23

彼氏ん家

それからあたしは無理矢理腹をくくった。



いや、くくらされた――…



「今日行くんやろ?」



…――この脳天気な男、シゲさんに。



「行くんやろ?って…、シゲさんがあれよあれよとゆう間に決めたんでしょ…」


「だって春ちゃん、全然ハッキリせぇへんやんか!平日は学校で、夜は仕事があるし、そうなったらもう土晩にお泊まりするしかないやん!次の日、日曜日やし丁度ええやんけ」


「ええやんけって…」



溜め息を吐くあたしの横で、シゲさんまさかの大笑い。


「何やねん!ちゃっかりお泊まりの準備してきてんねやろ?」


「そりゃしてくるよ!陽生先輩に行くって言っちゃったもん!」



屋上でのやり取りの後、土曜日の夜に仕事を早めに切り上げて明和さんのお店で待ち合わせしようとゆう話になった。



二十三時に帰らせて貰い、今あたしは明和さんのお店のカウンターに座って、藤本陽生を待っているんだけど―…



「で、何でシゲさんが居るの?」



仕事を切り上げて明和さんのお店に来ると、何故かシゲさんがカウンターに座っていた。



エプロンを腰に巻いているから、絶対お店を手伝いに来てる筈なのに、どうしてか今もあたしの隣に座ってマンゴージュースを飲んでいる。



「今日、はように出勤したから、もう仕事上がりやねん」


「そうなんだ」


「で、ついでに春ちゃん待ってた」


「…ありがとう」


「ここの客、水商売の人らが多いねん。春ちゃん絡まれたら嫌やんか」



シゲさんがあたしと話してる事も、側から見ると水商売の女が店員に絡んでる様に見えるんだろうか。



「シゲさん」


「ん?」


「…あたしも一応、水商売してる人なんだけど」


「え?」



ポカンと見つめてくるシゲさんを見つめ返す。



「同業者だから、絡まれないと思う…」


「あー…!そうか!なんや今日えらい化粧してんなぁ思うてん」


「何言ってんの…」


「春ちゃんとおったら、そんな事忘れてまうから。春ちゃんって、見た目はそれらしくしてんけど、中身全然染まらへんよね」


「どうゆう事?」


「そのままやって事。毎朝きちんと学校も来てるし、えらいやん」



言葉通り、誉めてくれたであろうシゲさんが微笑んでくれる。



「ありがと…」


「何照れとんねん」


「照れてへんわ」


「うわっ!えせ関西弁や!」



一々大袈裟な反応をするシゲさんは、「バカにしとんのか!」と、一々大袈裟に怒ってみせた。



だけど―…



「あ、陽生くん来はったで」



おどけて言うシゲさんの視線を辿ると、店のドア越しに藤本陽生の姿が見え、



「ほな、お邪魔虫は退散や」



ドアが開いたのと同時にシゲさんが立ち上がり、「ハル!」と、店内に入った藤本陽生に声をかける。



「シゲ、悪かったな」



あたし達が居るカウンターまで来ると、藤本陽生がそう声をかける。



「別に。春ちゃんが相手ならいつまででもお相手しときたいわ」



こうゆう一々優しいシゲさんが、たまに心配になる。



あたしばかりに付き合わせて、あたし達の恋愛模様を毎日見る羽目になって…


自分だって、好きな人と会いたい筈なのに。



「じゃ、ぼちぼち帰るわ。春ちゃんまたね」



ヒラヒラと手を振るシゲさんの背中が、寂しそうで心配になる。



「シゲ」



だから「待って!」と声をかけようとした言葉は、藤本陽生がシゲさんの名前を呼んだ事で呑み込んでしまった。



「外で待ってる」



振り返ったシゲさんに、藤本陽生がそう告げたから、「駅まで一緒に帰ろう」と伝えたかった言葉は、言わなくて済んだ。



「シゲさん、待ってるね」



さっさと出て行く藤本陽生を目で追いながら続けて言ったあたしに、



「すぐ出る!」



シゲさんの声が弾んだ様に聞こえたのは、気の所為じゃないと思う。



すぐに出てきたシゲさんは、お店の外で待っていたあたし達に気づくと、「待たせた」と、それはそれは偉そうに登場した。



「春ちゃん、ハルの家知ってんの?」



そして今、あたしを挟む様に藤本陽生と並んで歩いている。



「…いや、知らなくて…」


「こっから近いで」


「…そうなの?」


「そうや」



そうなんだ…と、一人呟いて視線を藤本陽生に向けた。


だからなにって事もない。


何となく、見てしまった。



