21

ナツと呼ばれる人

明和さんのお店を出ると、家路に着く為電車に乗って帰るものだと思っていたあたしは、


「こっちだ」


駅へ向かおうとした足を止めた。



振り返ると、藤本陽生が親指を立てて反対方向を指差している。



「兄貴に送ってもらう」


「え?」



これから開店準備をするって言ってたのに?



「カズ兄ちゃうで」



あたしの疑問は、シゲさんが笑いながら訂正してくれた。



「ナツ君が、そこの通りまで車で迎えに来てくれんねん」



五十メートル程ある路地の先に、大きな通りが見える。



そこまで来てくれるらしい「兄貴」って言うのが、てっきり明和さんの事だと思っていたあたしは、



「二番目のお兄さん?」



確認するように呟いた。



藤本陽生が大通りへ向かって歩き出したから、あたしを待ってくれていたシゲさんと並んで後を追った。



タクシーの路駐が目立つその通りは、これから飲みに繰り出そうとしている人達を待ち構えているように見える。



「どうしてお兄さんが…?」



何故いきなり送ってくれる事になったのか理解してないあたしは、図々しく自分までもが乗り込んで良いものか考えてしまう。



「店出る前に、カズ兄が連絡しててん」



自慢気にそう言ったシゲさんとは反対に、そんな事なんて全く知らなかったあたしは、ただただ驚いた。



「あたし…図々しくないですか?」


「ええやん別に。ハルの彼女なんやし」


「でも、お兄さんと初対面だし」


「どんだけ気にしとんねん!」



人の気も知らないでケラケラ笑い出したシゲさんに、少しムッとした。



「来た」



藤本陽生の呟いた声と同時に、視線を道路へ向けると、一台のセダンがウインカーを出しながら寄って来ている。



運転席に、スーツ姿の男性が乗っているのが見えた。



すぐにハザードを焚くと、ゆっくりとあたし達の前で停車した。



「シゲ、前乗れ」



後部座席のドアを開けようとするシゲさんを、藤本陽生が助手席のドアへと押しやった。



シゲさんは「はいはい」と頷いて助手席のドアを開ける。



それを見て、藤本陽生も後部座席のドアを開けると、


「乗れ」


先にあたしを車の中へ入るように促した。



運転席の方は見ずに「お願いします…」と呟けば、「どうぞ」と声が返って来る。



少しの緊張を抱きながら乗車すると、藤本陽生が乗り込んで来た。



バン!っと勢い良くドアを閉めると、



「先に春の家へ行ってくれ」



藤本陽生が運転手へそう告げた。



「春ちゃん家ってどこ?」



あたしの家を知る筈もない運転手は、当たり前に聞き返して来る。



あたしに聞いているのか、藤本陽生に聞いているのか分からず、送って貰うんだからあたしが答えようと、前へ視線を向けると、ルームミラー越しに視線が交わった。



「あ…、」


「久しぶりだね、春ちゃん」



見覚えのあるその顔は、



「園村さん…?」



以前、あたしのお客さん…水谷さんと一緒に、CLUB桜へ来てくれた人。



「やぁ」



変わらず笑う園村さんに、呆気に捕られているあたしは言葉が出ない。



「春ちゃん驚いてもーたやん」



助手席から顔を覗かしたシゲさんが、何もかも知っている様な口調で話す。



