工房に戻って黒猫をそっとベッドに寝かせると、僕は大きく息を吐いた。ふぅ〜、ひとまず安心。あんなに弱々しかったのにすっかり落ち着いた様子だ。


 それにしても久しぶりに見た猫はすごく可愛い。

 黒くて艶のある毛並み、ピンク色の肉球、そしてかすかに聞こえる寝息。見ているだけでなんだか心が温かくなる。僕は猫の頭をそっと撫でてみた。柔らかい毛並みが指先に心地よい感触を与える。


 それから猫の隣に椅子を置いて本を読んでいた。

 しばらくしたら猫が少しだけ動く気配を感じた。目を向けると起き上がりそうだ。ベッドの上で目を覚まし、キョロキョロとあたりを見回していた。


「あ、起きたの? 大丈夫?」


声をかけると猫は僕の方を見て小さく鳴いた。


「にゃあ……」


猫がゆっくりと目を開けた。金色の瞳が僕と見つめ合う。よかった、無事に目を覚ましてくれたみたい。


次の瞬間僕は目を疑った。

ベッドの上で丸まっていた小さな猫が、突然人間の女の子の姿に変わったのだ!


「ええっ!?」


 思わず大きな声を上げてしまった。目の前にいる女の子は僕と同い年くらいだろうか。黒くて艶のある長い髪、前髪は綺麗に切りそろえられている。金色の瞳、そして……猫耳と尻尾。


(獣人族……だよね?)


 この世界には獣人族という、人間の容姿に動物の耳や尻尾がある可愛い種族がいる。あまり見かけることはないんだけどね。獣人族が変身できるというのは聞いたことがなかった。


「君は誰?」


「僕はリオだよ! この街の近くの森で倒れているところを見つけて、怪我もしていたみたいだったから治療してここで君を休ませていたんだ。君の名前は?」


「ボクはフィーネ。人間に捕まっちゃって、なんとか逃げ出せたんだけど力尽きちゃったみたいだ。リオさん、助けてくれてありがとう」


ベッドから降りて深々と頭を下げた。

(運悪く事件に巻き込まれたのかな)


「気にしないで! フィーネって呼んでもいい? ともかく元気になってきたみたいでほっとしたよ。思い出せたらでいいんだけど、フィーネはどういう状況で捕まったの?」


こういう時こそカイが来てくれたらいいんだけどなぁ。


「ええっと、アイアンフォージという場所を目指してたんだけど……。ボクは獣人族。エテルニアの北にある『翡翠の森』って場所から来たんだ。獣人族の集落は森の中にいくつかあって、ボクはその集落の一つの出身でね、外の世界を見聞きしてその情報を持ち帰る冒険者として出発したんだけど、その途中山の近くで悪い奴に捕まっちゃったみたい」


 アイアンフォージはこの街、クリスタルフォールの北にある鍛冶や採掘が盛んな大きな都市だ。山というのはシルヴァーファング山脈だとしたら、山脈に沿って北上していくと到着する。捕まったのはその間のどこかかな。僕に対して怯えている様子はないから少しだけ安心した。


「そのあと男の人に注射を打たれたりしてしばらく閉じ込められていたんだけど、ある時、小さな猫の姿になって、それで換気口に入って逃げることが出来たんだよね。必死に逃げたけど力尽きちゃったところをリオに助けてもらったんだね」


(何者だろう。酷いことを。僕も錬金術で実験はするけど、当たり前だけど他人に試すなんてことはしない。こういう時に市民権を持たない冒険者だと、どこにも助けを求められないから大変だな)


「大変だったね。まずはしばらくゆっくりして、不安がなくなるまでいてくれても大丈夫。ちなみにフィーネはこの後どうしたい? アイアンフォージへ向かうのはさすがに危ないと思うけど」


「うーん、これからどうしたらいいかな……。あっ! お金もなくなったんだった……」


フィーネが困ったように眉をひそめながら答える。


(まあそうだよね、そのまま逃げ出したんだろうし。それならフィーネが良ければしばらくの間、ここにいてもらってもいいかも。ただ、女の子だからどうしようか。それに師匠にも事後承諾になるけど手紙で許可をもらわないと。そういえば獣人族は戦闘能力も高いって言うけどフィーネはどうなんだろう?)


「そうだ、もしフィーネが戦えるなら錬金素材の採取に行く時に護衛として一緒についてきてくれる? もちろん見合った給料は出すよ。もしくはフィーネが冒険者として仕事したいなら、冒険者協会があるからそこに行くのもいいと思う」


「本当!? もしリオさんがいいなら、ここでお世話になってもいいかなぁ。捕まっちゃったけど魔物とは戦えるし頼りにしてくれていいよ」


胸を張って拳を当てている。ちょっとドヤ顔で可愛い。自信ありそうだしそれでいいかな?


