第6話 生きる

そのあとは劇的だった。

セレスは常に私の傍にいてくれて、一刻も早く領主の館から連れ出そうとしてくれた。

長い間、男たちに犯されるだけの生活を送っていた私は、すぐに息を切らしてしまい、動けなくなった。


――仕方ないな、じっとしているんだぞ――


そう言うとセレスは外見からは想像できないほどの力で私を抱き上げてくれて、館の外で待機しているセレスの馬車まで運んでくれた。

軽いな、と言いながら飄々と私を抱き上げながら歩くセレス。

さすがにこの格好は恥ずかしい。まるでお姫様だ。

セレス、と声をかけようとしたが、セレスはにっこりとほほ笑んだだけで下ろす気はないようだった。

馬車に乗り込むまでずっとそのままで、セレスの部下が多数付き添う中、少し顔が熱くなるのを感じながら――私は力強いセレスの腕の中で、彼女のぬくもりを心地よく感じていた。


やがて遠くなる領主館――

見つめていると、どうしても私が今まで受けてきた日々が思い浮かんだ。

まさしく私はただの肉の人形であり、

男たちにとっての道具以外の何物でもなかった。

そして、その行為に――

どうしようもなく身体を疼かせる私自身が、とてつもなく嫌だった。


これから私はどうなるのか。

いや――どうしたいのだろうか。

この身体は男娼としてしか役に立たなかった。

ならば――そう思いセレスに『奉仕』しようかとも考える。

しかし、私をあの地獄から救い出してくれたセレスが、それを喜ぶとは思えなかった。

そして――私自身も、誰かと肌を重ねることは、もうやめなければ、と思った。

男たちの――感触を、思い出すから。

そして何より――どうしても、父を思い出すから。


きゅっと唇を結び、外を見やる。

男娼としてしか価値のない私に、果たして何ができるのか。

これからの生活を考え、ただそれが不安だった。

だが、もうこれ以上男たちに身体を開く必要がないことだけは救いであり――

隣で私の手を握ってくれているセレスの肩に寄りかかりながら、今日起こった出来事を反芻し――いつの間にか意識を手放していた。



どれくらい経ったのだろうか。

揺れる馬車の中でセレスが私を抱きしめていてくれたのをどことなく覚えていた。

その感触に、大きく安堵していたことも。

目が覚めてみるとそこはすでに部屋の中で、ふかふかのベッドに横たえられていた。

どうやらセレスの家に着いたようだ。

馬車の中で眠ってしまい、そのままセレスがこの部屋で寝かせてくれたに違いなかった。

ふと見下ろすと衣服も着替えられていて、寝間着になっていた。

来る途中に来ていた服はきちんとたたまれて置かれていた。


――セレスが着替えさせてくれたのか――


私の裸を見て顔を赤くしていたセレスを思い出した。

ふふ、と笑みがこぼれる。

そういえば――最後に笑ったのは、いつだっただろうか。

そう思うと、あらためてセレスがしてくれたことに感謝しなければ、と感じた。


テーブルの上を見ると手紙が置かれていた。

どうやらセレスが置手紙をしていったようだ。

手に取って読もうとする。

しかし――『やはり』何がかかれているのか、私には分からなかった。

読み書きを十分に教わる前に――学校に通えなくなったのだ。


思考が再び『あの頃』に囚われはじめ、慌ててかぶりを振る。


いけない。思い出してはダメだ。今は、もう大丈夫なのだから。

そう私自身に言い聞かせ、私は気を取り直して、そっと手紙に書かれた文字を指でなぞってみる。

どんなことがかかれているのか、分かるわけではない。

だが、セレスが私に宛てて書いてくれたのだ、ということは理解できた。

そして、どんな気持ちで書いてくれたのかも。


――セレスが書いた字。私にも、いつか読める日がくるのだろうか――


その手紙に書かれた、美しい線を見て、そう思った。


手紙を眺めているとドアが開けられる音がした。

ノックがなかったので驚いて声を上げてしまった。

入ってきたセレスも私の声に驚いたようだった。


――すまないユーリ。起きているとは思わなかったのだ。どうだ、ずいぶん疲れているだろう。このままもう一度眠るか?――


手紙を手に持ったまま私は首を横に振る。

セレスは手に持った手紙をみて言う。