「とりあえず、春ちゃん家はどこ?」



やはり変わらない口調の園村さんに、「信号過ぎて右です」と、家までの道のりを説明した。



「黙ってた訳でも、隠してた訳でもないんだ」



ゆっくりと車を走らせながら、園村さんが言う。



「ただ、陽生の彼女に会ってみたくてさ」



園村さんが、藤本陽生のお兄さんだったと理解した瞬間、もつれた糸がスルスルと解けて行く。



それと同時に、知らなかったのはあたしだけなんだと…途端に皆がグルに思えて来た。



「水谷さんから“ハル”ちゃんの話しは聞いてて、陽生と春ちゃんが出会う前からね。それが春ちゃんだって分かったのは、シゲから“ハル”って子が居るって聞いた時」



順を追って説明してくれる園村さんは、時折ミラー越しにあたしを見つめてくる。



「会社の飲み会があった時に、「水谷さんの行き着けの店に連れて行ってほしい」って頼んだ」



水谷さんが初めて会社の人達を連れて来た日の事だ…



「これって、まだ真っ直ぐ?」



時折、会話の節で道順を聞いてくる園村さんに、あたしは「はい」と頷くだけ。



「本当は、その前に行ってみようかなって思ってたけど」



悪気も無く「どうしても会ってみたかった」と、園村さんは続けた。



さっき明和さんのお店で、シゲさんが言っていた言葉が鮮明に浮かんで来る。



“ナツ君なんて、一人で春ちゃんのお店に飲みに行こうとしててん”



「だけど、あの辺りの店って高いからね」



苦笑いを浮かべた園村さんから、隣に居るシゲさんへ視線を向けると、シゲさんは窓の外を見ていて、会話に入って来る気配は無い。



見てないから分からないけど、藤本陽生もきっとこの話には入って来ない気がした。



「二回目に会いに行った時は、陽生がフラれたって聞いたから。春ちゃん他に好きな人でも出来たかなって」



困ったように目尻を下げて見せる園村さんの視線が、ミラー越しに向けられる。



それに対してあたしは、少し睨み返した。



園村さんの行動は、あまりにもお節介だと思う。


あたしのプライベートなんてまるで無視。


弟の恋愛事情に、そこまで兄が踏み込むものかと思案してしまう。



「ごめんね春ちゃん…うちの奥さんに後でしこたま叱られたから」



だから何だって話だ。

園村さんが怒られようが叱れようがあたしには関係ない。



あたしはただ、自分のテリトリーを荒らされたくないだけ。


土足で踏み込むなんて、言語道断。



「怒ってる…?」



やっぱり困った様子の園村さんに、よっぽど「怒ってます」と言ってやろうかと思った。



だけど―…



「悪かった」



突然口を開いたかと思えば、



「全部俺が悪い」



藤本陽生が謝るから、あたしの怒りが安定しない…



「いや、俺もや」



シゲさんまで…そんな事を言うから、いつまでも何も答えないあたしが、物凄く心が狭い人間だと思わせる。



「男ってさ…」



そう呟いた園村さんに視線を向けると、


「いくつになっても、気になる子には弱いんだよね」


そんな事を言う。



「春ちゃんの話を聞く度に、どんな子なんだろうって気になっちゃって。陽生とは歳が離れてるから、変にお節介焼いてしまったな…男四人兄弟で、周りに寄ってくんのもシゲみたいに男だしさ…」


