15
肩書きの無い女
あたしがどれだけ藤本陽生から離れようとしても、学校に行けば藤本陽生の名前が付いて回る。
元々、あまり一緒に居る事は無かったから、今のところ別れた事を学校の皆に気づかれてはいない。
だけど、昼休憩に屋上へ現れなくなったあたしの事を、いつも屋上に居た人達が不思議に思うかもしれない。
その内、藤本陽生かシゲさんの口から、別れた事が証されるかもしれない。
どうであれ、一人ぼっちのあたしが誰かに話す事は無い。
だから、あたし達が別れたと噂が流れれば、それは藤本陽生かシゲさんが誰かに発信したとゆう事――…
「陽生さんと別れたんすか?」
それを、コイツにだけは聞かれたくなかった。
朝一番…じゃなく、昼休憩のこの時間に聞いてくる辺り、あたしの様子を伺ってたのかと変に疑ってしまう。
「何あんた…」
「岡本っす」
いや、そうじゃなくて…
「あたしに何か用?」
「陽生さんと別れたんすか?」
「……」
机の上に置いた鞄の中からお弁当を取り出そうと突っ立っていたあたしの前に、どこからともなく現れた岡本が目の前に居る。
「屋上…行かないの?」
「行きます」
…じゃあさっさと行けばいい。
一つ溜め息吐いて、お弁当を机に置き、鞄を下ろして椅子を引いた。
そこへ腰掛け、お弁当を広げるあたしの頭上から、
「無視っすか?」
淡々と話す岡本の声が降りかかる。
確かに、確かにあたしは岡本の質問に答えていない。
だけど、そこは状況を察してスルーしてくれれば良いとこだと思う。
ゆっくりと視線を上げた先に、見下ろしてくる岡本と目が合った。
「……」
「……」
…コイツは、空気が読めないんだった…
「津島さん」
「……」
「何か怒ってます?」
気にせずお弁当を食べ出したあたしに、少しは気にして欲しい岡本が、見当違いな質問をしてくるから、怒ってなんてないのに、マジでキレそうになる。
「あんたさ、」
「はい」
「いつまでここに居るの?」
「気が向いたら屋上に行きます」
コイツとは会話にならない…
「陽生さんと別れたんじゃないんすか?」
「……」
「無視っすか」
黙々とお弁当を食べるあたしに、岡本はしつこく話しかけてくる。
「陽生さんから伝言あるんすけど」
「え?」
思わず箸を止めて見上げたあたしに、
「聞きたいっすか?」
空気読めないどころか、もはや性格悪いんじゃないかと思える岡本が、表情を変えないまま見下ろしてた。
「伝言って何?」
本音を言えば、聞きたいけど…聞きたくない。
「聞きたいっすか?」
だからそう聞かれても、正直どう答えて良いか分からない。
「あ、すいません」
考え込んでいたあたしに、岡本が突然そう呟いたから、落としていた視線を上げた。
「嘘っす」
…はぁっ!?
「すいません、津島さんが無視するんで、嘘吐きました」
コイツっ…
「そんな深刻になるとは思わなかったんで」
大っ嫌いだっ…
「陽生さんから伝言とか無いっす。すいません」
絶対悪いと思ってない岡本の口調に、イラッとした。
だけど、普通に考えればそんな事ありえないって分かる。
藤本陽生は不器用な人だから、伝言を頼むような器用な事はしない。
自分の口で、伝える事が出来る人だ。
そんな事、すぐ分かる筈なのに…
一応でも、半年は付き合っていた好きな人の事で騙されるなんて…
…しかも岡本に。
「その様子だと、やっぱ別れたんすか?」
「…そう思うんならそれで良いじゃん」
本当にしつこい!
