32

藤本陽生2



春が、居なくなった。




…———もう、何度ここへ来たか。



『現在…電波の届かない場所へおられるか…電源が…』



電話越しに聞こえてくるガイダンスを、最後まで耳にする事なく通話終了ボタンを押す。



家の前で立ち尽くす事しか出来ない自分が、滑稽すぎて笑えない。



踵を返し、来た道を戻る。



何度足を運んでも同じ事。何度連絡をしても変わらない。


分かっているけど、何度も繰り返している——




駅の改札を抜け、歩いて数十分の所にある兄貴の店へ向かう。


学校終わりに寄り道をして向かった為、辺りはすっかり暗くなっていた。



兄貴の店へ行くまでに見えてくる【CLUB 桜】の看板を横目に、通り過ぎた。



店のドアを開けると、来客を知らせる為の鐘が音を鳴らした。



「よう」


兄貴がカウンター越しに声をかける。



「よう」


カウンターに座っていたシゲが、兄貴の真似をするように続けた。



「あぁ」


返事をして、シゲの隣の椅子を引いた。



「何か食うか?」


腰掛けると同時に、兄貴からの質問。



「いや、いい」


「じゃあコーヒー飲むか」


「ん」


「了解」



変わらない、いつもの掛け合い。



「どうやった?」


シゲが問いかけてくる。



「変わんねぇよ。いつも通り」



そう答えるのも、いつも通りだ。




「はい、コーヒー」


「ありがと」



兄貴から渡されたコーヒーカップを受け取る。



「お母さん居てたん?」


「いや、留守だった」


「帰って来たら連絡くれんねやろ?」


「って言われたな」


「ほな待つんも一つの手段やない?」


「毎日行くなって?」


「いや、そんなん言うてんちゃうけど…」



コーヒーカップを持ち上げ、一口、口にした。

いつもの味と、いつもの時間。



「学校辞めた訳じゃないんだろ?」


今度は兄貴からの質問。



「辞めてへん。俺も一緒に確認してん」


シゲが答えると、兄貴が黙って頷く。



「店の方はカズ兄の伝で聞いてくれたやん。やっぱり進展ないん?」


「今んとこ何もない。てゆうか、あそこのクラブな、個人情報ガチガチに守られてんだよ」


「ナツ君は?ナツ君の上司」


「知らねぇの一点張りだってよ」



カズ兄とシゲの会話を、半ば他人事のように聞いていた。


到底実感が湧かない。


現実味がない。


事実だと分かっていても、自分の身に起きた事だとは、いまだに理解していないかもしれない。



春が居なくなったと知ったのは、一週間前。



あの日…保健室を後にした日から、数えて三日目の朝だった。


連絡が取れなくなって、十日。



居なくなったと気づいて、慌てふためいたところで遅かった。


そもそもあの日、保健室で寝ていたかどうかも定かではなく…あのまま帰ったのか、最後まで授業を受けていたのか…それすらも分からない。


分からない事が情けなく、腹立たしい。



一通りケリがついたら、春を迎えに行こうと思っていた。それが予想以上にサトルと話し込んでいて、シゲにそろそろ帰ろうと指摘され、すぐに春へ連絡をとったが、繋がらなかった。



