最終話 未来はきっと(前編)
「…ふぅ」
「少し休憩されてはどうですかセレスさま?」
「あぁ、そうするか。お茶を入れてくれないか?」
「はい」
執務室で公務に取り組まれているセレスさまにそう声をかけて休憩を促す。
一旦下がり紅茶を入れてから再び執務室に入ると、セレスさまが優しい眼差しで私をじっと見つめていた。
「どうぞ、セレスさま」
「あぁ、ありがとうユーリ。…なんだか懐かしいな。」
「え?何がです?」
「ふふ…いや、そなたが初めてお茶を入れてくれた時のことを思い出してね」
「―も、もうセレスさまったら、そ、そんな昔のことを…」
「くくく…おもわず吹き出してしまったな」
「…書類を台無しにしてしまいましたね…」
懐かしい。私がセレスさまに助け出されて―しばらくたって、この屋敷でセレスさまを支えて行こう、と決意した頃のことだ。
初めてで気合ばかりはいっていて、ものすごく濃いお茶を入れてしまったっけ…。
おかげで書類が紅茶だらけになってしまったのは苦い思い出だ。
しかしセレスさまはあの頃を懐かしんでか、お茶を飲みながら微笑んでいる。
「ふふ…それが今ではこんなに美味しいお茶を入れてくれるようになるとは」
「…もう、そんなに昔のことを…」
「ふふ、思えばあれから何年だろうな」
「…領主館から助け出されて、それからすぐでしたね…」
「―!」
私の言葉に、ピクリ、とセレスさまが反応するのが分かった。
心配そうな瞳を私に向ける、セレスさま―。
セレスさまのその反応を見て、私は安心させるように微笑み返す。
「…大丈夫ですよ、セレスさま。もう、乗り越えた過去ですから」
「…そうか。ならいいんだ」
ほんとうは―
目を閉じると、今でも思い出してしまう。
あの頃の、忌まわしい光景を。
私を撫でまわす、男たちの手を。
ありとあらゆる場所を犯そうとする舌と男根を。
でもそれと同じように、私はいつも思い出すのだ。
それをセレスさまに、言葉で伝える。
セレスさまの手を取り-真っ直ぐに、瞳を覗く。
「私の…『身体』を-そして『心』を救い出してくれたことが、いつでも私を助けだしてくれるんですよ?」
「―っ!ユーリ…」
「セレスさまは―本当の意味で、私の『王子様』なんですから。私が過去に囚われそうになったときに、私はいつもセレスさまに助けられているんですよ?」
安心させようと微笑み返すと、セレスさまも微笑まれる。
そして、そっと私の方から顔を寄せて、唇を近づけようとして―
いつの間にか、逆に私の手を取ったセレスさまに唇を奪われた。
「ん、んん…」
「―はぁ…ユーリ…」
「…セレスさま…」
そう。
私は一人じゃなくて、愛する人が傍にいてくれる。
そのことが、私をいつまでも支えてくれるのだ。
セレスさまに抱かれながら、改めてそう思った。
セレスさまに出会い、あの『牢獄』から救い出されて、再び動き出した私の時間―。
私が―父への愛と、凌辱の日々に囚われていた、あの永遠とも思える生き地獄を…
愛への渇望と憎しみ、絶望に囚われたあの地獄から私に差し伸べられた、白く細い腕。
セレスさまがいなければ、きっと私は今でも『あの館』で―
亡き父を想い、母への愛と嫉妬の狭間でもがき苦しみながら、おもちゃにされつづけていただろう。
「ユーリ…愛してるよ」
「ん…あ…セ、レスさま…」
セレスさまと肌を重ねる。
その豊かな双丘が揺れ、セレスさまが私の上で腰を滑らかに動かす度に、気が遠くなるほどの快感がもたらされる。
「―セレスさま…!」
手を伸ばして、セレスさまの顔にそっと触れる。
汗で張り付いた金色の髪をかきあげ、紅く上気した、私の―私だけの愛しい人を見つめる。
「セレスさま…」
想いが溢れそうだ。
凛と輝く、その青い瞳の向こうに映る、私。
快感の中で、胸の奥からこみ上げてくるこの気持ち。
座位になり、お互いの首に腕をからませ、肌の温度を感じながら私は万感の思いを込めて、その人の名をもう一度呼ぶ。
「セ、レスさま…だ、大好き、です…!あ、愛して…ます…!」
「…私もだよ、ユーリ…私だけの、ユーリ…」
「あ、ああっ!」
