おまけ

卒業式の後の二人

卒業式の後、明和さんのお店で藤本陽生達の卒業を祝して夕飯をご馳走になると言う事で、あたしも声をかけて貰い、参加させてもらう事になった。



夜まで時間があるから、着替えてから合流する事となり、あたしと藤本陽生は帰路が反対方向な為、駅で一旦別れてそれぞれ自宅へと向かった。



電車に揺れながら、もう二度とこんな時間は戻って来ないんだなと感傷に浸りかける。



帰宅してからは時間との戦いで、藤本陽生が支度を終えたらうちへ迎えに来てくれる事になっていた。



せめて、明和さんのお店がある最寄りの駅で待ち合わせをしようと申し出たが、聴き入れて貰えなかった。



さっさと準備をしないと迎えに来てしまう…



洗面所の鏡の前に立った時、玄関から物音がした。


帰宅した母が鏡越しに見え、「お帰りなさい」と声をかけた。



「ただいま」


「早かったね」


「今日は仕事休みだったの」


「そうなんだ」


「今日、陽生くんの卒業式だったから。春が出かけるの間に合う様に、お祝い買って来た」


「え?」


「陽生くんに、渡してくれる?」


鏡越しの会話から振り返り、母の手元に視線を向けた。



「これ…」と手渡された小さな紙袋。



「あ、ありがとう」


思わずお礼を口にしていた。



「春も、来年の春にはここを出て行くのね…」



柔らかく笑った母の言葉が、少し寂しそうだった。



あたしはクリスマスを待たずに夜のバイトを辞めた。お世話になったお店の人やお客さんには一ヶ月前に別れを告げた。進学を理由にしたら、呆気なく応援してくれた。



それからは、母に藤本陽生を紹介したり、藤本陽生の両親を紹介されたり、将来の事を話し合って来た。



高校を卒業したらこの家を出て行く。


進学するとか、同棲するからとか、それが理由では無い。この家に来た時から決めていた事。



「まだ、一年あるよ」


「一年なんて直ぐよ…」



その言葉に、一日一日を大切に過ごそうと思った。



程なくして迎えに来てくれた藤本陽生に、母からのお祝いを手渡す為、母にも声をかけて藤本陽生が来た事を知らせた。


玄関口で二人は顔を合わせると「急いでないなら少し上がって」と言う母の誘いに、藤本陽生が快く返事をした。



お茶を出すと言う母の手伝いを申し出たら、二つ返事で断られたので、ダイニングテーブルの椅子に藤本陽生を誘導し、大人しく隣に座って待つ事にした。



ここに来た時の藤本陽生は、いつもの藤本陽生の様で普段と違う気もする。口数が少ないのはいつも通りだけど、母の前では大人しくしていると言った方がしっくり来る。



とどのつまりが、何を考えているのか分かり難い所は変わらない。



だけど、母から見た藤本陽生は好青年に映っている。どこがそんなに好印象だったのか尋ねた事があるが、「陽生くんは時間と約束を守る子だから安心してる」と語っていた。



好感度は鰻登りだ。



お茶を淹れてもらい、茶菓子をつまみながら、また帰りも送ってくれると言った藤本陽生に、今度は母がお礼を述べてから、また話が暫く続いた。



母がここまで藤本陽生と話をする間柄になるとは想像もしていなかったし、それは藤本陽生に対しても感じた事で、そもそも二人が他愛もない会話をする様な人とゆうイメージがなかった。



母に藤本陽生を紹介すると言った日、同時に夜のバイトを辞める話もした。進学についても、自分の考えを伝えて、この家を出ると話した。



一方的に想いを伝えたにも関わらず、母は否定的な言葉を口にしたり、態度に出す様な事は無く、ただ静かに話を聞いてくれた。



最後に一言、「藤本陽生くんと話が出来るのを楽しみにしてるね」と言われたから、藤本陽生に変なプレッシャーを与えてしまったかと勝手にプレッシャーを感じていた。



そんなあたしの気持ちは思い過ごしとなる。



藤本陽生の育ちの良さが所々で垣間見え、終始礼儀正しく、母との対面も卒なくこなしていた。自分はこんな風に出来るだろうか…と心配になる程。



この日を機に、藤本陽生との交際は母も公認の付き合いとなった。



だけど次に待っていたのは、藤本家のご両親との対面である。本当に、本当に緊張した。後から聞くに、全然緊張している様に見えなかったと明和さんに言われた。どうもあたしは色んな場面で誤解を受けやすい人間みたいだ。



対面の場所はご両親の指定により、明和さんのお店で行われた。これも後から聞くに、ご両親も酷く緊張しておられたそうで、自宅では緊張感が拭えない気がするからと、明和さんに相談依頼が入ったとの事。



確かに、あたし自身も明和さんのお店で会えて良かったなと今になったら思う。もし自宅に招かれていたら、アウェイな空気間に終始場違いな思いを抱いていたに違いない。



これは想像だけど、ご両親からのあたしに対する配慮だったんじゃないかと思えた。



藤本陽生の両親は背が高く、明和さんはお父さん似だと思った。藤本陽生はお母さんに似ている。お父さんは厳しそうに見えたが、以外とお母さんの方が厳しく育てたんだなと会話の節々で感じた。



藤本陽生はあたしをご両親へ紹介する時に、「春と結婚しようと思ってる」と説明した。驚いたのはあたしの方で、今ここで言うの!?と、そこから思考が停止して、直ぐにご両親の顔を見る事ができなかった。



あたしがご両親と目を合わせたのは、その言葉に対して、お母さんが笑い出した時。



視線を向けずにはいられなかった。隣でお父さんが「母さん…」と小さく声をかけたら「ごめんごめん」と、お母さんが笑いを堪えながら謝った。



思考回路停止中のあたしは、この時の様子を正直あまり思い出せない。後から明和さんが教えてくれた事ばかりだ。



藤本陽生を出産した時、ご両親は40代間近の年齢だったようで、4人目の子供とゆう事もあり、孫のような感覚で可愛がったそう。だけど仕事が忙しく、明和さん達兄弟に面倒を頼みっぱなしで、次第に藤本陽生はご両親よりも明和さんを親のように慕い出したと言う。



思春期になると風雪さんとの事もあり、家に寄り付かなくなってしまい、余計にご両親と顔を合わせなくなったとか。



そんな藤本陽生が、彼女を会わせたいと言って来たもんだからご両親も吃驚で、驚いたとゆうより、嬉しさの方が勝ったと言っていた。



親に何も話さない藤本陽生が、わざわざ会わせたいとゆう子なら、喜んで会おうじゃないかとなった反面、口数の少ない息子の彼女と何を話せば良いのかと…不安と緊張が入り混じっていた様子だったそうだ。



それを聞いて、あたしは少しホッとした。ご両親からそんなに悪い印象を持たれてなかった事と、藤本陽生の事が愛しいんだろうなとゆう事が分かり、嬉しさすらあった。



その気持ちを素直に明和さんに伝えると、「春ちゃん本当に何も覚えてないんだね?」と呆れた様な、どこか感心している様な口振りで返された。



申し訳なくなり、すみません…と謝罪したあたしに、「平然と話してるように見えた」と…とんでもない誤解を与えている事を知った。



まさかまさかと否定すると「ナツは結婚してるけど、婿に入ったから嫁さんは藤本の姓じゃないし、陽生が春ちゃんと結婚したら藤本春だろ?正真正銘、藤本に娘が出来るって事だから、むさ苦しい男四人兄弟だったし、親父もお袋も娘が出来るって嬉しそうに話してた」そう言ってくれた。



となるとあたしは、三人の兄ができると言う事で…一人っ子の自分には想像も出来ない。直ぐの事じゃないにしても、最近はこうして想像してみる事が増えた。



後は藤本陽生がこれからどうしたいのかと言う話を決定事項の様に説明していたらしい。あたしに何度か、「春ちゃんはそれで良いの?」とお母さんに聞かれたのは覚えている。黙って頷いた気がするけど、そこははっきり覚えていない。



兎にも角にも、両家の親と会うミッションは達成された訳で、晴れて藤本陽生のご両親にも公認の仲となった。



母に「行ってきます」と伝え、家を出た。



明和さんのお店に行く時間まで、どこかに行きたいかと聞かれたが、特に行きたい所が無かった。



歩き慣れた道のり、見慣れた場所。



藤本陽生は、春から一人暮らしを始める。先に大人になって行くこの人に置いて行かれない様に必死だった。



大学は隣町だから、明和さんの自宅からも通える距離ではあるけど、大学の近くに家を借りているらしい。



藤本陽生には言ってないが、正直、かなり寂しい…



自分だってこの街を出ようとしていたのに…離れて行く相手を目の前にして、自分は何て薄情な奴なんだと反省した。



歩きながら駅へ着くと、「俺の部屋で良いか?」と聞かれた。頷いたら藤本陽生も無言で足を進めた。



電車内は疎(まばら)に人が乗っている。ドア側に二人で立ち並んだ。電車に揺れながら、藤本陽生の部屋に行くのは久しぶりだなと想いに耽(ふけ)る。



受験生だったとゆう事もあり、学校でも外でも、会う機会を減らしていた。お互いに会わない様にしようと言った事はない。何となくそうゆう雰囲気になった。



あたしは藤本陽生からの連絡を待つだけで、邪魔しないように大人しく過ごしていた。だけどシゲさんから「ハルが春ちゃんを邪魔やと思う訳ないやん」と学校で会った時に声をかけられ、そうゆうもんかなと聞き流した。



それでもあたしは、頑張っているであろう藤本陽生の邪魔にだけはなりたくなかった。だからあたしから会いに行ったり、連絡をしたりしないよう徹底した。



そんなあたしの思いとは裏腹に、藤本陽生からは毎日連絡が来た。「変わりないか」と必ず聞かれた。「変わりないです」と返事をした。早く電話を切った方が良いんじゃないかと思いながら、毎日声が聴けることはとても嬉しかった。



学校の日は一日一回、夕方連絡が入るか、夜かかって来る事が多かった。休みの日は、朝起きたであろうタイミングに連絡があり、寝るであろうタイミングのニ回連絡が入った。



以前までは電話で話す事が少なく、毎日こうして電話で声を聴くようになってから、あぁ…あたしはこの人の声も好きなんだなと気づいた。



話し方が声に合っている。低いトーンが心地良い。藤本陽生の声を聴きながら枕を抱き締めると、一度寝落ちしてしまった事があり、それ依頼寝そべりながら電話をするのは辞めた。