教室を覗いても誰もおらず、鞄が無かったから帰ったんだろうと納得した。


帰路に着いてからも、春からの折り返しは無く、もう一度連絡をとってみたが、同じ事だった。



翌日、連絡が来ていない事が気がかりで、前日と同じ時間に家を出た。同じ場所に立ち、春が来るのを待ったが、同じ時刻を過ぎても現れる事はなかった。



サトルに聞いても、教室に顔を出した形跡は無く、シゲも、周りの奴らも、誰も状況を把握している者が居ない。



春が学校を休んだのは明白で、学校を休む事ぐらいあるだろうと納得しながらも、連絡が取れない事が気がかりだった。



春と連絡が取れなくなった二日目の朝、電話をかけたら電波がないとか電源が入ってないとか、ガイダンスが流れて来た。



昨日までは鳴っていたコールの音。


胸騒ぎがして、一気に不安を煽る。すぐにシゲへ連絡をした。


何があったのかと聞かれた。


何があったのかと、自分が一番聞きたかった。



兎に角、共通の知り合い…シゲ以外で春と連絡を取れる可能性があるのは学校だと言う話になり、シゲが先か自分が先か、向かう場所は同じだった。



久しぶりに職員室へ入る。


シゲがシゲのクラス担任を見つけて、声をかけた。


津島 春と言う生徒が今どうしているのか、連絡が取れなくて心配していると…だけどシゲの担任から返って来た言葉は、個人情報だから教えられないと言う事。


確かにこのご時世、無闇に情報を開示する事は難しい。


しつこく抗議するシゲを引っ張り、一旦引き下がる事にした。


そんな自分の行動に、シゲが理解できないと怒る。



自分でも理解できない。


理解できないから、逆に落ち着いているのかもしれないし、隣でシゲが騒ぎ散らすから、自分が冷静さを保てていたのかもしれない。



とは言え、授業を受ける気にもならず、学校に居ても落ち着かない。


シゲが兄貴に相談しようと言うから、兄貴に連絡をした。


とりあえず会って話す事になり、自宅に向かう為、シゲと学校を出た。


道中何も話さず、お互いに落ち着かない気持ちを必死で落ち着き見せようとしていたと思う。



自宅マンションに着いて、兄貴の部屋へ向かう。今朝方帰って来た兄貴を起こしてしまった事よりも、兄貴に話せば何か分かる事があるかもしれないと言う期待の方が大きかった。



