#1.12. Satyr [Luna]
新品のブレーキパッドの角をヤスリ掛けする。
今使っているフロントタイヤのブレーキパッドは、正直言ってもうちょっと使えそうだ。でも早めに交換しておいたほうが安心だと判断して、交換目安の溝がまだ残っているうちに取り外した。
短期間のうちに部品を取っ換え引っ換えしているから、わたしの基地の近くにあるバイク屋にはお得意様と見なされている。
今日は若葉邸の駐輪場を間借りして、プレアデス君の整備。
キャリパーにパッドを組み直し、それを元の位置に留め直す。
本当は洗車もしたいけど、さすがに
嫌なことも洗い流せる気がするから、ストレスが溜まった時はバイクや銃を掃除するのが、わたしのルーティーンだ。
遠くで軽い電子音が鳴った。
今日はやけにスマホがうるさい。だからせめてと思い、通知を切ってミュートモードにする。でもまた変な通知が流れてくる。
電源を切ったのにまた起動したり、明らかに遠隔操作されている。
ほんと最悪。ハッキングされた。
ちゃんとセキュリティーアプリも入っているのに、それを掻い潜ったらしい。
あまりにうるさいから倉庫に置いておいたんだけど、ハッカーは通知の音量を最大にしたみたいだ。
通信特技兵だから、どうすれば電波を遮断できるかは知っている。でも、隻眼の皇女からの電話もあるのだ。下手に無視できない。
いや、こうなれば金庫に入れてしまおうか。さつき経由で情報を聞けばいいし。でもコナー大尉は瑞穂に明かせない情報もあると言っていたし。
「電話が鳴っているぞ? 取ってやれよ」
背後に現れた人物は、知らない声だ。いや? 知っている?
知り合いの声ではないが、何かが引っかかる。
強烈な違和感に、ハンドガンを抜き振り向く。
「よせ。俺も銃を持っている。君を傷つけたくない」
その青年は、見たところ顔立ちは瑞穂人だが、明るい茶髪でヘーゼルアイだ。10代後半か。男にしては長めの髪をゴムにまとめた感じや、大きめのパーカーがルーズな印象を与える。
だが若葉邸は高いフェンスに囲まれているのだ。平行になっている並木でカモフラージュしているが、フェンスの上端は有刺鉄線が張ってある。普通は入れない。
それなのにここにいるということは、門番が通したか、不法侵入者だ。きっと後者だろう。
胸の前で構えたハンドガンは、無意識に近い感覚でホルスターから抜いた。客観的な根拠はないのだが、こいつは敵だと本能が訴える。
この青年は銃を持っていると言っていたが、正面からホルスターが見えない。腰に差しているのか。
でも敵意がないと両手の平を見せているから、ガンマンとしての紳士協定で銃口を向けてはいけない。コンバット・ハイの姿勢は維持しつつも、銃口を地面に向ける。
「どうやって入った?」
「方法なんていくらでもある。今はそれよりも、η-3からの伝言を聞いてくれ」
「それじゃあお前は、黒百合会か?」
青年はほくそ笑みながら頷いた。鼻で笑うこいつにトリガーを引かなかった自分を褒めてやりたい。
「それで、伝言って?」
「『
また倉庫のスマホに通知が来た。
「あの通知の送り主、η-3なんだ? ΑΩってなんのことかと思っていたよ」
色々な言語でΑΩ、ΑΩとうるさいハッカーだと思っていたよ。
通知欄が長文でビッシリだった。
「η-3の奴、最初は連帝がどうするのかを見守るつもりだったらしいが、二人が危ないと分かってから、『これじゃあ間に合わない』って大騒ぎしているぜ」
「二人?」
ΑΩ-9とΑΩ-10ってGeM-Huだったのか。なんの暗号かと思っていた。
「二人は今、第三海上警察病院にいる。急げよ?」
「なんでお前が助けない?」
青年はやれやれ、と肩を竦めた。
「俺も立場があってね。俺がΑΩたちを逃がしたとなると、マジで首が飛ぶんだよ。特にΑΩ-10は大ボスの特注品だからな。
これはお前たちにしか頼めない相談なのさ」
彼のヘーゼルアイには、根っからの悪人としての冷たさはない。でも、何かゾクゾクするものがある。
「お前に会ったことは伝えるけど、助けるかを決めるのはわたしたちだ。失せろ」
再度手の平を見せた青年は、銃を構えたわたしのそばを通り、正門に向かっていく。
「お前、どこに行く?」
「俺は不法侵入者だ。ここから追い出してもらうさ。
あと、お前って言うな。俺はソロモンだ。本名は
パーカーのポケットに手を突っ込んだまま門番のもとに去っていく。
門番が慌てるとしても平然とするソロモンの背中を眺めながら、ハンドガンをホルスターに納めた。
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プレアデス――瑞穂のバイクメーカー。親会社が重工業の分野で多岐に渡る乗り物を製造している。
ブレーキキャリパー――ブレーキパッドをブレーキディスクに押し付けるための装置。
C.A.R.スタンス――近接戦闘に特化した拳銃の構え方。待機姿勢(ハイ・ポジション)では、胸に平行に、そして両手が向かい合うように拳銃を構える姿勢になる。ソロモンに銃を向けた時のコンバット・ハイは、警戒姿勢とも言える第二段階。エクステッド・ポジション、アパジー・ポジションと、対象との距離に合わせて四段階の姿勢がある。
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