第10話 過去との決別、新たな決意

落ち着いた頃、私はセレスさまと共に、生家に赴いた。

きっかけはセレスさまからだった。

領主のことが決着したこともあって、きちんと整理をしておいた方がいいのではないか、と言われた。

無論、それは私の気持ちの整理も指していた。

セレスさまを見る。

大丈夫だ、とその目が語っていた。

こくん、と頷き、馬車に乗り、久しぶりに生まれた家に帰った。



見慣れた光景が近づく。

思い出される、数々の思い出。

馬車が止まり、セレスさまを支えて出てくると

そこには、

「あの時」から止まったままの

私たちの家が、あった。


一緒に家の中に入る。

母、そして父と3人でなんとか暮らしていた日々が思い出された。

苦しかった生活。

それでも、なんとか生きていくことができていた。

でも――

ぎゅっと目を閉じる。

あれから、ここの時間は止まってしまったのだ。



裏庭に出るには少しだけ、勇気が必要だった。

あの時。

母の亡骸を、そして父の亡骸を埋葬した時のことが蘇った。

後ろからそっと抱きしめられる。


――大丈夫だ。私がいる――


そうだった。

今の私には、この人がいてくれる。

抱きしめてくれるその手を握り返し、

墓前まで進んだ。



二人を埋葬した墓地に出る。

仲良く、隣り合って眠る父と母。

セレスさまと2人で、墓前に花を飾った。


目を閉じると蘇る。

3人で生きていた、あの頃のこと。

苦しかったが、精一杯生きていた。

父も、母も、そして私も。

決して楽な生活ではなかったけど、

満足していた。


しかし。

栄養が足らず倒れた母。

少しのパンを分け合っていたけれど、

それでも母は、私や父より多くを食べようとはしなかった。

同級生に身体を売って手に入れたパンとチーズは、

ついに母の口に入ることはなかった。

崩れ落ちる私たち。

愛する人を喪った、慟哭。

それから父は酒に溺れ、朦朧とする中で

私の中に愛する人の幻影を見始めた。

父の瞳に宿ったあの光。

私の「向こう側」にいる母に呼び掛ける、父の悲しみを帯びたあの声。

その父があまりにも憐れで

母を求める父に唇を寄せ

私を愛する人だと思ってほしいと

そう思った。

たとえこの胸が痛もうとも

私に向けられているのではないと知っていても

仮初めでもいいから

私にその愛を向けて欲しかった。


でも

その父を――愛する人を喪い

私の願いは永遠に叶うことなく

私の時が止まった。



長い間私たちは沈黙したままだった。

じっと考え込む私を支えるように、

セレスさまは傍にいてくれた。


――大丈夫か、ユーリ。やはりまだ早かったのか……?――


心配そうな表情のセレスさま。

私をまっすぐ見つめてくれる、透き通るような青い瞳。


――あの後。

領主から助け出されても、

私の心は冷え切っていて

どこか諦めていた。

でも。

止まったままだった私の「時間」は

再び動き出したのだ。

セレスさまのおかげで。

生きる喜びを

その価値を見いだせた気がした。


私は首を横に振り、セレスさまに微笑みかける。

ほっと安心したため息をつくセレスさま。


私より少し背が高くて

生真面目で手を抜かない侯爵であるセレスさま。

一方で、恥ずかしがり屋で

少しおっちょこちょいなところもある

すごく可愛らしい女の子としてのセレスさま。

そんなセレスさまのために

美味しい紅茶を淹れられるように

美味しいご飯を食べさせてあげられるように――


そんなセレスさまのためのメイドとして働くうちに

セレスさまと過ごす時間がすごく大切で

いつの間にか、思い出さなくなっていた。

いつも心を占めていた父への愛。

地獄に堕ちてもいいから

父に私だけを見て欲しくて

そしてこの一身で愛情を受けたかった。

そう思っていたのに。

それが、セレスさまと過ごすうちに、私の心を占めるのは

あれだけ愛しかった亡き父ではなく

このセレスさまになっていった。



不思議な感覚だった。

今までは

どんなに望んでも

どんなに焦がれても

私の願いは叶うことはなかったのに。

今はずっとそばにいたいと思える人がいる。

そして、同じことを私に言ってくれる人が。


びゅう、と強い風が吹く。