一連の経緯を話し、シゲと一緒に兄貴からの見解を待った。


しかし、兄貴から期待できる内容の話は得られなかった。


自分でさえ状況が理解できないのに、兄貴が知り得る筈はない。


だけど、第三者に話す事によって、見えていなかったものを、見るきっかけにはなる。


兄貴に言われるがまま、状況を一から整理した。



まだ分かる事があるかもしれない。まだ聞けてない人が居る。


春の家族、春が住む家を知っている。



善は急げと立ち上がる自分達に、兄貴が待ったをかけた。


初めて行く家にいきなり乗り込む様な事をしたら、警戒されるし、不信感を持たれるかもしれない。


今日の内に、伝えたいこと、確認したい事を整理して、明日、落ち着いて会いに行けと。


妙な説得力に納得して、言われるがまま、明日を待った。



三日目の朝、落ち着いて行動ができた。


春の家族背景はよく分かっていない。


確実に滞在時間を狙うとしたら、朝だと思った。春が登校している時間を逆算して、自宅を出るであろう時刻に向かった。



終始、気持ちは落ち着いていた。


自宅前には何度か来た事がある。その先に行くのは初めてだった。



玄関の前まで行き、チャイムを鳴らす。


自分の耳にもチャイムの音が響いた。



インターホンから、「はい…」と女性の声がする。


春の声なのか、そうじゃないのか、インターホン越しでは分かり難い。



「突然すみません…藤本って言います。春さん…居ますか」


「…失礼ですが、どちらの藤本さんですか?」



予想外の返答だった。彼女の所在確認がすぐに出来ると思っていた。だからこの返答に戸惑った。



「…同じ、高校の生徒です」


「同じ高校?何年生ですか?」


「三年です」


「…三年生?」


「はい」


「…少々お待ち下さい」



直ぐに、中から人の気配がした。


分厚い玄関扉から、開錠したような音がして、ゆっくりと玄関の扉が開かれる。



「突然すみません」


開いた扉を合図に、直ぐ様声をかけた。


中から扉を押し開け、出て来たのは女性。



春じゃない。



「藤本陽生って言います。春さん、居られますか?」



女性は玄関の外に立つと、扉を完全に閉めて向き直った。


春とは似ていない。母親だろうか…自分の親よりも若く見える。



「失礼ですが、どうしてここへ?」


質問には答えてくれない。



「続けて学校を休んでたんで。それで…来させてもらいました」


「…君、名前なんて言ったかな?」


「藤本陽生です」


「藤本、陽生くん…」


「はい」


「春は居ないわ」



ここへ来て、初めて女性の口から春の名前が語られた。全てが幻だったのかと思い初めていて、春の名前を口にしてくれた事で心底安心した。



「どこに居るんでしょうか」


「…春を訪ねて来る人なんて、初めてよ」



やはり質問には答えてくれない。



「あなた、春のお友達?」


「…お付き合いさせて貰ってます」


「そう…」


「あの、」


「兎に角、春はここに居ないの」


「…じゃあ、どこに」


「帰って来たら伝えるわ」


「…あ、じゃあ俺の連絡先、」


「大丈夫、必要ない」


「……」


「春が帰って来たら、あなたに連絡する様に伝えるから。あなたに連絡するかは、春次第だけど。きちんと伝えるわ」


「……」


「だから、連絡を待って貰える?」


「…はい」


そう返事をするしかなかった。



「…春さんは、変わりないんですか?」



女性は真っ直ぐ視線を向けてくる。


「あなた、春の事が好きなの?」


「は?はい」


「そう…そうよね、ここまで来るんだもんね」



付き合っていると伝えたのに、その質問の意図が分からなかった。



「あの、春さんに何かあったんですか?」


「藤本…陽生くん」


「はい」


「私ね、今日あなたと初めて会ったの」


「はい」


「聞かれた事に全て答える義理はないわ」


「…はい」


「もう学校に行く時間でしょ?」


「はい…」


「じゃあ行かないと」


「はい」


「春からの連絡を待ってちょうだい」


「…わかりました」



淡々とした口調で話す女性は、最後に「わざわざ来てくれてありがとう」と、少しだけ笑みを見せてくれた。



それからは毎日、春が登校していないか確認して、学校終わりに春の家へ向かった。


春の母親から連絡を待てと言われた手前、家を尋ねるのはどうしようか悩んだ。


それでも毎日家の前まで行き、繋がる事のない連絡を取り続けた。


春の母親とは一度、家の前で鉢合わせた事がある。


詳しくは語られなかったが、仕事帰りの様な雰囲気だった。


驚いてはいたものの、嫌な態度はとられず、春は居ないから早く帰りなさいと、声をかけてくれた。



何一つ、春の手がかりが掴めないまま、今に至る。



「でも、春ちゃんが病気とか怪我したとか、そんな雰囲気ちゃうやん」



シゲは相変わらず冷たいジュースを好んで飲んでいる。



「そうだよな、春ちゃんのお母さんも連絡待てって言ってるんだろ?」


カズ兄もシゲの言葉に続けた。



「やっぱり、俺だよな」


「そうやな」


「おい…シゲ、」


「だってそれしかないやん。急に春ちゃんおらんなって、学校辞めた感じもないし、親も慌てた様子ないし、ハルに会いたくないだけちゃう?」


「だからってシゲ…」


「カズ兄は甘いねん。カズ兄だけちゃうけど…こいつにはっきり言ったらなアカンで」



シゲの言葉に、兄貴がこっちの様子を伺っているのが分かる。



「春ちゃんおらんなる直前までハルと居てたんやし」


シゲの言う通りだ。



「大体な、春ちゃん放ってあのクソボケなんかと話ししてるさかいアカンねん」


「だれ?」


「兄貴の家で話したろ、岡本」


「あぁ、例の」



春が居なくなって兄貴に相談した時、サトルとの話しもしていた。



「あのクソボケはまぁ論外やけど、ハルが悪いで」


シゲはあれから、俺を責め続けている。



「春ちゃんのキャパ考えろや。元々あの子、色んな事を拗らせてんねん。それやのに、あんなん言うたらおまえ、別れ話やん」


「シゲ…ハルだって、意図した事じゃないだろ」


「アカンアカン。俺やったら口が裂けても言わへん」


「ハルは、春ちゃんにもっと、広い世界で視野を広げて欲しくて、その岡本?とのやり取りだって、もっと春ちゃんにコミュニケーション能力があれば起きなかったと思うし、何て言うか、交友する事で、人間関係を学ぶ事で、知識と経験が身について強くなれるし、知らないから傷つくんだろ。わかんねぇから人を疑うんだよ。陽生が言いたかったのは、そうゆう意味で、色んな人との付き合いをした方が良いって話しで、そこは陽生以外の…彼氏作れって話しじゃねぇじゃん」



兄貴は自分が春に伝えたかった事を、理解してくれた。それはシゲも同じで、分かってくれている。



ただシゲは、


「結果、傷つけてるやん」


もっと上手くやれと俺を責めている。



「言葉のチョイスが間違ってんねん」


「いや、でもそれは春ちゃんの方も理解しようとしねぇとさ…」


「友達作れでええやん。もっと色んな子と交流して、経験積みなさいでええやん。色んな奴と付き合いした方が良いとか、俺ら卒業したらどうすんねんとか…ずっと傍におらへんよ?とか…伝わらんやん。え、なに?あたしから離れようとしてんの?って思わせるやん」


