(3)少女の願い

 マリトは長椅子に腰掛けたまま、無言でリリエラの顔をじっと見つめた。さまざまな疑問が頭をよぎったが、まずは最も優先して発するべき質問を発した。

「理由を聞いてもいいかな?」

「……父の、仇を討ちたいのです」リリエラは真っ直ぐマリトを見返したまま、静かに続けた。「父は、リブルデイン軍がトルンロット市を攻め落とした際に、敵の指揮官の手で殺されました。後で知りましたが、父の命を奪ったのは、ゼルフィンモーグというリブルデインの将軍の一人だそうです」

 マリトは表情を消したまま立ち上がると、広間の窓に歩み寄った。太陽はだいぶ高くなっていて、居館の庭を白く照らし始めている。マリトは窓の外に視線を向けながら、穏やかな口調でリリエラに尋ねた。

「私はログラム市自警団の一員だ。他国人の貴女に剣を教えるにはいろいろと制約があるが、ひとまずそれは置いておこう。私が一番気になるのは」

 マリトは窓枠に手を掛けたまま、顔だけリリエラに振り返った。「貴女ほどの剣の腕がありながら、何故今さら私に教えを乞うのかということだ」

 リリエラは長椅子の上で状態を起こした姿勢のまま、少しだけ首を傾げてみせた。

「あの……それは、どういう……?」

「つい昨夜の出来事を、もう忘れてしまったのか? 避難民を追撃してきたリブルデインの部隊長を、貴女が討ち取ったのだ」

 それを聞いたリリエラは、驚愕の色も露わに目を見開いた。その反応にはむしろマリトが驚いたが、まさか本当に覚えていないなどということはあるまいと先を続けた。

「それもただ倒したのではない。部隊長の周囲の敵兵を皆一刀のもとに斬り伏せ、最後に残った部隊長の攻撃をしのぎつつ、刺突を外した敵が剣を引いた隙をついて手元に飛び込み、その勢いのまま首を刎ねた。あの太刀行きの迅さ、正確に首筋を狙って送り出された斬撃の凄まじさ……あれはまさしく達人の剣だ。それも、東方剣の特性を知り尽くした者にしか繰り出すことのできない必殺の斬撃と言っていい。私に剣を教わるというが、むしろこちらが教えて欲しいくらいだ」

 マリトが一息に告げた内容を必死に理解しようとしているのか、リリエラは困惑の色を浮かべたまま、その可憐な目をしばたたかせた。さっきの真剣な表情との落差に、マリトはつい口元を緩めそうになったが、しかしあの行動を覚えていないというのはあまり笑えない冗談だ。マリトは窓を離れると、暖炉の脇に立てかけたリリエラの剣を手に取った。

「自分で刀身を見てみるといい。まだ脂がうっすらと残っている」

 マリトは黒い鞘の曲刀をリリエラに差し出した。依然として困惑の表情を浮かべる少女に、「昨日、君がリブルデインの部隊長を斬った時のものだ」と付け加えると、リリエラは半ば怯えたような目で自分の剣を見、そして救いを求めるようにマリトを見上げた。

「……まさかとは思うが」

マリトは剣をリリエラのそばに置くと、再び長椅子に腰を下ろして少女の顔をのぞき込んだ。「昨夜の事を、全く覚えていないのか?」

 リリエラは、今の自分の状態を的確に言い表したマリトの言葉に飛び付くようにうなずいた。

「実は……この剣を手にしてから、時々記憶が飛ぶことがあるのです。昨日も、街の皆さんと一緒に国境を目指して逃げているところまでは憶えているのですが、誰かが魔族が追ってくると叫んだあたりから、記憶が無いのです……」



 マリトは無言のまま、努めて困惑を表に出さぬようリリエラの表情を観察したが、嘘や冗談を言っているのではないとしか思えなかった。ますます深まった謎を解くべく、マリトは順序立てて質問することにした。

