岡本悟

高校二年の春、とんでもない人に出会った。



初めて間近で見た時の抑えられない鼓動は今でも鮮明に覚えている。初めて声を聞いた時の弾む気持ちは今も変わらない。言葉を交わせた時の喜びは、ずっとこの胸の中に秘めている。



とんでもなく強気で、とんでもなく不器用で、とんでもなく弱くて、とんでもなく冷たい…



許された人しか入れない領域が見えた。



それが逆に目を引いて、その振る舞いはわざとなのか…意に反してそうさせてしまったのか…分かり難いから知りたくなってしまう。



そんな、とんでもなく愛しい人だった。




二年に進級した時、新しいクラスにあの人がいた。


クラスの全員が一人を意識する中、あの人だけが自分以外をその他大勢として認識している。



同級生とは思えない大人びた容姿に、落ち着いた振る舞い方…座っていても立っていても姿勢の良さは変わらない。


澄ました表情が近寄りがたい印象を与えた。



入学早々、噂になっていたのは知っていた。一年の時は殆ど接点がなく、その名前だけが独り歩きしている状態で…


周囲のひがむような声も時々耳にする。それが段々と歪な形に変わり、中学生の時にいじめられていたとか、親が金を持って失踪したとか、本人は借金を返す為に買春をしている等、聞くに耐えない話しが多かった。 