「んんん―!」
最愛の人の腕の中で、柔らかな唇の熱を感じながら絶頂を迎えた。
改めて、私は今、幸せだと実感した。
―――――――――――――――――
翌朝、まどろみの中、セレスさまの柔らかく熱い舌によって私自身の舌と絡められ、甲高く甘い悲鳴を上げてしまった私は、すぐ近くにローザがいたのだ、ということに全く気付かず、おかげでものすごく恥ずかしい思いをしてしまった。
「も、もうセレスさま!あ、あんな起こし方されなくても!」
「ふふふ、そなたの寝顔があまりにも美しくてな。つい我慢できず…」
「―っも、もう!あ、朝からそんなことおっしゃって…て、照れてしまいます…って、そ、そうじゃなくて!」
「ん?どうした?」
「どうした、じゃありません!ロ、ローザがいるならいると…」
「んー、しかしだねユーリ。最初はローザもいつもどおり起こそうとしたらしいんだがな。」
「えぇそうでございますユーリさま。いくら私がお名前を呼ぼうとも揺すって差し上げても、一向にお目覚めにならないばかりか、甘く蕩けるようなお声で『セレスさま…』とつぶやくばかりでしたので…」
「―え!?ほ、ほんとに?」
「そのためセレスさまに起こしていただいたのです。」
「ふふ、可愛かったぞ。」
「そ、そんな…は、恥ずかしい…」
「おかげさまでセレスさまとユーリさまのあのような情熱的なキスを間近で見ることができ、専属として喜びを感じております」
「い、いちいち描写しなくていいの!」
「ねっとりと糸を引くお2人の唾液で艶やかに輝く唇に私は思わず胸が締め付けられ下腹部が熱く」
「だ、だからそういうことを細かく言わなくていいの!」
全く、何年たっても私の専属はこのままだ。
とりあえず気を取り直して朝食をとることに。
ローザに準備してもらい、紅茶を淹れてもらったところでふと気が付いた。
「それにしてもローザもずっと私の専属ね。配置換えとかないのかしら」
「そういえばそうだな。結婚してからずっとユーリの専属だが…」
私がローザを見て思わずそうつぶやくとセレスさまが反応してローザにそう持ちかける。
すると真っ青になった当人が
「―!!!な、な、なんていうことを!ま、まさか私を罷免されるのですか!?」
「…ローザ?」
「は、初めてお会いして以来、まるで妖精のように可憐なお姿の少女がセレスさまと仲睦まじくされていると思えば、それが後に私がこうして10数年お仕えすることになったユーリさまだとは当時全く思わず」
「うん、確かにそうだったな。あの幼い容姿で迫られて、どうしようもなくときめいてしまったぞ」
「ちょ、ちょっとセレスさま」
い、いやそんなに幼くは…
と、年相応だと思うのだけれど
「まさしく妖精のように可憐で美しく、そしてどこか艶めかしい少女にお会いした時の感動と胸の高鳴り!」
「ちょ、ちょっとローザそれは褒めすぎ…」
さすがに照れてしまう
「そしてその幼いお姿から時折垣間見える、艶めかしい仕草に思わず濡れ…」
「ちょ、ちょーっとストップ!」
って、またそっちの方向かこの変態は!
やっぱり変わらないなあの頃から!
「ちなみに今朝の濃厚なシーンを拝見してすでに下着がとんでもないことに」
「だからそれをここで言う必要はありませんよねローザ!?」
「お2人の愛し合うお姿がどれほど他に影響を与えるかをご説明させていただいておりますが」
「い、いいから話を続けなさい!」
はぁ。
「ごほん。そうでした。私がどれだけユーリさまが大好きなのかをお伝えし、是非ともユーリさま付の専属の継続を認めていただくべき時なのでした」
「は、はぁ…」
「うふふ、いついかなる時もユーリさまのサポートを心掛けてきたこの10数年。本当に幸せでした…毎朝のラッキーぱんちらに始まりご入浴のサポート、迷子になられたときのお世話」
「ラッキーぱんちらって何!?そ、それにあれは迷子じゃ…」
「今後はより一層邁進し、ゆくゆくはお手洗い時の完全サポートまですべて私が責任をもって行わせていただこうと」
「ちょ、と、途中から変な部分が入ってるけど!?」
お手洗いって…ど、どういうこと!?