「この剣は君の家に伝わる剣だと言ったが、君が最初にそれを手にしたのは?」

「……トルンロットが陥落した、あの日です」

「その剣には、何か特別ないわれでも? 例えば、不思議な力を持っているとか」

 その問いはごく自然な口調だったが、リリエラの口元が明らかに緊張したのをマリトは見逃さなかった。

「何か知っているのなら、教えて欲しい」

 マリトは精一杯優しく言葉をかけたつもりだったが、リリエラの緊張を解きほぐすには至らなかったようだ。少女は目を伏せると、手にしていた剣をそっと撫でた。

 明らかに何かあるとマリトは確信し、次の質問を発しようとしたその時、外で馬の足音が聞こえた。マリトはため息まじりにリリエラに声をかける。

「邪魔が入った。この話はまた後でしようか」

「はい……ですが、邪魔というのは?」

「馬鹿共が来た。まあさほど害はないから、余計なことは言わずに黙っていればいい」

 マリトはリリエラに向けて口元を緩めて見せたが、ふと思い出して

「そういえば、腹は減っていないか? 少なくとも昨夜からは何も食べていないと思うが」

「あ……」

 指摘されて初めて自分の空腹に気付いたらしく、リリエラは少し顔を赤らめながらうなずいた。

「何か持ってこよう。いや、もうすぐ来る馬鹿共に持ってこさせるか」

「あの、マリトさん……その人たちは?」

「一応我がパランディル隊の隊員だ。名を覚える価値も無いから気にしなくていい」

 マリトがそう告げた瞬間、居館の玄関ホールの扉が開く音がした。そしてそのまま、彼女たちのいる広間へと足音が近づいてくる。マリトは扉の外に声を掛けた。

「静かにしろ。ご婦人がお休みだ」

 途端に足音が静まり、数瞬間を置いてから、そっと広間の扉が開いた。

「誰が入っていいと言った?」マリトは嘆息しつつ、扉とリリエラの間を遮る位置に足を運ぶ。開いた扉の間から、二人の男が優雅に一礼してきた。

「失礼、マリト。こちらに可憐な剣の遣い手がお休みになっていると聞いたんでね」

「もっとゆっくり来る予定だったが、愛馬を駆けさせ急ぎ参上した次第」

 男達が顔を上げると、マリトの背後からおそるおそる顔をのぞかせていたリリエラがはっと息を呑んだ。二人の顔が、全く同じだったからだ。しかし男達も、リリエラの顔を見て同じく驚いた表情を浮かべた。

「これは……」「なんと可憐な……」

 そのままふらふらと部屋に入り込んだ二人の前に、マリトが立ち塞がった。

「随分とお早いことだな。その様子だと、昨夜はログラムで飲み明かしたか」

「え? ああ。しかし僕たちは紳士だ、当番の前日に深酒などしないさ。それに早起きはするものだ、なあユービングよ」

「まったくだディアン。寝足りないのを振り切って街道を駆け抜け、いざ精勤に励もうとしたその矢先、魔族軍をたった一人で退けた美少女剣士が砦で休んでいるとのお告げがあったので、僕らそろって息せき切って参上したわけだ」

「……避難民の護衛についていたジュリシアに聞いたのか」マリトは諦めたように肩を落とした。男達は嬉しそうに大きくうなずき、リリエラの休む長椅子のそばまで、踊るような足取りで歩み寄ると、大仰に片膝をついた。

「僕はディアン・トルバイア。第十三ログラム市自警団、通称パランディル隊の隊員です。お見知りおきを」

「同じくユービング・トルバイア。僕もパランディル隊の隊員ですよ」

 リリエラは呆気にとられた表情で、恭しくお辞儀をする二人を眺めていたが、やがて目元を綻ばせながら背筋を伸ばした。

「リリエラ・オルネットと申します。お二人は、双子なのですね」

 マリトが口を開く前に、リリエラが名乗った。兄弟は驚いたような表情で顔を上げると、互いの顔を見合わせ、そして歓喜の声を上げて再び最敬礼した。

「はい、リリエラ殿。僕ディアンが兄です」

「そして僕ユービングが弟です。どうぞよろしく、リリエラ殿」

「よし、自己紹介は済んだな? ついでに言っておくが、私は彼女の面倒を見るようザイラフ副隊長から命じられている」

 マリトがいつの間にか自分の剣を手にしているのを見ると、トルバイア兄弟の顔が同時に引きつった。

「つまり、彼女の前で減らず口を叩いている奴は叩き斬って構わんということだ」

「いやいや、僕たちの女神の休息を邪魔するつもりなど毛頭……」

「そうそう。彼女が望むなら、僕らはどこへとなりとでも消えましょう」

 二人は優雅に後ずさると、名残惜しそうに立ち上がった。それでいい、とマリトは兄弟にうなずいて見せる。

「では聞けボンクラ共。リリエラ嬢はまだ朝食を召し上がっておられないので空腹だ。しかし今日は料理係のフリオナさんが避難民炊き出しに動員されて不在だ。よってお前らが今すぐまともなお食事をお持ちしろ。それとどちらか片方は、さっさと見張りに立て」

 マリトがぴしりと鞭を打つような口調で命じると、双子の兄弟はうなずいた。

「はい、ただ今」

 兄弟は同時に一礼すると、リリエラに微笑みかけながら広間を出て行った。厨房に通じる扉が閉じるのを見守ってから、マリトはリリエラに向きなおった。

「見苦しいところをお見せして申し訳ない」

「いえ、そんな……あの方たちも、マリトさんのお仲間なのですね」

「仲間という表現には異論があるが、一応同僚のようだ。我々パランディル隊は対魔族戦闘の専門集団だが、あの馬鹿共もそれなりに剣を使うのでね」

「馬鹿だなんて。とても面白い人たちでした」

 くすくすと笑うリリエラを見て、そういえば彼女の笑顔を見るのは初めてだとマリトは気付いた。あの兄弟なら野に咲く花のような笑顔だとか形容して賛美するだろうが、マリトは先刻のやり取りの続きが気になっている。中断されたのをいいことに、今度は少し質問を変えてみた。

