18

真実はいつも一つ

「まさかおまえが、ここの生徒だとは思わなかった」



続けられる言葉に、あたしはきちんと理解して聞いてはいなかったと思う。



「…そもそも、学生だと思ってなかった」



深く息を吐く様子から、藤本陽生がその時、余程困惑したんだと伺えた。



「夏休みが終わって、当たり前にバイトもしなくなって、あんな時間に兄貴の店に居ることもねぇから」



そこで言葉を止めた藤本陽生に、



「おまえがどうしてんのか、さっぱり分かんなくなっちまった」



あたしの心が勝手に疼き出す。



それでも――…



「付き合いたくなかった」



やりきれないと言わんばかりに溜め息を吐いた藤本陽生が、あたしを睨みつける。


その視線に、どんな意図があるのかは分からない。



それに―…



「…何で付き合ったのか、自分でも分かんねぇ」


その言葉のニュアンスが、良いものとは思えなかった。



藤本陽生の言葉に耳を傾けながら、自問自答を繰り返す。



あたしが想いをきちんと言葉にしていれば、あたし達の気持ちがこんな風にすれ違う事は無かったのかもしれない。



どうしたら藤本陽生に、あたしの想いが届くのか…



「他に好きな奴が居る女と、付き合いたくなんかねぇだろ…」



それは、あたしの事を言ってるんだ。



「ましてや、それが自分の好きな女だったら尚更だ」


「…え?」


「おい」



あたしに向けられていた視線が逸らされると、今の今まですっかり忘れていた岡本へ視線を向けた。



藤本陽生に呼ばれた当の本人ですら、忘れられていた自覚があるようで、間抜けな顔をして振り向く。



少し離れた所から藤本陽生の元へ足早に近づくと、「何すか…?」と焦った声を出す岡本。



「こっから離れてくんねぇ?」



KYは、言われないと動かないのかと言わんばかりの口調で、藤本陽生が言葉にした。



今の今までその存在を忘れていたあたしとは打って変わって、藤本陽生は岡本の存在が気になってしょうがなかったらしい。



なのに―…



「もう少し離れた方が良いっすか?」



残念ながら岡本は、空気が読めない。




「ここに居てほしくない」イコール「屋上から出て行って欲しい」と言いたい藤本陽生の思いを、岡本はどうも汲み取ってあげられないらしい。



「こっから出てってくれ」


「ここ?」


「そうだ」


「あ、俺ここに居ない方が良いって事っすか?」


「さっきからそう言ってる」



あたしだったらイライラするような岡本の返しにも、藤本陽生は淡々と受け答えを繰り返し、



「はい。じゃあ俺授業に出ます」



やっと理解したのか、ペコっと頭を下げて立ち去る雰囲気を出す岡本に、「ありがとな」と、藤本陽生はお礼まで言っていた。



遠ざかる岡本の姿が見えなくなって、何となく二人だけの空間に緊張が走った最中、藤本陽生が動いた。



思わずその動きを視線で追うと、フェンス側に向かって歩き出している。



呆然と立ち尽くすあたしは、その行動を目で追いかけるしか出来ない。



「何してんだ」



さっきまで座っていたベンチの前で立ち止まった藤本陽生は、顔だけ向けてあたしを睨んでくる。



「立っとくのだりぃんだよ、座れ」



そう言いながら、立ち尽くすあたしに向かって、ベンチに向かって顎で指示を出した。



その言動に戸惑いながらも、さっさと動かないと気を悪くされるかもしれないと感じ、重い足を動かした。



フェンスを背に置かれたベンチの前まで近づいたら、吹き抜ける風が前髪を掻き分ける。



「座れ」



再度、顎で指示され、何となく気負いしながら隅っこに腰掛けると、その直後――…藤本陽生も隣へ腰を下ろした。



パラパラと散らばるように、すぐ近くには他にもベンチが置かれてあるから、座るならどこか空いてるベンチへ腰掛けるんだろうと勝手に思い込んでいた所為で、ドキッと胸が跳ね上がる。