「俺は別にええやんけ!」


「だから、デリカシーがないんだよね…勝手に盛り上がって、春ちゃんの気持ち無視して本当にごめんね…」



何なんだろうかこの人達は。



そんな風に素直に言われたら、文句の言いようが無い…



「兄弟、仲が良くて羨ましいです」



少しだけ皮肉も込めてそう言った。



羨ましいのは事実だけど、兄弟を知らないあたしには、やっぱり理解出来ない部分で、やり過ぎ感は否めない。



でも、



「悪かった」



不器用な藤本陽生が何度も謝ってくれるから、



「怒ってないです」



藤本陽生に免じて、いつまでも根に持つのはやめようかなと思う。



何となく車内の雰囲気も、柔らかくなったのを感じた。



それを機に、今まで大人しくしていたのは何だったんだと疑いたくなる程の、シゲさんの喋りが止まらない。



園村さんは婿養子に入ったから「藤本」の姓ではなく、奥さんの姓の「園村」なんだと、シゲさんが教えてくれた。



自分の事のように話すシゲさんを、園村さんも藤本陽生も、不快に感じてない様に見える。



それは見えるんじゃなくて、事実そうなのかもしれない。



シゲさんは個人の事をベラベラ喋る様な人じゃない。


自分の事を多くは語りたがらないから、人の事も話したりはしないと思う。



だからこれは、



「シゲが春ちゃんを受け入れてる。信用してるんだね」



園村さんがそう言ってた。



あたし達人間は、好きになった人を許せても、その家族までは許せなかったりする。



逆に、好きな人と別れたのに、その家族とは交流を続ける人も居る。



つまりは、どちらも割り切らなければ成らない。



好きな人は好きな人、家族は家族。


別れた相手は別れた相手、家族は家族。



あたしはまだ、どちらにも当てはまらない。




ただ一つ言えるのは、



「あ、ここです!」



家から十メートル程手前でそう言ったあたしに、園村さんは「どこ?これ?」と、ブレーキを踏みながら少し早口に聞き返してきた。



「そこの、白い郵便受けの!」



その口調につられたあたしも、思わず焦って早口になってしまった。



「ここで良いの?」



家の前で速度を落とした園村さんは「はい」と頷いたあたしの言葉で、完全に車を停車した。



「ありがとうございました」



そう告げると「いいえ」と、返ってきた言葉。



あたしが降りようとするよりも先に、藤本陽生が車のドアを開けて先に降りたから、有り難くそっちのドアから降りる事にした。



「寒いからはよ入り!」



助手席の窓を全開にして両腕を乗せたシゲさんが、気を遣ってくれる。



そのシゲさん越しに、運転席に居る園村さんへ「本当にありがとうございました」ともう一度御礼を言えば、片手を挙げて微笑んでくれた。



屈んでいた姿勢を上げると、藤本陽生が車に乗り込もうとしているところで、ドアが閉まってから近づくと、窓を少し開けてくれた。



「陽生先輩、また明日」



緩んだ頬を隠しきれないあたしに、



「春ちゃん寒いからはよ入りって!」



藤本陽生の言葉を待たずに、シゲさんが助手席から顔を出している。



「あ、うん」



シゲさんに頷くと「じゃあな」と、藤本陽生の声が聞こえ、慌てて視線を向けた時には、後部座席の窓が上がっていて、丁度閉まった。



「ほなね!はよ入りって!」



シゲさんが言ったと同時に、車がゆっくり発進し、藤本陽生へ視線を向けたけど、あたしを見てはくれず。



手を振ってくれるシゲさんに振り返しながら運転席に目を向けたけど、園村さんとも目が合う事はなかった。



園村さんのお節介ぶりは少々戴けないとこもあるけど、その表情が藤本陽生に似てるから…何だか嫌いになれなかった。


むしろ親近感すら抱く程で。


とても優しく笑ってくれて、気さくに話しかけてもくれる。


だけど、明和さんともまた違う。


明和さんが元から社交的な人なら、園村さんは社会を通して社交性を身に付けて来た人だと思った。



例えば先輩、勤務先、取引先で。


成長と共に人と関わって身に付いた物なんだと思う。



だから「春ちゃんまたね」と、最後まで手を振ってくれる明和さんと違って、気を抜くと素が出てしまう園村さんは、帰り際にあたしを見てはくれなかった。



だから園村さんはきっと、藤本陽生に近いんだと思う。



あたしの勝手な予想だけど、園村さんも学生時代は藤本陽生みたいに一言で言えば感じ悪い奴だったのかもしれない。



だけど歳を重ねて社交性を身に付け、今が有るのかもしれない。



明和さんは雰囲気は怖いけど、優しくて明るいから、話してる内に打ち解けてくる。



園村さんは第一印象は人当たりが良いけど、接していくに連れて、結構適当な感じが見えてくる。



だから、明和さんの方がある意味気楽に接する事が出来て良い。



なのに、園村さんに親近感を抱いてしまうのは、藤本陽生に似てるからだと思う。



顔はもちろん、表情だとか、雰囲気が良く似ている。

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