「俺ん家は駅の向こう」



聞いてないのに、シゲさんは教えてくれる。



「シゲさん達の家、この辺なんだね」


「そうや。向こうの通りにある中学に通っててん」


「そうなんだ」



三人で歩いているのに、話してるのはあたしとシゲさんだけ。



「今度春ちゃんに教えたるよ」


「うん」



チラチラと藤本陽生に視線を向けるけど、口を開く気は無いらしい。


怒ってる様でもないし、良く分からない。



「ほな、おニ人さんまた月曜日に」



駅が見えて、シゲさんが立ち止まった。



「ここで良いの?」


「そこのすぐ裏やから」


「そっか」



シゲさんと何か話すかなと、藤本陽生に視線を向ける。



その視線に気づいたらしい藤本陽生は、あたしを見る。



「…え?」



ずっと見てくるから、何だろうかと戸惑ってしまう。



「意志の疎通が出来てへんやん」



あたし達の様子を見兼ねて、シゲさんが呆れたように笑った。



「春ちゃんは別にハルに何か言いとうて見てたんちゃうから」



藤本陽生に説明するように言ったシゲさんは、藤本陽生よりあたしの考えが分かるみたいだ。



「おいハル、考え事も程々にせぇよ」



呆れ口調のシゲさんに、藤本陽生はやっぱり何も言わなかった。



様子がおかしいけど、状況が良く分からないから、大丈夫かな?と、思わず困惑してしまう。



「まぁええわ。ほな頑張って。春ちゃんまた」



藤本陽生の肩をポンと叩いて、あたしに手を振りながらシゲさんは駅の向こうへと背を向けて帰って行った。



そして藤本陽生は、来た道を戻るように歩き出す。



だからあたしは、その背中に付いて行くしかない。



仕事終わりだから、高いヒールを履いている所為で、藤本陽生に追い着くのがやっと。



スニーカーを履いている藤本陽生の歩幅は大きい。



「あのっ…」



今にも置いて行かれそうな勢いに、思わず待ったをかけた。


かろうじて届いたあたしの声に、藤本陽生が立ち止まる。


こっちを向いてくれたから、その間に距離を縮めた。



隣に並んだあたしを見下ろす藤本陽生に、


「追い付けないんで、掴んでて良いですか?」


コートのポケットに入れていた手を藤本陽生の腕へ近づけた。



あたしの手と自分の腕を交互に見て、藤本陽生は「あ…」と声を漏らす。



「悪い」


「え?」



それはどっちの意味なんだろうかと、差し出した手は、未だ腕を掴めないでいる。



宙ぶらりんのあたしの手を、どうしたら良いか分からない。



「掴んでて良い」



そう言ってあたしの手を掴むと、藤本陽生は自分の腕へと引き寄せてくれたから、その腕をしっかりと掴んで隣に並んだ。



普通に話してくれるから、やっぱり怒ってる訳じゃない。



「寒いですか…?」



体調でも悪いのかと不安になってそう聞いたあたしに、藤本陽生は視線を向けてくる。



だけどすぐに言葉は発してくれず、不本意にも見つめ合ってしまう形となった。



「あの…」


「寒くない」


「そ、そうですか」



藤本陽生が言葉を発するタイミングが良く分からない。



この、ほんの少しの間に、物凄く戸惑ってしまう。



こんな状況で、今からお家へお邪魔すると思うと、気持ちが沈みそうになって、腕を掴んでいた手にきつく力を込めた。



「…何か、元気ないですか?」



視線を落としたまま問いかけたあたしに、藤本陽生がこっちを見たのが気配で分かった。



「いや」



思いっきり溜めて吐き出された言葉は、否定だけど肯定にもとれる。



何だか様子がおかしいですよ…とも言えず、会話が見つからない。



だけどその沈黙を、藤本陽生自身が破ってくれた。



「おまえって、普通だな」



その言葉に、思わず足が止まってしまう。



どうゆう意味かなんて検討もつかないけど、沈黙を破った最中のこの発言は、警戒してしまう。



「どうした?」



腕を離したあたしに、藤本陽生が問いかけてくる。



「普通って、何が…?」



いつだって、藤本陽生の特別で居たいと願ってきたあたしにとって、「普通」とゆう単語は、“興味がない”と言われている気になる。



仕事終わりの、このドが付く程派手な身なりを、「普通」と言ったとは思えない。



外見じゃないとしたら、中身…?