思わず髪を押える。

長く伸びた髪が風に流れる。

髪飾りをつけた、若い頃の母とうり二つの、私。

父が愛しい母の姿を求めた、身代わりとしての私。

そっとそれに手を伸ばす。

髪飾りに触れると思いだす。

父が、この髪飾りをつけた私をきれいだと褒めてくれていたのを。


そっとセレスさまの手を取る。

そして――私は父に語り掛けた。


――愛していました、お父さん。

たとえ親子でも。

たとえ、男同士であっても。

この私を、きれいだと言って髪を撫でてくれて

そして

私を抱いてくれた。

たとえ仮初めでも嬉しかった。

でも、本当は。

あなたの愛が、欲しかった。

もう二度と戻らない

あなたが泣き叫んで求めたその相手に

同じように悲しみにくれながらも

強く、嫉妬していました。


ごめんなさい、お母さん。

大好きなお母さんなのに。

あれだけ私を大切に育ててくれたのに。

お父さんのことを、愛してしまいました。

友だちにも、身体を売りました。

男の人にも、いっぱい犯されました。

――お父さんとも、たくさん、たくさんしました。

でも、お父さんが見ているのは私じゃなくて

いつもお母さんでした。

私を抱いていても、お母さんしか見ていませんでした。

いつからか私は

お父さんのことを好きになってしまって

でも、お父さんは私のことは見てなくて。

お母さんに嫉妬するようになってしまいました。

ごめんなさい。


お父さん。

あなたが最期に私に謝って

許してほしいといったことが許せませんでした。

あなたが求めるから

私は応えたのに

あなたが綺麗だと言ってくれたから

私は精一杯女性らしくいたのに

男同士であってもいい

たとえ親子であっても構わなかった

あなたが私を見てくれるなら

愛してくれるなら

一緒に地獄に堕ちて欲しいと思っていました。

あなたが私を庇って死んでしまって

空っぽの私は、空っぽの心のまま

ただ、求められ続けました。

毎日、毎日。

私には逃げるしかありませんでした。

心を閉ざして

あなたとの思い出の中に閉じこもるしか。

もう、私には何もない。

ただの道具としての私には。


その時、この人に出会いました。

真っ直ぐ、私を見てくれた人でした。

他の誰でもない、私を必要としてくれた人でした。

強くて、優しくて、美しい人です。

助けられて、一緒に過ごすうちに

この人と一緒に生きていたい。

ずっと、ずっとこれからも。

そう、思えるようになりました。


お父さん。

そして、お母さん。

私、セレスさまを愛しています。

お父さんが最期に言ったことの意味が分かったんです。

前に進め。

そう、言っていたんだって。

だから

私、セレスさまと生きていきます。

ずっと、この人と一緒に。

お父さん。

お母さん。

ありがとう。

今まで、この髪飾りだけが

私を思い出の中で守ってくれました。

どんなにつらくても

この髪飾りがお父さんに愛された日々を思い出させてくれたから。

でも。

これからは、これに頼らなくても、もういいんです。

セレスさまが、いてくれるから。

この人が、私を守ってくれると、言ってくれたから。

ずっと、一緒にいてくれると言ってくれたから。

だから。

もう、過去にとらわれずに、今を…これからを生きていきます。

今まで、ありがとう。

育ててくれて、ありがとう。

生かしてくれて、ありがとう。

前を向いて、生きていきます。

愛しています。

お母さん。

お父さん――


強く私の手を握りしめてくれている、セレスさまの手。

泣きじゃくりながら父と母の墓前で告白する私のそばで

ずっと私を見てくれていた。

セレスさまの胸に飛び込む。

柔らかい、その胸の中で

私はセレスさまの衣服を涙で濡らしながら

今ここに生きていられることを

そして

これからを生きる希望をくれたことを

セレスさまに感謝した。


――ユーリ――

――セレスさま――


そっと髪を撫でられ

あごを持ち上げられると

セレスさまのみずみずしい唇が

私の唇に降りてきた。


――ユーリ。愛している――

――はい!私も……私もです……!!――

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