16

彼女

岡本の勢いに根負けしたとは言え――…



屋上へと向かう階段を登るにつれ、何度引き返そうとしたか分からない。



その度に岡本は、あたしの宣言通りに、腕を掴んで無理矢理にでも連れて行こうとしてくれた。



だから今こうして、



「行きますよ」



岡本に言われるがまま、屋上へと足を踏み入れた。



外の空気が、頬を優しく撫でる。


ここは、あたしを応援してくれている気がした。



岡本の後を、一歩一歩付いて歩くと――…



「陽生さん居たっす!」



振り向いた岡本の向こうに、いつものベンチに腰掛けてる藤本陽生が見えた。



いつもの面子も、その周りにチラホラと確認できる。



「津島さん!」



立ち止まってたあたしに、岡本が急かすように声をかけてくる。



「分かってるってば…」



強がった割に、出た声は震えていた。



口から心臓が飛び出そうで、何だか気持ち悪い。



嫌な緊張があたしの鼓動を速める。



「津島さん!」



心の準備が必要なのに、空気の読めない岡本は更にあたしを追い詰める。



「分かってるってば!待ってよ!」



苛立ちを抑える為に出した言葉は、広い屋上で大きく響いてしまった。



自爆とはまさにこの事で、


「あー、気づかれましたね」


KY岡本の淡々とした口調が、耳を掠めた。



優しかった屋上の空気が、一気に忙しなく振動する。



「行きましょう津島さん」


こちらに向けられた視線の先に向かって、岡本が歩き出した。



その先に見える――…



驚いたように眉を潜める藤本陽生が。



こんなにも会いたかった。


こんなにも好きだと思った。



久しぶりに交わった視線に、場違いにも胸がときめいた。



周りに居た先輩達が、固まったように立ち尽くしてあたしを唖然と見続けるから、どこに視線を向けながら歩いて良いのか分からなかった。



だから、前を歩いてる岡本が唯一の救いで…



「陽生さん、津島さんが話しあるって言ってます」



近寄りがたい雰囲気の中、岡本が言った言葉のお陰で、先輩達の視線があたしから逸れた。



「え、あ、じゃあ俺ら先に教室戻ってるわ」



空気の読める先輩達は、お互いに顔を見合わせてその場を足早に立ち去ろうとする。



そんな先輩達にどう声をかけて良いか分からず、「すいません」と言う思いを込めて会釈した。



ただ、残されたあたし達の空気は最悪…



ふーっと、溜め息か嫌気からか分からない息を吐き出したのは藤本陽生。



一人ベンチに腰掛けて、大股開いてやっぱり偉そうだ。


それを見下ろすあたしと岡本は、何故か立場が弱い。



「話って何だ?」



その睨みつけるような視線は、見上げてるからなってしまったものだと信じたい。



「あ、の…」



あたしはその視線に堪えきれず、助けを求めるように岡本へ視線を向けた。


それにつられて藤本陽生も岡本を見る。



「え?」



見られた岡本は、当然訳が分からないと言う反応を見せた。



「え?俺っすか?」



あたし達二人に無言で見つめられ、岡本はあたしに視線を定めた。



「津島さん!」



ま、当然と言えば当然なんだけど…



…早く話を切り出せと言いたいんだろう。



静かに呼吸を整えて、あたしは制服の上着の袖を強く握った。



「…話ってゆうか、」



恐る恐る口を開いたあたしに、藤本陽生の視線が戻ってくる。



「…聞いても、良いですか…?」



何とか言葉に出来て、安心から胸を撫で下ろした。


そんなあたしを、無言で睨みつけてくる藤本陽生に、また心臓が大きく動き出す…



「…どうして、あたしと付き合ってくれたんですか?」


「はぁ?」



