知った上で、私に剣を教えてくれと言うのだな?」

 リリエラの顔は幾分青ざめていたが、それでも毅然とした表情でうなずいた。つい先程、マリトから賊の襲撃について聞かされ、さらにマリトが斬った賊の死体を目撃したときは息を呑んで衝撃に耐えていたようだったが、マリトがあえて死体を見せた意図をすぐ理解したらしく、わずかに顔色を変えただけで、目をそむけるようなことはしなかった。

「……はい。お願いします」

「もう一つ聞こう。数ある武器の中で何故に剣、それも東方剣なのだ?」

 マリトは砦の壁に背をもたせ掛けつつ、リリエラに優しい口調で問うた。

「普通の剣なら教えられる者は大勢いるし、そもそも敵討ちなら剣でなくとも飛び道具の類でもいいはずだ。よりによって、希少な東方剣を使う理由は?」

「誓いです。この剣で父の仇を討つと誓ったからです」

 リリエラはマリトの目をまっすぐに見返しながら、ためらいなく答えた。どうしてそんな誓いをするに至ったのかを聞こうとすると時間がかかるだろうな、とマリトはリリエラの琥珀色の瞳をのぞき込みながら思った。東方剣を選ぶに至った詳細はもっと長い話を聞く必要がありそうだが、少なくとも「誓い」という彼女の言葉について嘘は無いようだ――他の武器を使って仇を討つつもりもないようだが。

「では最後の質問だ。君はノルダーレント以外の国に身寄りはいるのか?」

 剣と関係のない質問に少女はわずかに困惑したようだったが、少し声を落として答えた。

「……いません。誰も……」

 では独りになってしまったのか、とマリトは口にしかかったが、あえて悲しみを呼び起こすことはないと思いとどまった。それよりもっと実務的なことを聞かなければならない。

「そうなると難民扱いということになるが、それでは一定期間ログラム市郊外の難民管理区域で過ごしてもらうことになってしまうな。そこで提案だが」

 マリトは言葉を切り、リリエラがいぶかしげにこちらを見るまで待ってから本題を伝えた。「私が剣を教えるかどうかは別として、ここで働く気はないか?」

「働く?」リリエラはちょっと首を傾げた。えらく可愛い仕草だなと思いつつ、マリトは続ける。

「つまり、ログラム市自警団の中でも魔族退治の専門部隊であるパランディル隊に入るということだ。君は昨夜、リブルデイン軍の部隊長を見事に倒しているから資格は充分だが」

「ま、待ってください! 私、戦うなんて……」

 言いかけて、リリエラは自分の言葉が自分の望み――仇討ちという戦い――と矛盾していることに気付いたらしく、表情を引き締めて言い直した。「私に、やれるでしょうか?」

「おそらくは。それに君の仇がリブルデインの指揮官というなら、この隊に入っていれば会いまみえる可能性は高い。我々はもっぱら中立地帯に迷い込んだ魔獣や不死者の退治だが、リブルデインの侵攻への備え、そしておそらく反撃作戦の支援という任務も間違いなく加わるはずだからな」

「分かりました。もし可能なら、お世話になりたいと思います」

 迷いなくきっぱりとリリエラは言い、頭を下げた。「では、マリトさんに剣を教えていただけるお話は……」

「その話は後だ。副隊長が戻ってきたから、いろいろと報告をしなければならないんでね」

 マリトは砦の外を目で示した。リリエラが視線を向けると、北から騎乗の士が三人、こちらに駆けてくるのが見える。

「おや、隊長代行殿とその秘書殿もご一緒か。話がややこしくなるから、君はさっきの広間で休んでいてくれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る