学家へ行こう 伍

「さっ。座って」

「どこに!?」


 野菜の納品を終え、れみ様の研究室に通された私。


 寮地の研究所内にあるその部屋は一言で言えば混沌。


 夥しいほどの文字や数字が殴り書きされた紙や異国の言葉で書かれた本、食べ終わった茶碗などが散乱するとても乱雑な場所だった。


 そんな部屋に座れる場所などあるはずもなく、多分そのために置かれていたはずの長椅子も紙と本に埋め尽くされている。


 辛うじてあった床の隙間に腰を下ろすと、れみ様は雑多な物の山から持ち手がついた変わった湯飲みを引っ張り出した。


「Just a moment。今淹れるわ」

「じゃ…?それは異国の言葉なんですか?」

「ウィ。少し前まで住んでたから言葉が染み付いているの」

「住んでいた!?すごいですね!」

「ただ生きて暮らしていただけよ。…聞こし召せ、天水分神あめのみくまりのかみ


 壁際にある流し台でれみ様が巫術を発動させる。すると金属でできた蛇の口のような場所から水が溢れ出た。


 あんなに簡単に水が!?


「聞こし召せ…火之迦具土神」


 その水を硝子の瓶に入れ、小さな竃のような物の上に置いて巫術を発動。今度は竃に火がついて水を温め始めた。


「すごい…!!」

「新鮮な反応ね。理人うちの子じゃこうはいかないわ」

「巫術を利用した道具ですか?」

「ウィ。巫装ふそうっていうの。試験運用が終わって量産の目処が立ったら他の学家にも提供する予定よ」

「これをもらえるんですか!?ありがとうございます!」


 流石は工を重んじる理人。こんなものを作れるなんて…!


 そんなことを考えているうちにお茶淹れはいよいよ大詰め。


 水が沸騰したところで湯呑みに注ぎ直し、茶筒から取り出した真っ黒な粉のようなものを混ぜる。


「はいっ。どうぞ」

「ありがとうございます!…???」


 れみ様が手渡してきたのは泥水のように真っ黒な謎の水。匂いを嗅ぐとほんのりと嗅いだことのない香ばしい匂いがする。


「これは?」

「Coffeeよ」

「こひー?」

「飲めば分かるわ」


 その言葉に従って一口啜る。


「っっ!?!?!?!」


 苦い!ものっっっすっごく苦い!!