あたしは藤本陽生にとって、周りに居る人と何ら変わりない「普通」の立場とゆう事なのか…



「何って、そのままの意味だろ」


「…そのまま?」


「あぁ」



頷いたと同時に藤本陽生が歩き出したから、自分で腕を離したくせに、あたしは慌ててその姿を追った。



早歩きで隣に並ぶと、藤本陽生が横目で視線を向けてくる。



「もっと緊張してんのかと思った」


「え?」



隣を付いて歩くのに必死で、おまけにビュービューと向かい風が吹いて来るから、聞いているのに話しが良く分からない。



「普通だろ、いつもと変わんねぇ」


「え?」


「俺の方がクソ緊張してる」



その言葉はきちんと耳に届いたし、その言葉の意図も理解する事が出来た。



「緊張してんですか…?」



思わず変な言葉遣いになってしまう程。



「してる」


「…そうなんだ」



まさかの発言に、拍子抜けしてしまった。



「おまえは普通だよな」


「えっ?」


「何でそんな普通なんだ?」


「…え?」



怒ってる様な感じじゃなくて、理解出来ないって感じの口調で話す藤本陽生に、どう答えていいか分からない。



「何なんだ」


「いや、」


「なんだおまえ」


「えっ?」



戸惑うあたしを横目で見つめる藤本陽生が、



「今日一日緊張しっぱなしだ」



ふてくされた様に言うから、凄く可愛いと思ってしまった。



にやける頬を抑えながら、緊張と戦ってるであろう藤本陽生の腕へそっと手を回して、余裕綽々と見せた。



あたしも緊張してたのは、もう少し黙っておこうと思う。



繁華街までは行かずに、少し手前を曲がると、マンションやビルが立ち並んぶ通りに広がる。



何度か通った事はある。



だけどマジマジと見渡したのは初めてだった。



「ここ、ですか…」



その中にあるマンションの前で空高く見上げるあたしに、「こっちだ」と、藤本陽生の声が飛んでくる。



オートロック式とゆうだけで、高級マンションだと決めつけるあたしは、根っからの凡人だ。



「この程度のマンションはそこら中にいくらでもある」



藤本陽生が、あたしの凡人振りを鼻で笑った。



「シゲん家のマンションは本物の高級マンションだ」



シゲさんのお家情報を教えてくれた藤本陽生は、エレベーターに乗ると七階へ向かうボタンを押した。



目ざといあたしは、ちゃっかり確認をする。



エレベーターを降りて藤本陽生の後を付いて歩き、一番奥の部屋のドアの前に来ると「ここ」と、教えてくれた。



深夜零時にお邪魔をするのだから、静かに入らなければと覚悟を決めたあたしは、



「住んでるのはこっちだ」



その隣にある部屋のドアへと誘導された。



「え…?」



困惑するあたしをよそに、その隣の部屋のドアの前で立ち止まる。



さっき藤本陽生は確かに、一番奥の部屋の前で「ここ」と言った。



ここが家とゆう意味だと解釈したあたしは、何か誤解をしてるんだろうか。



余程不審な顔つきだったらしいあたしに、



「両親はあっちで暮らしてる」



藤本陽生は説明をしてくれた。



元々家族6人で、このマンションの7階にある一番奥の一室で暮らしていたらしい。


だけど藤本陽生が中学生になった頃、明和さんが家を出るとなって、その隣の一室を購入したらしい。



小さい内は良かったけど、大きくなるにつれて、男4人兄弟には部屋が窮屈になっていたらしい。



だから、藤本陽生が中学生になったのを見計らって、明和さんは家を出た。



そのお陰で少し広く使えるようになった矢先、次男の園村さんが彼女と同棲を始めた。



その彼女とは、今の奥さんらしい。



そうして残されたのが藤本陽生と、三番目のお兄さん。



だけど、三番目のお兄さんとは再三喧嘩になるから、藤本陽生が高校生になった時、明和さんの部屋へ勝手に引っ越したんだそう。



ご両親も明和さんとなら安心だからと、納得しているらしい。



まぁ、部屋が隣同士だから、会おうと思えば毎日でも会えるんだろう…



「だから今は、風雪と親が一緒に住んでる」



家のドアを閉めて、藤本陽生がそう言った。


正確には明和さんの家だけど…



「お邪魔します…」



ドアの鍵をかけると、藤本陽生はあたしを通り越して、玄関の前に広がる廊下の電気を点ける。



さっきまで藤本陽生が居たであろう部屋の中は、微かに温かい。



「腹減ってるか?」



リビングに入ると、なるほど明和さんの家だと思わせるような、まるでどっかのカフェみたいなリビングだった。



家具やソファーが一々お洒落。



「お腹、減ってないです」


「そうか、兄貴が春が腹減ったら食わせろって」


「え?」


「作ってくれた」



明和さんの優しさに、心まで温まってくる。



時間も時間だし、正直あたしはお風呂に入りたかった。だけど、彼氏の家に初訪問してすぐにお風呂ってのは、言いにくい。



「明日、頂きます…」



そう言ったあたしに、



「じゃあ風呂入るか?」



と、願ったり叶ったりな発言をしてくれた。



リビングを出て、玄関の近くにある廊下の右側が藤本陽生の部屋らしく、意外と広くて驚いた。



明和さんの部屋はリビングを出てすぐ左にある部屋らしい。



ドキドキと高鳴る胸の音に動揺しながらも、藤本陽生の部屋へ足を踏み入れると、凄く落ち着く匂いがした。



テレビがあって、ベッドがあって、テーブルがあって…テレビの横には、小さい冷蔵庫まであって吃驚した。



その他は何も置かれてないから、やけに部屋が広く感じる。



衣類なんかはクローゼットに収納してあるのかな?と、思わずクローゼットへ視線を向けた。



その後お風呂場へ案内してもらい、シャワーだけして急いでお風呂を出た。



浴槽にお湯は溜まってたけど、人様のお宅で図々しく湯に浸かる訳にもいかず、藤本陽生を待たせるのもどうかと思って、トレーナーと楽なズボンに着替えて、髪も乾かさずに急いで部屋へと戻った。