「いやでも…」


「シゲの言う通りだ」


「ハル…」


「俺が間違えた」


「でも、普通はハルの言い方で伝わるだろ」


「普通の高校生が普通に経験しない世界を春は生きて来た。普通ってゆう価値観は通用しない。俺達が春の生きて来た世界を想像できないのと同じで、春が俺の価値観を想像するのは難しいだろ」


「そこまで分かってんのに、間違えんなやボケ」


「あぁ…」


「…でもさ、仮にそうだとして、別れ話しされたからって居なくなるか?そりゃ落ち込んだり、暫く塞ぎ込んだりするのは分かる。でも姿消すか?」


「何にせよ、春を追い詰めた可能性はある。そうなったら…あり得る」


「そうや、春ちゃんからしたら、初めて自分から掴んだものを失うねんで。どうやって生きて行くのよこれ。何もない状態しか生きてへんかったのに、急に色んなもの与えられて、ほなそれ欲しい思うて掴んだものを、離さなアカンって…あったものが無くなる感覚、あの子からしたら絶望ちゃう?」


「あぁ…」


「おまえが落ち込むなや!可哀想なんは春ちゃんや!」


「分かってる」


「分かってへんねん!」


「黙れシゲ」


「なんやと!」


「うるせぇバカ」


「なんやと!」


「おい喧嘩すんな」



兄貴の低い声が、この雰囲気を一掃させる。



「シゲも言い過ぎだし、陽生も八つ当たりするな」



兄貴の言う通り、八つ当たりだ。シゲは何も間違った事は言ってない。


図星だから、イライラする。上手くやれない自分にイライラする。



「甘やかしたらアカン。春ちゃんとハルの間に起こる事は全部ハルが悪いねん」


「だからシゲ…ハルだってな、」


「原因作ってんのハルやで!春ちゃんええ子やんけ!真の強い、真っ直ぐな子やんけ。誰にも迷惑かけんように、一生懸命生きてるやん。そうゆう子やって、分かってて彼女にしたんとちゃうんけ!おまえが春ちゃん見つけといて、あの子やないとアカン思うて、探し出したんおまえやんけ!おまえが見つけんかったら、春ちゃんかてこんな事にすらなってへんやろ!春ちゃんからおまえが学ばなアカンねん!あの子通して、おまえが変わらなアカンねん!春ちゃんの方がよっぽど人を愛する事がどうゆうことか分かってんねん。アカンのはおまえや!」

 


シゲがこんなに怒りを露わにしてるのを久しぶりに見た。



「人生も恋愛も舐めてんのはおまえや!一度手に入れたものを手放さん様に大事に大事に丁寧に扱ってんのは春ちゃんの方や。岡本みたいなクソボケと大して関わりたくないやろに、おまえと仲良い奴やから、無下にせんと接してくれてたんちゃうんけ!俺らもそうやん!おまえのツレやから、関わってくれてんねん!春ちゃんはおまえ中心に、おまえの周りの奴も愛そうとしてんちゃうんけ!春ちゃんが自分の事好きやからって甘えてんなや!あの子のキャパ考えたれや!十も二十もミッション与えたんなや!目の前の人、大事にしようと向き合ってんねん。ええやんけ!春ちゃんの世界におまえしかおらんくても!おまえがおったれや!おまえがこっちの世界に春ちゃん連れ込んだんやろ!責任とって面倒みたれや!」



全ての言葉を出し切ったように、シゲは大きく深呼吸をした。



「悪かった」


「俺に謝ってどうすんねん」



シゲも、多分傷ついている。



「春ちゃんの自己肯定感下げさしてんの、おまえやからな」


「……」


「どっちかいや、フラれんのおまえやねん」


「……」


「春ちゃんが頑張っておまえの隣におってくれとってん。あの子がどんな風に人見て、どんなものの考え方してて、今いる場所でどうやって生きようとしてるか…おまえも分かってたやん」


