第11話 突然

セレスさまを愛していると実感してからは

とても毎日が充実していると感じた。

ふと隣を見ると、セレスさまがいてくれる。

セレスさまが微笑みかけてくれるだけで

私の心が暖かくなった。


やがて季節が何順もめぐり

私もセレスさまのメイドとして一応は仕事をこなせるようになった。

セレスさまが好む紅茶を淹れられるようにもなった。

苦い顔をされていたあの頃が懐かしい。

いれた紅茶を飲むセレスさまを見てそのことを思い出し、

くすくすと笑っていると、セレスさまが怪訝な顔をするので

余計におかしくなってしまった。


――む?なんなのだユーリ、さっきから人の顔を見て笑ってばかりいて――


少し不機嫌になったセレスさまも可愛いかった。

そう思いつつ、何でもありませんよ、と言い

不機嫌そうなセレスさまの額に唇を落とした。

今度は真っ赤になって照れるセレスさまを見て、

また笑ってしまった。


休日は二人でよく出かけた。

もちろん、あまり遠い場所へ行くことができなかったが、

それでも、セレスさまと一緒にいられることが本当に嬉しかった。

街へ出た時に男が近づくと、相変わらず恐怖で身がすくんだが

セレスさまがいつも私を守るように傍にいてくれた。


「あの頃」の記憶は徐々に薄れてはいった。

しかし、恐怖心だけはこの心に刻み付けられていて

男性に対してだけは決してうまく対処することはできなかった。

たとえそれが果物屋の店主でも。

パン屋の青年であっても。

どんなに悪意がないとは分かっていても

これだけは私の意志ではどうすることもできなかった。

私は男だが

同性である男への恐怖、そして嫌悪感。

これだけは私の心の底に住み続け、

そんな存在と同じ性別であることが嫌だった。


だから、私は男に戻りたいとは

絶対に思わなかった。

私は女性でいたい。

身体はたとえ男であっても

もうこの心はとうの昔に男を捨てている。

だから、私は父とのことを整理することができた後でも

女性でい続けたいと思った。


セレスさまと愛するときは私は男だった。

私の心は複雑だった。

女性でいたいと思いながら、

男としての本性をどうすることもできなかった。

セレスさまと交わるときは

もはや本能の赴くままにセレスさまだけを求めた。

そして、セレスさまも同じように私を求めてくれた。


悩んだ。

しかし率直にセレスさまに言うとこう言われた。


――筋骨隆々のそなたを想像しても、正直、今まで通り愛せるかどうか分からんぞ?――


それを聞いて二人で大笑いしてしまった。

ひたすら笑った後にセレスさまが続けた。


――ユーリ。

そなたの美しい髪を梳くたびに

そなたの柔らかくしなやかな肌を湯で流すたびに

得も知れぬ情欲をそなたに抱いていた。

それはそなたへの思いが募れば募るほど

私はそなたと肌を重ね、

そなたと一つになって、愛し合いたいと思った。

共に入浴し、肌に触れ、触れられ

口づけを交わし

頬を上気させて私を見上げるそなたは

言葉にできないほど

可憐で、美しかった。


ユーリ。

きっとこれは本能だ。

お互いを求め合う心。

それが、私たちを突き動かしているのだ。

それのどこが悪いのだ。

男だから男らしく、

女だから女らしく。

そんな価値観など意味はない。

ユーリが女でありたいと願う一方で

男として、女である私と交わっても

それは私たちの愛だ。


そなたは自分の性を嫌悪しているかもしれない。

でも、ユーリ。

そなたの身体の性が男だからこそ

私はそなたからの愛をこの身で十分に受け止められたのだ。

だから、自分を嫌悪するな――


そう言われてはっとした。

そうだ。

どんなに願ったところで

この身が男であることは変えられない。

でも。

セレスさまと私が結ばれたのは、

私の身体が男だからこそだ。

「本当の交わり」を通して

私はセレスさまへの愛を伝え、

セレスさまからの愛を受け取ることができたのだから。


なら、もう悩まない。

私は、この私を好きになろう。

このままの私で、

