AO入試

K先生は国語の先生で、読解の指導力はもちろん高いが、僕が一番先生の力を感じたのはAO入試対策だった。


AO入試(今は総合型選抜)とは、高校の日頃の成績と、小論文、面接などで「人物を評価する」入試制度だ。


要は、ペーパーテスト一発勝負でなく、日頃の成果=人物評価として入学させる方法。


本当に学校の成績だけで勝負する子もいれば、部活や他の活動実績を武器にする子もいる。


AOを受けるとなれば、自己推薦文と、加えて大学側から課される小論文などの対策が必要だ。


あらかじめ用意できるならなんとでもなる……わけはなく、面接で聞かれるから背伸びしても意味がない。


教科としては国語の領域だが、指導を受けた子がどんどん変わっていくのが面白い。



♢♢♢



K先生は低血圧で貧血もちじゃないかと僕は思っていた。


色白というより血の気がなく、爪の赤みも乏しく大丈夫かな?と心配していた。


まあ、なんというか、ソウルは熱血だが体は血の気のない吸血鬼みたいな感じ。



生徒が最初に書いてくる文章は、”自分が何をして何を学んだか”という羅列になる。


そのレベルの作文は、人の名前を変えても違和感がないくらい特徴がない。


”自己推薦文”を書くのだ。


もっと、自分が何者であり、大学で何を学びたいのか、将来何をしたいのかを熱く語らなくてはならない。


となると、自分の深掘りと、学びたい分野に対して今までどう関心を持ってきたかと、将来の展望のリアリティが必要になる。


そこで考え、調べ、勉強する。


そうやって自分を耕し、さらにそれを表現する方法を学ぶ。


やっていることは王道で、先生と呼ばれる人なら誰でもやっているが、彼女のすごさは生徒との距離感にある。


彼女は年配だが、生徒と年の離れたきょうだいのようは雰囲気になるのだ。


それにより、生徒が彼女になんでも話せるようになり指導が進む。


そこまで近い距離だから、逆に彼女は”待つ”ことができる。


彼女は、生徒のベストを切り上げていくだけで、限界に対して先生の力を上乗せすることはしない。


その意図は聞いたことはないが、その子の血肉になってないものは面接でどうせバレるし、そんなの教育じゃないと僕は思っている。


だが、自分が彼女の立場なら、”待つ”のは相当ヤキモキする。


ま、彼女もヤキモキしないわけではない(笑)。


うまく生徒の結果が出ない時、何にヤキモキしているかなんだけれども、僕が思うヤな先生は、「自分の思い通りにいかなくてヤキモキ」している。


彼女のような先生は、「本来その子ができることをやらなくてヤキモキ」する。


という、意識が自分にあるのか、その子自身にあるのかで先生の格はだいぶちがうと僕は思っている。



ほかにも色々あるけれど、今回はここまで。

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