それでもあの人は一人無関心で、涼しい顔をして佇んでいる。関わりを持とうとしないから誰も教えてあげれないし、噂を耳にする手段すら持ち合わせてはいない。



意図せずクラスの有名人となってしまい、学年だけに留まらず、二年に進級してすぐ全校生徒に知れ渡る程の事件が起きてしまった。



本人の周知しない所で、噂が広まって行く怖さを目の当たりにした出来事でもあった。



「津島さん!」


教室で声をかけれるのはクラスメイトの特権だ。


何気なく向けられた視線に、もう一度何気なく声をかけた。



「…なに?」


ニ度目の声かけでようやく言葉を発してくれる。



「陽生くんが待ってます」


「え?」



教室の中から廊下を指差すと、同じ方向へ視線を動かしていく。その表情が見る見る内に高揚し、自分に向けられない視線を目で追いかけた。



「岡本」


急に視線を合わせてくるから、咄嗟に瞬きを繰り返してしまった。



「ありがと」


立ち上がってかけられた言葉。


返事を待たずに廊下へ駆け出して行く。



陽生くんは昼休憩になると、たまにこうしてふらっと現れるようになった。その原因は自分にあると分かっている。



あの人が久しぶりに登校してから数日経った。暫く学校へ顔を出していなかった理由も、自分の所為だと分かっている。



傷つけたい訳じゃなかった。普通に話したいだけだった。陽生くんに向ける視線や、シゲさんと笑い合う表情を、自分にもどうにかして向けられないかと…望んだだけだった。



だけど、欲しかった視線も、笑い声も、自分に向けられることはない。その他大勢の一人と変わらない。



理不尽な苛立ちが、身勝手な憤りが、あの人を幾度となく傷つけてしまった。



まさかあんな風に泣かせてしまうなんて…悔やんでも悔やんでも自分がした後悔が消えない。



「あんたいつまでそこに突っ立てんの?」



視線を上げて初めて、いつの間にか俯いていた事に気づいた。



「あれ、陽生くんは?」


「もういないよ」


「えっ?」



呆けていた自分に驚いて、思わず廊下へ視線を向けたが、陽生くんの姿はそこになかった。



「用事あった?」


「いや…」


「じゃあ何?」


「え?」


「なに?」



この気持ちに、答えを導く事はできない。



「あんたさ…」


「はい」


「やめてよそれ」


「え?」



いつも怒らしてばかりで…



「やりにくいし話しにくい」


「え?」


「謝ってくれたし、もういいって言ったじゃん」


「え?」


「…人の話聞いてます?」



同じぐらいの目線が席へ着いた事により見下ろす形になった。



「俺は…」



あの日からどう接して良いか、分からない。



こっちを見てくれないからって、気に留めて欲しくて、傷つけるような事しか言えなくて…



「なに?」


いつだって、こうして応えてくれていたのに…



「俺は…どうしたら良いっすか?」


「はい?」


「津島さんはそう言ってくれるけど、あれから何となく陽生くんとも話辛くて…津島さんにも、なんであんな言い方しかできなかったんだろ…って、考えるばっかりで…」


「ねぇ、」


「はい…」


「座って話して」


「え?」


「あたしが立たせてるみたいだから、座ってよ」



前の席を指差され、言われるがままそこに腰掛けた。


また同じ目線に近づく。



「あたしあんたのこと嫌いでさ」



右ストレートが綺麗に決まった。



「人が言われたくない事を無神経に言ってくるとことか、口を挟んで欲しくないのに出しゃばってくるとことか、兎に角言い出したらキリがないんだけど」


「はい…」


殴られてないのに、左の頬を摩りたくなった。



「目に見て意識すると腹が立つんだよね」


「すみません…」


「でも、こんなあたしに懲りず話しかけてくれて、今は感謝してる」


「はい…え?」



視線を合わせられずにいたのに、いとも簡単に合わせてしまった。



「人間関係の構築にメリットを感じなかった所為か、積極的に誰かと関わろうとして来なくて」


「はい…」


「嫌な印象を持たれ過ぎてしまったのもあって、あたしもそれでいいやって思ってたし。一人は楽だったし」


「はい…」


「だけど、話し相手がいるから、楽しいとか腹が立つとか、悩んだりできるんだなって…居なかったら、そんな事も体験できなかった。それを教えてくれたのは岡本だったから、感謝してる。同級生ってだけでも心強いし、いつも変わらない態度で接してくれてありがとう」