「……」


「俺が会いたなって来たわ…」


「……」


「俺も会いたくなってきた」


「なんでやねん…カズ兄関係ないやん」


「なんでだよ、俺も会いてぇわ!シゲの話し聞いてたら、春ちゃんめちゃくちゃ愛しいわ!」


「それやったら、まだ確認してないとこあるやん?」


シゲはストローを加えると、ズズッと音を鳴らして、グラスの中のジュースを飲み干した。



「何だよ?」


カズ兄が不思議そうに問いかける。



「その前に、これおかわり」


シゲが空のグラスを差し出した。



シゲの話はいつも唐突だった。



「ええか、俺もここ毎日考えてんけど、春ちゃんがバイト辞めるとは思えんのよ。あと学校も。親に学費払って貰ってるゆうてたし、自立する目標があったから、バイト辞めたら本末転倒やなって…そうなったら、バイトは続けてんねん。学校も辞めてんと違うて、多分期間決めて休んでんねん。春ちゃんのバイトって、普通のバイトちゃうやん。俺も詳しい事は分からんけど、ああゆう夜の店って、寮があるって聞いてん。春ちゃんのこれまでの言動からしたら、ハルに別れを告げられたと思って、より一層自立心芽生えた思うねん。はよ家出て、自分で学費も払おうとか…そしたら納得いくやん。家に居てへんのに、母親は心配してる様子ないし、多分合意の上で、春ちゃんと話し合って決めたとかちゃうんかな?って。そしたら、多分居てるで。あそこに…」



そう、【CLUB 桜】で春は働いている。とゆう仮説。



ナツ兄の上司への聞き取りでも、店を辞めたとも辞めてないとも聞いていない。


つまり、【CLUB 桜】を辞めていない事が分かれば、会う手段が出来ると言う。ただ、それをどう確認するか。



ナツ兄ですら、高い飲み屋だったと言っていた。店へ通って確認するなんて事は、現実的じゃない。それなら、店側と知り合いが居れば確認できると思ったが、兄貴の伝を頼っても、はっきりした事は教えて貰えなかった。