「そうゆう訳にはいかないんすよ」
睨みつけるあたしに、岡本は何一つ表情を変えない。
「不確定なままだったら、津島さん傷つくでしょ」
「はぁ?」
「無神経な事言って、津島さんを傷つけたくないんで」
その言葉に、怒りが一瞬で引いた。
理由は分からない。
だけど、何か胸に来るものはあった。
「曖昧なままにしとくと、人間って勝手に妄想して、曖昧な物に膨れ上がった妄想を継ぎ足すんですよ」
「……」
「だから、噂ってのは話が大きくなる」
「……」
「津島さん本人から事実を聞けば、それが真実でしょ。俺の中の曖昧な物が真実に変われば、惑わされた奴が居ても、俺は津島さんの見方になれるかも」
岡本がどうしてこんな事を言うのか分からないけど、
「どうなんですか?」
「…別れてる」
ただの知りたがりな奴じゃない事は分かる。
「そうっすか」
そう呟いた岡本は、当たり前のようにあたしの前の空いてる席に座り、腕を組むと足を大きく広げた。
「実は、一部で噂してんすよね」
「え…?」
噂とゆうものに、良い思い出が全くないあたしは、軽くトラウマになっているのかもしれない。
「あ、て言っても、先輩達っすよ?津島さんが屋上に来なくなったから、どうしたのかなって最初は気にかける程度だったんすけど」
チラッとあたしを一瞥する岡本に、何だか嫌な予感がする。
「もしかして別れたんじゃねぇかって、最近噂してます」
「…陽生先輩は何て言ってるの?」
「何も」
「何も?」
「はい」
「何も言ってないの?」
「いや、何も言わないんです」
「え?」
「何も言わないんすよねぇ…」
遠くを見つめる岡本の目には、きっと藤本陽生の姿でも映ってるんだろう。
「先輩達だって、噂好きの女子じゃないんすから、ちゃんと陽生さんに聞いたんすよ。津島さんの事」
「…うん」
「でも、何も言わないんすよね」
「言わないって何?無視すんの?」
「はい」
まさかと思って聞いた事が当たっていたから、思わず驚いた。
「さっきの津島さんと同じっす」
「え?」
「俺、聞きましたよね? 別れたんすか?って」
「聞いたね…」
「でも無視しましたよね?」
「…したね」
無視した事を認めた疾しさから、語尾が小さくなる。
「俺の知ってる陽生さんは、そんなガキみたいな事しないんすよ」
そんなあたしの心情を知ってか知らずか…岡本はサラッと毒を吐く。
まるで、さっきのあたしがガキだと言ってるみたいだ。
「陽生さんがそんなんだから、先輩達もそれ以上聞けないみたいで」
「…そうだよね…」
「で、俺思ったんす。何かおかしいなって」
あたしを見る目が、何かを必死で読み取ろうとしてるみたいで居心地が悪い。
「何…?」
「別れたのかなって」
「え…?」
「陽生さんと津島さん、別れたのかなって」
何を言われるのかと、構えてた体が少しほぐれた。
「だからあたしに聞きに来たんだ?」
「はい」
「あんたの勘、当たったじゃん」
食べるのを忘れてたお弁当へ箸を向ける。
残り少しだったおかずを食べきり、箸を片付け、お弁当に蓋をした。
「陽生さん、フラれたんじゃないんすか?」
不意に、岡本が口を開いた。
お弁当箱を袋に入れ直していたあたしは、咄嗟に答える事が出来ず、
「津島さんから、別れようって言ったんじゃないんすか?」
今度はきちんと聞こえたその言葉に、思わず息を呑んだ。
「津島さんから、真実が聞きたいんす」
「…何であたし?」
「さっきも言いました。不確定なままじゃ、津島さんが傷つく」
早々、話が見えなくなってしまったあたしに、岡本は続けた。
「シゲさんは全然学校に来ないし、陽生さんは無視だし…」
「え?シゲさん来てないの?」
「はい」
「いつから?」
