(4)襲撃
「魔族か?」
「いや、違うようだ。山賊野盗の類らしい」
排水溝が詰まったというのは、この砦に敵が接近していることを知らせるパランディル隊の暗号だった。事情があってはっきりそれを口に出来ない時に使うが、実際に使う機会は極めて稀だ。この砦で襲撃と言えば魔族によるものだが、どうやら初の賊による襲撃らしい。居館を出た二人は、砦の中庭で兄弟の片割れと落ちあった。
「状況は?」
「荷馬車が一台、旧街道を全速力でこっちに向かってくる。どうやら商人が盗賊団に追われているみたいだ」
マリトは砦の周囲を囲む石壁に上る階段を駆け上がり、頭だけのぞかせて東の街道を遠望した。
「数は六、七人で全員騎乗しているな。外見を見る限り、確かに魔族ではなく人間の賊のようだ」
「最近ダインマルクの街道を荒らしてる、ジガンテス団とかいう連中だろうね」
「おそらくな。この辺りまで出張ることはないと思っていたが」
ジガンテス団。ここ数年、帝国の北東に位置するダインマルク王国を中心に活動している盗賊団だが、最近は直接的な路上襲撃だけでなく、ログラムに入り込んで高利貸しの取り立てや非合法の賭場の経営などにも手を染めているということで、帝国司法警吏隊が神経を尖らせている存在だった。魔族退治が専門のパランディル隊には縁が薄い存在ではあるが、マリトは階段を降りながら手早く二人に指示した。
「二人共、朝帰りの後の乗馬を楽しむ気はあるか?」
「あるとも! 一応聞くんだけど、お隣には声をかけなくていいのかい?」
お隣とは、この砦のすぐ隣に位置する帝国軍駐屯地のことである。定数百人の兵士を収容し、日中は最低でも留守を守る兵士が十人以上はいるはずで、本来盗賊団の類の対処は彼らの仕事のはずだったが、マリトは頭を振った。
「無駄だ。昨日の戦いの検分と警戒で、駐屯地の帝国軍兵士は全員出払っている。おそらく留守は数人しかいないはずだ」
「念のため聞くけど、うちの方も同じかい?」
「副隊長は軍に同行して昨夜の魔族襲撃の実地検分。ルーリクも今朝からそちらに行っている。ジュリシアはお前らとすれ違ったとおりノルダーレント避難民をログラムに送る護送隊に随伴中で、クロルはもともと物資買い付けでログラムに出張中だ。一応言っておくと、隊長代理殿も軍と一緒だからな」
「フルグは?」兄弟のどちらかが発した質問にマリトはいらだたしげに首を振った。
「昨日の戦いで不死者を数十体始末した後だ。今は館の自室で寝ている最中だが、叩き起こして山賊が来たと言う気か?」
兄弟はとんでもないとかぶりを振った。魔族討伐に意欲を燃やすフルグにとって、野盗山賊の類など虫けら以下の価値しかない。「魔族が来たのに起こさなければ殺されるが、魔族が来ないのに起こしても殺される」とは、いつだったか副隊長が言った言葉だ。
「まああんな連中、僕たちだけで十分だ。ちょっくら行って追っ払ってくるよ」
「よろしく頼む。深追いする必要はないからな」
トルバイア兄弟が勇躍馬を駆けさせ出撃するのを見送ったマリトは、砦に向かって必死に逃げてくる荷馬車と、その追っ手を石壁の上から観察していた。馬車は二頭引きのごくありふれたもので、荷台には大きな樽が六つ置かれている。必死に馬を操っているのは商人と思しき男で、馭者台の隣にはもう一人同じような格好をした男が乗っているが、負傷しているのか怯えているのか、うずくまっているようだった。
一方、追っている連中は遠目にも盗賊と分かる身なりだった。剣や槍を振り回しながら馬を駆り、奇声を発しつつ馬車を追いかけているが、砦から二騎討って出てきたのを認めるや、たちまち馬首を巡らせて退却に入った。
マリトはゆっくり壁の階段を降りると、既に開いておいた砦の東門の前に立った。既に砦のすぐ近くまで来ていた馬車は、手を振る彼女の姿を認めて速度を緩めた。
「何があった?」
「盗賊の襲撃だ! 連れがやられてるんです、どうか助けてくだせえ!」
「賊は追い払った。落ち着いて砦にどうぞ」
馬車を操っていた商人風の男は、マリトに頭を下げながら手綱を操って、馬車をゆっくり砦の門から中に入れた。
「助かりました。ああ、でもこいつが……ジョーノが奴らにやられちまって……」
商人は馭者台を降りると、隣に座っていた男を降ろそうと荷台の後ろを回ってきた。呻きながらうずくまる相方を降ろそうとする商人を手で制し、マリトはつとめて事務的な口調で尋ねた。