目が覚めた時の驚愕と言ったら…有り得ない時間、通話中となっていた。充電器を差したままじゃなければ電源が切れていたんじゃないかと思う。



驚きすぎたのと寝起きで思考が回っていないのとで、慌てて通話を切ってしまった。暫く画面を見つめたまま身体を動かせず、見つめたままの画面から着信が鳴り出した時は心臓が大きく跳ねた。



着信は藤本陽生から…



朝から尋常じゃない速さで心臓が鳴り動く。



意を決して通話ボタンを押したら「起きてるか」と、藤本陽生の声がした。あぁ…好きだなと胸が高鳴り、暴れていた心臓が心地良く動き出す。



「起きました…すみません…」と返事をしたら、謝罪の意を理解している様に「気にしなくて良い」と言葉が返って来た。



「もう二度と寝ながら電話しません」と恐縮するあたしに、藤本陽生がフッと笑ったから、何か知らないけど朝から幸せな気持ちになった。



そんな日の事を思い出して、揺れる電車内で藤本陽生を見上げた。



視線に気づいた藤本陽生が見下ろすように視線を合わせて来る。何だ?って聞かれているみたいに。伝わる訳ないけど、伝われば良いなと思い、ギュッとして…と心で囁き視線を送る。



まぁ、伝わってないから…眉間に皺を寄せられた。心で溜め息を吐き、視線を落とす。



降車する駅に到着する手前で、電車が大きく揺れた。咄嗟に藤本陽生が身体を抱き寄せて支えてくれる。こんな時でも、フワッと香る匂いが良い匂いでときめいた。



あたしは香水を付けないから、藤本陽生から香る匂いがどうゆう香水なのかは分からない。でも好きな匂いに違いはなく、初めて同じ匂いが欲しいと思った。



藤本陽生の部屋へ通されると、懐かしい気持ちになった。藤本陽生と同じ匂いがする。



元々何も無い部屋だったから、荷造りをしているのかしていないのか分かり難い。


上着を脱いだら、ハンガーにかけてくれた。



その間に部屋の中を見渡してみると、机の上に香水らしき瓶が置かれている。座り込んで覗き見るが、よく分からない。



「どうした?」


傍に来て声をかけられた。



「これ、香水ですか?」


机の上にある瓶を指差し問いかけると、藤本陽生が隣に座り、瓶を手に取って「これ?」と聞き返した。



「それ、香水ですか?」


「あぁ、どうした?」


「いつも付けてるんですか?」



質問を質問で返すあたしに、怪訝な表情を向けてくる。



「いつもってゆうか、今付けてる」



やっぱりそうか…この瓶が良い匂いの正体か。



「…付けてみるか?」


「えっ?」


思いの外大きな声が出てしまった。



「手、貸して」


言われるがまま手を差し出すと、香水の瓶の蓋を外し、袖を捲ると手首にシュッと香水をかけられた。自分の手首をあたしの手首に擦り合わせる。



「匂ってみ」


そう言われて手首を鼻に近づけると、吸い込んだ息と一緒に香りが鼻を抜け、心に染みる渡る様な良い匂いがした。



「これ、良い匂いだよな」


そう言って香水に蓋をし、机の上に置き直した。



確かに良い匂いだけど、藤本陽生から香る匂いと似てるようで少し違う。藤本陽生の手を取り、先程擦り合わせた方の手首を顔へ寄せ、匂いを嗅いでみる。



「こっちの方が良い匂いがする」


顔から手を離し、藤本陽生にそう伝えると、手首を握り返された。



「おまえはほんとに…」


「同じ香水なのに、陽生先輩の方が良い匂いがする」

 


握り返されていた手首をグッと引き寄せたら、藤本陽生がバランスを崩して、反対の手を床に着いた。



「あ、ごめんなさい…」


体と体がぶつかり、あたしは少し仰け反るような体勢になった。



「春」


「はい…」


「手」


「手…?」


「首に手を回して」


「…はい」



言われるがまま首に手を回すと、腰に手を当てられ抱えるように起こされた。



「え、え?」


そのまま担がれて立ち上がる。



「え?え?」



戸惑うあたしを他所に、ベッドへ寝かせられた。寝そべるあたしの両手を顔の横に押さえ付け、上に被さって見下ろして来る。



押さえ付けられた手首に顔を近づけると鼻を擦り寄せ唇が触れる。どうして良いか分からず藤本陽生の行動を視線で追った。



この状況でやる事なんて一つしかないと分かっている。ここへ来た時点で、やるかもしれないと考えなかった訳じゃない。ただ、久しぶりに感じる距離感に戸惑いを隠せない。



藤本陽生が顔を上げると、見ていたあたしと視線が合うのは必然である。



首筋に顔を埋められ、深呼吸を繰り返した後、ゆっくり顔を上げて唇に触れる。このルーティンに毎回ドキドキしてしまう。



触れるようなキスから、舌で唇を舐められ、こじ開けるように口内に舌を侵入させた。激しく絡めながら吸い付かれるのが気持ち良くて、押さえ付けられていた手を振り解き、首元にしがみ付いた。



舌を絡め取ったまま両胸を弄られ、声に成らない声が吐息に漏れる。胸もキスも両方が気持ち良い。



胸を弄っていた手が頬へ移動し、もっともっと…とキスを強請るあたしの上へ藤本陽生が体重をかけてくる。頬を両手で包み、そっと唇が離れた。



正しくは、離された。



手をついて見下ろしてくる。視線を逸らさないから、あたしも逸らせない。



瞳が揺れる…


「して良いか?」と囁かれたから小さく頷いた。



「…あの、」


「ん?」


「ドキドキする…聞こえる?」



口から心臓が飛び出そうだった。



「いやわかんねぇ…俺も緊張してるから」



そう言うと、あたしの手を取り、藤本陽生の胸へ当てがわれた。



「すごい…ドキドキしてる」


「押さえといて」


「おさ…?」


「気が散って出来ねぇから」


「あ、はい…」


両手を胸に当てがうと、藤本陽生が不意に笑ったから、あたしの鳴り止まない鼓動はどうしてくれるんだと思い悩む。



「可愛いな」


「え?」


「春は可愛い」



服の裾から手を入れ、ブラジャーのホックを外された。服とブラジャーを同時に持ち上げられ、生身に直接触れて来る。



「凄いドキドキしてる」



藤本陽生の鼓動が大きくなるのが手からも伝わって来た。



「あっ…」


突然手を振り解かれ、口一杯に乳を含ませ、舌で何度も舐めまわされる。



着ていたセーターをたくし上げ、脱がされる。ブラジャーも全て外すされ、胸が露わになると、あたしの上に跨ったまま上半身を起こし、藤本陽生も着ている服を脱ぎ捨てた。



再び覆い被さり、ただただ気持ち良さを与えられる。抑えられない快楽から、藤本陽生の腰に手を伸ばした。



ズボンの上からでも、硬くなっているのが分かり、跨っている藤本陽生の下をズリズリと足元に向かって下りたら、「は?」と藤本陽生の呟きが聞こえた。


下半身の下に潜り込み、ベルトを外してファスナーを下ろす。ズボンを下げると藤本陽生が起きようと身体を動かすから、下着の上から腰にギュッと抱きついた。



「…何してんだよ」


「動かないで」


「は?」


「気持ち良くしてあげる」


「はっ?」


「お願い、動かないで」


「……」


「ズボン全部下ろす?」


「そこで喋るな…」

 


腰パン状態だったから聞いたのに、言葉を遮るように捲し立てられた。


藤本陽生は膝を付いてあたしを潰さない様に身体を少し浮かせてくれている。腰に抱きついていた手を離し、仰向けになって下着をズラしたら、丁度顔の前に硬くなったものが露わになる。



手で掴んで口に含んだら、藤本陽生の体が少し揺れた。口の中で舐めまわし、唾液を絡め吸い上げると、藤本陽生の腰が僅かに動く。口でするのはもちろん初めてで、何をしたら気持ち良いのかなんて分かっていないから、ただ舐めてるだけの状態だけど、どんどん大きくなっている。



「…春、もういい…」



気持ち良くなかったのかなと思い、口からそれを出すと、唾液とは違う粘っとしたものが口の中に広がった。



「手で握る方が良い?」


「良いとか悪いとかじゃねぇから…」



何を怒ってるんだろうか。



「口でするの気持ち良くなかった?」


「いや…」


「じゃあもっとする?」


「口の中で突きそうになる」


「いいよ」


「いやダメだろ」


「いいよ。もう一回舐めてあげる。我慢できなかったら口の中に出してもいいよ」


「いや待て待て、はっ…」



春って言おうとしたのかなと思った。あたしが口の中に含み直したから最後まで言葉にならなかったのかもしれない。



口の中で出し入れするのはかなりしんどく、藤本陽生の腰を持ち上げたり、下ろしたり、息つく暇も無い。藤本陽生が時々抜こうとして腰を浮かせるから、お尻を抱き抱えるようにして、腰が浮かないように抑え付けた。



「春っ、もう離れろ」


「…んーんっ…」



嫌だと抗議しようにも、喋れない。



「…んなもん食ったって美味くねぇから」


「んー…んっ」


「いやわからん!咥えたまま喋るなっ…」



口の中に指を突っ込まれ、隙間が出来たから、口の中から抜き取られてしまった。



「…上がって来い」



藤本陽生が身体を横にずらしたから、言われるがまま、上へ体を伸ばした。下着とズボンを履き直し、部屋の中にある小さな冷蔵庫を開けると、ペットボトルの水を持って再びベッドに跨る。


