ユーリ夫人と士官学校
最近私は王国の士官学校に顔を出すようになった。
きっかけはセレスさまが昼食のお弁当を忘れてしまったことだ。
食卓で、ふと置かれたままになっているセレスさまの昼食を見つけた。
その時は急いで馬車で駆けつけ、士官学校に着くなりいろんな人にセレスさまの行方を尋ねた。
士官学校になど足を踏み入れる経験がなかった私は、すれ違う人たちの珍しさに目を奪われながらも、なんとか…
そう。
『なんとか』セレスさまを見つけて無事昼食を届けることができたのだが…。
ただ、その時ちょっとした問題が起きてしまい…。
少しだけ、そう、ほんの少しだけなのだが…その、校舎内で…
…ま、迷ってしまったのだ。
い、言い訳をさせてもらうと、わ、私にとって初めての場所だったという点が大きかった気がするのだ!
と、とにかく、どこへ行くにもぐるぐると同じ場所に何度も戻ってきて、すれ違う人々に
「また会いましたね」
「どうかなさいましたか、ティアノート様?」
と何度も何度もあいさつされて気恥ずかしさを覚えながらも、改めてセレスさまの所在を尋ねるが、やはりそこへたどり着けない。
がっくりと肩を落として途方に暮れているところに、頭上からかけられたセレスさまの声―
「…ユーリ?ユーリではないか。どうかしたのか?」
「…!!!せ…セレスさまぁ!!」
「わ!ど、どうしたんだユーリ?」
「うぅー、や、やっと見つけたぁ…」
あの時の安堵と喜びは今でも忘れられない。
しかし、どうやらそのことがきっかけとなったのか、私は士官学校で結構な有名人となってしまったらしい。
ティアノート侯爵夫人として認識してもらったのまではよかったが―
どうやら相当子どもっぽいというか、そんな印象を持たれてしまったらしい。
おまけに、だ。
聞くところによると「ドジっ娘」という大変誉れ高い称号までつけられているらしい。
まったく。
セレスさまもセレスさまで、屋敷に帰ってくるなり笑いを堪えながら言ってくるし!
おまけにメイド達までが私から顔を逸らして肩を震わせているではないか!
く、くそぅ…!私はドジではない…はず…
「ユーリは方向音痴だったんだな」
「わ、私も初めて知りました!」
「ふふ、拗ねるなユーリ。今度は私と手を繋いで行こうか?」
「も、もう!セレスさまったら!!」
「ユーリさま。そのようなご用命は是非ともわたくしに!」
「…血走った目でこちらを見ないでローザ。一人でも大丈夫…」
「いいえ!主が困っているのを見過ごして何が専属でしょうか!私が士官学校の隅から隅まで!たとえそれがトイレであろうとも手を繋いで個室の中までご案内差し上げ」
「そ、そんなことしたら訴えますからね!!」
「そ、そんな!!」
まぁそんなこともあったが、セレスさまから「一緒に来てほしい」と頼まれることも多くなった。
それ以降もちょくちょく士官学校に顔を出すようになり、今に至るというわけだ。
しかし。
納得できないことがある。
もう随分士官学校の造りには慣れ、構造も覚えた。どの通路がどの部屋に通じているのか、目を閉じればありありとイメージできるほどだ。
なのに、未だに一人でいると、すれ違う人に「大丈夫ですか?」と心配そうな顔で声をかけられるのはどうしてなのだ!
しかもその言い方が気に入らない。
だって、絶対それは「迷子になってませんか?」という意味に違いないからだ!!
あと、セレスさまの居場所を尋ねると、なぜ必ず女性教官に手をつながれてから連れられるのだろうか!