まさか隣に座るなんて、思いも寄らず。



隅っこギリギリに座っているあたしとは反対に、ベンチの残りの面積を埋めるように座った藤本陽生。



あたし達の距離は、非常に近い。



ベンチのほぼ中心に座ったであろう藤本陽生の腕が、今にもあたしの肩に触れそうで、そこに神経が全集中してしまう。



息を吐く音ですら聞こえてしまうんじゃないかと、呼吸さえもぎこちない。



大きく息を吸う度に乱れる呼吸が、心臓を震わせた。



これ以上の沈黙は心臓に悪いと判断しながらも、自分から切り出せず…


正面を向いたまま、目線もろくに向けられらないあたしに、言葉をくれない藤本陽生の反応は分からない。



分からないまま俯いていると、藤本陽生はきちんと答えをくれた。



「…新学期に、シゲがおまえに会いに行ったろ」



何を言い出したのかと…ぶっきら棒なその口調よりも、言葉の意味が分からなかったあたしは、思わず藤本陽生へ視線を向けた。



突如、顔を上げたあたしに、「何だよ」って言いたげな表情を向けてくる。



一々反抗的な反応が、一々愛おしく感じているあたしは相当キテる。



「新学期って、今年のですか?」


「そうだな」


「今年の4月?」


「あぁ」


「居ました…!」



進級したばかりの二年の教室に、何故か当たり前のように姿を表したシゲさんを、今し方鮮明に思い出した。



「そう言えば…初対面なのに、あたしの名前を知ってた」


真相を一つ一つ解いて行く度、興奮が増していく。


そして、少なからず期待も抱いていた。



「シゲって奴は、気になったらしょうがねぇ性格だから、自分の思うがままに動くとこがある」



その呆れた様子の口調に、あたしは大いに頷いた。



「新学期に全体朝礼があるだろ」


「はい」


「シゲが言うには、全校生徒が列作って体育館に移動してる面子の中を、逆走してたらおまえが目の前に居たそうだ」


「…え?」


「俺も上手く説明できねぇけど」


「シゲさんとあたしがすれ違ったって事ですか…?」


「すれ違ってはない。多分…シゲは、体育館に向かう行列に突っ込んで逆走した所為で、立ち往生したんだろうと思う。自分の進行方向とは逆から来る人が多過ぎて、進行を遮られたんだろうな…」



シゲさんの行動が手に取るように分かるのか、状況を上手く説明してくれるお陰で、何となく想像が出来た。


あたしは全体朝礼に向かう列に居る側だから、シゲさんみたいに逆走して列を見出す人は迷惑だと分かる。


あたしも一度、逆走して来た人とぶつかって、立ち止まった事があったし――…



ん…?



