第7話

 あれからセレナは、あの日のことなんてなかったかのようにルナの元を訪れた。


「こんにちは、ルナ。レオナルドがどこにいるか知らない?」


「やあ、今日もセレナはかわいいね。え? レオナルド・ガーヴェル男爵なら音楽室にいたよ」


「ありがと!」


 嬉しそうに去っていくセレナの後ろ姿を、仮面のような笑顔で見送る。

 大丈夫。

 だい丈夫。

 だいじょうぶ。

 いつも通りの日常を。

 今までと変わらぬ日々を。

 ただ淡々と、そう、淡々とこなせばいい。


「…………ルナ? 大丈夫かい? 顔色が……」


 大丈夫。


「お前……なんて顔してんだ…………」


 大丈夫。


「姉様……? どうしたんですか? 何かあったんですか……?」


 大丈夫。


「なんでもないよ! 大丈夫さ」


 そう、大丈夫。

 なんてことはない。

 別になにかされたわけじゃない。

 ただ少し、釘を刺されただけだ。

 己の責務を全うせよと。

 そう、言われただけだ。

 本当にその通りだと思う。

 ルナはただセレナと攻略対象を繋ぐ役目。

 それを、こなせばいいだけの存在だ。


「な……んて、顔してますの!?」


「――…………クリスタ嬢?」


「あなたっ、一旦座りなさい! そこ! ほら!」


「へ? え、あ、はい……」


 なんだろうか?

 というかいつのまにクリスタが隣に来たのだろう。

 全然気が付かなかった。

 これは思ったよりもダメージを受けているのだなと、クリスタに支えられながら座り込む。


「なにがありましたの? そんな、この世の終わりみたいな顔をして……」


「……そんなひどい顔してました?」


「とっても!」


 なぜか怒っている様子のクリスタは、ルナの隣に腰を下ろすとむっと唇をへの字に曲げた。


「なぜそんな顔をしてますの? 説明願いますわ」


「ええ……っと」


 流石にあんな話はできないなと、思わず言い淀んでしまう。

 セレナの言い方的にも、やはりルナがイレギュラーすぎるのだ。

 これ以上動いて物語を変えてしまっては、自分もどうなるかわからない。

 黙り込むルナを見て、クリスタは眉間に皺を寄せた。


「……話したくないのでしたらかまいませんわ。ですがあなたを心配する者がいること、忘れないでほしいですわ。……デリック様がわざわざわたくしに話かけてきましたのよ。あなたが心配だと」