――ん?ああ、手紙を読んでいてくれたのか?――


そうセレスが訊いてくるが、私はそれに何と答えるべきか悩んでいると、顔を覗き込んできた。


――どうしたのだユーリ。それがどうかしたのか?――


少し心配そうな表情をするセレス。

仕方ない。黙っていてもいずれ分かることだ。

迷っていたが、意を決して口を開き、セレスに言った。


――私には文字が読めません――


それを聞いた瞬間に目を見開くセレス。


――な!……まさか……本当に、か?――


信じられない様子のセレス。

それはそうだろう。

きちんと学校にさえ通っていれば、読み書きなど何の問題もなくできることだろう。

そう。『きちんと通えていれば』。

目を伏せて答えずにいると、すまなそうにセレスが返してきた。


――いや、すまない。そなたの――ユーリの境遇を考えれば、可能性はあったのだ。

私の配慮が足りなかった。この通りだ――


そう言って頭を下げてくるセレス。

その様子に今度は私が慌てた。

セレスに謝ってほしかったわけではない。

むしろ、読み書きすらできないことで、落胆させるかとも思っていた。

読めない、書けないという状態では――私が役に立てることなど、何もないから。

だから、セレスの行為が理解できなかった。

せっかくセレスに助けられたのに、何の役にも立てそうにないのに。

なぜ、セレスはそんな私に頭を下げられるんだろう。


セレスが顔を上げて私を見つめる。

青い、瞳。

その透き通るような青が、涙で揺らいでいる。


それを見てはっと驚いていると、セレスが私を抱きしめた。


――そなたは……一体どれだけの不幸を背負ってきたのか。

どれだけの苦しみを背負って生きてきたのか。

私には想像もできぬ。

だが、今この瞬間からは、私が傍にいる。

一人の人間として、そなたに欠けているものを私が教えてやろう。

私が補ってやりたい。

今までそなたができなかったことを――


セレスは何と言ってくれたのか。

教えてくれる、のか。

私に。


ぎゅっと抱きしめてくれる。

懐かしい、柔らかい感触。

母を、思い出した。

男たちに弄ばれる日々を送っていた私は、女性に対してこれほど安心できていることに驚いていた。

正直、男が近くに来るかと思うと恐ろしかったから。


しかしセレスは違う。

男にとって性の対象だった私にとって、セレスは『彼らとは違う存在』という意味も大きかった。

しかしそれだけではなく、セレスの一言が、行動が、

私の閉ざされた心を少しずつ開いていくのを感じた。


抱きしめられたままセレスに尋ねた。

なぜ、セレスは私にそこまでしてくれるのか、と。

少しの沈黙の後、セレスが答えた。


――そなたに、知ってほしいのだ。この世界を――


――世界を?――


そう言うと、強くぎゅっと抱きしめられた。


――ユーリ、いいか。この世界は、そなたが考えている以上に『素晴らしい』のだ。

喜びもある。楽しみもある。笑いもあり、感動もある。

そなたが今まで感じていたこと以外にも、多くのことに満ちているのだ。

私はそなたに、それを知ってほしいのだ――


喜び――楽しみ?

きょとん、としてしまう。

何かを楽しみにしたことは、あっただろうか。

何かを見て、聞いて、心を動かされたことはあっただろうか。

もう、長い間そんなことを考えもしなかった。

いや、考えられなかった。


黙ったままでいると硬い表情のままセレスが続ける。


――この世界は、すばらしいのだ。

私は、それをユーリにも知ってほしい。

生きていることの素晴らしさを――


――生きていること――


思い出すのは――

母が倒れ、亡くなった日のこと。

父と二人で埋葬したこと。

父が斬り殺された瞬間のこと。

一人で父を埋葬したこと。

そして――最後に、父に口づけをしたこと。


生きているとは、何か。

私は、生きている。

でも、この心は、生きているのか。

『代用』でしかなかった私は、

セレスの言う意味で、『生きて』いたのだろうか。


まだ、答えは分からなかった。

ただ、セレスの温もりだけが、私の身体に残った。

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