「はいっ…」


「えっ…?」


「津島さんっ…」


「ちょっ…」


「俺、津島さんの事…」


「まっ、何で泣いてんの…」



続きは言葉にしなかった。涙が流れて止まらない所為にして、言葉は呑み込んだ。



「ねぇ…ハンカチ。なに…どうしたの?」


ハンカチを差し出しながら、小声で話しかけてくる。



「岡本…どうしたの…」


「俺…もう、津島さんとはまともに話が出来ないんじゃないかと思ってて…」


「あんたが…?いやいや、話しかけてくるでしょあんたは」


小さく笑った気がした。


目の前の表情を見つめたけど、涙が止めどなく流れ溢れる所為で、あれだけ向けられたかった表情が視界で揺れている。



「ねぇ…泣き止んでよ…」


「無理っす…」


「いやこっちが無理だから…泣かせてるみたいじゃん…」


「泣かせたじゃないっすか…」


「っ…!やめてよ…声がでかい…!」


「涙が止まんねーっす…」


「それで押さえてよ…」



渡されたハンカチを広げて顔に押し当てると、優しい匂いがして胸が締め付けられた。



「俺…またいらんこと言って…津島さんを怒らせるかも…」


「いらんこと言ってる自覚があるなら、直してよ」


「はい…」


「あたしだって無意識に誰かを傷つけてきた…意識的に嫌な態度をとった事もある…あんたに対しても、嫌な言い方をした自覚がある…」


「はい…」


「あんただけじゃない…あたしも…ごめんね…」


「…全然…そんな事ないっす…」


「でもあの日の言い方は傷ついたし、腹が立ったし、嫌いになった」


「はい…」


「暫く根に持った」


「すみません…」


「でも、あんたが意地悪じゃないって分かった」



それは違う…



あの時の言葉は、意地の悪い、嫉妬にまみれた…自己満足の押し付けだった。



手に入らないものを諦められなくて、往生際の悪い事をした。



好かれて貰えないなら、嫌われてでもその記憶に留めて欲しかった。



嫌われる事を想定できても、傷つけてまで意識して貰おうなんて、考えてなかったんだ…



その浅はかな言動を、いつまでもいつまでも引きずっている。



「あんたの言うこと、本当は全部図星だったんだよね…言われたくない自分の嫌な部分を曝け出してくるから…あたしもすぐムキになるじゃん?」


「いや俺、本当はあんな事思ってなくて…」


「思ってない事言わないでくれる?」


「本当にすみません…」


「マジ最悪だった」


「はい…陽生くんにもぶっ飛ばされて」


「…あれは、あれで…本当に、ご愁傷様でした…」



「痛かった?」と、続けられた言葉に、胸が痛くなった。



「俺におまえを殴らせるなって言われました…津島さんを傷つけてしまった俺にも、情けをかけてくれて」


「やめよ」


「え?」


「もうお終い」


「え?」


「あたしだってあんたに嫌な言い方して来たし、態度も悪かったし。あんただけ責めを負ってる感じになってる」


「実際そうなんで…」


「やめてよ、違うって言ってるじゃん。しつこいなほんと…そうゆうとこでしょ、空気呼んでよ。いつまでもウジウジしないでよ」


「そんな事言われても…」


「仲良しごっこしてるより、あんたに意見されてる方がよっぽど気が楽だったよ」



「まぁ腹立つんだけどね…」と、最後に付け加えられた。



「俺、津島さんに普通に話しかけて良いっすか?」


「はい?」


「何言ってんの?」と、続けて出た言葉…そう簡単には行かないかと落胆する自分に、



「普通に話しかけてんじゃん…」


呆れた様な口調だったけど、口元に笑みを浮かべていた。



「っ津島さんっ…」


「ちょ…やめてよ泣くの…」



やっぱり小声で話す仕草に一々胸を打たれた。



初めて向けられたあの人の笑みを、深く深く胸に刻んで…


打ち明ける事のない胸の痛みと一緒に、溢れ出そうな感情を、生涯墓まで持って行こうと誓った。



「て事で、陽生くんが留守の間、津島さんは俺が守ります」



三年生の教室の前でそう宣言した。



「…こいつ何言うとんねん」



陽生くんに伝えたのに、シゲさんに言葉を返された。



「留守ってなんやねん…」


「陽生くんやシゲさん達が卒業した後の事っす」



最近は寒くて屋上に行かなくなってしまった先輩達に会うには、教室へ顔を出すしかない。



「おまえこんなとこまで来て何言うとんねん」



あの日依頼、シゲさんの当たりがこれまで以上にキツくなった。あの人を泣かせた代償として、甘んじて受けている。



「ハルが甘やかすからや…どうでもええけど春ちゃんにちゃんと謝らせたんか?」



シゲさんが陽生くんに苛立ちを顕にした。



「サトルの意思で春に伝えたんだろ?」


陽生くんが俺を見て言葉を続けた。



「だいたい俺がどうこうじゃねぇだろ…」


「いや、そもそもおまえが甘やかすからこうゆう事になっとんねん。ようもまぁ顔出せたもんやわ」


「シゲ」


「なんや」


「春が良いって言ってんだからもういいだろうが」


「春ちゃんが良いって言っても俺は気にいらんねん」


「おまえがどうとか関係ねぇ」


「なんやと!」



こんな言い合いはいつもの事で、ここで口を出すと必ず二人に睨まれるのは分かっていて…分かっているのに口を出してしまう傾向にある。



「ちょっと良いっすか!」


少し声を張り上げた。



「は?」


二人が同時に睨みつけてくる。



想定内…想定内…



「反省してます…津島さんにもきちんと伝えて来ました。津島さん…俺なんかの為に…ハンカチ…貸してくれて…」



さっきの出来事を思い出し、感極まった。



「何言うとんねんこいつ…」


「そう言う事なので、お二人が卒業した後も、俺がお二人に変わって」


「おまえが一番心配なんじゃボケ」



最後まで言わせて貰えなかった。



あの日、初めて人の怒りとゆうものを目の当たりにした…

 