蓋を開けて手渡された。



「飲め」



言葉遣いが乱暴だから怒ってるのかと思ってしまう。



黙ってそれを受け取り、口の中に水を含むと、思いの外グビグビと飲めてしまった。



「大丈夫か?」


藤本陽生からの問いかけに頷いて答えると、ペットボトルのお水をあたしの手から取り上げ、自分も飲み出した。



全部飲み干すと、ベッドの下にペットボトルを置き、再びベッドへ寝かせられた。



「次から予定がある時はヤらねぇからな」 


「え?」


「おまえ…俺この後もずっと思い出すだろうが」


「え…?もうシない?」


「ヤらねぇとこれがおさまんねぇだろうが」



そんな事を言われてもどうしたら良いか分からず、イライラしている藤本陽生にかける言葉が見つからない。



「…いや、春に怒ってんじゃなくて」


「するの?しないの?」


「…したい」


「じゃあチューして」



両手を上げると、腕を捕まれ首に回された。そのまま首に手を回すと、キスをしてくれる。



「陽生先輩って優しいですよね」


「は?」


「今日あたしタイツ履いてるんで、自分で脱ぎます」


「…あぁ?」



藤本陽生が身体を離し、跨っていたあたしから下りてくれた。スカートを履いたまま先にタイツを脱いで、ベッドの下へ置く。スカートのホックを外そうとした時、不意に藤本陽生へ視線を向けた。



「陽生先輩…」


「ん?」


「…あたし、どこまで自分で脱ぐんですか…?」


「は?」



そんな…何言ってんだ?みたいな顔をされても、自分で脱ぐと、これからセックスする為に準備しているみたいで…



「急に恥ずかしいんですけど…」



咄嗟にシーツを掴んで上半身を隠した。



「…おまえさ、散々恥ずかしい事したろ」


「脱がしてくれる?」


「は?」


「こっち来て」



呼び寄せると、藤本陽生は溜め息を吐きながらも傍へ来てくれた。こうゆう所を知っているから、藤本陽生の魅力にどんどんハマってしまう。



さっきまでの羞恥心はどこへ行ったのかと思う程、藤本陽生がしてくれると思った瞬間、安心感から心に余裕まで生まれてきた。



ベッドへ寝かせられると、手首から二の腕、脇へとキスを落とされる。胸から臍へとキスが下りて行き、スカートのホックを外して下へとずらされた。すぐに下着も脱がされて、太ももの裏を舐めながら、舌を這わせて行く。



焦らされて湿っている所を舌で舐められ、体がピクンと跳ねた。


もう分かっている。この後気持ち良くなるのは間違いない。



舌を出し入れされて、その度に水音が響く。食べられているんじゃないかと錯覚する程、気持ち良いところに口を這わせてくる。時々腰が引けるあたしの体に、逃さまいと言わんばかりに腰に手を回し押さえ付けられた。



「…っ……」


押さえ付けられていた筈の腰を、自分から強く押し付けた。



「…っ…」


体がまだ敏感に反応してしまう。



藤本陽生もズボンと下着を脱ぎ、「ゴム取ってくる」と言って、ベッドから降りた。



「もう挿れていいか?」


ベッドに跨り、耳元で囁かれる。



「ゴムは…?」


「付けた」


「見せて…」


蚊の鳴くような声で言葉を紡ぐと、藤本陽生があたしの手を掴み、反り上がったものへ当てがう。



「この辺」


「…触ってても良い?」


「は?」


「もう少し触ってても良い?」


「は?」


「ダメ?」


「…勘弁しろ」


「ダメ?」


「…なんで急に積極的なんだよ」


「じゃあ…あたしがここのまま挿れる…」



握ったままのそれを、先端を押し付けるようにゆっくりと当てがう。



「ぁ…」


気持ち良くて声が漏れた。



「春…」


「ん…」



返事をしたら、掴んでいた手を掴み握られる。



「チューして…」


そう言ったら躊躇なくキスをしてくれた。直ぐに手を離され、腰を押し付けるように中へ中へと挿入してくる。



抑えられない声が漏れ出る。



「…陽生先輩っ…」


「…ん」


「好き…」



奥まで全部入ると、あたしの胸を両手で弄り、ゆるゆると腰を動かし始めた。



「このまま動いて良いか…」


「ゆっくりして…」


「…わかった」


「待って、もっとゆっくり…」


「……」


「…そこっ…そのまま、待って…」


「春…」


「…ん」


「気持ち良いのか…?」


「……」



気持ち良くて声にならない。これ、頭がおかしくなりそうだ…久しぶりのセックスだからなのか、藤本陽生も気持ち良いんだろうか…



薄らと視線を向けると、藤本陽生もあたしを見つめている。とゆうより、快楽に善がるあたしを見て、興奮しているのかもしれない。



「陽生先輩…」


ゆるゆると動かされる腰つきと、弄られながら摘まれる胸の刺激に、中が締め付けられ、溢れて止まらない…



「…どうしたい?」


「もう…」


「…体勢変えるぞ」



グッと持ち上げられ、背中を向けられた。その上から覆い被さり、後ろからまた挿入される。上から体を押さえつけられている所為で、身動きが取れないのに、気持ち良いところを探して腰が勝手に浮いてしまう。



「それ…いゃ…」


「痛い?」


「っ…」


後ろから突かれながら、指で前の気持ち良い所を撫でられる。



「や……」


思わず藤本陽生の腰に手を当て、お尻を突き出すように押し付けた。



「春…」


頭が真っ白になる。



「ッ…」


お腹の辺りがキューっと縮まる感覚がした。



「…動いて良いか…」


「…ん…」



抱えられるように抱き締められながら、深く擦り合わされるから、逃げ場の無い身体と気持ち良さが解放されず、されるがままに腰が動いてしまう。



「っ…」


気持ち良いのが来る。



「春…」


「…ん」


「イク…」



その声でイキそうになった。急に激しく揺らされ、自分の声とは思えない程喘ぎ声が耳についた。




「…春、寝るな…春、」


背中を揺すられ、瞬きを繰り返す。



「春…起きれるか?風呂入んねぇと…時間ねぇ」


「…え?」


寝返りを打とうとして、うつ伏せだったんだと気づいた。



「大丈夫か?」


「大丈夫じゃない…」


「風呂入んねぇと」


「……」


「…抱っこしてやるから来い」


「はい…」



ムクっと起き上がると、藤本陽生の服を被せられて、抱えて脱衣所まで連れて行かれた。



それからは藤本陽生が全部してくれたと言っても過言では無い。時間がないから身体だけ洗って出ると、タオルで身体を拭いてくれて、また藤本陽生の服を着せられて、担いで部屋へ連れ戻ってくれた。



自分の服に着替えながら、「シーツ洗います」と声をかけたら「自分の支度を先にしろ」と素っ気なく言われ、とっとと準備が出来た藤本陽生がシーツを変えて洗濯している間に、何とかあたしも髪型を整えたり、化粧を直したり、身支度が完成した。



あとは洗濯が終わるのを待って乾燥機に入れたら出発するらしい。



「間に合いますか?」


「大丈夫だろ」


「…ごめんなさい。時間かかって」


「いや、」


そもそもセックスしてたから時間に追われる羽目になった訳で…まさかこんなに時間が経っていたなんて、恐るべし。



シーツを変えたベッドに座り、洗濯が終わるのを待つ。



「次いつ会えるんですかね」


「おまえ次第だろ」


「え?」


「俺は毎日会いたい」



そう言って、藤本陽生があたしの髪に触れた。



「定期的に会えるんですか?」


「だから、おまえ次第だろ…」


「あたし?」


「おまえが会いたい時が、会う時じゃねぇの?」


「あたしが会いたい時?」


「そうだろ…俺は毎日会いたいって言ってんだろうが」


「…はい」



…ど、どこに怒るとこあった!?



「じゃあ、会いたい時に会いたいって言います…?」


「なんで疑問系なんだよ」



その言葉に、はっと笑ったら、藤本陽生の手が頬に添えられた。



「…え?」



顔が近い。



「予定がある日はしないって…」


「…セックスの話な」


「キスは良いの?」


「…」


「キスしてシたくならないんですか?」


「…」


「今日あんなにシたから…」


「…やめろ。思い出したらまたシたくなる」



あたしの頬を片手で寄せるように挟み混むから話し辛い。不細工な顔にされて腹が立つかと思ったら、胸が高鳴ってしまった。



「一人暮らしが始まって、シたくなったらどうするんですか?」


「は?」



サナエちゃんが言っていた事で気がかりな話があった。



「男の人は生理現象で勃起する事があって、自分で処理をし過ぎると良くないって…」


「何だそれ」


「マスターベーション…」


「いや、行為の名称を聞いたんじゃねぇから」


「あ…、一人でし過ぎる事による弊害があって、激しくやり過ぎると、セックスが物足りなくなってしまう可能性や、正しいやり方を知っておかないと…」


「おい…」


「え?」


「なんだこの保健体育みたいな話は…」


「保健…?これは大事な話で、」


「誰がそんな事言った?」


「え…?」


「またシゲか…」


「……」


「あいつぶっ飛ばす」



ごめんなさいシゲさん…本当はサナエちゃんから聞きました…ごめんなさい…



「あのな、仮にシたくなったって、それは春とシてぇって事だろ…春がいねぇんならシねぇだろ」


「あたしを想像して一人でする事ないんですか?」


「は?」


「え?違う人ですか…?」


「いや、おまえしかいねぇけど」


「……」


「いや、なんの話だこれ」



一瞬、藤本陽生があたしを想像してオナニーしている所を想像しそうになった。



「あたしとエッチする時に、物足りなくなってしまったら大変なので、マスターベーションは正しくして下さいって話しです」


「…っ」


「え?」



今舌打ちされた…?