全くもって納得がいかない。
「私は子どもではありません!」
とか
「一人でも行けるので大丈夫です!」
と、何度言っても「にこり」と微笑みで返されるだけ。
くそぅ。完全に私のことを子ども扱いしている。
しかし…実はこの間もちょっとだけ迷子になってしまっただけにあまり強く出られないのがもどかしい。
だから毎回大人しく捕まって、セレスさまのところに連れていってもらっている。
…というか最近は強制的に連れていかれている気がする。
まぁ、こんな風に、私もだいぶ士官学校で顔なじみが増え、だんだんとセレスさま以外の教官の方々や、騎士見習いたちと顔見知りになっていった。
セレスさまの仕事をそばで見て、私ができる限りでお手伝いをして…。
そんな感じで、私も少しずつ、「士官学校」という環境に慣れつつあった。
そんなある日。
セレスさまが騎士候補生を相手に剣の訓練をしているところを見学させてもらった。
訓練場で並ぶ候補生たち。
彼らを前に檄を飛ばすセレスさまは、いつもと違ってかなり怖い印象だ。
場の空気がぴりっと張りつめている。セレスさまの掛け声ひとつで、一つの乱れなく全体の行動が揃う。
「整列!!!…番号!!」
「1!」
「2!」
「3!」
候補生たちの目には私から見ても明らかなほど、怯えの色が濃く映っている。
…たしかにセレスさまは強いらしいから…
士官学校に顔を出すようになって初めて知ったが、セレスさまの剣の実力は王国内でも3本の指に入るほどらしいのだ。
どうやらセレスさまに勝てるのは近衛騎士副団長そして団長くらいらしい。
蛇に睨まれた蛙のように固まっている候補生たちを見て、少しだけ同情する。
セレスさまが木刀をかまえ、あっという間に候補生たちを蹴散らしてしまったセレスさまを見て…
…きれい…
おもわず見惚れてしまった。
金色の髪が風に流れ、日の光が透けて見える。
改めて、美しいと思った。
そして思ったのだ。
私も、剣を習いたい、と!
今まで剣になんて全く縁がなかった私だが、セレスさまのその姿を間近で見て、改めてそう思った。
その事をセレスさまに告げると、セレスさまはかなり喜んでくださった。
そうして、私もセレスさまから教えてもらったり、士官学校でセレスさまのお仕事を少しだけお手伝いしながら、合間に訓練に参加したりしている。
もちろん体力なんて全くない私が騎士候補生たちと同じペースで訓練をこなすことなどできるはずもなく、できることだけをこなしているのだが、彼らの邪魔にならないようにしているし、セレスさまもその辺はきちんと見てくださっているので心配はない。
訓練に参加し始めてからは特にそうだが、みんなが私とすれ違えば、男女を問わず気さくに挨拶を交わしてくれるようになった。
ただ最近は視線が何か粘着質なものに変化している気がする
―気のせいだと思いたい。
特に鎧に着替えた時などは男性からも女性からも食い入るような視線を感じるのは絶対に気のせいなのだろう。
男性はまだ遠慮がちにちらちらと見るくらいだからまだいい。
しかし女性は…そう、ねっとりとじっくりとみている気がする。
ウチにいる
まったく、ローザときたら私の専属なのを楯にして…はぁ。
ちなみに着替える場所を巡っては、ちょっとした騒動になった。
私の性別はすでに周知されているので、みな私が男だと知ってはいるようなのだが…
いやだからこそなのか。
私の着替える場所をどうするか、とセレスさまが私も交えて皆の前で話し始めた時、妙に候補生たちがそわそわしはじめた。
「うーん、ユーリの着替えをどうするか…」
「そうですね…」
「ユーリは男だからな…本来なら男性用の更衣室で着替えるべきだが…」
「「「よ、よし!!」」」
「…?」
聞こえてきたのは男性の候補生たちの声だ。やけに嬉しそうだがどうしたんだろう。
しかしそれは次のセレスさまの言葉によって一変することになる。
「しかしユーリ、それは無理だろう?」
「…はい。」
確かにその通りだ。男性だけしかいない狭い空間で私も裸になって着替えるなど…
正直、昔を思い出してしまう。
だからその配慮が嬉しかった。
しかし…なにやら遠くの方で抗議の声が聞こえる…
「うるさい!お前らのような野獣の前で私の妻を着替えさせられるわけがないだろう!」
という一喝によって沈黙してしまった。
代わりに嘆きの声が響いたが。
「やれやれ。ということは、だ。やはり女性更衣室を使用すべきだろう。みんな、それでよいか?」
と、今度は女性候補生の歓声が上がり、じゃあ早速、とばかりにあれよあれよと両脇を固められて女子更衣室へと連れられて行き…