「ここ最近、ずっとっすね」
今更知った事実に、戸惑いでいっぱいだった。
「何で来てないの?」
「知らないっす」
「何で知らないの?」
「大きなお世話っす」
…そりゃそうだ。
シゲさんが学校に来てないなんて、今の今まで全く気づかなかった。
どちらかと言えば、シゲさん達を避けるように遠ざけてたから、岡本から聞かなかったら、あたしはずっと知らないままだったかもしれない。
「で、何で別れたんすか?」
「……」
「無視っすか」
その言いぐさにカチンと来たあたしは、思わず岡本を睨みつけた。
「言ってどうなんの?知ってどうすんの?あたしの問題じゃん」
「ですね」
人の怒りを煽るのが上手い男だ。
「津島さんって、陽生さんの事嫌いなんすか?」
「はぁ?」
「もしかして、シゲさんが好きなんすか?」
「……」
話にならない。
返す言葉もない。
「また無視っすか」
はぁ…と溜め息吐く岡本に、腸煮えくり返りそうになる。
「何も言わないのって、気持ちが無いって言ってるようなもんすよ?」
「……」
「違うなら否定しないと、傷つくの津島さんっすよ」
「……」
「そうやって無視って、良い方向に進むんすか?」
「……」
「陽生さんは、こんな人のどこが良かったんすかね」
「…そんな事、あんたに言われたくない」
不意に口を開いたあたしに、岡本は眉一つ動かさない。
その冷静さが気に入らない。
「じゃあ、言って下さいよ」
「……」
「言ってくんねぇと、俺、津島さんの見方になってあげられないっす」
岡本のその言葉に、思わず呆れてしまった。
「何なのあんた…」
「岡本っす」
…ふざけてんのかコイツ?
「そうじゃなくて…もういい」
何か、どうでも良くなってきた。
「あたし、肩書きが無くなった女なの」
もう言ってやろうと思った。
噂にでも何にでもなればいい。
一言口にしてしまえば、今まで胸に留めていた想いがまるで嘘のように、簡単に言葉に変換されて行く。
「…何すかそれ?」
眉間に皺を寄せた岡本は、今日初めて顔を歪ませた。
「あたし、陽生先輩の事、好きなんだよね…」
「はい」
「陽生先輩が、愛妻弁当に憧れてるって聞いたから、彼女になってから毎日お弁当作った」
「…そうっすか」
「陽生先輩に嫌われないように、捨てられないように、そんな事ばかり考えてた」
藤本陽生にとって、うざい女になりたくない。面倒臭い女になりたくない。
そうなってしまえば、肩書きだけのあたし達には、別れしかない。
そう思って、どんなに冷たくされても、雑に扱われても、これで良いんだ。と言い聞かせていた。
それ程、あたしは藤本陽生が好きだった。
「じゃあ何で別れたんすか?」
岡本は、意味が分からないって声を出す。
「見てて分かるでしょ…」
そう吐き捨てたあたしに、
「何がっすか」
岡本はトゲのある言い方をした。
そりゃ、岡本からしたら納得出来ないのかもしれない。
藤本陽生を好いてる岡本からしたら、藤本陽生をあたしなんかがフるなんて、ありえないのかもしれない。
「あんたには分からない」
「何がっすか」
「あたしはこれで良かったと思ってる」
「何がっすか」
トゲのある言い方を辞めない岡本に、責められる謂われはない。
「だいたい、肩書きって何すか?津島さんの説明意味が分かんねぇんすけど」
益々眉間に皺を作る岡本に、本当に理解力の無い男だな…と呆れる。
「肩書きは肩書きだよ。彼女ってゆう肩書き」
「はっ?」
「だから、あたし達は肩書きだけの付き合いだったって事!」
岡本の理解力の無さに、思わず感情的になってしまった。
「陽生先輩は、しょうがなくあたしと付き合っただけなの」
そのキッカケを、あの日の事を、あたしは岡本に説明した。