「大事な事だよって言われたんで…彼女との性行為が物足りなくなったら、浮気とか…違う人に乗り換えるとか…陽生先輩がそうだって言ってるんじゃなくて、男の人はあたしが思ってる以上に性欲が強いんだよって聞いて…」


「あいつぶっ殺す」



ごめんなさい…なんかもう勝手にシゲさんだと解釈されてます…本当はサナエちゃんが言ってました…ごめんなさい…



「春、いらん心配するな…」


「…心配に、なります」


「そんな事言ったら、俺だっておまえの事は常に心配してる。思い込み激しいし、人の事すぐ信用するし、変な奴に目ぇつけられてねぇかなって…」


「…思い込み激しいですか?」


「そこは問題じゃない」


「はい…」


「心配なんて尽きねぇだろ。心配なら聞いて来い。会いたかったら会いたいって言え。連絡したかったらしたい時にすれば良い。おまえは俺に気を遣い過ぎだ」


「でも…気は…遣います」


「そうか」


「あたしの存在が、陽生先輩の選択の邪魔になりたく無いんで…」


「わかった。じゃあ俺が連絡するし、会いに行く」


「本当ですか?」


「…急に嬉しそうだな」


「ありがとうございますっ」



飛びつくように抱きついたら、全身で受け止めてくれた。ビクともしない藤本陽生の体幹には日々驚かされる。



膝の上に跨って座り、首に手を回して首元に顔を埋めたら、強くギュッと抱き締めてくれた。



「可愛いな…」



近頃、藤本陽生に可愛いと言われる事が時々ある。最初はあたしに対して言われているんじゃないと耳を疑ったが、あたしに言う以外ないと思い直した。



「俺の電話はすぐ出ろ」


「はい」


「何笑ってんだ」


「亭主関白みたい」


「おまえ…何にもわかってねぇな…」


「はい?」


「どっちが尻に敷かれてると思ってんだ」


「シリ?」


「俺がどんな気持ちか…」


「え?」


「…電話、すぐ出ろよ」


「はい…もしかして、寂しいんですか?」


「……」



返事がないから、あれ…違ったかな?と藤本陽生の顔を覗き込もうとしたら、背中を強く抱き締め直した。



「やっぱりキスしていいか?」


体を離し、至近距離で見つめられる。



「でも、このあと…」


「構わない」



そう言って、口付けられた。触れては離れる唇。



…キスだけでは終わらなくなってしまうのは、あたしも同じかもしれない。藤本陽生の頬に手を添え、舌を出して下唇を舐め、そのまま舌を口腔内に挿入させた。



口を塞ごうとする度に、吐息が零れ落ちる。



「は…」


藤本陽生があたしの名前を呼ぼうとしているのが分かったけど、知ったこっちゃない。



「っ!…んーっ!んーっ!」


唇を塞がれたまま急に押し倒されて、舌をジュルジュルと吸い上げられるから、思わず藤本陽生の体をバシバシと叩き、ギブアップを訴えた。


「…っはぁ、…っはぁ…」


気持ち良くて死ぬかと思った…



「煽ってきたおまえが悪い」



…仰る通りです!



「ご、めんなさい…」


「どうすんだこれ」


「…ごめんなさい」


「ムラムラする」


「…抜きましょうか?」


「馬鹿かおまえは」



藤本陽生の呆れ声と同時に、ピーピーっと音が鳴り響く。洗濯終了の合図だ…



「水浴びてくる」


「えっ!?」


驚くあたしを他所に、上着を脱ぎ捨て脱衣所へ向って歩き出した。



「だ、大丈夫ですか?」


その後を追いかけ、脱衣所まで押し入ると、着ている服を脱ぎ出している。



「待って待って!」


シャツを脱ごうとしたところで必死に体にしがみ付き、慌てて阻止した。



「風邪引いちゃう…」


「引かねぇわ」


「でもこの後、寒い中歩いてお店に行くのに…今日陽生先輩の卒業祝いなのに…体調崩したらダメなんで…お願いします!」


「……」


「本当にごめんなさい…」



藤本陽生の胸に顔を埋めていた所為で、自分の声が籠った様に聞こえた。



あぁ、なんて事をさせようとしているんだと情けなくてしょうがない…



「もうあたし近づかないんで…」


「春、」


「ごめんなさい…」


「春!」


二度目に名前を呼ばれた声が、心なしか怒っている様に聞こえて口を閉ざした。



「バカバカしくて萎えた」


「え…」


顔を上げる前に下を見る。



「……」


見た目じゃよく分からない…



「大丈夫ですか?」


顔を上げて藤本陽生を見上げた。



「あぁ…」


「ムラムラしない?」


「…冷静に聞くとその単語腹立つな」


「はい…?」



自分が言ったくせに。



藤本陽生から体を離そうとしたら、腕を引いて軽く抱き寄せられた。



「離れるなよ」


「え…あ、はい」



さっきあたしが言った事を、言い換えて言葉にしてくれたと分かる。



「悪かったな…」


頭を撫でられ、肩に手を添え体を引き離された。



「とりあえず今は離れてくれ…」


「あ…はい」



事がことなので、藤本陽生の言葉に素直に従った。




「春ちゃん春ちゃん!」


「あっ、」


「春ちゃん先に居たんだね!」


「あ、はい」


駆け寄って来たサナエちゃんに。安堵から笑みが溢れた。この人の安心感たるや…



「あれ、ハル君は?」


「…お兄さんと奥で話してて…」


「えっ?春ちゃん一人残して?」


「いやっ、」


「この完全アウェイな環境に?」


「いやいやっ!」


「なんて奴だっ!」


「ほんとさっきなんで!さっき裏に行くって…」



サナエちゃんが何故こんなにも腹立たしい話し方をしているかと言うと…



「自分の卒業祝いじゃんね!ましてや身内の集まりに彼女来させといて、放ったらかすなんてありえん!」



あたしがボーっと突っ立って居たからだと思う。



「サナエちゃん一人で来たんですか?」


「まさか…シゲと一緒に来たんだけど、外で煙草吸ってるハル君のお兄ちゃんに会って話し出したから、あたしが気を遣って先にお店に入ったの」


「なるほど…」


機嫌が悪いのは、それもあるんだな…



「ハル君のご両親は?」


「あ、最初居らしてて…陽生先輩にお祝い渡してすぐ出られました」



今日のこの場の経費を、藤本陽生のご両親が出すと言う事をサナエちゃんは知っているんだろうか…



「相変わらず忙しいんだね」


「とゆうより、気を遣って兄弟や友人達が楽しめるようにしてくれたみたいです…」


「春ちゃん、やけに詳しいね」


「…あたしも色々あって、早くお店に着きすぎてしまって…」


「そうなの?」


「来たら、ご両親と鉢合わせして…」


「そうなんだ」



部屋を出る前の一悶着は口が避けても言えない。



「あたしなんて部外者なのに」


「え?」


「声をかけてもらって本当に有り難い」


「部外者なんて…!今日の主役なのに」


「いやいや、主役ではない」



サナエちゃんが声を抑えて笑っている。



「でも、卒業生だし…」


「でも主役ではない…!」



何がそんなに面白いのか、サナエちゃんの笑いのツボは分かり難い。



「ハル君、遅いね?」


「それ言ったらシゲさんも、入って来ないですね?」


「…男ってほんと勝手」


「…確かに」



シゲさんは兎も角、あたしとサナエちゃんは藤本家の家族と親しい間柄ではない。自分達のホームに女の子を一人にさせるなんて、あっちもそっちも自由な人だ。



「それでさ、春ちゃんはもう大丈夫?」


「え?」


カウンターを背に、サナエちゃんが不意に問いかける。



「もうすぐハル君と離れちゃうでしょ?」


「はい」


「寂しくない?」


「寂しいです」



言葉にすると嘘っぽく聞こえた。



「でも、サナエちゃんもシゲさんと離れます…よね?」


「大学はね?でもシゲは通いだから。今の家から通学するしね」


「そうなんですね」


「そうそう、生活範囲は変わらない」


「そっか…」


「でもハルくんは引越しちゃうじゃない?だから大学が休みにならないと会えないよね?」


「はい…ですよね」


「ハルくんが会いに帰ってくれるの?」


「一応、そう言ってくれました」


「…うん、愛だね」


「へ?」


「あの男がそこまでするようになったら、愛だよね」



サナエちゃんはいつも藤本陽生を別次元の人間みたいな言い方をする。



「春ちゃんも高校卒業したら、出て行くんでしょ?」


「はい…」


「大丈夫?」


「はい?」


「ハル君と同棲するんでしょ?」 


「あ、はい」


「え、大丈夫?」


「はい?」



さっきから何を心配されているのか分かり難い…



「やっていける?あの男と」


「あ、はい…と、思います…正直わからないです。でも、あたしも一緒に居たいので…」


「何か想像つかないんだよね…」


「え?」


「ハル君と一緒に暮らすって、想像つかない。何か神経質っぽいし、片付けとか…元の位置に戻さないとブチギレそうだし…俺が右と言ったら右だー!ってタイプじゃない?」


「…へぇ?」



右…?



「春ちゃんも思い切った事したね」



サナエちゃんに肩を叩かれた。



「まぁ何かあったらいつでも帰っておいで。サナエちゃんが少しなら泊めてあげるから」



きっとお世辞だろうけど、その心遣いは真面目に嬉しかった。



「そうならないように頑張ります…」


「うん、まぁ大丈夫な気がする。ハル君って春ちゃんと付き合うようになってからほんと変わったよ」


「…そうですか」



あたしと付き合ったからじゃないと思う。



「正直、小学校までは普通に男女で仲良かったんだよ。あたしら」


「はい」


「それがねぇ、中学三年ぐらいからかなぁ…どんどん態度悪くなって、シゲとか男子としか話ししてくれなくて。感じ悪かったもんね…なのに顔が良いからモテるんよ。腹立つよね」


「へ…へぇ」


「あ、ごめんね…春ちゃんの彼氏なのに」



サナエちゃんは苦笑いを浮かべた。



「全然大丈夫です。寧ろ知らない事とか、サナエちゃんの話が聞けて嬉しいです」


「ほんと?じゃあ言うけどさ、結構噂になったじゃない?春ちゃんと付き合いだした時」


「そう…でしたね」



嫌な噂の方が記憶に多いけど…



「衝撃走ったよね。ハル君ってさ…なんて言うか、女の子のタイプ?好きな子のタイプ?色々噂されてて、年上好きだとか、何人も女泣かせて来たとか…あ、話続けて大丈夫?」


「大丈夫です」


「遊び人みたいな子がタイプってゆうか、キャピキャピ系が好きってゆうか。まぁ兎に角、軽い感じの子が好きなのかなって思われがちだったと思う」


「はい」



何となく、知り合う前はそんな噂が多かった。



「でも、彼女にしたの春ちゃんじゃん?うわぁハル君の好きなタイプだなぁってシゲと話てたんよ」


「え?」


「正確には知らないよ?ハル君の好きな子とか興味ないし。あたしも年上好きかと思ってたし」


「はい…」


「どっちかって言うと春ちゃんって癒し系なのよ。見た目は気が強そうなんだけど、話すと癒し系なんよ」



二回言ったな、この人…



「自分ではよく分からないです…」


「うん、大丈夫」


「え?」


「大丈夫、あたし達の界隈では春ちゃんは癒し系だから」



何が大丈夫なんだろ…



「シゲとよく分析してるんだけど」


「分析…」


「そう、春ちゃんとハル君の分析」


「…へぇ?」


「ハルくんはお兄ちゃんがほら、遊び人って感じで」


「三番目の…?」


「そうそう、ハル君って風雪さんと間違えられて誤解されてんだよね。噂が飛躍してハル君のイメージが定着してしまったとゆうか…あの噂はハル君のお兄ちゃんが発端と言うか」