あたしが余りの速さで戻って来たから、テレビを見ていたらしい藤本陽生の動きがフリーズした様に一瞬止まった。



タオルでしっかり拭いたつもりが、



「…髪」



誰が見ても気になるだろう、あたしの濡れた髪を見て藤本陽生が立ち上がる。



「…風邪引くだろうが」



そう呟いて、再び脱衣場へと連れ戻された。



「ドライヤーはここにある」


「…はい」


「遠慮しなくていい」


「…はい」



手渡されたドライヤーを受け取ろうとした拍子に、



「…っクシュンっ!」



ブルッと寒気を感じてしまった。



ズズッと鼻を啜ったあたしの頭上から、溜め息が落ちてくる。



と同時に、ブウォーンと音を鳴らして温風が頭に直撃した。



「バカだな」


「…すみません」



呆れた様にあたしを非難する藤本陽生は、それでもあたしの髪に温風を当ててくれた。



一分も経たない内に、



「…自分でやってくれ」



ドライヤーを手渡して来た藤本陽生は、あたしの長い髪に苦戦したらしく、ギブを訴えた。



数分で頭を乾かし終え、部屋へ戻ると、「風呂より長かったな」と、嫌みか冗談か良く分からない発言をされたから、



「ちゃんと洗ってます」



雑な女だと思われたくないから、そこは強調させてもらった。



部屋のドアを閉めて、どこへ座ろうかと部屋を見渡した。



だけど、そんな事をしたところで、離れて座る意味もなく、藤本陽生が壁を背に座っている場所へ近づき、少しだけ距離を置いてその隣に腰を降ろした。



「テレビ…見え辛くないですか?」



床に直接置かれたそれは、目線が下になり過ぎて、非常に見辛い。



「確かにな」



そう頷いた藤本陽生は、どうしてテレビが床に置かれてしまったのかとゆう、きちんと存在する理由を教えてくれた。



生活の殆どはリビングに居るらしく、自分の部屋は寝る時にだけ入ると。


だから自分の部屋では殆どテレビを見ないらしい。


その為、適当に床に置いたんだそうだ。



じゃあ、どうしてテレビなんて買ったのかと聞くと、貰ったと言っていた。


二番目のお兄さん、園村さんが家を出る時に、使っていたテレビを藤本陽生にくれたそうだ。



「その冷蔵庫と、このテーブルも、ナツがくれた」



つくづく、藤本陽生はお兄さんに可愛がられているんだなと感じた。



三角座りをするあたしに、藤本陽生は時折目線を向けてくる。



その視線へ目を合わせると、



「聞きたい事がある」



めちゃくちゃ睨まれた。



「…聞きたい事?」



だけど本人に睨んでいる意識は無いようで、口調は至って普通だった。



「単刀直入に聞くけど」


「…はい」


「おまえ、俺のどこが好きなんだ?」


「…え?」



普通、そうゆう事を聞くんだろうか…



むしろあたしは、ずっと聞きたかったけど聞けないでいた人間だから、ある意味藤本陽生とゆう人を尊敬する。


その反面、藤本陽生でもそうゆう事を気にするんだと感心していた。



「…気になりますか?」


「何が?」


「あたしの気持ち…」



そう言ったら、藤本陽生が眉間に皺を寄せた。



「だから聞いてる」


「…そうですか」


「どうなんだ」


「あ、あります…」



思わずそう答えてしまった。



何故本人を目の前にして、好きなところを発表しないといけないのか…


だけど、藤本陽生は言えと言わんばかりに視線を逸らしてはくれない。