あたしが藤本陽生の事を好きだと知ってるシゲさんが、丁度ダミーの彼女を作らせられようとしてる藤本陽生の、彼女に選んでくれた事。
あたし達は皮肉にも、利害が一致していた。
それでも良いと思ったのはあたし。
それで良いと付き合ったのはあたし。
確かに、どうしてとか、何でって思う事はたくさんあった。
どうしてここまで酷い扱いをされるのかと、藤本陽生に怒りを感じる事もあったし、何でこんな時ですらこの人は冷たいんだ…と、悔しい思いもした。
だからって、藤本陽生を悪く言いたくない。
責めるつもりは無いし、今更悔やむ事なんてない。
「毎日お弁当作っても、あの人は一度だって食べてくれなかったし…あたしの名前すら、呼んでくれた事ない」
思い返せば、本当にあたしって女は惨めだなと思う。
「そうゆう事だから、遅かれ早かれあたし達は終わってたと思うよ…」
――それに、藤本陽生には好きな人が居る。
「陽生先輩が無視してんのは、聞かれたくないからじゃない?結果的に、あたしが陽生先輩をフっちゃったから、やっぱり男としてプライドがあるんじゃないかな」
「プライド…?」
「それより、シゲさんが学校に来てないのはどうしてなんだろ…」
「何言ってんすか」
「え?」
「何言ってんすか」
擦れたような低い声を出す岡本は、
「津島さんってバカっすね」
本当に腹立つ奴だ。
睨むあたしを気にも止めず、
「何でそんなバカなんすか」
睨み返してくる。
「どうゆう意味?」
「そのままです」
「…あんたマジむかつく」
「むかついてんのは俺の方っす」
「はぁ?」
「何してんすか」
「は?」
「みんな何してんすか…」
突然うなだれる岡本は、額に手を当て、やるせないと言わんばかりに溜め息を吐いた。
その起伏の変化に付いていけないあたしは、怒りと困惑をどう処理すれば良いのか分からず、
「何…?」
小さく疑いの声を漏らした。
そんなあたしに、岡本は深く息を吐いて、頭をガシガシ掻くと「もう最悪っすね…」と呟いた。
「津島さん、その気持ちを陽生さんに言ったんすか?」
「え?」
「あー…言ってないっすよね」
「はぁ?」
「津島さんの気持ちは、今聞いて良く分かりました」
再び腕を組んだ岡本は、背筋を伸ばすように後ろへもたれると、
「でも、俺が分かってもしょうがないっす」
結局何を言いたいのか分からない。
「色んな事が食い違ってて、誰が悪いとかじゃないんすけど…津島さんだって、陽生さんがもっと話聞いてたら素直に伝えてたと思うし、シゲさんだって…あんな風にふざけた事ばっかしてるから…」
「ちょちょっ、タンマ!」
ベラベラ話す岡本に、
「分かんないから!何言ってんのか全然分かんないから!」
分かるように説明しろ。と訴えた。
…――にも関わらず、
「まず、」
そう呟いた岡本は、
「何も言わなかったことが、全ての原因だったと思うんすよ」
良く分からない言い方をする。
「どうゆう意味?」
「津島さんは、陽生さんに好きだって言わなかった」
「それはっ」
「陽生さんも、津島さんに好きだって言わなかった」
「だからっ…え?」
「シゲさんは、唯一二人の気持ちが通じ合ってる事を知ってる立場だったのに、当たり前に二人も分かってると思い込んで、何も言わなかった」
「…え?」
「みんなが何も言わなかったから、今回こうゆう結果になったんじゃないんすかね」
「言わなかったって…」
「意味、分かんないすか?」
「いや…」
「津島さんが陽生さんの事を誤解してたみたいに、陽生さんも津島さんの事を誤解してたんす」
「誤解?」
「俺、前言いましたよね?」
「え?」
「津島さんは、シゲさんと付き合ってんのかと思ってたって」