「うーん。ローザがメイドとして優秀なのは私も知っているからな。今後もユーリをよろしく頼むよ」
「―!あ、ありがとうございますセレスさま!!今後ともよろしくお願いしますユーリさま!」
「…まぁいっか…今更他の人に私のことを任せるのも気が引けますから」
「あ、ありがとうございます!」
「わ!ちょ、ちょっとローザくるし…」
余程うれしいのか、ものすごい勢いで抱き着いてくるローザ。
でも、これほど慕ってくれるメイドがいるというのも嬉しい。
そう思いながら、彼女の腕の中で、思わず微笑んでいた。
―――――――――――――――――
そんな風にわいわいと朝食をとっていると戸が開いて、低く、しかし透き通った声がかかった。
その姿を認め、私は挨拶を返す。
「おはようございます」
「あぁアル、おはようございます」
ふわぁ、と寝ぼけまなこのまま席に着いたアルベルト。
すでに変声期が終えてしまい、子どもの表情の中に、時折大人の表情が垣間見えるようにもなった。
身体もずいぶん大きくなってきた今日この頃。
食べる量もどんどん増え、今では一家の中で一番食べるほどだ。
「あぁ、おはようアルベルト。よく眠れたか?」
「おはようございますお母さま。はい、でも昨夜本に夢中になってしまって少し寝不足です」
「ふふ、相変わらず本の虫だなアルベルト。」
「はい!王立学校の図書館はとても大きくて、あんなにたくさんの本があるなんて僕はとても幸せです!」
アルベルトは今年から王立学校中等部に進学した。
いつまでもべそをかいていた小さな子供のままだと思っていたら、いつのまにかこの子も13歳。
早いものだ、と思っていたらアルベルトが私に向かってこう言ってきた。
「はぁ、おなかがすいた。ユーリかあさまのパンケーキが食べたいです」
「あら、昨日作ったパンがあるけれど?」
「うーん、でも朝はあのパンケーキじゃないと…」
「ふふ、まぁいいですよ。ちょっと待っててね」
「わぁ、やったぁ!」
ふふふ、前言撤回。
やっぱりまだまだ甘えん坊の子どもだ。
アルのリクエストのパンケーキを作ってあげて、みんなで食べながら、もう一人の行方を尋ねる。
「ねぇアル、ヘレンはまだ寝てるの?」
「ヘレン姉さまならお庭でしたよ」
「―はぁ、相変わらず…」
「ははは、将来有望だな、我が家の長女は」
「もう、セレスさまがいつもそう言ってるからあの子もちっとも女の子らしくならないんじゃないですか」
「そうかなぁ。最近ヘレン姉さまもだいぶお淑やかになったと思うけど」
「うーん、昔と比べたらね…いいわ、私が見てきますからみんなは食べててください」
そう言って、私は食堂を後にし、ヘレンがいつもいる中庭にやって来た。
すると聞こえてくる、ひゅんっ、と何かが空を切る、鋭い音。
ヘレンの姿が見えるところまで出ると―
長い黒髪をポニーテールにし、稽古着に身を包んだヘレンが木刀を使って素振りをしていた。
びゅん!…びゅん!…と何度も木刀をふるたびに、額からじわりと汗がにじみ出ている。
真っ直ぐと前を見据えた力強い青い瞳は、本当にセレスさまにそっくりだ。
凛としたたたずまいが、大人になってきたヘレンをさらに美しく映している。
真剣なその様子に思わず見入っていると、ふとヘレンの方が私に気づいて素振りを止めてこちらに近づいてきた。
「はぁ、はぁ…おはようございますユーリかあさま」
「おはようヘレン。精が出るわね」
「えぇ。ティアノート家の長女たるもの、剣を磨いておかねばなりませんから」
そう言いながら笑顔でタオルで汗をぬぐうヘレンの姿が、セレスさまと重なって、思わずもう一度見入ってしまう。
その様子をおかしく思ったのかヘレンに問いかけられる。
「…ユーリかあさま?いかがなさいました?」
「…え?あ、な、なんでもないの。あ、あはは。」
「あ、さては私の成長ぶりに見惚れていましたか?」
「え?え、あ、ま、まぁそうなるかな…」
「うふふ、最近私も自分で思ってるんです。すごくユーリかあさまに似てきたなって。それが嬉しくて」
「―っ、も、もうヘレンたら…」
そう。ちょうどアルと3つ離れているヘレンは今年から王立学校高等部に進学している。
もう16歳になるヘレンは、最近特に私に似てきている気がする。
特に黒髪はヘレンもお気に入りのようで、毎日手入れを欠かさない様子を見ると、女の子らしくて嬉しくなってしまう。
しかしというか…昔からこの子は私のことが好きなのか、本当に良く慕ってくれているのが、なんとも嬉しい。もちろんセレスさまのことも同じように大好きだけれど。
でもこうやって直球で感情を表現するところなんかがセレスさまに本当に似ていて、こっちが赤面してしまった。
「―もう、正直に言うわ。お稽古してる姿がとてもセレスさまに似てるから、思わずね…」
「お母さまに?本当?」
「えぇ。凛々しい瞳なんか特にそう。」
「えへへ。」
傍によって、ヘレンの汗をぬぐってやる。そして結い上げて肩甲骨の辺りまで流れているヘレンの髪を指で梳き、頭を撫でてやる。
恥ずかしそうにするヘレンだけど、嬉しそうに微笑んでいる。
小さなころから、ヘレンはこうするのが好きだったのだ。
ヘレンがぎゅっと私に抱き着いてくる。
「―ユーリかあさま…大好き。」
「ふふ、ヘレンたら。」
「もちろんお母さまも大好きよ。とても尊敬もしてる。だから剣のお稽古も大好き。」
「えぇ、知ってますよ。」
「でもね、ユーリかあさま。私、ユーリかあさま似でほんとに嬉しいの。これはお母さまにも言えないけど」
「…ふふふ、私はこんな父親なのに?」
「それは関係ありません!ユーリかあさまはユーリかあさまなの!私やアルにとってのお父さまは、大好きなユーリかあさまなんだから、それでいいの!」
「―!ヘレン…」
その言葉に、思わずヘレンをぎゅっと強く抱きしめ返した。
― 人の道を逸れた私であったが、神は私を見捨てはしなかった ―
私より頭一つ大きく成長したヘレンの体温に…そしてその言葉に、私は身も心も温められた。
…おてんば娘を叱りに来たつもりだったけど、逆に感動させられてしまったな…
実直に育った我が子に、思わず感動させられた私。
そうしてヘレンと共に食堂に戻った。
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