「なるほど…」


一理あるなと感じた。



「でも実際は、気の強そうな、話すと癒し系な、中身はそのまま癒し系な、春ちゃんが好みなんだよね、わかる?」


「さ、さぁ…?」


「癒し系が好みじゃなくて、春ちゃんが癒し系だったって話で。早い話が、春ちゃんがタイプじゃなくて、タイプが春ちゃんだったって話。わかる?」


「…え?」


「わかんないかなぁ?」



首を傾げると、サナエちゃんが声を高くした。



「つまり、春ちゃんが好みの女性、ドストライクで、春ちゃん以外はタイプじゃないって事。わかった?」


「わ、わ?わかった…かもしれません」



どうしよう分かり難い…



「だからハル君が春ちゃん以外に目を向けられない理由はこれだよねぇ」


「これ…」


「離れてても心配は要らないよ、君の彼氏は」


「…はい、ありがとうございます」



なんだか知らないけどお礼の言葉を口にしていた。



「問題は春ちゃんだよね…」


「はい?」



まだ何かあるのかと、サナエちゃんの話に耳を傾けた。



「春ちゃんが春ちゃんである限り、悪い虫が寄って来ても無意識に跳ね除けてると思うんだけど」


「はい?」



また分かり難い話が始まってしまった…



「やっぱりハル君からすると心配なのかなぁ」


「え?」


「まぁいいや、あの男は何考えてんのか分からないし」



サナエちゃんの溜め息と一緒に、



「おい、シゲは?」


いつの間にか藤本陽生がカウンターの中に立っていた。



驚いたのはサナエちゃんも同じだったようで、「いつからいたの?」と振り向いて慌てた様子を見せる。



「は?シゲは?」



サナエちゃんの質問に答える気は全くないようだ。



「シゲなら外でお兄ちゃんと話してる」


「…風雪?」


「そうだね」



頷いたサナエちゃんに、藤本陽生が舌打ちをした。



「おまえシゲ呼んで来い。兄貴が手伝えって呼んでる」


「あ、わかった」


「裏に直接回れって言え」


「おっけ」



招かれた客人を顎で使う辺り、さすが藤本陽生である。



「あたしも手伝います」



主役の人達ばかりに動いてもらうのは気が引けた。何より手持ち無沙汰で居心地が悪い。



「春は俺と居ろ」


「春ちゃん、あたしがシゲのとこ行ってくるね」



そう言って駆け足でお店の外へと向かった。



サナエちゃんとゆう安心感を失い、溜め息が出そうになる。



「あいつに何か言われたのか?」



お門違いな事を聞いてくる藤本陽生は、サナエちゃんの事を要注意人物に指定しているみたいな口振りだ。



「ずっと話をしてくれてました」


「そうか…悪かったな、一人にして」


「用事は終わったんですか?」



藤本陽生と向き合う様に、カウンターに肘を着いた。



「用ってゆうか、風雪が消えた所為で手伝わされた」


「主役なのに?」


「何だそれ、誰だ主役って」



今日の主役の皆さんは、どうも自分が主役だとは思っていないみたい。



「こうしてると、何かドキドキする」


「は…?」



カウンターの中に立つ藤本陽生と、カウンター越しに向き合い、声が届く様にお互いが身を寄せ合い、話をする。



「陽生先輩、お店の人みたい」



いつもと違う環境で話すのは新鮮だった。



「またそんな可愛い事言って」


「えっ…?」



後ろから聞こえた声に振り向くと、久しぶりに見る園村さんが立っている。



今日は背後からよく声をかけられる日だな…



「あ、こんにちは…」



隣に来た園村さんに会釈をすると、園村さんはあたしの方に体を向け、カウンターに片肘を着いた。



「春ちゃん久しぶりだね」


そう言って、「あ、陽生卒業おめでとう」と、藤本陽生にも声をかける。



「今来た?」


園村さんの祝福を当たり前の様にスルーした…



「いや。ちょっと前に着いたけど、外で少し電話してた」


「仕事?」


「仕事と嫁と」



園村さんは仕事帰りなのか、スーツを着ている。



「兄貴に捕まったら手伝わされるぞ」


「え?風雪が手伝ってんじゃねぇの?」


「あいつ今日は仕事じゃねぇって言って消えた」


「あぁ、そりゃ大変だな。陽生はサボってんのか?」


「は?散々手伝ったわ…今シゲがやってんじゃねぇの?」


「あぁ、なら良いじゃん」



何が良いのか分からないけど、二人の会話を久しぶりに聞くと雰囲気はやっぱり似てるんだなと感じた。



「あ、春ちゃん聞いたよ」


「はい?」


「藤本に嫁に来るんだって?」



またかなり飛躍したな…



「いやぁ嬉しいよ、妹が出来て」



あたしの返事を聞く気はないらしい。



「二人共、俺が店入っても気づかねぇんだもん。二人の世界に入って」


「いや、そんなことは…」



あたしは園村さんが苦手だ。



「ナツ兄、サナエ見た?」


「いや、外には居なかったな」


「はぁ?何してんだあいつ」


「どしたん?」


「シゲを呼びに行って戻って来ねえ」


「ハルが行って呼んで来てやれよ。手伝わされてたらサナエちゃん可哀想じゃねぇか」


「はぁ?面倒くせえな…」


「春ちゃんは俺が相手しとくから」


「え?」


思わず声に出してしまった。



藤本陽生に、行かないで…と視線を送るが、何だよ?って表情をされて、すぐに園村さんに視線を戻し「じゃあ頼むわ」と、求めていたものと違う言葉が向けられた。



マジで伝わらない…



「行って来い行って来い」



園村さんが藤本陽生に声をかけ、藤本陽生は裏へと消えて行く…



「春ちゃんとこうやって話するのいつ振りかな?」


「いつでしょうか…」



あなたがあたしに正体を隠していた時です。とは言えない。流石に感じが悪過ぎる…



「春ちゃん、夜の仕事辞めたんだってね」


「はい…」


「そんなあからさまに嫌そうな顔しないでよ」


 

苦笑いを浮かべた園村さんに、誰から聞いたのかなんて野暮な話はしない。



「妹に嫌われたくないから言うけど」


「妹?」


「春ちゃんの事ね」


「……」



マジでリアクションに困る。



「会社の上司から聞いた。寂しがってたけど、仕方ないよね。俺からは何も言えないし」



あたしも何も言うつもりはない。



「春ちゃんは陽生と結婚したいの?」


「どうしてそんな事聞くんですか?」


「結婚は恋愛の延長じゃないから」


「え?」



その言葉に、そう言えば園村さんは既婚者だったと思い出した。どうも既婚者だとゆう事を忘れてしまう。



「園村さんの結婚は、恋愛の延長じゃなかったんですか?」


「恋愛の果てに結婚したよ」



何が違うのか分からない。



「俺の嫁は一人娘だから、婿を取らないといけなくて、俺は次男だし、向こうの籍に入る事は抵抗なかったし、喜んでそうしたけど。結婚して思うんだよね、恋愛は一対一だけど、結婚は一対一じゃない。相手の両親や親戚がその先に居る。だから恋愛の延長に結婚は無くて、恋愛の果てに結婚とゆう選択をした」


「…後悔、してるんですか?」


「いや、そうじゃないよ。好きで結婚したから」



じゃあ、何が言いたいんだろう?と園村さんを見上げる。



「他人同士が家族になるんだ。彼女なら笑って許せる事も、彼女の家族ってなるとそうは行かない事もある。それは相手も然りで、恋愛は二人の世界で生きてるけど、結婚はその他大勢の中で生きるとゆう事。僭越ながら、春ちゃんにそれを伝えたかった」



いつの間にか、園村さんの話しを聴き入っていた。



「ハルの事が好きだからって、ハルの親まで好きになれるか分からないだろ?他人なんだから。ハルの事が好きだからって、ハルの兄弟まで好きになる訳じゃない。でも結婚ってゆうのは、ハルの事だけ好きでいれば成り立つもんじゃない。やっぱり辞めたいって言って、簡単に辞めれるものじゃない。陽生はあぁゆう奴だから、本当に結婚まで持って行くよ。春ちゃんの気持ちは、付いて来てる?」


「…分からないです」


「そうだろ?」


「でも、園村さんの好感度が少し上がりました」


「へ、え?」


「陽生先輩の家族を好きになるとかならないとか、その辺は良くわかりません…でも、陽生先輩と結婚とゆう形でこの先の将来も一緒に居たいと思ってます。ただ、確かに漠然としてて、結婚って言うビジョンは描けてなくて…そうゆう分かり難い事を、あたしに考えろって、伝えようとしてくれた事に、園村さんの誠意を感じました」



正直、園村さんの意図は分からない。もしかしたらあたしの為じゃなくて、藤本陽生の為に話をしているのかも知れない。


それでも、あたしだったらどうでも良い相手にこんな話はしない。話すだけ無駄、相手にするだけ邪魔。


そう思ったら、園村さんとゆう人は、丁寧で親切で、誠実な人だと思えた。



「園村さんって、つい五分前までのあたしの印象では、陽生先輩の立場からすると思いやりのお節介で、あたしの立場からすると鬱陶しい部類のお節介な人で」


「…正直だね」


「常に探り合ってるような対象だったんですけど、さっきの話を聞いたら、今までの事も少しだけ納得できました。あたしに会いにお店に来た時も、冷やかしとか興味本位じゃなくて、自分の目で見て聞いて、きちんと判断したかったのかなって。噂や見た目で判断する様なお兄ちゃんだったら、そもそもこんな話をしないですもんね」