「ハルは嫌かも知らんけど、」


そんな前置きから始まったシゲの話し。



「ふぅくんやったら、知り合い居てんちゃう?」


「はっ…風雪?ありえねぇ」


「でも、ここでもようホストとかキャバ嬢来るやん。そん中にふぅくんの知り合い、よう居てるやん」


「あいつの知り合いを一々把握してねぇわ」


「またそんな事言うて…春ちゃんがあの店で働いてんのは確実やねん。俺には分かる。でも、会える手段が無いやん。背に腹はかえられへん」


「……」


「別に俺はどっちでもええねん」


「ハル、おまえさ、風雪が嫌いな訳じゃねぇだろ」


「そうやんな?ふぅくんの彼女がアカンかってん。な?しかもいっつも女の子連れてるから、ハルも余計近づかんなるし」


「風雪は女の子を怒ったりしねぇから、彼女になると女の子が勘違いして付け上がるんだよな」


「あ、俺も何か知らんけど一回絡まれた事あんねん」


「え?風雪の彼女に?」


「んー多分。どれが彼女か分からんけど」


「あいつはさ、彼女ってゆうか、女の子をタラシ込むのが上手いってゆうか…またその女の子が最高に性格悪いってゆうか…」


「いや何の話やねん!カズ兄の話、一々逸れんねん」


ほんでどないすんねん!と、シゲに急かされた。



「正直、喧嘩しねぇ保証がない」


「なんでやねん…」


「まぁ、分かるわ。風雪がハルをからかってるとこあるわな。あいつには俺からもしっかり言ってやるから」  


「カズ兄もこう言うてくれてるし、ハルが話したくないんやったら俺が説明したるし。兎に角、春ちゃん最優先やん!」


「そんな事は分かってる」


「よっしゃ決まりや!カズ兄ふぅくん呼んで!」


「は?」


あまりの唐突さに、思わずシゲをぶん殴りそうになった。




———カランカランと鐘が鳴る…


ドアが開いたと言う合図。来客を知らせるその音は、必ずしも客だとは限らない。



「おっ来たな」


「…俺、今日休み」


「おぅ、分かってる」


「…はぁ?」


気怠そうな態度を兄貴に向ける風雪。



「で…?」


俺とシゲを一瞥して、風雪はカウンター側に入り、兄貴の横に座った。あくまでも、こっち側には並ばない。



背後でシゲが「急にごめんなっ!」っと、声をかける。



「シゲは可愛げがあっていいな」


「ハハッ」


「で?」


「あ、はい。協力して欲しい事があって、カズ兄に呼んで貰いました」


「へぇ」


「ふぅくん、夜の店で働いてる子に知り合い多いやん」


「それが?」


「CLUB桜に知り合い居てへん?」


「桜に?なんで」



聞き返しておきながら「カズ兄、煙草吸いてぇ」と兄貴に視線を向け、シゲの質問に答えない。



「今は我慢しろ」


それを兄貴が制す。



ここは店内禁煙で、外にある喫煙場所へ行かないと喫煙は出来ない。



「聞いてやれ」


再び兄貴に諭され、黙ってシゲに視線を向けた。その視線に応えるようにシゲが口を開く。



「会いたい子おんねん」


「へぇ、店の子?」


「うん」


「ふーん、で?」


「多分まだ働いてんちゃうかなって思うてんけど、なんせ確認する手段ないねん。せやから、ふぅくんの知り合いで知ってる子居てへんかな?って」


「あそこCLUBだろ。なんでシゲの知り合いがそんなとこで働いてんだ?」


「それは、人の事やからベラベラ喋られへん」


話しながらシゲがこっちを見たのが分かった。その視線を追いかける様に風雪が俺を見た。



「陽生の彼女、春ちゃんだっけ?」



胸糞悪ぃから見ないようにしていた顔を見てしまった。



「可愛かったよな。元気にしてるか?」


「は?」


「いや、ふぅくん…」


「あの子、どうしておまえみたいな奴と付き合ってんだ?こんな愛想のない男より、俺の方が良くねぇか?」


「てめぇ喧嘩売ってんのか?」


「ハル、風雪もやめろ。今春ちゃん関係ないだろ!」


「あっ関係ねぇんだ?」


「…関係ねぇことは、ねぇか…?」



兄貴がこっちを見て、そんな兄貴を見てシゲが溜め息を吐いた。



「…ふぅくん知ってたん?春ちゃんのこと」


「何が?」


「何がって…全部知ってそうな口ぶりやん」


「さぁな、おまえらが何を知りてぇのかは知らねぇけど。誰の話ししてんのかは何となく」


「分かったん?」


「そりゃあ、ここに陽生が居る時点で陽生の問題だろ。関係ねぇのにわざわざ俺に会うか?」



風雪が「なぁ?」とこっちを見る。



「顔合わす度にキャンキャン吠えてくるもんな?」


「誰が犬だコラァ」


「ちょ、やめろや!ハル座れ」


「おまえら話しが前に進まねぇんだよ、喧嘩売るな、買うな」



兄貴が風雪を見て次にこっちを見た。



俺らの仲の悪さなんて今に始まった事じゃない。


兄弟の中で上二人と歳が離れていた所為で、一番歳が近い風雪とは昔から一緒に居る事が多かった。その分よく遊んだし、喧嘩もした。兄貴らみたいに兄とゆう感覚は無く、いつも対等だった。


風雪が高校生になると、あいつの連れている女に毎日苛々していた。どいつもこいつもろくでもねぇ。気色悪い女ばっかりだった。


家に上げるなって言っても聞かねぇし、事あるごとに喧嘩になる。それからは極力顔を合わせないようにした。


それでも兄弟に変わりはない。お互いの状況は何となく見聞きしているし、知ろうとしていなくても知らされる。兄貴らもそこは気を遣ったりはしない。


だから、春の事も風雪がどこまで知っているのか…知らなくて当然だし、知っていてもおかしくはない。


なんせ、交友関係は引く程広い。この界隈の人間関係は兄貴より把握しているらしい。取り入りやすいのか、取り込みやすいのか。 

  