「ところで、さっきあの馬鹿共が言っていた昨夜の出来事だが」

 マリトが話題を転じると、リリエラの笑顔に陰が差した。

「貴女がリブルデインの指揮官を斬り倒したのは事実だ。私だけでなく、パランディル隊のザイラフ副隊長とフルグという隊員も目撃している。そして現場にいた全員が、貴女が剣の名人だという意見で一致しているわけだが」

 マリトは一息入れて、穏やかな表情でリリエラに尋ねた。「今まで、誰かに剣を習ったことは?」

「いえ、ありません」

 リリエラの答えはこの上なく明確で、嘘を言っている様子は微塵も感じられなかった。しかしそれでは、彼女の卓越した剣技の説明がつかない。第一、剣の素人に斬り倒されたとあっては、魔族軍の部隊長も浮かばれまい。マリトはあきらめずに、質問の矛先を変えた。

「よろしい。だがあの東方剣は実に見事だ。ああいう業物があったということは、貴女の家は武器商か美術商を営んでいたのか?」

「いいえ、仕立て屋です。私が生まれた十七年前に開業して、それなりに繁盛していました。父はおそらく、美術品としてこの剣を買ったのだと思います。武器として使うような方ではありませんでしたから……でも結局、しばらく書斎や応接間を飾っただけで、その後は地下倉庫の下で眠っていたのですが」

 リリエラは幾分表情を明るくして答えたが、父のことを思い出したのか、その顔に影が差した。ややうつむいた彼女に質問を重ねるのは気が引けたが、マリトは続けて尋ねた。

「剣を買ったのはいつ頃か覚えているか?」

「私が十歳の時です。先ほどは、この剣を初めて手にしたのはトルンロット陥落の日だと申しましたが、あれは本当の意味で手に取ったという意味で……実は買った当時、夜中に書斎に忍び込んで、こっそり剣を抜いてみたことがありました。月の光に照らされて、とても美しいと思ったのを憶えています。父に内緒で見ていることが怖くなって、すぐに戻しましたが」

 意外に大胆なところもあるな、とマリトは小鹿色の髪の少女を新しい目で見直したが、魔族軍の部隊長を倒すほどの剣豪ともなれば、そのくらいの大胆さは持つのが普通なのかもしれない。マリトはふと思い出して、全く別の質問を投げた。

「そういえば、ノルダーレント王国の男子は皆基本的な軍事訓練は受けているはずだったね。君のお父君は、そういう訓練にはどんな剣を使っていたのかな?」

 峻険な「鉄蓋山脈」を隔てて魔族の国と接するノルダーレントでは、国民皆兵に近い政策が採られていて、常備軍は志願制だが成人男子は予備役扱いとなり、有事の際は市民の避難を援護したり軍事拠点の防御施設の構築の手伝いに動員されることになっている。が、この質問にもリリエラは首を振って応えた。

「父は、腕の傷を理由に軍役を免除されていました。若い頃大怪我して、日常生活にはほとんど支障はありませんでしたが、戦いは無理だと言われたそうです」

それでも魔族軍が迫る中、娘と共に街に残ったのかとマリトは感心したが、その時咳払いが聞こえた。

「失礼。朝食をお持ちしました」双子のうちのどちらかか識別できないが、トルバイア兄弟の片方が盆を捧げ持って厨房からの扉を開けて広間に入って来た。マリトは大きくため息をついて、質問を邪魔しに来た闖入ちんにゅう者に冷たい目を向けた。

「ご苦労。こちらには近づかずにそこのテーブルに置いておけ。そしてさっさと見張りにでも立っていろ。昨日の今日で魔族が来るとも思えんが、今この砦と隣の帝国軍駐屯地にはほとんど人がいないのだ」

「そうするよ。でもマリト、砦の排水溝が詰まっているみたいなんだ。ちょっと来てくれないかな?」

 マリトはわずかに眉を上げると、置かれた朝食の盆をリリエラの寝台の脇の小卓に移してから、何気ない動作で剣を腰に帯びた。

「ちょっと出てくるから、その間に食事をしていてくれ。あと、外が少し騒がしくなるかもしれないが、気にせず休んでいてかまわない。ただし、この館からは決して出ないように」

 リリエラがうなずくのを見ながら、マリトは自然な足取りで広間を出た。

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