なんだか勝手に納得して理解した様な気になってしまったけど、分かり難い人ってゆうのは、話が遠回しで回りくどいのかも知れない。だけど道筋を理解した途端、ゴールを見つけるのが誰よりも早いと感じた。



「春ちゃん」


「はい」


「俺は君が働いていたお店で、初めて君を見かけた時、涼しそうな顔をして警戒心が強そうなのに、心を許した人には簡単に懐いてしまう。そんな印象を持った。どうしたら笑ってくれるのかな、あんな風に懐いてくれるのかなって。必死になるのが分かる。俺にはそれが、計算でしてるのか、天然なのか、計りしきれなくて。君の事を少し警戒してたんだ」



やっぱり園村さんは、誠実な人だ。



「でも、君の評判はとても良くて、懐かれた人達は君に夢中になるだろ?まるで夜の仕事が天職みたいに思える。だけど君の中ではあくまでも生活の為の仕事。こんなにあっさり辞めるとは想像もしてなかった。風雪も言ってたんだ。夜の仕事をしてる子は、また必ず夜に戻るって。俺としては、陽生の為に辞めて欲しいと思ってた。陽生がそれを望んでいないからこそ、あいつの優しさに付け込まれてるんじゃないかとも思った」



園村さんは時々思い返すような口調で視線を逸らすけど、すぐにまた真っ直ぐ見据えるように見てくる。



「俺は結婚ができて幸せだ。だから君たちも結婚が幸せなものであって欲しい。でもそこを理解する為には、君も陽生もまだ若い」


「はい…」


「だから、君は嫌かもしれないけど…鬱陶しい部類のお節介をやめれないんだよね」


ごめんね春ちゃん…と、園村さんは困った様に笑った。



「君に嫌われるのかな、俺は…まぁ、四人兄弟の一人くらい嫌われ者が居てもいいかもしれない」



園村さんの本心はそこに無いと感じた。



「好感度が上がったって言いましたよね…好きとか嫌いとかじゃないです」


「どっちかと言えば、君に好かれたいんだよ」


「あたしに好かれてどうすんですか」


「どうもしないよ、ただ幸せだよね」



そう言った園村さんを見て、この人は奥さんを大切にしてるんだろうなと感じた。



「さっきさ、春ちゃんと陽生の会話見てて、君らの世界が輝いて見えたよ」


「えぇ?」


「春ちゃんって陽生にあんな風に笑うんだなとか、陽生は春ちゃんをあんな風に見るんだなって。春ちゃんも陽生も、二人の世界だとパーソナルスペースが狭いよな」



そんな事を以前、サナエちゃんにも言われたことがある。



「あたしもですか?」


「え?春ちゃんは特にそうだろ?」


「え?」


「気を許したらどんどん近くなる」


「あたしですか?」


「え、気づいてないの?俺たちさっきより距離近いよ」



言われると、そんな気がしないでもない。



「陽生に言われない?」


「…何をですか?」


「近過ぎるとか、距離を取れとか?」


「…言われた様な、言われてない様な」


「あぁ、春ちゃんの距離感は許してるんだね」


「んん…」


どうなんですかね…



「陽生の場合は、パーソナルスペースを侵されたらブチギレるタイプだろ?でも君は良いのか、そっか、なるほど」


「え?」



一人だけ納得してしまうから思わず聞き返した。



「風雪がタチが悪いって言ってた」


「え?」



なんの話なのか唐突過ぎて混乱する。



「春ちゃん気をつけな?君は魔性の女の匂いがする」


「え、え?え?」



ちょっと言ってる意味がわからない。



「陽生が心配してるのは君に近づく虫じゃなくて、君自身なのか…」


「はい?」


「これはタチが悪いなぁ」



突然の悪口にさっきまでの好感度が下がりそうだ。



「何ですか?分かるように言って貰えませんか?」



園村さんに詰め寄ると、



「あー!アカンアカンアカン!」



記憶に新しい関西弁が耳に届く。



「何してんねや!近いねん!既婚者が口説いたらアカンやろ!」



シゲさんがカウンターの裏からそそくさと出て歩き、あたし達の間を割って入る。



「おーシゲ!卒業おめでとう」


園村さんがシゲさんの肩を叩いた。



「ありがとうナツ兄。わざわざ言いに来てくれたん?」


「おう、シゲの晴れ姿見に来た」


「いや卒業式終わりましてん」


「おう」


「何誤魔化してんねん!危うく騙されるとこやった…油断も隙もないなぁほんまに!はい離れて離れて」



あたしと園村さんの間に立つシゲさん。



「話し相手になって貰ってたんだって」


「なんやその言い訳、春ちゃんに近づいて貰えるんは俺の特権や」


「え?あたし?」


「いやいや教えてあげないと、自覚ないよ。俺にもベッタリだったし」


「はい?」


あたしの事を言ってるのは分かるのに、聞き返しても会話に入れて貰えない。



「錯覚や、錯覚!妄想は嫁さんとだけにして下さい」


「いやちょっと…」


無駄に背の高いシゲさんの背中に声をかけた。



「何してんだシゲ」



藤本陽生の声が聞こえて、シゲさんの背中を退けるように覗き混んだら、声の通り藤本陽生が立っている。



「さっさと手伝え」


「シゲ!早くお皿持ってよ!」



その奥からサナエちゃんの声がした。



「おいハル!おまえの兄貴を何とかせぇ!春ちゃんのこと口説きよるぞ!」


「えっ?」



その言葉にあたしが一番驚いた。



「おいハル、シゲの妄想が止まんねぇぞ、何とかしろ」


「誰が妄想やねん!こんなん近う寄ってからクスクスしてたやないか!」


「してねぇわクスクスなんか」



え、そこ…?



「アカンアカン!誤魔化されへんぞ!」



え、え?



「春、こっち来い」



一々シゲさんが視界を遮るように立つから、藤本陽生に呼ばれてその姿を背中越しに見つける。



「春」


「あ、はい」



カウンターの端に移動しているのが見えて、すぐに駆け寄った。



「あ、行きよった…」


「な?」


「何が、な?やねん。なんの共感を得たいねん」


「いやぁ楽しかった」


「俺の春ちゃんで暇つぶさんとって」


「おいシゲ!早くしろって、サナエが中でキレてんぞ」



あたしが隣へ駆け寄ったと同時に、藤本陽生がシゲさんへ言葉をかけた。



「え?キレてんの?」


「さっきから早くしろって呼んでんだろうが」


「うせやん!はよ言えやおまえ」



シゲさんが慌ててカウンターの中へ入り、裏へ下がった。



「何してた?」



不意に藤本陽生へ声をかけられる。


何をしていたんでしょうか、あたしは…



「世間話しだよ」


代わりに園村さんが答える。



「ね?」と言われたから、曖昧に頷き返した。



「春」


「はい」


「これから料理並べるけど、手伝うか?」


「良いんですか?」


待ってましたその言葉…手伝いたかったずっと!



「じゃあナツ兄、そこ片付けといて」



カウンターの奥のテーブルを指差し、実の兄を顎で使う男…



「春ちゃんもこっち手伝ってよ」



園村さんが歩み寄る。



想定外のお誘いに藤本陽生へ視線を向けた。



「どうする?」


この男、ここであたしに選ばすの…?



「あ、どっちでも…」


「じゃあ春ちゃんこっち。はい決まり。はいおいで」


「えぇ?」



藤本陽生を見上げ、どうしましょうか?と念を送る。



「ナツ兄と片付けするか?」



嫌だなんてどの口が言えように。



「はい、じゃあ、片付けましょう…」



藤本陽生に背中を向けて園村さんの元へトボトボと歩いて向かった。



藤本陽生に引き止められる事もなく、テーブルの上に置かれたダンボールやら雑誌やら、なんかよく分からない帽子?何に使うのか知らないけど、園村さんの指示通りに奥の収納へ閉まって行く。



「春ちゃん、さっきはごめんね」


「え?」



ダンボールの中に散らかっていた帽子?を畳みながら片付けていると、いきなり謝罪をされた。



「さっきとは、なんのことでしょう?」


「春ちゃんの事を警戒してたとか…聞こえが悪い事を言ったかなって」


「あぁ…全然気にしてないです。寧ろあたしも園村さんが苦手なんで気にしないでください」


「…ほんと正直だよね」


「すみません…好感度は少し上がりましたので」


「そうだね、君は分かりやすい」


「え?」


「君は心を開いてくれると分かりやすく親しみやすくなる」


「そうなんですかね…自分じゃ分からないです」


「そうだろうね」


「園村さんは、陽生先輩に優しいですよね」


「優しい?」


「はい。特別感出てます」


「へぇ?」


「違いました?」


「いや、俺は陽生が好きだ」



…でしょうね。



「可愛くて可愛くてしょうがない」


「でしょうね」


「あいつの太々しい態度とか、反抗期続いてるみたいで愛らしくない?」


「独特な感性をお持ちのようで…」


「ハルは思春期に嫌なこと…があって、ずっと引きずってるみたいだったから。何とかしてやりたいなって色々お節介やいたんだけど、あんまり響かなかったな」


「…はい」



どんなお節介を発揮したのか想像できないけど、想像できそうな気もする。



「だから春ちゃんありがとう」


「え?」



思っても見なかったお礼の言葉に、目を見開いた。



「君が陽生の彼女で嬉しいよ」


「え…?」


「ありがとう」


「いえ…こちらこそ…ありがとうございます」



真面目な言葉だと空気でわかった。



「俺の嫁さん、お嬢様でさ…」


「はい?」



話がどこで変わったのか思考を整理する。



「箱入り娘のお嬢様で、しかも一人娘だし、口説くのも手を出すのも試行錯誤してさ」


「はい…」


「育った環境が違うから当然なんだけど…まぁ義理の両親に結婚認めて貰うのも大変で。向こうの親からしたら俺の誠意なんて有って無いようなものだったし。うちの両親がちゃんとしてたから認めて貰えたようなものなんだ」