「もしかして…」



あたしの記憶している事であってるなら、あの時ぶつかったのはシゲさんだったのかもしれない。



「シゲが言うには、その時におまえを見て、岡本に名前を聞いたそうだ」


「…そんな…それであたしだって、良く分かりましたね」



シゲさんにはほんと、驚きとゆうより感心してしまう。


夜働いている時と、学校の時とじゃ、あたしですら自分の事を別人の様に違うと自覚しているのに…



「で、名前を聞いて確信した」



その言葉に、再び藤本陽生へ視線を向けると、



「津島、春」



見つめられた所為なのか、名前を呼ばれた所為なのか分からないけど、全身に鳥肌が立った。



「春って名前の子を見たって、シゲが俺に言って来た」



シゲさんはどうも、行動力に長けているらしい。



「その後の事は、おまえの方が良く知ってんだろ」



藤本陽生がベンチの背もたれに背中を預けたから、あたしはそっと視線を逸らした。



シゲさんが突然あたしの目の前に現れて、シゲさんのペースに上手い事乗せられて、疑問や不満を抱く暇すら無かった日々。



もうあれから半年以上も経つのかと、時間の経過の速さに驚きを感じる。



そんな事を一つ一つ思い返せば、シゲさんは意図的にあたしの前に現れて、あたしは必然的に藤本陽生に会わせられたとゆう事。



「…ここで、初めて陽生先輩と会った時、あたしシゲさんに連れて来られてたんですけど、覚えてますか?」


「覚えてる」


「あの時って、あたしの存在を知ってたんですか?」


「…だな」



ベンチに浅く腰掛けているあたしには、藤本陽生の表情は良く見えない。



膝の上に乗せた手を見つめていると、想っている言葉を発せられる気がした。



「皆…あたしの事、知ってたんですね」



だから別にどうって訳じゃないけど、心境は複雑だった。



知られていたとゆう驚きの反面、何をどこまで知っているのかとゆう不安にも繋がる。



「俺は何も知らない」



あたしの心境を知る筈の無い藤本陽生の声が、少し後ろの方から聞こえてくる。


その語りかけるような言葉に、手元を見つめたまま「はい」と答えた。



「津島春って名前も、この学校の生徒だったのも、歳も、映画が好きだって事も、全部シゲから聞いた」


「はい…」


「おまえはいつもシゲと居て、シゲには何でも話してんだと思った」


「いや、それは…」



違う…と続けようと思い、上半身を斜め後ろへ捻ると、藤本陽生の揺れる瞳と視線が重なって…



「だから、付き合いたくなかった」



あたしの胸がまた疼き出す。



「気にいらねぇ…」



そう呟いた藤本陽生に、あたしは上半身を向けたまま固まるしかなく。



「シゲに言われたまま、俺と付き合ってんじゃねぇぞ」



静かな怒りを感じた。



「そ、そうじゃない…」



慌てて否定してみても、藤本陽生の睨むような視線は変わらない。



「あたしは…」



弁解しようにも、あの時の状況からして、シゲさんが居たから付き合えたのは事実。



だけど、あたしの気持ちに嘘がないのも事実。



なのにその思いを、言葉に出来ない。


自分の気持ちなのに、言葉にしようとすれば、詰まってしまう。



あたしがそんなだから、



「おまえが別れを切り出して来た時も、当然だと思った」



藤本陽生に気持ちが届かない。



「おまえが誰を好きになろうとおまえの勝手だけどな、」



俯くあたしは、やっぱり自分の手元を見つめるばかり。



「俺にだって選ぶ権利がある」



その荒々しい口調に、もう言葉を返す気力すら無かった。



「なのに、シゲに言われたからって、クソめんどくせぇ付き合いまでして、」



これが、藤本陽生の本音なんだ。



「おまえの事考えるのもクソめんどくせぇし、おまえの為に動くのもクソめんどくせぇ」



あれだけ面倒臭い女にならない様にしていたのに…



「そうやってクソめんどくせぇ事やってんのに、おまえは全然俺の気持ちに気づかねぇ」



その言葉に、藤本陽生の方へ視線を向けた。



「わかってんのかおまえ?」



目が合うと、そう言ってやっぱり睨まれたから、反射的に視線を逸らすと、上から溜め息が聞こえた。



「クソめんどくせぇんだよ」


「すいません…」


「でもおまえが、」



その後に続く筈の言葉が聞こえず、どうしたのかと視線を藤本陽生へ向けると、



「クソっ…」



何か物凄く、いや更に…雰囲気が悪くなっていた。



「…ごめんなさい」



その原因は、あたしに違いない…



「おい春、」



低く響く藤本陽生の声が、あたしの名前を呼んだ。



「はいっ…?」



それに驚きながらも答えると、



「俺は、おまえとは違う」



藤本陽生の告白が始まった。



「俺は、周りに煽られたからって付き合ったんじゃない」


「…はい」


「映画だって、シゲに言われたから見に行ったんじゃねぇ」


「はい…」


沈んだ声を出すあたしの横で、藤本陽生は突然立ち上がり、あたしの目の前にしゃがみ込んだ。



「あ、え…?」


「人の話聞いてんのか?」


「き、聞いてます…!」



丁度、あたしの足元ら辺にしゃがんでる藤本陽生に、膝が緊張で震えて来る。



「周りはすぐ気づくのに、何で本人は気づかねぇんだ?」



呆れた用な声を出す藤本陽生に、困惑から視線だけ向けると、



「好きだって言ってんだ」



あたしの目を見て、確かにそう言った。




―――息が、止まったかと思った。



藤本陽生の真っ直ぐな視線に、あたしの心臓はヤられてしまったのかと。



「…だから、他に好きな奴が居るおまえと、あんな形で付き合いたくなかった」



放心状態で見つめるしかないあたしに、藤本陽生は深く息を吐いて、



「自分でも、何で付き合ったのか分かんねぇ…」



初めて、言葉にしてくれた。



「あた、しも…」



だけど、あたしがいくら言葉にしても、藤本陽生は信用してくれない。