振り絞って出した言葉を、次に聞こえてきた不愉快な声が遮った。



「何言ってんすか!」



それは、空気が読めない男…岡本。



「何なの…」


「津島さん話しきり出すの下手すぎっすよ!」


「……」


「そんなんじゃ話切り出した意味ないっすよ!」


「…あんたほんとムカつくね」


「ムカついてんのは俺の方っす」


「何であんたがムカついてんのよ!」


「津島さんのはっきりしないとこがいけないんすよ!そんなんじゃ陽生さんだって分かんないっすよ!」


「じゃああんたが言いなさいよ!」


「何で俺が言うんすか!」


「じゃあ黙っててよ!」


「黙ってたら津島さん言わないじゃないっすか!」



その言葉にムッとしながらも返す言葉が無くて、ヒーヒーと息を整えるあたしと同じく、岡本もフーフーと息を鳴らしていた。



その静まり返った一瞬に、



「それはこっちのセリフだ」



聞こえてきた声。



きっと、あたしと同時に岡本もその声の主へ視線を向けたと思う。



「何でおまえが俺の女になるって言ったのか分かんねぇ」



変わらない強い眼差しが、あたしを捉えているのに…



「おまえは、シゲの女になりてぇんじゃなかったのか?」



その瞳が、何故か睨んでいるようには見えなかった。



「何で付き合ったんだって…そりゃあこっちのセリフだ」



藤本陽生を、怖いと感じなかった。



「こんなふざけた話があるか」



言い終えて、藤本陽生は視線を落とした。


その悲しそうな物言いに、その姿に、こっちが泣きたくなってくる。



「津島さん!」



胸が苦しくて何も言い返せないあたしに、すかさず岡本が声を掛けてきた。



「何も言わなかったら、そうなんだって思われちゃいますよ!」



その言葉にハッと意識を取り戻した感じがした。



岡本が言ってた。


何も言わなかった事が、今回の原因なんだって…


このまま黙っていたら、あたしは藤本陽生の発言を肯定している事になってしまう。



「あたし、シゲさんに対して恋愛感情はありません…」



だから、今まで言ってあげられなかった否定の言葉を、口にした。



――だけど、藤本陽生の反応はあたしの予想を大きく裏切った。



今更何言ってんだコイツ。みたいな…

嘘付くんならもっとマシな嘘付け。みたいな…


口にはしなくても、目がそう言ってる。


あたしの発言を全身全霊で疑ってる。



だからあたしは何も言えなくなる。



唇を噛み締めて、悔しさから気を紛らした。



「ほ、ほんとっすよ!津島さんマジでシゲさんの事好きじゃないっすよ!ただ仲が良いだけっすよ!」



こんな時に、岡本のフォローが身に染みる。



「陽生さん!俺嘘は嫌いっす!だからデタラメじゃないっす!」



今まで悪態を付いてごめんね…と、岡本に謝ろうと思った。



「…分かんねぇ」


そう呟いた藤本陽生は、肩肘を太ももに乗せると、片手で顔を覆うように支え、頭を垂らした。



そんな弱々しい藤本陽生は見た事なくて…



「…じゃあ、あれは何だったんだ」



その独り言のような呟きに、胸が疼いた。



「あれって…?」



そう疑問に思ったのは、あたしだけじゃないらしく、


「何すか?」


岡本も気になったようだ。



あたし達の視線を感じたのか、ゆっくりと頭を上げた藤本陽生は疲れてるみたいだった。



「言ってたろ、好きな奴が居るって」



――え?



その瞳はいつだって力強く、眉間に皺寄せて、まるであたしを責め立てるような言い草。



「言ったんすか津島さん!」


「言ってないわ!」



そこに来て、KY岡本までがあたしを疑う。



――前言撤回だ。



言ってない。


あたしは絶対に言ってない!


そんな事言える筈がない!