「おい大丈夫か?」


放心状態で床に突っ伏していると、シゲさんが声をかけてくる。



「…すみません…俺…」


謝罪の言葉が出た。



「俺に謝ってもどうしょうもないねん」


「はい…」


「おまえな、思春期拗らせてんなよ」


「俺は…」


「あんだけ泣かせとんねん。おまえが悪いねん」


「はい…」


「おまえ、ハルがなんであんなにブチギレたか分かってへんやろ」


「それは、俺が…津島さんに酷い事言って…傷つけて…」


そこまで言って、シゲさんが溜め息を吐いた。

その場にしゃがみ込み、目線を合わせてくる。



「アホと話ししとうないんじゃボケ」


その言葉に、言葉が出て来なかった。



「おまえみたいなアホには一生わからんやろな」


「…すみません」


「はぁ…」


再び大きく溜め息を吐かれ、シゲさんが立ち上がる。



「好きな子をいじめる奴の末路は嫌われ者や」



その言葉と視線が、全身に突き刺さった。



「春ちゃんがおまえに何かしたんか?してへんやろが?どうせおまえがちょっかい出して、春ちゃんが不愉快な思いしてんやろ」


「すみません…津島さんは何も悪くないです…」


「あたりまえじゃボケ、おまえの好意に俺らが気づいてへん思うてんのかクソボケ」



俺ら…



「おまえ…自覚してそれやろ、自分の気持ち気づいとってあの子に近づいとるやんけクソボケが」


「…いや」


「好きになるんは勝手やけどな、大事にできひんねやったら近づくなクソボケが」



言う通りだと思った。自己満足の発散なんて、いつも最後は虚しい。



「俺、謝って来ます…」


「はぁ?今やないやろ、空気読めや」


「いつならいんすか…」



このままじゃ…



「謝るんはおまえのおごりや。おまえの顔なんか見たないねん」



もう二度と、あの人と同じ空気を吸う事すら許されなくなってしまう。



「黙っていねや。あの子に話しかけるな近づくな関わるな」


「…いやだ」


「はん?」



砕けそうな重い腰を上げ、立ち上がった。それでもシゲさんの目線までは届かない。



「なにメンチ切ってんねん」



見上げても見上げても、一瞬で見下ろされる。



「何回でも謝ってきます…」


「謝って済むんなら警察いらんねん」


「…シゲさんこそ、関係ねえ」


「何やと?」



あたりまえに隣に立てるあんたに、とやかく言われたくねぇ。



「自分が浅はかだって、言われなくてもわかってる…もうずっと後悔してる…でも…」



嫌われても…あの人の隣に立ちたかった。



「はぁ…もう聞いてるだけでうざいねん。おまえな、一丁前に御託並べてんけど、押し付けがましいねん。好かれる努力したんか?優しくされるだけの事してきたんか?笑って貰えるように喜ばれる事したんか?おまえ何っもしてへんやん。なに勝手に嫌われとんねん。なんか一つでも一生懸命してから嫌われろや」