「…ご両親が?」


「そう、両親が経営者で実績があって、俺が認めて貰えたんじゃない。俺の家族が信用されたんだよ」


「でも結果的には園村さんが婿として適任だったから許された訳ですよね?じゃなかったらいくらご両親が優れた方であっても、結婚するのは当人じゃないですか?」


「へぇ流石だね。物事の仕組みを良く理解してる。まぁそうだよ、だけど結果論に過ぎない。結局は色んな条件を出されて、俺がそれをクリア出来たってだけだから」


「婿に入るって事ですか?」


「そうだね。婿に入って、嫁の親の会社継いで、功績を上げる事。俺じゃなくていんだよ。条件を呑んだのが俺だったってだけ」


「何だか園村さんらしくないですね」


「春ちゃんに俺らしさが分かるの?」



口元を緩めた園村さんは、本心がどこにあるのか読めない。



「大変恐縮ですが、園村さんらしさと言うのは、これまで関わらせて貰った中であたしが感じた独断と偏見によるものですが」


「はいはい」


「今の話はご自分の事を自虐的にお話されてる印象だったので、これまでの園村さんの自身有り気な垣根を超えてくるスタンスからすると、ちょっと違和感を感じたとゆうだけです」


「なるほど」


「だって、奥さんの事大事にされてますよね。お店に来た時だって、奥さんの事第一に優先されてる印象だったので」


「そっか、そう見えた?」


「あたし今、何となく分かりました」


「え?」


「園村さんの事がどうしてこんなに苦手なのかなって、ちょっと不思議だったんですよね」


「ほんとはっきり言うよね…」


「自分でもよく分かってるんです。あたし好き嫌いはっきりしてて、ダメなものはダメ。好きは好き。だからこそ、苦手意識が落ち着かなくて、好きにも嫌いにもなれない…」


「へぇ…」


「本音が見えないんですよね。真意が分かり難いです。何となくこうかなってゆう想像もしにくい。それわざとですか?」



いつの間にか手の動きを止めて話し込んでいた。



「君は、本当に…人をよく見ているんだね。夜の仕事に向いてるわけだ」


「もう夜の仕事は辞めました」


「そうだね」


「奥さんの為にそこまで出来るって、園村さんの人間的な愛情の深さを感じるんですよね…でもそれを他人には悟られたくないみたい。理解ある婿を演じてる風ですよね。歯に衣着せぬ物言いでそれを誤魔化してる。奥さんの為ですか?世間知らずなお嬢さんだからって悪い事考える人が近寄らない様に、隙を見せないようにしてるんですかね」



園村さんが単純に分かり難い人なら、変わり者で終わらせていた。だけどそうじゃない。敢えて奥さんへの愛情をひけらかさず、自分の立場を下げるような振る舞いをして相手に隙を見せない。本音を隠し続けている。それがこの人なりの、大事な人の守り方なのかも知れない。



「そこまで言われたのは初めてだよ」



やっぱり素直にイエスとは認めない。



「園村さんの好感度が上がったのは、そこに気づいたからです」


「そっか、ありがとう。好感度を上げてくれて」



笑顔で本音を隠している。染み付いてしまっているみたい。



「俺は陽生の素直さが羨ましいんだ。真っ直ぐで、堂々と大事なものを大事だと言えるところも。兄貴や風雪もそうさ、皆陽生が好きなんだ」


「そうですか…」


「だからって、君のプライベートを干渉して言い訳じゃない…あの時は本当にごめんね」


「…もう気にしてないです。暫くは根に持ってたんですけど、もう本当に気にしてないです」


「根に持ってたんだ?」


「根に持ってました。兄弟だからって、大事な弟だからって、少しやり過ぎじゃない?って思ってました」 


「仰る通りです」


「もう気にしてないです」  


「うん、ありがとう」



「あー!片付けてへん!」 



大きな声を出すから驚いて肩が震えた。



やめてよシゲさん…



「何、もうできたん?」


園村さんがなんでもない様な言い草で聞き返す。



「カズ兄に様子を見て来いって言われて来ましたけど!」


「シゲさんもう終わるよ、ごめんなさい!」


「春ちゃんに言うてへんよ?ナツ兄に言うてんねん。はよ片してな!」


「いや、おまえも手伝え」



園村さんに指を差したシゲさんは、その指をへし折られた。



「えー…?もうアカン…ずっと手伝ってんのよ、さっきから。お皿間違えてサナエちゃんに怒られるし、几帳面なハルにはミリ単位で怒られるし。カズ兄に…は、何も言われてへんけど。俺もこっちの片付けがしたかったわ…」


「だから手伝えって言ってんだろうが」



手を動かさず口ばかり動かすシゲさんに、園村さんが動きながら言葉を返した。



「あ、春ちゃんそれそこじゃない。あっち」


「え?あ、はい。こっち?」


「そうそう、その上。兄貴も几帳面だから片付ける場所が決まってるんだよね」



園村さんの指示通りに動いたら片付けがスムーズに進んで行く。



「なんか…なんやろ…なんか、仲良くなってへん?」



手伝う気のないシゲさんが椅子に座って腕を組んでいる。



「何なん…急に仲良しやん…俺もこっちにおりたかった」


「春ちゃんありがとう。後は椅子並べて、テーブル拭こうか」



園村さんはシゲさんを無視してあたしに声をかけてくる。



「あ、はい。布巾ってどこですか?」


「えっと、カウンターの中にない?」


「あ、見て来ます」


「いや、俺のこと見えてる?え、俺の声届いてる?」


「…当たり前だろうが。何やってんだよ、さっさと支度できたって言って来い」



カウンターから布巾と除菌スプレーを持って戻ると、しょぼくれたシゲさんとすれ違った。



「シゲさん、あとで手伝いに行くね」


「うん…!はよ来てな!」



シゲさんの言葉に頷いて、テーブルを拭きに急いだ。



「春ちゃんさ、」


「はい?」



テーブルは片付いたからシゲさんの所へ手伝いに行こうと思った矢先、園村さんに声をかけられる。



「また話そうよ。陽生が居なくてもここに来たらいいじゃん」



そう言って貰えるのは有難いけど、中々一人では…



「じゃあ誘うからおいでよ」



誘って頂けるなら…



「ん?アイコンタクトされてもちょっと分からない」



困ったように笑いを漏らす園村さんへ、言葉にしていなかった?と、また心の中で呟いてしまった。



「誘って頂けるなら是非…何もないのに一人で行くのは中々…」


「そうか、じゃあ声かけるよ。連絡先教えてよ」


「え?」


「え?」


「あたしのですか?」


「あなたのです」


「え?」


「え?ダメだった?」


「あ、いえ…そんな気軽に聞いて貰えるんだなと思って」


「え?だって俺達家族じゃん」


「え?」


「え?ハルと結婚するんだよね?」


「あぁ、はい…いずれ…?」


「うん、じゃあ家族でしょ」


「…そうなんですか?」


「そうなんです。君は俺の妹になるから」


「あぁ…妹…」



全然実感が湧かない。



「そうだ、だから園村さんって言うのやめない?」


「え?園村さんですよね?」


「はい、園村です」


「え?」


「いや、園村さんって呼び方は他人行儀じゃない?」



いや、他人ですよね…



「兄貴の事はなんて呼んでるの?」


「…明和さん」


「風雪は?」


「…風雪さん、かな…?たまに三番目のお兄さんとか」


「じゃあ俺はナツ兄で」


「え?」



そこは捺彦さんじゃないの…?



「ナツ兄って呼び方好きなんだよね」


「…あぁ、へぇ」


「じゃあそうゆう事で、連絡先交換しよう」


「あぁ、はい…」



電話番号を登録する時に、ナツ兄という名前で入力するよう指示を出された。



そんな事をしていたから、結局シゲさんの手伝いに行く前に、料理や飲み物が運ばれて来てしまい、シゲさんにしこたま文句を言われて、何度も謝る羽目になった。



「シゲは本当にしつこい」とサナエちゃんに怒られて、やっとこの件は解決した。



いつもはカウンターに座る事が多いけど、今日はテーブルを並べて、集まって座る。



ここでもまたシゲさんが座る位置について一々煩い。



「ハルと春ちゃんが隣なんは分かんねん。ほんで何しにナツ兄が春ちゃんの隣に座んねん」



藤本陽生が壁側の奥に座ったから、あたしはその隣に行こうとしたら、園村さんがあたしの隣の椅子を引いた事で、シゲさんにどやされている。



「どこでも良いだろうが!シゲがさっさと座んねぇからサナエちゃんが座れねぇだろうが!」



今回の料理を振る舞ってくれた明和さんも、ようやく参加したところで、シゲさんを一喝した。



サナエちゃんが「すみません…」と恐縮し「シゲはここ」と、あたしの向かいに強制的に座らせた。



サナエちゃんは藤本陽生の向かいに腰掛ける。


明和さんは園村さんの隣に座り、シゲさんの横が一席空席となった。



「風雪は何してんだ?」


明和さんがシゲさんに問う。



「え?俺?」


「シゲとずっと一緒にいたろ」


「最初だけやん。すぐどっか行ってもうてん」


「ったっく…ちょっとナツ、風雪見て来て」


「はいよ」



園村さんが立ち上がった為、「あたしも一緒に行きましょうか?」と立ち上がったら、サナエちゃんと園村さんを除く他三名の男達が一斉に「は?」と声を漏らし、こちらに目を向けた。



「え、え?」



高い所から見下ろすように、三人の表情を順番に伺う。


藤本陽生に視線を向けたら、「春は行かなくていい」と言われたので大人しく席に着いた。



園村さんはその場を立ち去り、風雪さんを探しに店の外へ出る。



「おいハル」


「は?」


シゲさんの問いかけに、至極面倒臭そうに藤本陽生が返事をした。



「ナツ兄危険やな」


「は?」


「またおまえはそうゆう事を…」



藤本陽生に続いて、明和さんも呆れ口調で言葉を返す。状況が分かっていないのはあたしとサナエちゃんだと思われる。



「あの人、春ちゃんを手名付けるの早ない?」


「おいシゲ」


「いや、カズ兄も思ったんちゃうん?ナツ兄に付いて行こうとしてたで今!」



シゲさんがあたしに向かって指を差すと、藤本陽生がその指を跳ね除けた。



「指差してんじゃねぇ」


「だってさっきからおかしいやん。ナツ兄迷わず春ちゃんの隣に座ろうとするし、春ちゃんも迷わずナツ兄に付いて行こうとするし。警戒心はどこ行ってん?春ちゃんの専売特許やろ?」