その言葉を思い返して小さく頷いたあたしに、
「それっす」
岡本はシレっと口を開く。
思わず「は?」と間抜けな声を出してしまった。
「少なくとも、俺や先輩達は二人がデキてるって思ってました」
「いや、無いでしょ!」
「シゲさんは結構色んな人に聞かれてて、まぁ、否定してましたけど」
「そうでしょ!ないない!」
いつかの噂を思い出して、変な汗が額に滲んだ。
「シゲさんは否定したけど、津島さんはシゲさんの事が好きなんじゃないかってゆう疑いが残ったんすよ」
「え?」
「みんな思ってたと思います」
「えっ…」
「それが、大きな噂になったじゃないすか」
さっき脳裏を過ぎった、あの日の事を言ってるんだと分かった。
全校生徒から、軽蔑の眼差しを向けられた日…
「まぁ、あの噂は陽生さんのお陰でみんな納得してましたけど」
その言葉に、安堵の溜め息が漏れた。
「ただ一人、“その”陽生さんを覗いて」
「え?」
安心した傍から、眉間に皺が寄る。
「陽生さんは、津島さんがシゲさんの事を好きだと思ってんじゃないすかね」
「は?いや、ないでしょ…だって、あの噂が流れた時、真っ先に否定してくれた人だよ?」
「そりゃそうでしょ、好きな人が皆から悪く言われてるのを黙って見てる人じゃないっすよ」
「でも、」
「それとこれとじゃ話が別です。みんなの疑いから津島さんを守る為に陽生さんは否定したけど、津島さんがシゲさんの事を好きだって思ってた事は、変わらない筈です。だって、俺らが思うぐらいですよ?周りがそう思うぐらいだから、陽生さんは一番思ってたと思うんすよ」
眉間に皺を寄せてみても、納得出来なかった。
「仮に…もし仮に、陽生先輩があたしの事を好きだったとして、何であんなに冷たいのか分からない。お弁当だって、一度も食べてくれなかった。あんたも見たでしょ、屋上であたしがお弁当受け取って貰えなかったの」
藤本陽生と付き合って半年の記念日に、化粧をして浮かれていた自分を思い出して、やっぱり惨めだと感じた。
「まぁ、陽生さんの言い方とかもあると思うんすけど、あれは完全にシゲさんのおふざけっすね」
「…シゲさん?」
どうしてそこに、シゲさんが出てくるのか分からない。
「シゲさんは多分、面白がってたんすよ。悪気なかったんだと思います。愛妻弁当なんて言う口実作って、津島さんに弁当作らせて、陽生さんがどうゆう反応すんのか楽しんでたんだと思います」
「…まさか」
「いや、シゲさんならやりかねないっすよ。あの人しょっちゅう人の事からかってるじゃないっすか」
…確かに、あたしも良くシゲさんに遊ばれてた。
「あくまでも、シゲさんはっすよ」
「え?」
「シゲさんの中では成立してたんすよ。陽生さんをからかう為に、津島さんに愛妻弁当の話をした」
「でも、あたしが作るか分からないじゃん」
「んーまぁ、そうっすよね。シゲさん的にはどっちでも良かったんじゃないんすかね?」
「はぁ?」
「軽い気持ちで言ったんだと思うんすよ。だから津島さんが弁当を作らなくても、シゲさんは別に気にしないし、むしろ忘れてたと思います」
「シゲさん……」
やるせない思いから、はぁ…と額に手を当てうなだれた。
「結局、津島さんは作って来た。それによって、さっき言ったように、シゲさん的には成立した訳です」
肘を突いた状態で額に手を当てたまま、視線だけ岡本に向けた。
「津島さんが弁当を陽生さんに渡しますよね、陽生さんは断りますよね。それを見てシゲさんは、陽生さんが照れてるとでも思ったんじゃないすかね。みんなの前で愛妻弁当なんて渡されて、それに照れた陽生さんは意地張って食べない…みたいな感じで、シゲさんの中では陽生さんが津島さんから弁当を受け取らない理由が成立してたんすよ」