だってあたしは…



「…あたしはずっと、」


「津島さん俺に、陽生さんが好きだって言ったじゃないっすか!あれ嘘だったんすか!」


「……」



言葉も無いとはこの事で…


何で岡本があたしの気持ちを、ちゃっかり告白してんだって話だ。



「津島さんどうなんすか!」



マジでぶん殴ってやろうかと思った。



どう反応して良いか分からず、藤本陽生の方は見れないから、とりあえず岡本を精一杯睨むしかない。



そんな中、タイミング良くお昼の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。



それをきっかけに、藤本陽生がゴソゴソと動いたかと思うと、ふわりと臭う煙草の煙が、あたしの鼻を掠める。



自然と藤本陽生へ視線を向けたら、案の定煙草を吸っていた。



何を考えてるんだろう。


どう話せば、あたしの気持ちは伝わるんだろ。



んー…と頭を捻っても何も浮かばないから、



「あたしが好きなのは、陽生先輩で…」



無になって、藤本陽生を瞳に映したら、自然に出てきた本音。



「だけど、陽生先輩はあたしと仕方なく付き合ってたから、あたしの事なんて眼中に無かったから、もう無理だと思った」



別れを決意した時の気持ちを口にした。



その途端、藤本陽生の表情が再び歪み出す。



物凄っく眉間に皺寄せて、穴が空くんじゃないかってゆうくらい睨まれて…


「てめぇ何言ってんだこの野郎」って言う声が、今にも聞こえてきそうだった。



藤本陽生の手元からユラユラと揺れる煙草の煙が、とても穏やかだ。



「信じてない…ですよね…」



分かってた事を口に出すと、案の定「分かってんなら聞くな」と言い出しそうな瞳を向けられた。



どうやらあたしと話す気は無いらしい。



今更何を言ったって遅いんだ。



藤本陽生はやっぱり、何も言ってくれない。



いつからか逃げ道にしてしまった“諦める”と言う行為。



期待も不安も、諦めてしまえば楽になれる気がした。



横へ視線を向けると、不安そうに藤本陽生を見つめる岡本の姿が有る。



「もういい」



あたしはその言葉を岡本へ向けた。



え?とゆう表情をしてこっちを見た岡本。


その視界の中で、藤本陽生もあたしを見てると感じた。



「言ったところで、こうなってた気がする」



二つの視線を感じながら、あたしは岡本にだけ話すように体も岡本へ向けた。



「津島さん、」


「あんたの言ってた通りだとしても、今更って感じなんだよ」


「何言ってんすか!」


「今、気持ちが伝わらないんじゃ意味ないじゃん」


「そんなことないっすよ!」



そう言ってくれる気持ちは有り難いけど、その気持ちも言葉にすれば、気休めにしか聞こえない。



「もういいから」



やっぱりあたし達はどうにもならない。



「何言ってんすか!」



引き止めて欲しいのは、岡本にじゃない。



何度もあたしの名前を呼ぶ岡本を無視して、一歩一歩この場所を噛み締めるように歩いた。



たくさんの思い出があるこの場所を。


大好きな人の匂いが感じれる空気を。



あたしはいつだって…


こんな風に、胸を張って、

傷ついて何かないって…

悲しんで何かないって…

平気なんだあたしは!って。



うざい女にならないように…



淡々と歩いてた。




「津島さん!」



愛されてるだなんて、一ミリも感じなかった。






「こんなんで良んすか!」




好かれてるだなんて、浮かれた事はない。







「津島さ…!」




だからあたしは、いつだって物分かりの良い“彼女”を演じてきた。






「ハル…」




なのにどうして…





「ハル!」





…あたしの名前を




呼ぶの…



「何なんだおまえはっ…」



風に乗って聞こえた声が、あたしの髪と一緒に耳を掠めた。



「ハル!」



確かに聞こえた、あたしの名前―…



立ち止まってしまったからには、振り向かなきゃいけない。



ふわりと揺れる髪を掻き分け、振り返った先に見えたのは、同じ呼び名の彼――



切羽詰まって聞こえた声は、その表情にも表れてた。



眉間に皺を寄せている藤本陽生が、いつもなら威圧感しか感じないのに…


何だか今は、必死で強くあろうとしてるように見える。



そんな表情をするから、思わず「どうしたの…?」と駆け寄りそうになる。


今すぐその手を掴んであげたい衝動に駆られる。



何だかあたしが…



泣きそうになってくる。



ドキドキと早まる鼓動が、苦しくてしょうがない―…



うなだれるように視線を下げた藤本陽生は、ふーっと呼吸を整えると、すぐに立ち上がった。


その足元には、吸い殻が落ちている。



ゆっくりと歩き出した藤本陽生につられて、あたしもゆっくりと視線を戻した。



近づいてくる藤本陽生に対して、緊張はしなかった。


いつも自信に満ち溢れたその歩き方が、


真っ直ぐ前だけ見てるその力強い視線が、


ただ、苦しかった…



だって――…



目の前で立ち止まった藤本陽生が、苦しそうなんだもん。



何を言われるんだろうと考える余裕も無く、ただ苦しい胸の痛みから逃げられない。



「…何なんだおまえ」



あたしに影を落とすその姿がふてぶてしい。



何を言って良いか分からないから、必然的に答えられないあたしは、藤本陽生を見上げたまま。



藤本陽生は溜め息を吐き、その次を話す気配は無い。


人を引き止めておいて、溜め息吐くなんておかしな話だ。



「…何なんだおまえ」



その言葉はもう聞き飽きた。



視線を落とすあたしに、



「何も知らねぇだろ」



藤本陽生は続ける。



「俺は…」



そう言って、不意に口を閉じた藤本陽生に、思わず視線を上げた。



あたしの視線に気づいてか、藤本陽生もあたしに目を向ける。


お互い無言のままで、只でさえ気まずい感じなのに、藤本陽生が視線を逸らす気配が無いから、あたしから逸らそうとした時―――



「…俺は付き合いたくなかった」



そうポツリと声を漏らした。

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