「あ、あたしだけ、言うんですか…?」


「何?」



言ってる意味が分からないって感じに、眉間に皺を作られた。



「陽生先輩は、教えてくれないんですか?あたしの…好きなところ…」



自分で言ってて恥ずかしくなる。



「そんな事言ったら、止まんねぇけど」


「え?」



恥ずかしさから落としていた視線を上げると、三角座りをしているあたしの足下を這う様に、藤本陽生が両サイドの床へ手を付いた。



「ぃっ…」



その距離わずか十数センチで、思わず変な声が漏れた。



体が硬直して下がる事も出来ず、まさに追い詰められている。



三角座りをしている足を少しでも動かせば、藤本陽生の体に触れてしまう…



ガチガチに固まるあたしは、



「俺がどんだけ好きか、知らねーだろ」



その鋭い視線に捕らわれる。



「見てるだけで好きだと思う」


「えっ…?」


「声を聞いたらもっと好きになる」


「……」


「仕草とか、行動とか、歩き方まで、全部好きだ」



息苦しくて、あたしの鼓動は速度を増して行く。



「笑った顔も、不貞腐れた顔も、好きで堪らない」



藤本陽生の息遣いが、手に取るように感じられる。



「だから、」



そう言って、右手を近づけて来た藤本陽生は…



「触れたら、また好きになる」



…あたしの頬をスッと撫でた。



一瞬だったのに、ゾクゾクと背中が痺れる。



その色っぽい視線に、意識が吹っ飛びそうだ。



近づく距離に、キス…される…と思ったあたしの勘は、見事に命中した。



ゆっくりと近づいてくる顔に、もうどうする事も出来ない。



すかさず目を瞑った瞬間、藤本陽生の唇が触れた。



思わず息を止めてしまった所為で、触れただけの唇がゆっくりと離れた時、息を大きく吸い込んだ。



再び唇に触れようと、藤本陽生が顔を近づけてくる。



「っ…」



止まりそうな息遣いで、必死に出した声は言葉にならず、藤本陽生の唇が一瞬触れてすぐに離れた。


ゆっくりこっちへ視線を向けると、「春」と名前を呼ばれる。



「……」


「春…」


「…好き」


「……」


「大好き…」


「……」


「陽生先輩…」


「…わかった」



どうして今言おうと思ったのかは分からない。どうしても今、無性に伝えたくなった。



「少しでも声が聞けたら嬉しくて、同じ空間に居れるだけで幸せで… 今こうして、一緒に居れるからどんどん好きになる…」


「…そうか」


「陽生先輩…」


「春、」



名前を呼ばれると、あたしはどうも大人しくなってしまうらしい。



口を閉ざすと、唇が再び重なる。



「腕回せ」


「え…?」



言ったと同時に体は宙に浮き、抱っこなのか、担がれているのか、考える余裕もなく「わ、あ、」と慌てて藤本陽生の首にしがみついた。



ゆっくりとベッドの上へと寝かされ、無意識に瞑っていた目を開けると、藤本陽生の顔が目の前にある。近いな…と冷静に思う反面、ドキドキと速まる心臓の鼓動。



お互いの体がピッタリと密着している。



藤本陽生が離れる気配は無く、必然と見つめ合うあたし達。その時間はわずか数秒だったかもしれないけど、まるで時間が止まっているかの様に感じた。



どうしたら良いか分からず、見つめる事しかできずにいると、あたしの体を支えていた藤本陽生の右腕が背中から引き抜かれる。


その右手が言葉も無くあたしの左腕を掴み、ゆっくりと自分の首から左腕を引き離した。