「医者はいないが、簡単な手当てならできる。傷は矢傷か?」
「あ……いや、よく分からねえんで。いきなり襲われて、何が何だか分からねえうちにこんなになっちまって」
「馬車にも荷物にも全く矢で攻撃された痕跡がないところを見ると、あなたの友人を傷つけたのは矢ではなさそうだ。積み荷は?」
「ブリンザーク産の白葡萄酒でさ。ログラムで売るつもりだったんですが……」
「ではログラムの入市許可証と交易許可証があるはずだ。拝見しよう」
斬るようなマリトの口調に、商人は言葉を詰まらせた。「ち、ちゃんと持ってますよ。それより怪我人が……」
その時、馭者台で体を折って呻いていたもう一人の商人が、さっと上体を起こした。「もういい、芝居は終わりだ。野郎共、手はず通りやれ」
その手には短銃が握られている。そしてその磨かれた銃口は、マリトに向けられていた。
マリトは抵抗の意思が無いことを示すため、ゆっくりと両手を挙げながら、荷馬車に積まれていた樽の中から彼らの仲間――間違いなく盗賊団――が勢いよく飛び出してくるのを見守った。これで敵は馭者台の二人に、樽の中にいた六人が加わったことになる。
「ゼイダン、壁に上って外の様子を見てこい。トゴー、お前は火の準備だ……それにしてもよぅ」
銃を持った盗賊がこの集団の首領らしく、他の賊たちに指示を下しながらマリトを眺めた。「えらく落ち着いてるじゃねえか。ええ?」
「まるで俺たちが賊だって分かってたみてえだな」
例の商人が、髭に覆われた口元に笑みを浮かべて首領に笑いかけた。マリトは無言のまま表情を消し、彼らの言葉に反応を示さずにいたが、その眼は彼ら一人一人の行動に注がれている。首領が何かマリトに声を掛けようとした瞬間、壁に上がっていた賊が首領に向けて叫んだ。
「外の方は大丈夫でさ。モズマの奴、しっかりここの連中を引き付けて誘い出してますぜ」
「よし、お前はそのまま外を見張ってろ。東だけじゃなく、念のため北の方もな。トゴーは二人連れて倉庫だ」
首領は馭者台に座ったまま、低く通る声で次々と指示を出す。トゴーと呼ばれた例の商人は、部下が樽の中から取り出した松明に火を付けると、部下達に目で合図した。荷台の樽に隠れていた賊二人が彼に従ったが、片方は大きな革袋を持っている。
「さてと。俺たちは逃げる準備だ」
首領は油断なくマリトに短銃を向けたまま、馭者台を降りた。三人残っていた部下のうちの一人が代わりに台に座って手綱を取り、もう一人が馬の口を取って馬車の向きを変え始める。残る一人は荷台を押して旋回を助けていたが、ちらちらとマリトを盗み見ていた。そして馬車の旋回が完了すると、その賊は首領の隣に立って下卑た笑いを浮かべた。
「よく見たらいい女ですね」
「妙な気を起こすんじゃねえぞ。仕事が済んだらさっさとずらかるだけだ」
「仕事というのは何だ? この砦の倉庫には、賊が欲しがりそうな金目のものは無いはずだが」
盗賊が正体を見せてから初めてマリトが口を開いたので、二人の盗賊は飛び上がりそうな勢いで驚きの表情を浮かべた。マリトは挙げていた両手を降ろし、首領の目をひたと見つめながら、何気ない調子で足を彼らの方に動かすと、首領は短銃を構え、手下は腰の短剣を抜いた。
「う、動くな! 撃つぞ!」
「撃ちたければ好きにしろ。銃声が外の連中に聞こえるかもしれないが」
マリトの落ち着いた声に、首領は一瞬気圧されたように言葉を詰まらせた。その隙に付け入るように、マリトは語を継いだ。
「もっとも、その銃では発砲できないな。その銃は火縄式ではなく、最新式の燧発式だろう? 火打石を挟んだコックが引き金を引くと倒れて当たり金に接触し、その火花で点火するという奴だが」
マリトは唇の端を上げた。「その銃の火打石を取り付けたのは素人だな。それではコックが倒れても、当たり金に火打石が当たらないから火花が起きない。コックの止め金から出ている火打石の長さが足りないと思うが」
げっという表情で、首領の視線が一瞬短銃の発射装置に向く。マリトにはその一瞬で十分だった。駆けだした最初の二歩で距離を詰めつつ抜刀し、次の一歩で右に跳んであっと驚く手下を真正面から斬り下げる。手下が一瞬で倒れたのを見てようやく我に返った首領は咄嗟に銃口をマリトに向けようとしたが、次の瞬間その右腕は斬り落とされていた。
「…………っ!」
