カウンターに二人ほど男性客がいるだけで、三人は空いている奥のテーブル席へと進んだ。

 深井は、カウンターの中のマスターに目をやると相好を崩した。


「実はですな、私は和光へ来るたび、この店に来ます。ここのエスプレッソ、深みがあるのにすっきりとしていて、ほんとに美味しいんですよ」


 そう言われて、悠真は卓上メニューに手を掛ける間もなく選択肢がなくなってしまった。

 その顔に緊張がにじみ出ているのか、深井は悠真を気遣うように穏やかな笑みをたたえていた。


「樫見から、早瀬さんのことは聞いていますよ」


 その切り出し文句に、悠真は思わず紗良を凝視した。が、彼女は彼女で深井に驚いたような目を向けていた。

 その妙な間に、深井は肩で笑う。


「素直で真面目な好青年だと聞いてましてな、実際にお会いしてお人柄を確かめた上で、ぜひとも我々に力を貸していただきたいと思い、今夜は出向いてまいりました」

「はあ……」


 悠真は困惑した。どちらかと言えば他者攻撃的な紗良の口から、自分に対する誉め言葉が出てくることが想像できないからである。

 それを見透かしたのか、彼女は悠真と目が合うと、真っ赤な唇の隙間から小さく舌を出した。

 深井は続けて、さっそく本題に入った。


 今回の安村の医療機関へのスムーズな移送・検査・隔離が、新型ウィルスの拡散を防ぐ一助となり、ひいては国を守ることになる。

 まさか日本発のパンデミックで再び世界中を混乱させることがあってはならない。

 現住所を偽る側面を見ると安村がなぜか他人へ異常に強い警戒心持っているようなので、祈里の真摯な気持ちを引き継いで同じく彼の旧知の仲である悠真にある役割を頼みたい、と。


「宮野さんは、このたびは本当にお気の毒で……」

「つまり、僕は何をどうしたらいいですか?」


 深井は一旦伏せた目を上げ、悠真を見る。そして頷いた。

「あなたのスマホで電話を掛けてくれるだけでいいです」

 悠真は言葉に詰まった。

「……たったそれだけですか?」


 深井は、フフと小さく笑った。

「それだけですよ。樫見君、当日の流れを説明できるかな」

「はい」


 紗良は、辺りを気遣うことなく安村と会う日の段取りを話し出す。


「まず、約束の時間になったら待ち合わせのカフェで安村君と会うでしょ。10分ほど過ぎたら祈里がなかなか来ないという理由で、早瀬君には祈里に電話を掛けるふりをして欲しいの」


 安村は祈里が来ると聞いているから出向いてくるのだろうが、彼女があいにく病院で、おそらくこの日も昏睡状態で出てこられないことは知らされないらしい。

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