あー…しがみついていたのはあたしだったと、その行動を見て理解し、体が離れる事を心細く思った。



だけどお互いの体が離れたのは一瞬で、もう一度あたしをしっかりと持ち上げ、ベッドの中央へ動かされた。


同時に藤本陽生の体温がここに戻ってくる。


もう何がなんだか分からないけど、あたしの体の上に跨った姿を見上げているだけで、全身から何かが溢れ出るんじゃないかと思った。



何度も何度もキスをされ、唇が離れた一瞬、目を見つめてくるから、全身に鳥肌が立ち…その後も藤本陽生はキスの合間に何度も見つめてくる。



…—これは、何のプレイなんだろう。



計算してやってるんだとしたら、答えは正解。



あたしは藤本陽生に見つめられると、全身の体温が上がるんだと知った。



羞恥心を掻き立てるのか、何かに興奮しているのか、初めての事ばかりで自分ではさっぱり分からないけど、見つめられる視線が優しくて、触れる唇が気持ち良い。



服の上から胸を触られ、感じた事のない快感が全身に走る。高ぶる感情が声になって漏れそうなのに、キスを止めてくれないから気持ち良くて頭がおかしくなりそうだった。



熱におかされながら、されるがままに、どうしたら良いか分からず…服の中へと侵入して来た手が直に肌に触れ、体が敏感に反応した。



どんどん深くなっていくキスと、肌に触れる指先が、全身だけじゃなく脳にまで快感を与えているみたい。



絡みあった唇が離れると、きつく体を抱き締められた。ぎゅうーっと首元に顔を埋めてくるから、乱れた呼吸が首にかかり、また変な声が出そうになった。



無意識にしがみついていたあたしの腕から離れると、藤本陽生が上の服を脱ぎ、上半身が露わになる。



その姿に、胸が高鳴るより前に、早く触れてほしいと本能が叫ぶ。



好きな人が自分の上に跨っている姿を見るのが、こんなにも快楽に繋がるものかと、腕を顔の上に乗せ、高鳴る鼓動を落ち着かせようと視界を塞いだ。



瞼を閉じて深呼吸をして…ゆっくりと腕をずらし、うっすらと瞼を開ける…



「眩しいのか」


藤本陽生が顔を近づけながら聞いてきた。



…色々と眩しい。


直視できない…



再び腕を瞼の上に乗せ、ウンウンと頷いて見せた。



それを電気の光が眩しいんだと解釈したらしい藤本陽生は、あたしの体に跨ったまま、ベッドを軋しませ、すぐ近くにあったらしい電気のリモコンを手に取る。


その動作の一部始終を盗み見ていた。



藤本陽生が体重移動する度、あたしの体に触れる重みの箇所が変わる度、その体を引き寄せたい衝動にかられる。


そんな妄想をされているとは思ってもいない藤本陽生が、すぐに電気を消して、「これで良いか」と囁いた。



再びウンウンと頷いて見せた。


胸がいっぱいで、もう声を出す事すらできない。


薄暗くなった室内で、腕を顔の上から降ろし、枕元に両手を添えた。



小さく息を漏らした藤本陽生は、あたしの腕を引き、上の服を脱がして行く。顕になった胸元を、掌いっぱいに包み込んだ。



胸を弄りながら、繰り返しキスをされる。お互いの肌と肌が密着するように、背中に腕を回した。



「春…」


名前を呼ばれたあたしの体は、面白いぐらいに固まる。



見つめてくるその視線に、体の温度が上昇を始めた。熱を帯びた肌は、触れられただけで敏感に反応し、ズボンを脱がされる時にグッと腰を持ち上げられた瞬間、全身が痺れる様な感覚に陥った。