「……」


「おまえなんか眼中ないねん」


「……」


「歩いてたら突然蜂に刺されたみたいなもんやろ、こうゆう時俺やったらええ迷惑やなって言うわ」


「……」


「おまえ迷惑やねん」


「…それは、シゲさんがそう思ってるだけで…」


「は?」


「津島さんがそう思ってるかは分かんねぇし…」


「はぁ?おまえな…俺に小言言われてる内に諦めろや…」



シゲさんが視線を逸らしたと同時に少し距離が出来た。



「おまえそれ、ハルの前で言うたら殺されんで」



抑揚のない話し方に喉の奥が詰まりそうなる。



「俺が止めたってんねん。やめろ言うたらやめろや。おまえ何で今立ててんねん?手加減してもろたからや。後ろの階段に転がり落ちひんかっただけ感謝せぇよ」



振り向かなくても分かった。ぶっ飛ばされた時、自分でも落ちると思っていた。



「手加減してもろて、情けかけてもろて、甘えさしてもろて、その結果がこれか?どうでもええけど死ぬほど気に入らんわ」



シゲさんに口で反論ができない。態度でも示せない。



陽生くんは誰が見てもかっこよくて、誰に聞いても怖くて、誰を相手にしても素っ気ない。



この人だから優しい、この人には厳しい、そんな変化はなくて…誰であろうと変わらない態度だからこそ、あんな人になりたいと心から尊敬し、憧れている。



自分もあんな風になりたい。そう思って追いかけていたのに……真逆の道に向かっていた。



どこで間違えたのか…自分ではもう戻る術が見つからない。



あの人はクラスメイトだったのに…


知らないうちに、先輩の彼女になっていて…



どうして…答えが導き出せないまま、気にしないように蓋をした。考えないように抑え込んだ。



仲良くなりたかった


たくさん話がしたかった


あわよくば好かれたかった





「おい」



シゲさんの言葉に目を向ける。



「おまえな…泣くぐらいやったらするなや」


「…すみません」


「男泣かす趣味も、慰める趣味もないねん」


「はい…」


「自力で立ち直れ」


「はい…」



この人と…



「あ、戻って来たで」



背後に続く階段の踊り場に、立ち構えている姿を見た。



陽生くんと…



俺とは…


一体、何がこんなにも違っていたんだろ…




「話しがある」



数段下に居るのに、威圧的に感じる所為か、後退りしてしまった。



返事を待たずに一段一段登って来る。



「おい、下がり過ぎや」


すぐ近くで、シゲさんの声がした。



「下がんなや、ぶつかんねん」



体は既に硬直していて、気づいた時には上段に陽生くんが大股開いて座っていた。



「ハル、ここで話するん?」


「あぁ」


「春ちゃんは?」


「休んでる」



シゲさんの声かけに答える陽生くんの様子はいつもと変わらないのかもしれない。



「ほな、落ち着いて話しや」



シゲさんが放った言葉に、息を呑んだ。



「何してんだ」


「え…?」


「座れ」



ハッとした…辺りを見渡して、シゲさんがいない事に気づく。



「座れや」


「…どこに…?」



目視で階段の幅は二メートル弱はあると思われた。そのど真ん中に大股広げて座られている。



「…っ面倒くせえな」


舌打ちをしたあと、悪態を吐かれ、右側へ大きくズレてくれた。


いつもの舌打ち、いつもの悪態…見慣れたその態度が、今日はやけに怖かった。



その思い方が行動に出てしまって、ギリギリまで左端に寄って座る羽目になる。



「陽生くん…本当に…すみません…」



謝罪を口にしたら、溜め息を吐かれた。



「俺に謝ってんじゃねぇ」


「はい…」


「言っていい事と悪い事がある」


「はい…」