「……そういえば、会ったような気がするな」


「会っていたんです。それなのに気がついていないなんて……。どうせあなたは大丈夫かと聞いても、大丈夫と答えるのでしょう?」


 ならそんなふうに聞いても無駄だとため息をつくクリスタに、瞳を何度も瞬かせた。

 確かに覚えている。

 デリック、アッシュ、レオ。

 彼らが会いにきてくれて、とても心配していたことを。

 そのたびにルナは心配かけまいと『大丈夫』と彼らに伝えていて……。


「――」


「見るからに大丈夫ではないのに大丈夫と答えられると、それ以上なにも聞けなくなってしまいますから言いませんわ。大丈夫でないことくらい顔を見れば一目瞭然ですもの」


 クリスタとの縁はおかしなもので、本来ならある意味敵に近い立場であったはずなのだ。

 ルナは主人公セレナの友達で、クリスタはそんなセレナをいじめ最後には自滅する悪役。

 関わったのだってほんの数日。

 片手の指で数える程度なのに。


「…………あははっ! まさか君の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったよ」


「…………な、なんですの?」


 腹を抱えて笑い出したルナに、クリスタはおかしなものを見るような目を向けてくる。

 だがそんなもの気にならないくらい気分がよかったのだ。

 だって嬉しいじゃないか。

 こんな数日。

 それも放課後のこのひととき。

 ルナにとっては毎日の繰り返しの中で起こったイレギュラー。

 そこで得た、自分自身をただまっすぐ見てくれる人。

 こんな人がいたんだと、ルナは笑う。

 腹を抱え膝を叩き、乱れた髪をさっとかき上げた。


「ありがとう。クリスタが私を見てくれているのがよくわかったよ。こんなに嬉しいことはない。君は私にとって、救いの女神かなにかなのかな?」


「…………なにを言いたいのか全く持って理解できませんが、本調子になったことだけはわかりましたわ」


 ほら。

 たったこれだけの会話でクリスタはルナが元気になったことを理解してくれた。

 すぐにいつも通りの対応に戻るところも、ルナにとってはとても好印象だ。

 素晴らしい友人を持てたと、ルナは肩から力を抜いた。


「……少し、嫌なことがあっただけだよ。でももう大丈夫。クリスタのおかげで元気になった。ありがとう」


「――べ、別になにもしてませんわ。わたくしはただ……、というかあなた、わたくしのこと」


「大切な人のことは名前で呼びたいんだ。無礼にあたるかな? それなら控えるけれど……」


「…………たいせつ、…………っ、そ、そういうことでしたら、許して差し上げますわ。ただし、わたくしも、……る、ルナと、呼びますわ!」


「もちろん、喜んで」


 この嬉しいやりとりをしつつも、なんだか疲れたなと後頭部を壁につけた。

 どうもあのセレナとのやりとりのあとから気持ち的に余裕がなくて、うまく笑えていなかった気がする。

 あとでデリックたちにも謝っておかないと、と思っていると隣に座っていたクリスタがルナの顔を覗き込んできた。


「…………本当にもう大丈夫そうですわね。ですが無理をしてはダメですわよ? あなたを心配する人、案外多いんですから。なにかありましたら必ず相談してください。…………わたくしじゃなくても……まあ、いいですから」


 そう言いながらも唇を尖らせるあたり、クリスタの素直じゃないところがよくわかる。

 くすりと鼻を鳴らしたルナは、クリスタの美しく長い髪にほんの少しだけ触れた。


「必ず。クリスタに相談しますね」


「――…………そう。そうしたいのならそうなさい」


 ぷいっと顔を背けたクリスタの垣間見える耳が赤くなっていて、やはり素直じゃないなと思ったのは内緒だ。

 彼女と一緒にいるのは居心地がいい。

 放課後の少し騒がしい学生たちの声と、優しく頬を撫でる風。

 その全てが気持ちよくてそっと目を閉じた時だ。

 クリスタが意を決したように口を開いた。


「……このようなタイミングで言うのはどうかと思うのですが、あなたには報告しておかなくてはと思いましたので、お伝えしますわ。――わたくしとデリック様の婚約、無事に破棄できそうですわ」


「――、」


 ひゅっと喉が鳴ったのは不可抗力だった。

 だってまさかこんなところでそんな話を聞くことになるなんて思わないじゃないか。

 目を見開きつつクリスタを見れば、彼女はどこか晴れやかな顔をしていた。


「喜んでくださいね。わたくしもデリック様も望んでいたことなのですから」


「…………いいんだね? 本当に」


 詳しくは知らないけれど、きっと大変だったことだろう。

 婚約は家同士のこと。

 さらには王太子の婚約者を辞めるなんて、下手をしたら信用が落ち家が潰れてもおかしくはない。

 クリスタもわかっているのだろう。

 ルナの問いに深く頷いた。


「実は元々秘密裏に進めてました兄と王女殿下の婚姻がうまくいきそうなんです。だから家的にはそこまでのダメージはないみたいです」


「……侯爵家はすごい野心モリモリなんだね」


「父がそうなんです。わたくしも兄もあまり興味はないんですが……。ですのでかなり叱られましたけれど、結果はかなりいい方ですわ。なぜならデリック様はわたくしに負い目を感じておりますので!」


 胸を張りつつクリスタは大きく鼻を鳴らしながら深く頷いた。


「今後なにかあったら手助けしていただくことになっておりますの! 未来の国王の手助けなんて、最高の切り札ですわ!」


「それはそう」


 そんな強い切り札他にないだろう。

 なるほどさすがは野心高い侯爵家の娘だ。

 素晴らしい手際に素直に拍手を送った。


「すごいなぁ。クリスタとならたとえ辺境の地でも生きてけそうだ」


「なんですそれ。人のことを図太い人間だとおっしゃっていますの?」


「いやいや。クリスタとなら楽しそうだなって」


「…………自慢ではありませんが虫などは大丈夫ですので、案外やっていけるかもしれませんわ」


「それは心強い」


 ふと考える。

 家、結婚、この世の理。

 そんな面倒なことを全て手放して、いっそ辺境の地で隠居生活でもできたらいいのに。

 野菜とか育ててのんびりと。

 そんな幸せな未来が待っていたら……。


「クリスタも自由になるなら、一緒に田舎で隠居生活でもする?」


「なんです急に。今は自由でもすぐに雁字搦めになりますわ。……我々にそんな自由なんて」


「なれたら、の話だよ」


 そう、なれたらいいなの夢物語。

 結局最後にはゲームのシナリオ通りになってしまうかもしれない。

 だからこれはただのありえないお話。


「一緒に来てくれる……? 自由気ままな隠居生活!」


「…………そういえば言ってましたわね。お相手が現れなかったら自分をもらってくれって」


「そういえば言ったね」


 髪の短い自分をもらってくれる人なんてそうそういないだろうと、冗談まじりに言ったのだが覚えていたらしい。

 クリスタは呆れたようにため息をつきつつも、どことなく楽しそうに口端を上げた。


「ならもらって差し上げますわ。あなたを連れて侯爵家の別邸で余生を過ごすのもいいかもしれませんわね」


「……それは最高だね! いつかそれが、叶うといいなぁ」


 きっとそれは、ただの夢に終わるだろうけれど。

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