掌が肌を優しく撫でる。指先がゆっくりと下へ移動していく。


何度もキスをしてくれるから、何度もしがみついた。


舌と舌が絡み合い、指先はゆっくりと太ももを這う。


唇を吸われているのか、舌を食べられているのか分からない。


グッとキスが深くなった時、太腿を這っていた指先が中心に触れた。


唇が離れないから、漏れる息に交ざって切なく声が響く。


込み上げてくる快楽から解放してくれる気がないらしい。



指先の振動が優しくて、本当に頭がおかしくなりそうだった。


勝手に声が出そうになるのに、キスを止めてくれないから声を出す事もできず…何とか顔を背けて、深く息を吸い込んだ。


離れた唇から、お互いの荒い呼吸がやけに耳につく。


ゆっくりと瞼を開けたのと同時に、投げ出された両足を掴まれ…次に何をされるのか、経験がなくても想像ができた。



…体に力が入らない。



「春…」



ダメだ…動けない…



返事をしない所為か、掴まれていた両足から手が離れ、ゆっくりと体の上を這う様に顔を覗き込まれた。



今見つめられたら…



…見つめられたら、頭のてっぺんから足の爪先まで、全身があなたに反応してしまう。



「春…」



視線を合わせない様に、両腕で顔を隠した。



…お互いの汗の量が尋常じゃない。


呼吸が整ってきて、思考が冷静になり始めた。



あたしばかり気持ち良くて、男の人はどうやって気持ち良くなるんだろう…



腕の隙間から表情を伺い見る。


ほんの一瞬の隙に交じる視線…


微笑まれた気がした。



ほんの少しだけど、微笑んでくれた気がした。


一ミクロン程の違いかもしれない。


あたし以外には分からないレベルかもしれない。


でも確かに、微笑まれた気がした。


腕を捕まれ、顔から引き下ろされる。



いちいち優しく触れてくるから、愛しくて堪らない。


あたしの上に跨っていた体を少しズラすと、カチャカチャとベルトを外し、ズボンのファスナーを下ろす。


うっすら瞼を開けてその動作を見ていたあたしは、初めてそれを目にした。



独特の湿っぽさに、妙な動悸に襲われ…すぐに視線を逸らした。



その態度に、あたしが何か躊躇していると感じたのか…藤本陽生も隣に寝そべり、体を引き寄せてくれた。



湿った肌をこれでもかと、きつく抱き締めてくれる。


その肌に顔を埋めると、太腿に湿っぽいものが触れた。


感触を確かめる様に足をゆっくり動かし、それを太腿でなぞる。



これって…


太腿でなぞりながら、この当たってるものに手を伸ばそうかと考えたとき、再び強く抱き寄せられた。



さっきよりも背中に回された腕が痛い。


抱き締められているというか、絞められているというか…



動きを完全に封じられたところで、



「…足、動かすな」



触れたままのそれが、湿っぽさから熱を帯びていくのを感じた。


まるで生き物みたいに脈打ってる感じすらする。



「…動かすなって言ってんだろうが」


切羽詰まった様に言葉を吐き出すから、



なんだろこれ…


ドクドクと動悸が始まる。


クラクラする…


擦れた声を出す藤本陽生を見て、あたしまで全身が火照ってきた。


ぎゅっと抱き寄せられていた腕の力が少し弱まったのを感じ、すぐ様手を下半身へ忍ばせる。


恐る恐る手探りで触れると、藤本陽生が大きく息を吐き出した。


その何とも言えない息遣いに、体がゾクゾクと震え出す。



握るように掴むと、


「…春、」


言いながら、それを握っているあたしの手ごと掴んだ。



「…離せ」


「え…?」


「…手」


「離すの…?」


「離せ」


「離していいの…?」



こんなに硬くしているのに、少し力を加えただけで脈打つのに、気持ち良くしてあげたいと、本能が言う。



「どうすればいい…?」


「……」


「どうしたらいい…?」


「……」



何と格闘しているのか、何も言わない…いや、言えないのか、次にする行動を考えていた時、あたしの思考を察した様に、握っていた手ごと強く引き離された。



「あ…」


形勢逆転した体勢で、再びあたしの上に跨って見下ろしてくるその瞳が、憂いを帯びている。


揺れる瞳を見つめながら、離れてしまった手を今度は強く握り締められた。



「…挿れてもいいか」



ここまで来ると、考えるよりも先にウンウンと頷いていた。



「…春、」



無意識に目を瞑っていたあたしは、名前を呼ばれて瞼を開けた。



「春…」