怒声混じりの呻き声が首領の口から漏れる。マリトは首領が手にしていた短銃を腕ごと蹴り飛ばすと、荷馬車を移動させていた二人の賊――作業を終えたところで自分達の首領の腕が斬り落とされるのを目撃して凍りついている――に駆け寄り、彼らが剣を抜き終える前に胴を薙ぎ、首筋に刃を走らせた。
彼らが倒れるのも見届けず、マリトは振り返って数歩駆け戻ると、最初に斬り倒した手下から短剣を奪って素早く前上方に投擲した。短剣は軽いうなりを上げて飛び、砦の壁の上で外を見張っていて、異変に気づいてこちらに振り返った賊の胸に突き刺さった。
その賊がゆっくりと体を折り、中庭に落ちた時にはもうマリトは倉庫に向かっていた。松明を持って倉庫に向かった賊は三人。倉庫は砦の西側の壁に位置しているが、建設中の監視塔の足場のせいでここからは直接見通せないため、賊はまだこちらの異変に気付いていないはずだ。
マリトは無言で中庭を駆け抜けて距離を詰め、監視塔の足場の陰から飛び出した時になって、ようやく倉庫の手前にいた賊たちがぎょっとして振り向いた。彼らまでの距離は十歩、マリトは剣を抜いたまま一気に駆けて間合いを詰める。
松明を持った元商人の賊が、手下の賊に何か喚いて指示らしきものを出したが、最初の賊はその言葉に反応する前にマリトに斬られた。二人目はどうにか手にしていた革袋を捨てて腰の短剣に手をかけるところまでは出来たが、短剣が鞘から離れる前にマリトの斬撃を浴びて地に倒れた。
部下二人の惨状を目の当たりにした元商人の賊は、抵抗する愚を悟ったらしい。手にしていた松明をマリトに投げつけるや、監視塔の足場の向こうから逃げ出した。マリトは払いのけた松明の火を足で踏み消すと、直ぐに後を追って駆け出す。
賊は入ってきた東門から逃げるつもりだとマリトが判断して中庭に出た瞬間、彼女は思わず目を見張った。例の剣を手にしたリリエラが、中庭の真ん中にぽつんと立っていたのだ。
マリトは声を掛けようとしたが、先を逃げる賊の行動の方が速かった。
「お、おとなしくしろ!」
賊は短剣を抜くと、棒のように突っ立っているリリエラに飛び掛かった。人質に取る気だとマリトが察した刹那、リリエラの体がすっと沈んだ。その手が腰に帯びた東方剣の柄にかかっているのを見たマリトは、ほとんど反射的に「殺すな!」と叫んでいたが、その時はもう賊の体がリリエラの剣の間境を越えていた。
「!!」
次に起きた光景に、マリトは一瞬呆然となった。短剣を振りかざして迫る賊にリリエラが抜き打った一刀は、マリトがこれまで見てきたどんな剣よりも凄まじさと美しさを感じさせる動きだった。決して迅くは無い、いや、本来はもっと迅いはずだが何かの理由でその速さに制約があるが、しかしその抜く手の動き、足から腰への重心の移し方、そして陽光にきらめく白刃が動く完璧な円弧……その剣は賊の手にあった短剣を下から跳ね上げ、天に飛ばしていた。そして刃を返すと、同じ軌道を逆から斬り下ろした。否、斬り下ろそうとした。少女の剣が、澄んだ音を立てて軌道を逸れた。
「殺すな。この男には聞きたいことがある」
間一髪、マリトの渾身の速さの一撃がリリエラの剣を脇から払っていた。そのまま剣の柄で唖然と立ち尽くす賊の側頭部を強打して気絶させると、マリトはリリエラに向き直った。
「どういうことだ?」
「ほう、なかなか
マリトの問いを無視して、リリエラは不適な笑いを浮かべて剣を中段に構えた。その表情と口調は、明らかに先程広間で言葉を交わした少女のものではない。
魔族か、とマリトが剣を構えた瞬間、リリエラの足がすっと前に進み、同時に剣先が上に動く。マリトは逆に剣を下げ、リリエラが繰り出してくるであろう斬撃に備えて腰を沈めた。
が、リリエラは動きを止め、ふっとため息をついて剣を引いた。
「やはり駄目だな。思うように体が動かぬ」
彼女はそう言ってマリトに笑いかけると、剣を鞘に納めた。マリトも剣を引くかどうか迷ったが、今のリリエラからは明らかに殺気が消えているのを確信すると、とりあえず一歩下がって間合いを取ってから剣を引いた。
「説明してもらおうか」
「説明? ふん、外が騒がしいから出てみただけだ。それより貴様、マリトとか言ったな?」
リリエラはマリトの反応を待たずに続けた。「貴様の剣をこの小娘に教えろ」
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