#2.02. Demon [Yushi]

 σシグマ-8エイトは、失敗だ。

 今までの実験結果から、ホメオボックスの表現型がどのように生じるかはだいたい分かってきた。

 将来的な需要を考え、上肢を増やせないものかと試したが、肺胞期はいほうきに入った途端に死んだ。


 またらんを無駄にした。僕はいい。問題は大ボスが大金を捨てたと怒鳴り散らすことだ。


 そもそも実験を繰り返すからには、大金がかかるに決まっている。データを集めるからには、実験体、試験体を多数用意しないといけない。

 あんたが立てたプロジェクトが、そもそも気が長いうえに莫大な投資が必要なもんだったんだよ。



 さて、そのせっかちなおっさんから電話がかかってきた。

 本当は出たくない。研究レポートを仕上げておきたいんだ。

 キーボードを叩き続けていたが、こいつ、一回目のコールが切れてもまたかけ直してきた。


 いつまでもうるさくされていたらレポートが作れない。それに、曲がりなりにもスポンサーだ。渋々、スマホを取りにいく。


「こんにちは冬月さん。何かありましたか?」

「こんばんは鈴谷すずや君。たまにはプロジェクトの進捗を聞きたくてね」


 いつの間に夜になってた? 今日は施設内での作業が多かったからな。

 デスクトップの右下を見ると、もう20時を回っていた。


空之御中主そらのみなかぬしはどうしている?」

「あの子たちは、今明石あかし将補の病院に預けています。近々適合手術の予定ですから、術後の経過次第では後一週間で冬月さんのもとにお連れできます」


 一週間。無理だ。

 確かに一週間程度で抜糸できるかもしれないが、精密な検査や経過観察をしたければもっと待たないといけない。


 でも、このおっさんに投資を渋られては困る。少しでもポジティブな情報をやらないと、機嫌が悪くなる。

 それに、空之御中主は、クライアントではなくスポンサーに納品するものだ。この製品の出来栄えが、今後のプロジェクトを左右する。

 時間をかけていきたいものだが、前々から遅い遅いと言われ続けてきた。

 早い段階であの子を健康な状態にしておかないと、僕の首が飛ぶ。将補、頑張ってくれよ?


「一週間か。それは結構。

 だが君のところは予定通りにいかないことも多い。期待しているんだ、待たせるなよ?」


 期待なんかしていないことが見え透いてますよ、ジジイ。

 まあ確かに、約束通りの納期で試作品を創れたことはない。その事実は認めざるを得ない。


「君が勧誘して失敗した博士がいたなら、もっと早く終わらせたんじゃないか?」


 冬月さんの性根が悪いところだな。僕を無理矢理駆り立てるつもりで、嫌いな男を引き合いに出す。


 あいつは僕から見て、化け物だ。

 学年で言えば、アルバーンは4年も年下なのに、遺伝子工学の博士号取得は同時だ。しかも、大学卒業後すぐに生理学の論文博士も取っている。それも片手間といった具合だ。

 本人に聞けば、「もともと生理学のほうが得意だったから」だそうだ。つまり、二番目に得意な分野で飛び級している。

 ディニティコスに入所したのも同時だが、僕が室長をしている間にあいつは主席研究員になった。個人で研究室を持つまでに出世していた。


 研究のスピードも桁違いだ。あいつが参加したプロジェクトはスムーズに進む。研究員数人分の仕事をするレベルだった。

 まごうことなき、天才さ。


「いえ。僕一人でもできます」


 あいつを越えるためには、形振なりふり構っていられない。あいつの研究データを調べて、GeM-Huの開発理論を採用している。あいつが手を出さなかった分野にも踏み込んだ。


 思えばホメオボックスも、あいつが触れてはいけない「聖域」と研究ノートに書いていた。

 僕のレポートに貼り付けた画像には、ヒトになれなかった胚が写っている。


「それならば、Z-1ズィーワンの納品も遅らせるなよ? 大きなクライアントだ。その製品の印象次第で、現人神あらひとがみ計画の命運も左右される」


 その「現人神」って計画名、やめてくれ。神なんて信じたくないし、神なんか創れない。

 ただまあ、某国がZ-1を有用と見るかどうかは確かに大きな要素だ。試作品の能力次第で、プロジェクトに国家予算から投資するつもりらしい。彼らの研究施設から、ヒトの卵を提供してもらえる見込みもあるという話だ。


「その製品、Z-1は本当に納品できる段階なんだな?」

「ええ。完璧です」


 また、嘘をついた。

 いや、嘘か分からないと言ったほうが正確だ。


 Z-1の精確な健康状態が分からないのが原因だ。

 観察している範囲では、何も欠陥はない。だが血液検査など、納品前にしておきたい確認項目が検査できないのだ。


 なぜなら、Z-1に不用意に触れられないからだ。注射針なんか刺せるものか。


 今までも僕の部下が暴力を振るわれているし、仲間のGeM-HuもZ-1のせいで事故死している。

 クライアントの要望通り、兵士として最適化したGeM-Huを創ったつもりだったのに、成長してみれば化け物だった。人の手に負えない怪物だ。

 Z-2トゥーを創る時は、共感性をノックアウトしないことにしている。


 まさに、ヒューマノイドだな。人間ヒューマンではない何かだ。


 結果として、今Z-1と触れ合えるのは、部下の少数人と、GeM-Huの中でも年長の子どもたちだけだ。

 安全上、幼いGeM-Huは近づけられない。高価な実験品や試作品を殺されてたまるか。


 本当はZ-1の危険性を伝えるべきだ、ということは開発者として分かっている。だが大金がかかっていることや、クライアントの不安を煽ってしまうことを考えると、冬月さんにも言えない。


「君が完璧と言うからには、それなりに期待をしている。しかし、納品が少しでも遅れるようなら、ほかの研究員を雇わないとな。現人神計画の責任者として。

 心しておけ」


 通話が切れたと確認したと同時に、舌打ちした。

 現場に来ないくせして、無理な要求を押し付けてくる。こんな仕事量、アルバーンでも潰れるぞ。


 もっとも、あいつは見切りを付けるタイプだ。冬月のことも、さっさと裏切っていたかもな。


 僕はスマホを近くの実験台に放ると、暗い部屋を不気味に照らす長方形に向かい合う。

 また、不気味な画像とにらめっこだ。


 こんな闇商売で、名前なんか残したくないさ。

 でもあいつを越えるには、あいつが諦めた研究を完成させるしかない。


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ホメオボックス――生物の身体的構造を決定するDNA配列。ここが突然変異すると、肢体が異常な発生をするため、致命的。ショウジョウバエの触覚があるべき場所に、脚が生えた例がある。

表現型――遺伝子が作用した結果、形質。ゲノムを設計図の本に例えた場合、遺伝子がある部品の設計図のページ、表現型は設計通りに作ってみて、出来上がった部品のこと。もしくは、その部品の出来栄え。

ノックアウト――ゲノム編集で、ある遺伝子の機能をオフにするのと。

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