不帰(かえらず)の少女達 弐

「ここが、心努…」


 視界いっぱいに広がる田畑や森に出迎えられながら、金比羅歯の背の上で初めの一歩を踏む。


 目を閉じて五感を研ぎ澄ませば土や草などの命の香りが匂い立つ。囀る鳥の音、吹き抜ける心地よい風、どこからか聞こえる川のせせらぎ。


「懐かしい…」

「えっ?」

「私の故郷もこんなところだったんです」

「そっかぁ。やちよ様と同じだねっ」


 やちよ様。


 その名前が出た瞬間、心臓が握り潰されたような圧迫感に襲われた。


 顔を伏せて表情を見られないようにする。多分、今すごい顔してると思うから。


「やちよ様?」

「わたしの一個上の先輩。今は病気で休学中なの」

「そ、そうなんですか…」


 努めて冷静に返事をする。


 ふみえさんが前を向いたまま話しているおかげで表情の変化には気付かれていないようだ。


「この妖怪、とっても大人しいですね。こんなの見たことありません」


 多少強引に話を逸らす。これ以上姉様の話題は耐えられない。


「でしょー!こぴちゃんは心努の宝だよ」

「こぴ…?」

金比羅歯こんぴらばっていうの。かわいいでしょ?」

「人を襲ったりしないんですか?」


 そう言うとふみえさんの笑い声が洞窟内に木霊した。


「ないないっ!野菜とか果物しか食べないから平気だよ」


 言われてみれば、さっき校街にいた生徒達も街中を堂々と歩き回る金比羅歯を見ても怖がらなかった。


「…?あれは?」


 表情を見られないよう目を逸らしていると小高い山に建立された小さな神社が目に入った。


耶麻やま神社だよ」

「やま?聞き慣れない神社ですね」

「ヤマ様はタカマの土着神らしいからねぇ」


 どうやらタカマでは重要な場所らしい。姉様はその話はしてくれなかったな。


宇成の契うなりのちぎりもあそこでやるんだよ」

「うなり?」


 そう言えば、姉様がその名前を口にしていた気がする。それがどんなものだったかはちょっと思い出せない。


「…変だなぁ」


 ふみえさんにあれこれと聞きながら心努を巡っていると、ふみえさんが神妙な面持ちで呟いた。


「どうかしましたか?」

「うん。さっきから誰にも会わないなーって。いつもなら誰かしら畑にいるはずなんだけど…」


 言われてみれば妙だ。


 見える範囲の田畑には人影が全く見当たらない。畑だけでなく点在している長屋にも人がいないのはおかしい。


「お昼寝ってわけないよねー。…ごめんっ!ちょっと学校に寄っていい?」

「はいっ。構いま…」


 言いかけたところで視界に動く何かが映る。


 金比羅歯とその背に乗った茶髪の女の子だ。


「栗と…あやめちゃん!」


 どうやらふみえさんの知り合いらしい。


 金比羅歯はとてつもない速度で私達に駆け寄り、乗っていた女の子が金比羅歯の背の上で跳躍してふみえさんの前に降り立った。


「筆頭!今すぐ逃げんぞ!!」

「えっ?逃げ…」

「話は後だ!うみか様が時間稼いでくれてっから他の奴らにも声かけねぇと…!」

「待って待って!一旦落ち着いて。ねっ?」

「落ち着いてられっか!!みんながあぶねぇんだ!!」


 あやめと呼ばれた女の子はひどく慌てた様子で逃げるよう促してくる。


 それだけのことがここで起きているんだろうか?


「えっと、あやめ…さん?」

「あぁっ!?…んんっ?誰だお前?」

「何があったか話してもらえませんか?」


 私がそう言うと、あやめさんはとても簡潔に話してくれた。


「おっかねぇ妖怪共が暴れてんだ!!」




「はぁっ、はぁっ…!」


 あれからどれくらい経ったんだろ?


 きりこはあの子達を逃がせたかな?あやめはちゃんと避難勧告できてるかな?