「何言ってんだおまえ…」


藤本陽生が冷めた一言を口にする。



「いやアカン。これはアカン匂いがする…俺にだけ懐いてた筈やのに…アカン」


「先食うか」


明和さんが仕切り直す様に言葉を跨ぐ。



「え、でも、お兄さん達良いんですか?」


サナエちゃんが気を遣って言葉を返した。



「あぁ大丈夫。あいつら今日の主役じゃねぇし。じゃあ気を取り直して、三人の卒業祝いだ。めっちゃうめぇから食え」



明和さんの笑顔に釣られてサナエちゃんも表情が柔らかくなっていた。



「ありがとうございます…あたしまで声かけてもらって」



恐縮するサナエちゃんに、それはあたしの方だよと、訂正したかった。だってあたしは卒業生でも幼馴染でも友人でもない…



「三人が無事に卒業出来て何よりじゃねぇか。子供って呼ぶには分別があって、大人って呼ぶには心許ない年になったな」



明和さんがしみじみ話すから、三人が急に大人の階段を登って行くようであたしだけ急に寂しい。



「カズ兄にそうゆう事言われたら俺泣くで」


「なんでだよ」


明和さん、あたしもシゲさんに同感です。



「これから始まる新しい生活への期待と不安、更なる学業、そして将来に向けての決断に迫られる時が来る。そう言う時は兎に角周りの大人に相談しろ?俺もいる。一人で抱えて悩むなよ」


「俺カズ兄から離れたくない…」


「え?シゲは引っ越さねぇだろ?」


「…そうやったわ」



明和さんの笑い声が、ここに居る人達をどれだけ救って来たのか、何となくそんな事を思いながら…素敵な人だなと思った。

 


皆のお兄ちゃんで、時にお父さんで、時にお母さんで、いろんな側面を持つ人。



「あ、戻って来た」


シゲさんの言葉に、全員の視線がお店の入り口に向かう。



「風雪、おまえどこ行ってたんだよ」


気怠そうに歩いて来た風雪さんに、明和さんが声をかける。



「そこのコンビニで発見した」


答えたのは園村さんだった。



「おまえシゲの隣に来い」


明和さんが風雪さんに声をかけると、言われるがままシゲさんの隣に腰をおろした。


園村さんもその後に続いてあたしの隣に戻る。



「ふぅくん急におらんなるから、俺がえらい怒られてんけど」


不貞腐れた声を出すシゲさんに、風雪さんが「シゲありがとな」と笑った。



「笑って誤魔化してるわ」


「いやおまえな、俺今日休みだからな。休日まで店に借り出してんじゃねぇよ」


「借り出したん俺ちゃうやん。絶対カズ兄やん」


「そうだったかもな」


「ばり適当やん」


「あ、サナエさっきありがとな」


「え?」


急に話しかけられて、サナエちゃんが慌ててフォークをお皿に戻した。



「俺の代わりに手伝わされてたろ」



この人…



「あ、いえ…全然大丈夫です」


サナエちゃんが照れ笑いを浮かべている。



「ちょいちょい、その口説きにかかる口調やめへん?」


「春ちゃん、久しぶりだね」


「え、普通に無視するやん」



風雪さんがあたしを見ている。



「お久しぶりです」


「君は相変わらずだね」


「はい?」



にこっと微笑まれたから、微笑み返そうかと思ったら顔が引き攣った。



「あ、陽生卒業おめでとう」


風雪さんが藤本陽生に声をかけた。

 


藤本陽生が「あぁ」と短く言葉を返す。



何なんだろ、この緊張感は…


え、あたしだけなのかな…



園村さんに視線を向けたら、何もかも理解しましたと言わんばかりの表情で小さく頷かれ、



「春ちゃんは後一年あるんだよね」


空気を読んでくれた。



「あ、はい」


「受験生で大変な時期だと思うけど、一人で抱え込まずに周りに甘える時間も作るんだよ」



空気を読んで貰える事が、こんなにも安心するんだと感激していた。



「ありがとうございます」


ある意味泣きそうだ。



「陽生は引っ越すけど、寂しくなったりしんどくなったりしたらいつでも連絡して」


「…はい」


「俺たちはここに居るから」



その言葉には素直に胸を打たれた。



「え、ちょっ、待って待って」


会話に水を差すのはシゲさん。



「連絡してってなに?」


一々言葉を拾ってくる。



「ナツ兄の連絡先を春ちゃんが知ってる様な口調やん」


「一々五月蝿いなおまえは…」


「油断も隙もあらへん!いつの間に連絡先教えとんねん!連絡取り合うのは嫁はんだけで十分やん!」


「そうだな、おまえに言われなくても嫁だけで十分なんだようるせぇな本当に…風雪、シゲ黙らせろ」


「は?シゲを黙らす?え、シゲを黙らす?」


「いやそんなニ回も言う?てゆうかふぅくんそれ俺のやから」



風雪さんが手にしたのが、シゲさんの取り皿だったようだ。



「シゲのものは俺のものじゃねぇの?」


「なんやねんそのジャイアン方式は!俺のもんは俺のやん!小学生でも分かるわ!」


「兄貴これうめぇな」


「え、何で普通に無視できんの?おかしいやん」


「おまえ片付けは手伝えよ」


「いや、カズ兄も話しスルーせんといて…」


「おい陽生、シゲを黙らせろ」


園村さんが藤本陽生に言葉をかけ、シゲさんを誰が黙らせるか一周しそうな勢いだ。



「シゲ、隣を見ろ」


藤本陽生が溜め息混じりにシゲさんへ言葉をかけると、明和さんや風雪さんも視線を向けたのが分かった。



「隣って…」


シゲさんは隣に座る風雪さんを一瞥して、反対側へ視線を送る。



「シゲが喋る度に動きが一々大きいからシゲの腕がさっきからあたしの肩に当たって食べにくいの気づいてる?お肉フォークで刺そうとする度にシゲの腕がぶつかって、あたしはさっきからお皿をフォークでグサグサグサグサ刺してんだよね…気づいてる?」



サナエちゃんの淡々とした話し方に、シゲさんの体が少しずつ風雪さんの方に寄っている。



「シゲの話は好きだしずっと喋ってたら良いと思うんだけど、それ故にあたしがお肉を食べれないってどうゆこと?」


サナエちゃんがそこで初めてシゲさんを見た。



「ごめんなさい…」


シゲさんが完全に風雪さんに肩を寄せている。



「サナエちゃん良かったらこれも食べてな?あ、野菜も食べた方がえんちゃう?ここ置いとくな?ごめんな、お肉しっかり食べてな?」


「そう?ありがとう。じゃあゆっくり頂きます」


「うんうん、食べて食べて」



シゲさんを静かにさせる事ができるのは、この世でサナエちゃんとゆう存在だけかもしれない。



「シゲと会う時はサナエに同席して貰わねぇとな?」


風雪さんが意地悪な言い方をする。



「ふぅくん洒落になってへん…全然おもんないから…」


だけど、小声で話すシゲさんの肩を退けようとはしないから、結局はシゲさんの事を可愛がってるのかなと感じた。



風雪さんはその後もシゲさんに寄り掛かられながら料理を口にし、シゲさんの小言を聞いてあげてた。時々サナエちゃんを気にかけて「サナエ」と呼び捨てにする。



それが藤本陽生の呼び方に似ていて、声だけ聴いたらどっちが呼んだか分からないかもしれない。



「春」


不意に名前を呼ばれて、迷わず藤本陽生へ視線を向けた。



「食ってるか?」


「はい、食べてます」


「これも食え、うめぇから」


「あ、はい」


さっき食べたから美味しいと知っている。



藤本陽生からお皿を受け取り「陽生先輩…」と耳元に手を添え声を潜めると、少し頭を傾けてくれた。



「これ食べました?これも凄く美味しくて…」


手前にあった前菜を指差すと、藤本陽生が視線を合わせてくる。 



「そんな小声で言う事か?」


小さく微笑まれた。



不意に向けられる表情に胸がキュンとする。



「兄貴の作った飯は全部うめぇから」


「そ、うですよね」


「春、楽しいか?」



表情を伺う様に顔を寄せて来るから、思わず姿勢を正した。



「楽しいです。呼んで貰えて嬉しいです」


「そうか?」


「はい…あの、園村さん…ナツさん?と、連絡先交換してた事、先に言ってなくて…」


「あ?あぁ、気にしてない。気にすんな」


「でもシゲさんが…」


「シゲは拗ねてんだろ。春がずっとシゲばっかりだったのに、春の世界が広がって行くのが何となく寂しいんじゃねぇの?」


「あたしの世界…」


「だからってシゲに遠慮する事じゃねぇし、俺にも気を遣わなくていい」


「…あたしって、心配かけてます?」


「は?」


また少しだけ、笑いを含んだ様な表情をしている。



「陽生先輩と離れるって分かってから、今日まで皆に声をかけてもらう事がたくさんあって…心配かけないようにしないとなって…」


「俺が心配かけてるんだろうな」


「え?」


「春が変わりなく過ごしてくれる事が俺にとっての安寧で、春に何かあると俺が心配するから、周りが先回りして、春の心配を取り除こうとしてんだろ…」


「陽生先輩…何が心配なんですか?」


「春と離れる想像ができてない。この町に居ない自分は想像できるのに、新しい生活に春が居ない事が想像できない」


「…でも」


明和さんの自宅から大学に通えない訳じゃないのに、大学の近くで部屋を借りると決めたのは藤本陽生本人だ。



「わかってる…だから待ってる。早く隣に来てくれ」


耳元で聞こえるくらいの声量で、シゲさんやサナエちゃんの笑い声に掻き消されそうになり、思わず口元を見つめた。



あたしよりも、あたしと離れる事を寂しいと感じてくれている。



「母が言ってました」


「ん?」


「一年なんてあっとゆう間だって」


「そうか…」


「来年の今頃に、隣に居れるよう頑張ります」



藤本陽生の膝に手を置いたら、その上に手を重ねて握られた。


指を絡めて握り返したら、更に強く握り返された。



「はぁ…」


溜め息混じりに視線を向けられ、え?とそのまま視線を送り返す。



「連れて帰りたい」



…そう聞こえた。


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