視線を合わせる事で、言葉に代わって返事をした。



「足、力抜け…」



そう言って、左足をぐっと持ち上げられた。



驚いて、再び体が強張る。



それに気付いた藤本陽生が、「春」と、囁いた。



…もうどこを見ていいか分からない。



強張っている体を解す様に、左の太腿をなぞられ、再び全身に痺れの様なものが走る。



キスが深くなっていくと、また指先が中心へと移動していく。



ニ度目のその動きに、全身がもう一度あの快楽を待ち侘びていると感じた。



ゆっくりとなぞられ、指先が奥へと進んでいく。


その振動を一度知ってしまったから、体が勝手に反応し始めてしまう。



動く指先の振動に合わせて、腰がどんどん浮いていく。



「っ…っ…」


腰を動かしたい衝動にかられた。



あー…



意識が薄れるのも近いなと感じた時、指じゃないと分かるそれが、中心をなぞる様に優しく押し当てられた。



「…春」


もう名前を呼ばれただけで、意識が飛びそうだ。



ゆっくり挿入してきたものが振動する度、



「っ…っ…」


声にならない吐息が漏れ、それに反応しているみたいに、藤本陽生の体が震えた。



首元に顔を埋めて、覆い被さってきた身体をギュッと抱き締めると、同じように抱き締め返してくれる。



「…大丈夫か」


「……」


「春…」



返事をしたいけど、今は言葉が出ない。


乱れたままの呼吸が心地良い。



きつく抱き締めてくれるから、自分という存在がとても大事なものの様に思えた。



ゆっくりと体から離れるように、上体を起き上がらせようとしているのが分かり…



「まだ離れないで…」


自分が発した言葉とは思えない程、甘えた声が出た。



そんな甘ったれたあたしの要望に、


「わかった」


真っ直ぐ応えてくれる。



何をそんなに執着していたのかは分からない。ただ今はもう少し、くっついていたかった。


離れてしまうと、夢から覚めるようで…


抱き締めてくれている間、聞いた事のない優しい声や、表情を思い出し…余韻に浸りたかったのかもしれない。



体の関係を持った事で、もっともっと好きになってしまった。



藤本陽生も、同じ思いなら良いなと願わずにはいられない。



「汗が…」



情事が終わって、ベッドのシーツに包まる体は、ベトベトして気持ち悪い。



隣に寝そべる藤本陽生は、今にも寝落ちしそうにウトウトしている。



やっぱりシャワーを借りようと、あたしの腕を掴んで離さない手を持ち上げる。



「あ…シャワー借ります」



動いた所為で目を開けた藤本陽生が、何も言わずあたしの顔を見つめてくる。



「あの、シャワーを…」


「今何時だ」


「…今、多分、三時か…四時か…」



どっかに時計は無いかと、辺りを見渡すあたしに、



「なら、まだ兄貴は帰って来ねぇ」


「え?」


「俺は寝る」


「…はい」



言った途端、スーッと寝息をたてる藤本陽生の手が、あたしの腕を滑り落ちる。



明和さんが帰ってくる前にシャワーを浴びようと、急いでお風呂場に向かった。



ササッと身体を洗った後は、きちんと髪を乾かして藤本陽生の部屋へと戻った。



今まで明るい所に居た所為で、部屋の中がやけに暗く感じる。



足元を確かめながら恐る恐るベッドまで辿り着くと、シーツの感触を確かめながら藤本陽生の姿を探した。



手探りで見つけたのは多分腕。



そのまま身体を上へなぞる様に、寝ている位置を確認し、隣に入り込んだ。



もぞもぞと定位置を確認すると、藤本陽生が寝返りを打つ。



…余程疲れたのか、裸のまま寝ている藤本陽生の体は、汗で湿っぽい。



だけどシャワーを浴びるよりも寝る事を選んだのだから、それだけ疲労しているんだろうと思う。



さっきまでの情事を思い出して、胸がキュンと疼いた。



暫く隣に寝転び天井を見つめていた。


だんだんと暗闇に慣れて来た目が、藤本陽生の姿を捉える。


体をそちらに向け、無防備に寝ているその横顔を見つめた。



少し距離を縮めてみる。



藤本陽生の右腕にピタリと寄り添うと、胸がギュッと締め付けられた。



とても幸せな痛みだった。



もう少し寄り添うように右手を藤本陽生のお腹辺りに回し、包み込むようにその体にしがみつく。



ピッタリとくっ付いた拍子に、だんだんと襲ってくる睡魔によって…瞼を閉じた。

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