『ドゾデギドダ』


 刀は折れ、巫力ふりょく切れで拳砲けんぽう巫術ふじゅつも使えない。


 だというのに、目の前の妖怪にはまるで効いている気がしない。


「やっぱ無理か…。りずがいれば…って、いつの話よ」


 無意味なたらればに思わずツッコミを入れる。


 膝をつく私を見下ろしているのは人の形をした見たこともない妖怪。


 全身に黒い毛が生え、顔には真っ赤な目のようなものがいくつも点在している。その身のこなしと全身に浮かんだ毒々しい色合いはまるで蜘蛛のよう。


 妖怪がゆっくりと私に近づく。


 けど、それを別の誰かが遮る。


『パベボ!』


 こいつと一緒に出てきた別の妖怪だ。こっちは腕に翼が生えてたり耳が長かったりで蝙蝠のように見える。


『パダバギギ!』


 蜘蛛の妖怪が蝙蝠の妖怪を振り払う。


 さっきから気になっていたけど、蝙蝠の妖怪は蜘蛛の妖怪を止めるような素振りを見せている。


 こいつら仲間じゃないの?


『グバゾグダ』


 ついに蜘蛛の妖怪が私の前にやってくる。


 怖い…!!


 残ると決めた時に覚悟を決めたつもりだった。


 でも、私を見下ろす【死】に体はガクガクと震え出す。


 いやだ!死にたくない!!死んだらもう皆に会えない!


 一緒に野良仕事をしてご飯を食べて楽しかったことを話し合って…


 そんな当たり前すらもなくなってしまう。


 それに…


『…?』


 帯から鞘を抜き、それを杖代わりに立ち上がる。


 それに、私が死ねば次はきりこやあやめ、ふみえ達が狙われる。


 死ぬのは嫌だけど、それはもっと嫌だ!!


「この先には行かせない。やちよと、約束…したんだから…!!」


 やちよが帰ってくるまで私が皆と心努を守るって。


「私達の家をっ!家族をっ!お前らなんかにやらせないっっ!!」

『ギゼ』


 なぁーんて叫んだって何も起きないよねぇ。


 蜘蛛の妖怪が殺意を込めて腕を振り上げる。


 どうやら私はここまでらしい。


「ごめん。やち…」

「そいやぁーーーっっ!!!」


 言葉は最後まで続かなかった。


 それを遮ったのは真横から蜘蛛の妖怪に体当りした苹果。


 そして、それに乗る知らない青髪の女の子と何故かその子にしがみついてるふみえだった。




『ゴオオオオオッッッ!?!?』


 苹果の直撃を受けて吹き飛ぶ妖怪のようなもの。


「…っっ!?」


 その姿を視界に納めた瞬間、私の体が硬直する。


 人の形をした異形の妖怪。


 その特徴を持ったそれを私は見たことがある。


 こいつらは姉様の…


「うみか様!!」


 ふみえさんの言葉でハッと我に返る。


 ふみえさんは苹果から降り、うみかと呼んだ眼鏡をかけた黒髪の女の子に駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」