「思った事をすぐ口にするところ、俺は嫌いじゃない。俺が気にしないからって、その他大勢が気にしない訳じゃない」


「はい…」


「サトル、」


「はい…」


「おまえ、春のこと好きだろ」


「……」


「さっきの言葉には悪意がある」


「…すみません」


「てめぇ何がしてぇんだ」


「すみません…」


「お前の身勝手な苛立ちを春にぶつけてんじゃねぇぞ」


「はい…」


「傷つけんなら離れろ」


「……」


「俺にこんな話をさせるな」


「……」


「バカかおまえは…」


「……」


「俺におまえを殴らせるな」


「陽生くん…」



陽生くんは視線だけこっちに向けてくる。顔も体も、向き合うつもりはないらしい。



「俺…こんな事になってもまだ分からなくて…どうしたら良かったんすかね…」


「自分で考えろ。おまえならどうして欲しかった?おまえならどうされたかった?自分がされて嫌な事を人にするな」


「はい…」


「おまえが春に言った言葉、そのままおまえに返すわ」


「……」


「人間的に春と一緒に居てほしくない」



息が止まったかと思った。でも息をしているんだと分かった瞬間、心臓が大きく暴れ出した。



「俺…本当に…なんてこと…」


「後悔しても遅い。おまえは春を傷つけた。それも悪意ある言葉で。どうするサトル」


「…どうしたら…」


「おまえは春の近くに居ていい人間なのか?」



心臓が胸を突くようにバクバクと動き、呼吸が乱れる。



「津島さんは…いつも一人で居て…誰もあの人に話しかけたりしなくて…俺だけが、クラスの中で話ができる唯一なんだと思ってました」



あの人はいつも素っ気なかったけど、無視をされた事は無くて…



「シゲさんや陽生くんみたいには行かないけど、話しかけたら話しかけた分だけ答えてくれて…近づけば近づく程、その距離感を許されてるみたいで…」



最初は見てるだけで良かった。声を聞いたら話したくなった。あわよくばこっちを見て欲しかった。



「避けたりしないし、無視もしない…なのに津島さんはいつも一人で…どこに居るのか目で追ってしまう」


「…おまえな…」


「はい…」


話の途中で言葉をかけられ、何を言われるのかと、背筋が伸びた。



「言ってる事とやってる事がそのまま逆じゃねぇか…」


「……」


「ダメだ」


「…はい」


「許さねぇ」


「…はい」


「あいつは諦めろ」


「…え?」


「春はダメだ」


「……」


「それ以上好きになるのは許さねぇ。死んでも諦めろ」



自分がどれだけ浅はかな考えで生きているのか身に染みて感じた。



陽生くんなら、この感情を理解してくれて、想うだけなら許してくれると思っていた。


あの人を傷つけた事を許されなくても、想う気持ちは自由であると…言ってくれる気がしていた。



誰が誰を好きだとか、あいつはこいつが嫌いだとか、他人の話しに興味のない人が…シゲさんや先輩達との距離感は見過ごしている人が…



「好きになるのは勝手だけどな、実際おまえが春の事好きなんじゃねぇかって気づいても見逃して来た。でもダメだ。好きなうちは近づくな。おまえのその感情は危うい」


「…俺は」


「俺が許さねぇって言ったら許さねぇ。春は…少なくともおまえの事を無害だと認識してたんじゃねぇのか?おまえはそんな春の気持ちを蔑ろにした。今のままじゃ、おまえがどれだけ抑制しようとしても、おまえはおまえの感情に負けてしまう。春の事が好きなのに、嫌いになってんじゃねぇか…バカかおまえは」


「嫌いになんて…」


「そこに気づかねぇから言ってんだろうが…おまえこのままだとどんどん好きになって、その気持ちを消化出来なくなって、また春を傷つける。それが分かってて見過ごせる訳がねぇだろうが」