「あの子さ、桜のママに気に入られてるって聞いた事ある」


「え、春ちゃん?」


続けられる会話に、シゲが一早く反応した。



「ナツ兄が騒いでた時あったろ」


「え、いつ?」


「CLUB桜に行きたいって騒いでたろ」


「あー、春ちゃんとハルが付き合う前の話しやんな?」


「かな。夜の店の女とか興味ねぇし、どうでも良かったし。当時ナツ兄が騒いでた春ちゃんって、陽生の彼女だろ」


「そうそう!」


「前、陽生と一緒に居る時遭遇した」


「あ、そうなん?」


「あの子何度か見かけた」


「え!どこで?」


「コンビニ」


「は?」


「コンビニ?」


「何で?」



続けてシゲと兄貴も聞き返した。



「あの子、家この辺?」


兄貴達の質問に答えない風雪が質問を質問で返し、当たり前の様にシゲが「違う」と答える。



「春ちゃん家、ここから遠いで。店までタクシーで行ってるって聞いたし」


「いや、この辺に住んでる」


「は?」


「何で?」


「どこに?」


再び俺の後を追って、シゲ、兄貴の順番で聞き返す。



「あの子、全く眼中にねぇよな」


質問に答えない風雪は、言いたい事だけ口にする。



「え?どうゆう意味?」


やっぱりシゲが聞き返す。



「ホストに声かけらてたけど、まるで自分に言われてると思ってねぇ。俺あんな子好きだわ」


「は?」


「ちょ、」


「俺も好き」


「は?」


「何でやねん」


「いや、俺は春ちゃんが…って意味じゃなくて、そうゆう子?風雪が言ったみたいに、そうゆう場面でそうゆう事する子が好きだわ」


「どうゆう子やねん、カズ兄らの趣味が独特すぎんねん」



普段は仕切って見せるシゲも、兄貴や風雪を前にすると話が前に進まない。正直こいつらの趣味なんてどうでもいい。



「春ちゃんの話しに戻して」


それはシゲも同じようだ。



「そのホスト、知り合いでさ」


「はい?」


「話しかけてたホスト、俺の知り合いで」


「うわぁびっくり」


「まぁ、どっちかいやそのホストに気づいて、相手が春ちゃんだって気づいたんだけど」


「あぁなるほど」


「そいつにあの子知り合いかって聞いたら、ただのナンパだった」


「なんやねん、もう話のオチがしんどいわ…」


「でもまた次の日見かけた」


「はい?」


「同じコンビニで。同じぐらいの時間に。流石に運命じゃね?って思った」


「はぁ?」


「ないない」


「俺も思う」


「え、カズ兄どっちに共感?」


「風雪」


「そうかなって思うたわ!」


「一回目は偶然、ニ回目は運命だろ」


「カズ兄の運命廻(めぐる)の早いな!」


「言いから話し続けろ」


風雪との会話はいつもこうだ。拉致があかねぇ。イライラしてすぐ喧嘩になる。



「ほら、ハルがキレねん…」


「ニ回目に会った時、流石にどうしようかなと思った。声かけようか、スルーしようか」


「運命だもんな」


「カズ兄!」


シゲが兄貴を制した。黙れって意味だと思った。



「でもやめた」


「え、なんで?」


「多分夕飯買ってた」


「え?」


「俺飯選んでる時に話しかけられんの嫌なんだよ」


「知らんがな!」


シゲが悪態を吐く。俺だったら一発殴ってる。



「ふぅくん、これ…いつになったら本題に入んの?」


「本題?そもそもおまえら何が聞きてぇの?」


「え!そっから?そうやった…そっからかぁ…」



項垂れるシゲが不憫でならない。



風雪に関わるのは骨が折れる。こいつに関わる奴は、血迷ったか頭がおかしい奴だと俺は思っている。



「春が居なくなった。家にも帰ってねぇし連絡とれねぇ。どこに居るか教えろ」



そして、自分もその一人だと言う事になる。



「へえ、至極どうでもいい話しだな」


「てめぇの感想なんか聞いてねぇんだよ」


「ははっ!おもしれぇ」



こっちは一つも笑えない。



「わかった。春ちゃん捕まえてやるよ」



こいつが言うと聞こえが悪い。



「どうやって会うん?」


シゲが言うと、まともな話に聞こえた。



「知り合い伝って行ったらCLUB桜の人間、誰かしらに辿り着く。まだ店で働いてんなら簡単だ」


「マジで!」


シゲが心底嬉しそうに立ち上がった。



「もう行くわ。今日約束あるんだよ」


風雪も立ち上がる。



兄貴とシゲがそれぞれ順番に声をかけ、礼を言っていた。それは自分も同様だと自覚している。



「おい陽生、」


風雪が入り口手前で立ち止まり、振り返る。



その顔も、その声も、仕草までも良く似ていると言われて来た。



「あんま人を振り回してんじゃねぇよ」


「は…?」


「めんどくせぇんだよてめぇはよ」


「てめぇに言われたくねぇんだよめんどくせぇ」



そりゃそうだろ。


兄弟の中で誰よりもずっと一緒に居た奴だ。

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