精一杯セレスさまと一緒にいよう。

そう心の中で誓った。



もう私は、あの髪飾りをしてはいなかった。

あれは

かつて私が愛した、

父との思い出。

そう。

本当の意味で

ようやく「思い出」になった。

いつも身につけていた、この髪飾り。

それは、私自身を守るためでもあった。

でも、もう必要ないから。

私は、私の力で立ち

セレスさまと共に歩いて行けるから。

だから、もう髪飾りに頼らなくてもいい。

大切な気持ちと共に

私の部屋の、小箱の中に大切にしまってある。

セレスさまは気持ちの整理がついた私を見て、

本当に喜んでくれた。

髪飾りをしなくなったことは

少し残念がっていた。

しかしその代わりに髪をよく結ってくれた。

丁寧に髪を梳いて

セレスさまが結ってくれる。

その時間が、とても好きだった。

この人が隣にいてくれれば

私は何もいらない。

どんなことがあっても

生きていけるだろう。


二人で肩を並べ

笑い合った。

セレスさまに肩を抱かれ

キスをした。

夜は一緒に入浴し

身体を洗い合い

ベッドで愛し合った。


もうこれ以上の幸せはなかった。

セレスさまのために生きて

ずっとセレスさまを支えていこう。

そう、強く思った。



ある日、セレスさまは王宮に呼ばれた。

大事な仕事であるようだった。

朝早く馬車で出かけるセレスさまを見送る時

いつものように、セレスさまと口づけを交わす。

絡み合う舌が音を立て

余韻を残し離れる。

キスの名残をセレスさまが舌で舐めとる。

にやりを笑って行ってくる、というセレスさまに

恥ずかしくて顔を赤くしたまま、いってらっしゃいませと言った。

そう。

いつもの、光景だった。


帰りはやけに遅かった。

馬車が城に到着すると、もうすっかり夜だった。

馬車から降りてきたセレスさまはどこか視線が定まらず

とても疲れているようだった。

すぐに食事を、と言おうとすると

ぎゅっと抱きしめられた。


――セレスさま?――


震えているセレスさま。

どうしたのだろう。

そう思っていると

いつもの明るさでただいま、と言った。

その後食事をしているときも

お風呂に入っているときも

どこかセレスさまは心ここにあらず、という様子だった。

遠くを見ては

ため息をついていた。

王宮で、何かあったのだろうか。

そう尋ねてみても

セレスさまは笑って、なんでもないよ、と答えるだけだった。

その夜は、

いつもより激しく、何度も求められた。

違和感を覚えながらも

セレスさまの背をぎゅっと抱きしめ

快感に酔いしれた。



何かあったに違いない。

そう思っていると―

答えは、向こうからやってきた。


翌朝、来客があった。

王宮からの使者からだった。

その使者が、見たこともない装飾を施された手紙を差し出してきた。

違和感が、強くなる。

昨日のセレスさまの様子が思い浮かぶ。

受け取ると、ちょうどそこへセレスさまがやってきた。

私の手元を見て、血相を変えたセレスさま。


――ゆ、ユーリ!!そ、それをよこせ!早く!――


しかし私は背中にその手紙を隠す。

首を横に振って拒否する。


――な!何をしている!そ、そなたには関係のない、仕事の話なのだ!だから……――


焦った様子のセレスさま。

絶対に何かある。

セレスさまに、何かが。


――心配なんです!セレスさまは昨日から変です。きっと何か隠していらっしゃいます!――

――!!そ、それは――

――今までこの城に王宮から使者などやってきたことはありません。それに、こんな手紙を持参するなんて、何か尋常じゃない気がします。教えてください、セレスさま!――


ぐっと息が詰まった様子のセレスさま。

何秒経っただろうか。

やがてセレスさまが、私の手を取り、私を引き寄せた。

パサ、と落ちる王宮からの手紙。

中身が開く。


――何か、書かれている?――


ようやく覚えた文字が並んでいる。

難しい単語が並ぶ。

何と、書かれているのか。

セレスさまが、痛々しく、答えた。

セレスさまが、昨日から隠していたことだった。