「……」


「諦めろ」


「…陽生くん」


「ダメだ許さねぇ」


「……」


「春になんかあったら…たとえ自然災害だとしても、俺はおまえを許さねぇ」


「……」


「春になんかしたらぶっ殺すぞ」



自分があの人にとって危険な人物だと言われている。その目が、その口調が、全身全霊で怒っている。



俺のこの想いは、周りを煩わせるだけじゃなく、あの人にとって消し去らなければならない物として認識されてしまった。



「春への気持ちに折り合いをつけろ、それを今回のケジメとして誠意を示せ」



陽生くんは、もう話は終わりだと言いたげに立ち上がった。



「…そんな事言われても…」


座ったままでいると、余計に萎縮してしまう。



「好きになるのも嫌いになるのも許さねぇ。どっちの感情でもおまえは自制が効かねぇ。折り合いをつけろ。それができねぇなら近づくな」



同じクラスなのに、顔を合わせるのに…どうしたら…



「おまえの視線に、眼線に、その距離に、話し方に、俺が気づいてねぇと思ってんのか?」


「……」


「好きで好きでしょうがねぇって顔しやがって」


「……」


「あいつは俺のだ」


「…津島さんは」


物じゃない…そう言おうとした。



「あいつは俺のものだ。間違っても俺以外はない。諦めろ」



胸中を見透かされたように強い口調を向けられた。


陽生くんはその場を立ち去るように、教室がある廊下へ向かって足を一歩進めた。



「…折り合いつけたら、今まで通りで良いんすか?」


追いかけるように立ち上がり、何度も憧れたあの背中に声をかけた。



振り返ってこっちに向ける視線が、何を語るのか想像がつかない。



「また津島さんに声かけたり、クラスメイトとして接したら良いんすか?」


「それを決めるのは俺じゃねぇし、おまえじゃない」


「……」


「これまで通りで良いのか、これまでの様にはいかないのか、判断するのは春だろ」


「……」


「おこがましいんだよてめぇは、何様だおまえ?自分に決定権があると思ってんのか?んなもんこっち側にはねぇんだよ」



俺のものだと主張する癖に、独占欲を剥き出しにする癖に、あの人に選ばそうとする。矛盾しか感じない。この人を理解出来ない…



「サトル、考えろ。何が自分にとっての喜びか、何が相手にとっての幸せか、おまえにはそれが足りてねぇ」


「…分かる気がしねぇっす」


「そうか、じゃあ一生かけて悩んどけ」


「陽生くん…」


「俺も考えた。その度に悩んだ。おまえだけじゃない。辛くて苦しいのは俺も同じだ。だから考えろ、血反吐吐いてでも考えろ」


「……」


「答えが出たらまた聞いてやる」


「…答えが出なかったら…」


「出なくても聞いてやる」


「…陽生くんに話しかけても良いんすか?」


「は?そりゃそうだろ、何言ってんだおまえ」



あぁもう…


この人を超えられない…


この人には敵わない…




「俺、陽生くんのこと…大好きです…」


「何だそれ」



再び歩き出した背中に、もう言葉はかけなかった。


憧れが薄れる事はないと確信したから。



———シゲさんによって遮られた言葉は、本心で、確かな事実で、それ以上もそれ以下もない。



「折り合いがついたのか」


陽生くんの言葉に首を横に振った。



「なんの折り合いや?」


シゲさんがすぐに聞き返した。



「変わらない態度で接してくれてありがとうって…言ってくれたんです」


「何言うとんねんこいつ」


「あの人に…俺ができる事って、ここで寄り添う事だと思いました」


「なんやこいつ」


「まだ折り合いはつけれてません…でも、津島さんが…もうお終いにしようって…言ってくれたんです…」


「はぁ?」


「だから、そこに折り合いをつけれたら…」 


「どこや?」


「ちょっとシゲさんうるせぇっす」


「なんやと」


「俺は陽生くんに話してんすよ」


「なんやと」


「ちょっとうるせぇっす」


「なんやこいつ」



シゲさんが陽生くんへ言葉を投げかけた。



「サトルがそう思うならそれが適切なんじゃねぇか?」


「…はい」


「春が終いだって言うんなら終いだ」


「え、何か始まってたん?」


「何も始まってないっす…始まらずに終わりました…ってゆうか、自分で言うのしんどいんで一々ツッコムのやめて貰えないっすか」


「なんやと」


「今なら躊躇せずに言えます」


「何言うとんねん」


「俺、津島さんが好きです。陽生くんも好きです。シゲさんも…好きです」


「何ついでみたいに言うとんねん」


「みんなと出会えて…俺、しあわせっす…」


「なに泣いとんねんこいつ」



折り合いをどう付けたらいいか正直分かっていない。でもあの人から許された時、この秘めた想いが救われた気がした。



あの人にこの気持ちを伝える事はない。



だけど、いつか…



あの頃、好きだったんですよね…って、何気なく口に出来たらいいなと思う。

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