「全然。それより、なんで来たわけ?筆頭が出てきちゃ駄目でしょう」

「筆頭だからです…よっ!!」


 ふみえさんが袴の小物入れから何かを出す。


 それは輪っかと折り畳まれた持ち手がくっついた箱のようなものだった。


 持ち手を展開し、その箱を触ると箱から短い筒のようなものが伸びる。


 そしてふみえさんがその筒の先端を立ち上がろうとしている妖怪に向け、輪っかに引っ掛けた人差し指に力を込めた。


『ガォッ!!』


 筒の先端から撃ち出された光の玉が妖怪を襲う。


 これは効いたらしく、妖怪は再び地面に倒れ伏した。


 あんなに小さいのは見たことがないけど、あれってもしかして…


「鉄砲?」

「そこまでよ!!」


 ふみえさんが拳に納まるくらいの鉄砲を突きつけながら妖怪に布告する。


「もうすぐ警備の剛連と佐武頼の人達が来るわ!生きていたいなら今すぐ出ていきなさい!!」


 朗らかで優しかったふみえさんから一転。勇ましく毅然とした姿に思わず目を奪われる。


「かっこいい…」


 切迫した状況なのについそんなことを思ってしまった。


「うみか様。立てますか?」

「なんとかね…」

「苹果に乗って逃げて下さい」

「えっ?でも、あの子はやちよしか…」

「荷物なら大丈夫です!」

「荷物かい!」


 うみかさん?は覚束ない足取りで苹果に乗り込む。


 苹果も状況がわかっているのか嫌がる素振りは見せなかった。


「…えっと、君誰?」

「編入生です。詳しい話は後ほど…」


 加勢するべく苹果から降りようとするとふみえさんがそれを手で制した。


「しょうこちゃん!うみか様を連れて逃げて!」

「はいぃっ!?ふみえさんはどうするんですか!?」

「うみか様を引き継ぐ!筆頭が逃げたらやちよ様に怒られちゃうからね」

「ひ、筆頭!?」


 筆頭。


 それは学家を取りまとめる学家の代表だと姉様が言っていた。


 この人が心努の筆頭…


『ジベガバ!!』


 大声が田園に鳴り響く。


 見るとさっきまで全く動かなかった方の妖怪がよろよろとした足取りでふみえさんに近づこうとしていた。


『プヅゴドズギデ…!』

「えっ?」

『ラダグギデグ!バモウジドガギバグ!!』


 ふみえさんが危ない!


「苹果!!その人と一緒に逃げて!」

「キュルッ!」

「ちょっ!?」


 うみかさんが何かを言う前に走り出す苹果。


 これで私達以外誰もいなくなった。


「ふみえさんから離れろ!!」


 ふみえさんに近づく妖怪との間に割って入る。


 腕に羽がついてて耳が長い、蝙蝠のような妖怪は私にたじろいだのか動きを止めた。


「逃げてって言ったでしょ!?」

「ふみえさん!刀を貸して下さい!」

「えっ?でも…」

「ご安心を。ある程度は鍛えてますから」


 そうは言ったものの本当にやれるかわからない。


 こればかりは私の体次第だろう。


「…」


 ふみえさんは腰に差した刀の一振りを抜き、まじないをかけるかのように目を閉じて柄に額を当てる。


「はいっ」

「ありがとうございます。…えっ?」


 手渡された刀の柄を握り、違和感を覚えた。


 握りが合いすぎている。


 調整されていない他人の刀が信じられないくらい手に馴染む。


 鞘を含めた重さも刃渡りも私が扱うのに適しすぎている。 


 そんなこと、持ち主が同じ流派を修めた同性でもない限りまずありえない。


「これって…」

『 ヅゴダ!!』


 好戦的な妖怪が駿足を駆ってふみえさんに迫る。


「させないっ!!」


 振り下ろされた腕がふみえさんを害するより早く前に立つ。


 だが、その更に先でそれを受け止める者がいた。


『ザジリグブ!?』

「っっ!?」


 蝙蝠の妖怪だ。


『バモウ!グバヂブダ!?』


 仲間割れ?だとしたら好機!!


「ふみえさん!」

「あっ!当たれぇっ!!」


 私の思惑に気付いたふみえさんが揉み合う二匹の妖怪目掛けて鉄砲を発射する。


『ガべっ!!』


 数発は好戦的な方の妖怪に当たって体勢を崩す。


 しかし、蝙蝠の妖怪は弾が着弾するよりも早く両腕の羽を広げて空へと飛び上がった。


『グッ!ドグダドズジデ…』

『バデッ!』


 多分待てって言ったんだろう。


 蝙蝠の妖怪は制止を振り切り飛び去っていった。


 よく分からないけど、あの妖怪は戦う気がなかったらしい。


 残るは後一匹。


「…」


 息を整え、柄に手をかける。


 こいつはふみえ様の大切な場所を荒らした、大切な人を殺そうとした。


 こいつだけは…絶対に許さない!!



 "…ま!姉様!!"



 こいつらは姉様の仇!人間を襲う悪鬼!!



 "これを、タカマのふみえに…"



 怒りを燃やせ!憎しみを研ぎ澄ませ!!こいつらは人間の敵だ!生きてちゃいけない存在なんだ!!



 "ごめんね…"



 妖怪を斬れ!仇を討て!それが雪平に生まれた私のし




 "ふみえ…!!"



「うぷっ!?」


 


 不帰(かえらず)の少女達 参


 https://kakuyomu.jp/my/works/16818093087091573734/episodes/16818093087454165080

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