「あははっ!お口に合わなかったみたいね」


 舌が抉れてしまうんじゃないかってくらいの苦味とえぐみに悶絶する私が面白かったのか、れみ様が可笑しそうに笑う。


「砂糖とミルクをどうぞ。これなら飲めるはずよ」

「あっ、ありがとうございます」


 砂糖と牛乳が入ったこーひーはさっきまでの苦味が嘘みたいにごくごく飲める。


「美味しい、かはわかりませんが…こういうのもいいですね」

「正直な子は好きよ」

「ところで、さっきは何をしていたんですか?」

「転心の型の機動実験よ」

「転心?」

「自分の精神を一時的に剛連に移して剛連を動かす巫術、といったところかしら?」

「せっ…!?」


 危うく飲んでいたこーひーを吹き出すところだった。


「大丈夫なんですかそれ!?」

「大丈夫にするための研究よ」

「そんなもの何に使うんですか?」

「これが実用化されれば震災の現場や火事で燃えてる家なんかでの人命救助ができるようになるわ。妖怪が蔓延る『断所だんじょん。』の探索もNon riskでできるわね」

「す、すごい…!」


 確かにとても魅力的な技術だ。


 強靭な剛連の体なら炎の中や足場の悪い危険な場所でも気にせず動けるし、疲れないから人を担いで安全な場所に避難できる。


 仮に自分も巻き込まれても被害に遭うのは剛連だけで本体は無事でいられる。


 れみ様の言うようにこれが完成したら多くの人を救う希望になるかもしれない。


「他にはどんな物があるんですか!?もっとお話を聞きたいです!」

「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも残念。時間切れよ」

「はいっ?そぇ…」


 突然視界がぐにゃりと歪み、全身から力が抜けて座っていられなくなる。


「あへぁ…?」


 体が動かない、瞼が重い…。


 気を抜けばすぐにでも意識が飛びそうになるほど朦朧とした頭の中に、れみ様の声がいやにはっきりと響く。


「Fools rush in where angels fear to tread。この国の言葉で言えば…」



「飛んで火に入る夏の虫」





「しょうこちゃんが帰ってこない?」

「へぇ」

「オラ達の朝餉さ拵えてくれだ後、用さあるっでこぴさ乗っで出かけでよぉ。それっきりだぁ」


 世話役として頑張ってるしょうこちゃんと一年生のみんなにお煎餅を差し入れようと一年生の長屋を訪れたわたし。


 そこで聞かされたのはしょうこちゃんが出かけたきり戻ってこないという驚きの事態だった。


「しょうこ様さどごいっだがしらねが?」

「うーん、心当たりはないなぁ。特に頼みごともしてないし…」


 しょうこちゃんはここに来てまだ日が浅いから心努を離れるような用事を頼んだことはない。


 確か今日は世話役の仕事もほとんどなかったし遊びに行ったとも考えられる。


 けど、真面目で律儀なしょうこちゃんが何も言わずに一人で遊びに行くなんてちょっと考えられない。


「とりあえず信話してみるね」


 拳砲を展開し、信話を開始する。けど、いくら待ってもしょうこちゃんが出る様子はない。


「教えてくれてありがとう。後はわたしが探しておくね」

「おねげします!」


 拳砲をしまい、一年生達を帰らせて今後の方針を考える。


 探すにも情報がいる。


 他の学家に苹果を連れて行ったならかなり目立ってるはず。みつね様なら何か知ってるかも…


「しょうこちゃん…」


 あの子の不在にここまで心がざわつくのはきっと、今朝見た夢のせいだろう。


 夢は記憶を映す鏡、なんて言うけどわたしはあんな場所知らないし、心努の制服姿じゃないやちよ様を見たことがない。


 だから、信じられないことだけど…あれはしょうこちゃんの夢で、わたしはそこに入り込んでいたんだと思う。


 やちよ様の姿をしたあれが言っていたことが本当で、しょうこちゃんが持っていた髪飾りが本当にやちよ様のものなら…しょうこちゃんが言っていた姉様はやっぱりやちよ様のこと?


 あの子に何があったか分からない。けど、あんな夢を見るほどに自分を…


「ふみえ…」


 背後から聞こえてきたきりこちゃんの声で脱線しかかっていた思考が引き戻される。


 いけないいけない!今はしょうこちゃんを探すのが先決よ!ふみえ!


「きりこちゃ…」


 言いかけた言葉が宙に消える。だって、きりこちゃんは放心状態のあやめちゃんを担いで歩いてきたんだもん。


「あやめちゃん!?」

「あやめが吐いた。しょうこはあやめに仕事を押しつけられて他の学家に野菜の納品に行ってる」

「スンマセンスンマセン…」


 うわ言のように謝るあやめちゃん。相当怖い目に遭ったらしい。


「それともう一つ。最近、れみ様から連絡があった。ふみえ達が交わした契について何か知らないかって」

「れみ様が…!?」


 あの人が興味を持っている。その時点でしょうこちゃんが今どこにいるかがほぼわかってしまった。


「れみ様がいそうな場所に心当たりある!?」

「第一研究棟の地下研究室。昔から遊び場にしてたから私的な実験ならそこでしてると思う」

「ありがとう!」


 きりこちゃんにお礼を言い、再び拳砲で信話を開始する。


 相手はうみか様。


「うみか様!」

『よーっす。どしたー?』

「しばらく留守にするので心努をお願いします!」

『はっ?本当どした?』



「しょうこちゃんの救出に行ってきます!!」





学家へ行こう 陸

https://kakuyomu.jp/works/16818093087091573734/episodes/16818093088535669383




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