「うふふ、さぁティアノート様。わたくしたちが着替えをお手伝いしますね」
「あ、あの、わ、私ひとりでできる…」
「いいえ!鎧を着るのは最初は一人ではとても難しいのですよ?さ、ユーリさま」
「あ、ちょ、ちょっと、わ、分かりました脱ぎます!脱ぎますから!」
なかば強引に衣服を脱がされ…
残るは肌着と下着のみ、という姿にされてしまった。
「あ、あの…ど、どこまで脱げば…?」
その時女性陣の目がギラついたのは絶対に私の見間違いだろう。
「うふふ、ティアノート様のお肌…お綺麗ですね」
「本当…これで男性だなんて全く信じられない」
「あ、ちゃんとブラジャーもされているのですね」
「幼い子どものようで、見ていてドキドキしますよ」
「あ、ちょ、みんな…あ、あんっ!」
誰かが勢い余って私の胸に触れてしまったようで、その拍子に甘い声が漏れてしまった。
瞬間、快感が突き抜ける。
しまった、と思い慌てて自分の口を両手でふさぐ。
こんな場所で、感じてしまった。嬌声を上げてしまった。
恥ずかしくて顔が赤くなる。
一方、女性陣はなぜか沈黙し…
「「「…ごくり!」」」
と生唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。
そしてひそひとと話し始める彼女たち。
「ふ、ふふふ、そ、想像以上ねみんな」
「やばいわね」
「もっと聞いてみたいわ」
聞こえない私は彼女たちに尋ねる。
するとぱっと顔が明るくなり、何でもないように
「いいえ、なんでもありません。ではこちらが鎧です。さ、ティアノート様、私たち全員が手伝いますので」
「え?ぜ、全員?そ、そんなに大変なのですか?」
「え、えぇ、特に初めてですので『万が一』のことがあってはいけませんので」
「は、はぁ…えっと、じゃ、じゃあお願いします…」
私がそう言うと女性陣が一斉にガッツポーズをしたように見えたのは、たぶん間違いだろう。
「ふ、ふふふ、じゃ、じゃあ行きますねティアノート様」
「は、はい…って、あ、ちょ、み、みんな!さ、触りすぎ…」
「そんなことないですよ?」
「そうそう。こうしないと鎧はつけられないんです」
「本当にですか?…あ、んんっ…!」
「あ、申し訳ありませんティアノート様、痛かったですか?」
「あ、そ、その、痛くはないんですが…そ、その…」
「ちょ、ズルいわよあなただけ!」
「私もティア様に触りたいのに!」
「ちょ、み、みなさんドコ触って…あ、あぁ~!!」
もちろん今私が着替えているのは女子更衣室でもない。
最終的には私の着替える場所は、男女どちらでもなく、教官用の個室となった。
セレスさまに案内されて、これから着替えるところだ。
「はぁ…まったくあいつらときたら。」
「ひどい目に遭いました…」
「まぁここなら安心だろう。鎧はしばらく私が手伝ってやろう」
「ありがとうございます。ふふ、最初からこうしておけばよかったですね?」
「まったくだ。さぁユーリ。着替えさせてやろう」
「あ、あのさすがに恥ずかしいので脱ぐのは自分で…」
「遠慮するな。夫婦だろう」
「で、でもこんなところで脱がされるなんて恥ずかしくて…」
「ふふ、興奮するな?」
「―!!も、もうセレスさまったら…あ、んんっ…!」
「…もう胸の先端がとがっているな。」
「せ、説明しないでください…は、早く着替えましょう?」
「ふふ、『こっち』はどうかな?」
「あ、そ、そこはホントにダメ!み、見ちゃ…」
「…ふふ、ダメだな。我慢できなくなってくる」
「あ、だ、ダメ訓練どころじゃなくなります…」
「確かにそうか。ふふ、では楽しみは夜に取っておくか?」
「も、もうセレスさま!!」
「ふふふ」
着替え終わって更衣室を出ると、慌ただしく並ぶ数人の候補生たち。
なぜか男女混ざっていて、並び方もバラバラだ。やけに焦っている感じがする。
そもそも集合場所はここではないはず。
何か変だ。
それに気づいたセレスさまは…
「お前ら…」
「「「ひぃ!」」」
地を這うようなセレスさまの声。怒気が目に見えるようだ。
「覗いていたな!!!」
「…!!の、覗き!?」
ま、まさか今のを見られていたのか?
せ、セレスさまに触られていたのを?
かぁ…と顔が紅潮する。
「の、覗いてません!!!」
「嘘をつけ!」
「き、聞いていただけです!!」
「ほぅ、盗み聞きしておいて開き直るか…貴様ら…」
瞬間。
凍てつくようなセレスさまの声がした。
「生きて帰れると思うなよ?」
「…!!!!!」
まぁこんなこともあるけれど。
これが私の新しい日常だ。
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