いや、あたしを信用できないのかもしれない。


そうさせたのは、あたし。



どうしたら、信じて貰えますか…


本音が言葉に出来ない。


自分の気持ちを信じて貰えないのって、泣きたい程、苦しい…



「そんな状態で付き合っちまったから、おまえには悪い事したとずっと思ってた」


「…え?」


「シゲが好きなのに…その好きな奴に、俺の女にさせられて…毎日俺に気を遣って…」



藤本陽生から聞く、初めての言葉。



「だから弁当もいらねぇって言ったろ」



怒ったような口調で、あたしを見上げる藤本陽生に、全身が疼き出してしまう。



「どうせ、シゲに言われて作ってたんだろ」



胸が、息が、苦しい…



「あたしっ…」



突然声を出したあたしに、藤本陽生は怪訝そうに眉を寄せた。



あたしだって、言わなきゃならない。


聞かなきゃならない。



「…陽生先輩には、他に好きな人がいるって聞きました」



藤本陽生の言ってる事が事実なら、明和さんから聞いた話は、何だったんだとゆう事になる。


藤本陽生には、ずっと片思いしている人が居るって…



「何だそれ…」



不愉快だと言わんばかりの表情に変わった藤本陽生は、立ち上がると再びあたしの隣へ腰掛けた。



今度は浅く腰掛けたから、あたしと目線を合わす為…かな?って、ちょっとだけ期待した。



「そんな事、誰が言ってた?」



期待に酔いしれていたあたしに、藤本陽生が間髪入れずに質問をしてくる。



「えっ…?」



「聞いた」と言ってしまったからには、「誰に?」と質問される事なんて分かりきった事だったのに…



咄嗟にした発言の後先なんて考えもせず。



「誰が言ってた?俺に好きな奴が居るって」



まさか明和さん…あなたのお兄さんが言ってました…なんて、言えない。


藤本陽生には内緒だからと、約束をしていたんだ。



「言えません…」


「言えない?」


「…言えないです」



眉間に皺が寄った藤本陽生にビビリながらも、言えないものは言えないから、そう強く口にした。



「…そうか」



少し間を開けて納得したように呟いた藤本陽生は、


「言わねぇと、何も解決しねぇ」


正論を口にする。



「でも…」



約束は約束だ…


悩むあたしに、藤本陽生が顔をしかめたから、


「明和さんが…」


咄嗟に口を開いてしまった。



「…兄貴?」



意味が分からないって声を出す藤本陽生は、



「何でそこに兄貴が出てくんだ…?」



どこか不信がってるように見える。



「明和さんのお店に連れて行ってもらった時…陽生先輩が煙草吸いに行ってる間に、明和さんから聞きました」



何一つ間違ってないと、逆にあたしは堂々と説明をした。



「兄貴がそんな事おまえに言う筈がねぇ」


「…っ言ってました」


「別におまえが嘘吐いてるなんて思ってねぇ」


「でも…」


「ただ、兄貴がおまえに、俺に好きな奴が居るって言うのはありえねぇ」



隣に座っている藤本陽生の息遣いが、少し笑ったように思えた。



「俺がおまえを好きだって事、皆知ってる」



「…え?」



蚊の泣くような声を出したあたしに、はぁ…と、溜め息を吐いた藤本陽生は「煙草が吸いてぇ…」と、低い声でうなだれた。



話を逸らされたにしては独り言のようだし、吸いたいなら勝手に吸えば良い話しだし…


返答に困ったあたしは、とりあえず「吸わないんですか?」と言葉を返した。



「無い」


「…無い?」


「さっき吸ったのが最後だった」


「…そう、ですか」



何なんだろう…と、藤本陽生の心理を探ろうなんてしても分からなくて、あたしまで視線を下に向ける始末。



「おまえの事、兄貴も…ってゆうか、俺の周りは皆知ってる」



何だか笑えない発言に、歪んだ表情を向けると、どうもあたしの心理を察したらしい藤本陽生が、



「別に変な意味じゃねぇから…」



同じように顔を歪ませて睨んできた。



「正確に言えば、おまえを知ってるってゆうより、俺の好きな女の名前が“ハル”だって事を知ってる」



その発言が事実となると、藤本陽生があたしの事を好きだとシゲさんは勘違いしていると思っていたあたしの考え方が、勘違いじゃなくて…本当だった事になる。



そうと分かれば、今までのシゲさんの脳天気な励ましだと思っていた言葉は、本音…とゆうより、当たり前に出てくる発言だ。



藤本陽生があたしの事を好きだと知っているシゲさんからすれば、「ハルは春ちゃんが好きやからな」とか、「ハルは春ちゃんが大事やねん」とか…あたしが疑って来た言葉が真実だった事になる――…



シゲさんごめんっ…




「ごめんなさい…」



あんなに応援してくれていたシゲさんに対する思いと、藤本陽生をどれだけ傷つけたのかとゆう思いから、深く胸が痛んだ。



「何で謝ってんだ…?」



目を細めた藤本陽生が、低い声を出す。



「あたし、もう遅いですか?」


「はっ…?」


「あたし、きっかけはシゲさんだったけど、自分の意志で陽生先輩と付き合いたいって思った」


「はっ…?」


「シゲさんに連れられて、ここで初めて陽生先輩に会って、段々好きになって…」


「おい…」


「でも陽生先輩は、あたしの事なんて好きじゃないって思ってたから…」


「おいコラ」


「え…?」



話の途中に響いた低い声に、続けようとした言葉を止めると、



「勝手に話を進めるな」



冷たく遮られた。



藤本陽生の発言に、あたしの思考が不安で埋め尽くされる。



「おまえ、俺の事好きなのか…?」



不安気に見つめるあたしに、



「春…」



藤本陽生が切ない声を出すから、またあたしの体が疼き出す…



「ずっと好きだって言ってる…」



鼻の奥がツンとして、言葉に詰まって、藤本陽生みたいな言い回しになってしまった。

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