第8話

 一つ心に決めたことがある。

 それは『自分をもう少しだけ大切にする』ということだ。

 言葉にするとひどく簡単で、誰にだってできることだと思うかもしれない。

 けれどそれが想像よりも、ずっと難しいことだと気がついた。

 特にルナは、自分がこの世界でのモブであると知っているから。

 ただの案内人で、セレナがうまくいくように動く円滑剤。

 そんな存在が自分を大切にしようなんて、少し前までは想像もできなかった。

 ただいくつかの思い出が、ルナに勇気を与えてくれたのだ。


『よかった。いつものルナに戻ったんだね。君の笑顔が見れて、私はとても嬉しいよ』


『二度とあんなツラするんじゃねぇぞ。……俺が二度とさせねぇ』


『姉様……。悔しいな。姉様に笑顔を戻すのは、僕でありたかったのに』


 


『わたくしのものになるのですから、それくらい堂々となさいませ』


 

 心は決まった。

 緊張はしているけれど、でもどこか晴れやかな気持ちもある。

 毎日同じ景色、同じ人、同じ言葉で。


「こんにちは、ルナ。デリック様がどこにいるか知らない?」


「やあ、今日もセレナはかわいいね。でもごめん。これからは自分で探してくれるかい?」


「――…………いま、なんて?」


 大きく見開かれた瞳に射抜かれながらも、ルナは自信に満ちた笑みを浮かべる。

 大丈夫。

 もう、大丈夫だ。


「明日から私はここにはこないよ。だから、君が自分で見つけるんだ。運命の相手を、ね」


「……どうなってるの? あなたはただのモブで、私を助ける――」


「私はルナ・メルーナ。モブじゃない」


「………………」


 思えばおかしいところばかりだった。

 セレナの言うとおりルナがただのモブであるのなら、なぜルナの過去に攻略対象との接点をもたせたのか。

 なぜ自分は、ここがゲームであるという知識を持っているのか。

 そして――。


「……後悔するわよ。物語を変えたら、なにが起こるかわからないもの」


「そもそも変だと思わないかい? なぜ君はそのことを知っている? 本来の主人公なら、ルナがただのモブだなんて知らないはずだ」


「それは私が、」


「そう。君と私は、たぶん同じところから来たんだ」


 ただ与えられた知識だと思っていた。

 あの場所でセレナのために行動するために必要だったから。

 でもそれだとおかしいのだ。

 明らかにルナに必要のない、パーティーでの断罪イベントの知識があるなんて。

 ルナは軽く首をかしげつつも、不思議そうに口を開いた。


「これは本当にただの一説だから、本気にしないでほしいんだけれど……。ルナって、モブにしては設定がちゃんとしていると思わないかい?」


 伯爵家の娘で、王太子と幼馴染で、アッシュとは腕を競った中で、レオナルドとは親戚で。

 まるで物語の主人公のような設定の盛られ方に、ルナ自身違和感を感じていた。


「まるで私にもなにか他の役割があるんじゃないかって思えるような……」

 

 それは見方を変えれば、いつでもルナを主人公に物語を作り上げることができると言っているような……。


「――なにが、言いたいの?」


「……別に。ただのたわごとだよ。気にしないで」


 そう、これはただのたわごと。

 ルナの一意見であり、真相はきっとこの世界の誰も知らない。

 けれどそれでいいのだ。

 これこそが本来の、世界のありかたなのだから。

 セレナは強く強く、ルナを睨みつける。

 その瞳は射抜くような力強さがあったけれど、ルナは決して怯むことはしなかった。


「――私が、この物語の、主人公よ」


「そうだね。だから伝えに来たんだ。がんばって、って」


 ルナはそれだけいうと、そっと足を動かした。

 そこにいなくてはならない。

 動いてはいけないと思っていたその足は、なんてことないように簡単に動いた。

 毎日毎日、そこで暮らしていた日々とも、もうおさらばだ。


「それじゃ、セレナ。さようならだ」


「ただじゃすまないわよ!? ただのモブが物語を変えようとするなんて!」


 ルナは振り返る。

 その顔に一つの恐怖も後悔もなく。


「もう変わってるんだよ。私と……セレナ、君がいる時点で」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る