その手紙は――

ティアノート家への勅命。


指揮官として、戦争への参加を要請するものだった。




泣いた。

うろたえた。

何故、セレスさまなのだろう。

他にもいるはずだ。

何故、女性のセレスさままで戦争に行くのか。

セレスさまは、ただ発狂せんばかりの私を抱きしめ

受け止めてくれた。



その日が、セレスさまが戦争に出立する前日だった。

さんざん泣いてふさぎ込んだ私に

セレスさまは優しく口づけをして、抱きしめてくれた。


――大丈夫。言ったはずだ。私はユーリとずっと一緒だ。

それに、私が強いのは知っているだろう?――


涙を拭いてくれるセレスさま。

私の顔をぐいっとセレスさまの方に向け、にっこりほほ笑む。

するとセレスさまが、懐から何かを出してきた。


――そなたの長い髪に、似合うものを探していたんだ。どうだ?――


煌めく、宝石。

ネックレスだった。


わなわなと手が震える。

嗚咽してしまう。

そんな私を優しくみつめ、セレスさまが後ろに回った。


――さぁ、つけてみてくれ。

そして見せてほしい。

私に、その姿を。

ユーリの笑顔を――


私は後ろ手で髪をかき上げ

セレスさまがネックレスを止めてくれる。

ふぁさ、と落ちる私の長い髪。


――うん、思ったとおりだ。

ユーリ。よく似合う。

綺麗だ――


――セレスさま――


しばらく会えないかもしれない。

とてつもなく寂しかった。

不安だった。

でも。

それは、口にできなった。

他ならぬ、セレスさまが

同じ気持ちのはずだから。

だから。

せめて私は笑って送ってあげよう。


涙が溢れたが

今まで笑ってきた中で

いちばんの笑顔を

愛しの人に向けた。


――ありがとう。ユーリ。

笑っているそなたが、私はいちばん好きだ――


私を抱きしめ、震えるセレスさま。

私はセレスさまを見上げ

涙で濡れたその頬に

そしてその唇に

キスをした。

舌が絡み、糸が引く。

今まで交わしたどんなキスよりも

そのキスは甘く

情熱的で

そして――悲しかった。

ベッドで交わる時も

セレスさまはネックレスを付けた私を

何度も何度も愛してくれた。

その日だけは

何度交わっても

私たちの気持ちは

満たされることはなかった。



翌朝。

王宮から迎えの馬車がティアノート家に到着した。


もはや、私たちには言葉は要らなかった。

セレスさまと私は、いつも一緒だ。

どんな時でも

どんなに離れていても。

すぐそばに、私たちはいる。


私を抱きしめ――優しく口づけをしてくれるセレスさま。

とても明るく


――じゃあ、行ってくる――


そう言って、颯爽と城をあとにするセレスさま。


行ってしまう。

愛しい人が

戦争に。

血を流しに――


――待ってください!――


馬車に乗り込む直前に、私はセレスさまを呼び止めた。

振り返るセレスさま。

息を切らして、セレスさまに歩み寄る。


私は、懐からナイフを取り出し

髪を掴み、力を入れた。


――ゆ、ユーリ!な、何を……――


バサ!


私の長い髪が、腰まであった髪が

肩あたりまでで乱雑に切り落とされた。


散った長い髪をかき集め

手に持ったリボンでくくり、セレスさまに手渡した。


――セレスさま。これを……私だと思って――

――!!ユーリ……!!――


涙が溢れるセレスさま。

最後にもう一度だけ抱きしめ合い、

口づけをして

愛の言葉を交わした。



やがて出発する一団。

セレスさまは、いつまでも私に手を振ってくれた。

見えなくなっても。

馬車の中のセレスさまは

どんなに涙が流れていても

笑顔を絶やすことはなかった。

だから

私も笑顔で見送った。

たとえ

視界がぼやけて

霞んでいても。

嗚咽を堪えながら

セレスさまが見えなくなるまで

笑顔で見送った。



それが――私が見たセレスさまの最後の姿でした。

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