「それじゃフィーネ、しばらくの間よろしく」


「任せて。ところで、リオさんのこと『リオ』って呼んでもいい?」


少しいたずらっぽい目で問いかけてくる。

元気になってきたのは嬉しいけどなんか振り回されそうな予感が。


「別にどう呼んでくれても構わないよ?」


「ふふっ、ではこれからはリオと呼ぶね」


(今フィーネが着ているちょっと汚い服は変えた方がいいな)


「まずは着替えたいね。僕のだとサイズが少し違うかもしれないけど、着られそうなやつがあればそれに着替える? 明日買い物にいって服は買おう」


「リオ、お願い!」


フィーネは少し恥ずかしそうに言った。


「おっけー。ちょっと待ってて」


 クローゼットを開けてフィーネに着せられそうな服を探した。このシャツはどうかな。サイズはちょっと大きいかもしれないけど。あとパンツか。


「これはどうかな? もし他のが良ければ自分で探してみてもいいよ」


僕は七分丈のシャツとカーゴパンツをフィーネに手渡した。嬉しそうに受け取るとすぐに着替えようとしたので、慌てて外に出る。



少し待つと、

「着替え終わったよー」と声が聞こえたので部屋に入る。


「よかった。似合ってると思うよ。それじゃあ何か食べようか。お腹すいてるでしょ?」


「実は凄くお腹空いてるんだ……」


お腹をさすりながら恥ずかしそうに言った。


「フィーネ、こっちだよ」


 僕はフィーネを2階のキッチンへ案内した。キッチンは広々としていて、大きな窓からは明るい光が差し込んでいる。白いタイルの床と壁は清潔感があり、調理器具や食器も綺麗に整理整頓されている。僕も師匠も綺麗好きだからね。中央には大きなテーブルがあり、その周りに椅子が並ぶ。


「どうぞ、ここに座ってて」


 フィーネをテーブルの前の椅子に座らせると、冷蔵庫の中身を確認する。この世界、冷蔵庫やお風呂など、氷や火属性の属性石を利用することで前世と同じような快適さで使える。魔導具っていう便利な道具があるんだ。電気はないんだけどね。属性石は利用する場合消耗するし、それなりにランニングコストがかかるんだけど、錬金術で属性石を作れるので安く使える。そろそろストック分もまた作らないとなぁ。


(さて、ご飯は何を作ろうかな? そうだ、冷蔵庫にホーンラムステーキがあったはず)

ホーンラムはこの世界で飼育されている羊に似た動物で、肉質は柔らかく、ジューシーでとっても美味しいのだ。


「フィーネ、何か苦手な食べ物とかある?」


「ううん、嫌いなものはないので大丈夫だよ」


よかった。 それじゃあホーンラムステーキにしよう。


 冷蔵庫からホーンラムステーキを取り出し調理を始める。フライパンにバターを溶かし、ステーキを両面焼き色がつくまで焼く。そこに赤ワインと刻んだ野菜、ハーブを加えて弱火でじっくりと煮込む。いい匂いがキッチンに広がる。


「もうすぐできるからね」


 声をかけて付け合わせのサラダとパンを用意する。新鮮な野菜をたっぷり使ったサラダと、焼きたてのパンはステーキとの相性も抜群だ。


「どうぞ、召し上がれ」


ステーキとサラダ、パンをテーブルに並べてフィーネの前に置いた。


「リオ、ありがとう。遠慮なくいただくね」


フィーネはフォークとナイフを使って、上品にステーキを口に運んだ。テーブルマナーが綺麗だなぁ。




「美味しかった……。こんなに美味しいものを食べたのは久しぶりだなぁ」


フィーネはあっという間にステーキを平らげてしまった。


「お肉は鹿やイノシシを食べることはあるんだけど、燻製にしたりして保存食にすることが多いんだ。後はエテルニアに行った時に食べるぐらいかな。動物を狩るのは必要最小限で、普段は森の恵みを混ぜたパンや木の実が多いからね。近くの川で魚が取れるから魚はよく食べるよ」


「へえ、なんか意外だね。狩猟をいっぱいしてるのかと思ってたよ」


「魔物は狩るんだけどね。野生の動物は貴重なのさ。それに動物をむやみに狩るべきじゃないというのが獣人族の共通認識だよ」



食べ終わった後、僕は家の案内をすることにした。


「それじゃあ家の案内をするね。まずは2階から」


2階は寝室が2部屋とキッチン、洗面所とお風呂場になっている。師匠と僕の部屋だ。


「ここが僕の部屋。余ってる部屋がないんだけど、フィーネが良かったらここでいいかな? ベッドは1つしかないから、僕はリビングのソファーで寝るよ」


「うーん、それはさすがに遠慮しようかな。ボクがリビングで寝てもいいかな?」


「いいけど……まだ体力回復してるかわからないし疲れないかな?」


「ううん、全然。家で寝られるならそれだけでありがたいよ」


結局フィーネはリビングで寝ることになった。それからフィーネを連れて1階へ降りる。



「ここがお店。普段はここで錬金術のアイテムを売ってるんだ」


 1階にはカウンターと商品棚、応接間、そして簡単な料理を作れるキッチンがある。ハーブティーを入れるぐらいならここで十分。


「この棚には安全なポーションが並べてあるよ。少し危険なものは、このガラスの引き出しに鍵をかけてしまってあるんだ。もっと危険なものは地下にあるから、注文を受けてから持ってくるんだよ」


僕は商品棚や引き出しを指差しながら説明した。フィーネは興味深そうに商品を見つめていた。


「これは凄いね……。見たことがないものばかりだよ」


「錬金術って本当に奥が深いんだ。フィーネもよかったら色々な商品があって冒険にも役に立つから、少しずつ商品を覚えてもいいと思うよ」


「うん、興味があるし今度じっくり見させてもらうね」


さて、次は地下1階の工房を案内しようかな。

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