不帰(かえらず)の少女達 伍

 よく熟れた桃のように柔らかくて瑞々しい唇は火のように熱く、触れ合った熱と感触の余韻で脳髄が蕩けそうになる。


 口吸いなんて生まれてこの方一度もしたことがない。


 初めての相手が女性だなんて考えたことなかった。


 でも、なんでだろう?


 全然嫌じゃなかった。


「ぐっ!?」


 そんな余韻も左手に走った痛みに打ち消される。


 見ると傷口から細い血が糸のように吹き出しているじゃないか。


 互いの手から吹き出た血が螺旋のように絡み合い、糸が縄へと変化する。


 その辺りで私達の手の傷が塞がり、一本の血の縄が結い上がった。


 血の縄はまるで獲物を見つけた蛇のように鎌首をもたげ…私の下腹部に突き刺さった。


「なっ!?」


 吸い込まれるように体内に潜り込んでいく血の縄。


 痛みは全くなく、呆気に取られているうちに血の縄は私の中にすっぽりと納まってしまった。


「大丈夫?」

「えぇ。特に異常は…。っ!?」


 言いかけて視界がぐらりと揺れる。


「しょうこちゃん!?」

「…力が、湧き上がってきます」


 体が熱く疼き、内から自分の巫力じゃないとても暖かい力を感じる。


 多分これが宇成の契を介して流れ込んできてるふみえ様の巫力なんだろう。


 その量はちょっと自信があるなんてものじゃない。


 自分がそっくり書き換えられてしまいそうなほど膨大な巫力が内で渦巻いている。


 本当ならもう少し休んで体を慣らしたかったけどそうもいかないらしい。


『オオオオオオオオッッッ!!!』


 轟音と共に繭が裂け、予想通りの巨体が飛び出してきたからだ。


 その姿は最早人智を超えた化生。


 予想通り十五尺以上はあろうかという巨体に成長していたけど、問題は見た目。


 元々の手足どころか首までもが捻じくれて反転し、脇腹を突き破って生えてきた真っ黒な毛に覆われた脚を合わせた六本脚で大地に立っている。


 人間の両足は消え去り、下半身には真っ黒な肉がこれでもかと圧縮されたような醜い肉団子がくっついている。


 どうやら人を捨てて完全な蜘蛛になったらしい。


「しょうこちゃん…」


 ふみえ様が私に耳打ちする。それは今後の作戦のようだった。


「お任せ下さい」


 作戦を聞き終え、改めて土蜘蛛と対峙する。


『ドボギデパブ!!』


 土蜘蛛が咆哮を上げながら私達に猛進するべく脚を上げる。


 けど、


「速いっ!?」


 ふみえ様の巫力を分け与えられた私の姿は土蜘蛛の懐にあった。


『ザジッ!?』


 強化なしでこれなら強化すれば一体どれほどの…


「調整が大変…ねっ!」


 右手に巫力を集中させて拳を握り、動揺する土蜘蛛の胸目掛けて跳躍する。


「聞こし召せ…!天之手力雄!!」


 巫力を一点に集め、極限まで強化した拳が跳躍の勢いそのままに土蜘蛛を撃ち、


『ガアオオオオオッッ!!』


 その神威を持って土蜘蛛を上空へと吹き飛ばした。


「すごい…!」


 これが宇成の契…そしてふみえ様のお力。


「しょうこちゃん!」


 土蜘蛛を打ち上げたところでふみえ様が駆け寄ってきた。


「しっかり掴まっていて下さい」

「うんっ」


 ふみえ様を抱きかかえ、上空の土蜘蛛を見上げる。


 暖かくてとてもいい匂いがする。こんな時じゃなかったらもう少しこうしていたい。


「聞こし召せ…。憑衣!猿田彦サルタヒコ!」


 巫術はしっかりと鍛錬を積めば自分の身だけじゃなくて刀や衣にも巫術を降ろすことができる。


 衣に降ろした風の神、猿田彦の権能は私の背中に一対の風の翼を生やしてくれた。


「おぉっ!しょうこちゃんすごーい!」

「大きい…」


 出現した翼は私の身長くらいある巨大なもの。


 何度も使った巫術だけど、ここまで大きな翼は見たことがない。


「今、重いって言った…?」

「言ってません!」


 大きく屈み、勢いをつけて大地を蹴り上げる。


 翼が羽ばたくごとにぐんぐんと高度を上げ、数秒で土蜘蛛に追いついた。


「採石場はどっちですか!?」

「南東!」


 その方を見ると切り立った崖と大きな岩だけが点在する採石場が見えた。


 ふみえ様曰く遥か昔に廃棄された場所らしい。


 開墾しようにも崖や岩が多く手つかずになっているんだとか。


 あそこなら存分にやれそうだ。


「誘導はわたしがやる!しょうこちゃんはあれと採石場がまっすぐ並ぶ位置に移動して!」

「はいっ!」


 翼をはためかせ、所定の位置につく。


 それを確認したふみえ様は袴の小物入れからさっきの鉄砲と小さくて細長い金属の棒のようなものを取り出した。


 その棒を左手の指に挟んで固定し、鉄砲のお尻にある丸い出っ張りのようなものを引っ張る。


 すると細長い穴が空いた筒のようなものが引き出された。


 ふみえ様はその穴に金属の棒を入れ、出っ張りを押し込んで戻す。


 そして土蜘蛛に狙いを定め…


「聞こし召せ…。憑弾!猿田彦!!」


 捩れ狂う暴風の化身が鉄砲から撃ち出された。


『ゲヤアアアアアアアアアッッ!!!』


 中にいくつもの竜巻を内包した暴風の弾丸は土蜘蛛に直撃し、その巨体をまるで紙屑のように採石場へと飛ばす。


 遠くへ飛ばされて豆粒ほどになった土蜘蛛が崖に激突。


 轟音と共に崖が崩れ、土煙が採石場を覆った。


「ふぅっ…」


 出っ張りがひとりでに引かれ、黒ずんだ棒が空を舞う。


 落ちていく棒はどんどん黒ずみ、やがて消し炭のように崩れ去った。


 追撃するべく採石場に飛んで向かう最中、私は鉄砲について聞いてみる。


「すさまじい武器ですね」

「でしょっ?巫式拳砲こうなぎしきけんぽうっていうの。しょうこちゃんもそのうちもらえるよ」

「…タカマにはあんな妖怪が頻繁に現れるんですか?」

「まっさかー。すっごく平和だよ…」


 語気を低め、土蜘蛛が飛んでいった方を睨みつけるふみえ様。


 この人もその平和を脅かした土蜘蛛に怒っているんだろう。


「見えた!」


 速度を出せたこともあって採石場に到着するのにそう時間はかからなかった。


「ふみえ様はここに隠れていて下さい」


 適当な崖に降り、ふみえ様を手近な岩場に隠す。


「うんっ。気をつけてね!」

「はいっ」


 ふみえ様の激励を胸に土蜘蛛へと視線を向ける。


『オオオオッッ!!ドボグッ!ドボギデパブッッ!!』


 時間が経って持ち直したのか、怒りのままに近くの岩場を壊して回る土蜘蛛。


 まだ私達には気づいていないらしい。


「聞こし召せ…!天手力雄!」


 強化の巫術をかけ、崖から飛び降りる。


 切り立った崖を駆け降りながら抜刀し、土蜘蛛の気を引くために声を上げた。


「こっちだ!!」


 

不帰(かえらず)の少女達 陸


https://kakuyomu.jp/works/16818093087091573734/episodes/16818093087454178221

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