「…でも、毎回…さすがにシゲさんだって、毎回断わられてるあたしが可哀想だと思うでしょ」
「思わないっすよ」
岡本にバッサリと否定されたのが気に入らなくて「何でよ?」と、喧嘩腰に問いかけた。
「だって、津島さん笑ってたじゃないっすか」
「え?」
「陽生さんに弁当いらないって拒否されても、毎回笑ってたじゃないっすか」
「あ…」
「その後普通にシゲさんに弁当渡してたじゃないっすか。そんなの、誰が見たって津島さんが可哀想だなんて思わないっすよ」
「…あれは、」
断られたからって落ち込んだりしたら、面倒臭い女になると思ったから…
何ともないって顔して、気にしてないよって笑ってないと、ウザイ女になると思ったから…
「言っときますけど、陽生さんは照れて断ってた訳じゃないと思いますよ。陽生さんは、津島さんが自分の為に作ったんじゃないと思ったんじゃないすかね。本当はシゲさんの為に作ったとでも思ったんじゃないっすかね」
「…っ違う!あたしは陽生先輩の為に!」
「でも、それを陽生さんは知らない。シゲさんと津島さんのやり取りじゃないっすか」
確かに、藤本陽生の為にお弁当を作る事になったのは、シゲさんしか知らない。
「しかも、津島さんも誤解してしまった」
「え…?」
「陽生さんが弁当を受け取ってくれないのは、自分の事を好きじゃないから…そんな風に悲観した」
「…そりゃっ…」
「そう思いますよね。何も知らないから。それぞれが何も言わないから、勝手に解釈して勝手に納得した―――…その結果が、これっすよ」
岡本は溜め息を吐くと、「何してんすか…」と、誰に向けてか分からない言葉を漏らした。
「陽生さんは、津島さんの事好きだったっすよ」
「…信じられない」
「一緒に居て分かんないんすか?」
「分からんわ…半年も陽生先輩の彼女やってたのに、あたしは誕生日すら知らないし、連絡先も知らない…そんなの付き合ってるって言える?」
「何で聞かないんすか?」
「はっ…?」
「聞いたら良かったんじゃないんすか?」
「…あんたには分かんない。いつも放っておかれたあたしの気持ちなんて…近くに居るのに、あたしの存在はいつも無視だった!」
「陽生さんはいつも見てましたよ。津島さんの事」
「はぁ?」
「屋上で、シゲさんと楽しそうにハシャいでる津島さんを」
「でも教室に行ったら来るなって言われるし、お弁当渡したら面倒くせぇってウザがられてた!」
「それは陽生さんの言い方が悪いっすね…」
「言い方の問題じゃないでしょ…気持ちが無いから」
「…じゃあ、言わせてもらいますけど、面倒な事が嫌いな陽生さんが、肩書きの彼女なんて面倒な女を、作ったりしますかね?」
そんな事を言われても、今となってはどう回答していいか分からない。
「聞いてみたらどうっすか?」
その言葉に視線を上げると、
「本人に聞いたら分かりますよ」
岡本は末恐ろしい提案をしてくる。
「本人って…陽生先輩に?」
「はい」
「…あんたバカじゃないの」
「何でっすか」
「あたしの事好きなんですか?って、陽生先輩に聞ける訳ないでしょ!それこそ「面倒くせぇ」って言われるのが目に見えてるでしょ!」
「じゃあシゲさんに聞いたらどうっすか」
「シゲさんに?」
「シゲさんなら知ってんじゃないんすか?」
岡本がそこまで言うから、こんなバカバカしい話に、何だか頭が痛くなってくる。
それに、別れを告げたあの日から、シゲさんに対して何となく気まずい気持ちがある。
頭を悩まされるあたしに、
「陽生さんは津島さんのどこが良かったんすかね」
いつかも言われたセリフが聞こえた。
目の前の岡本を無言で見やると「…って、俺が前言ったの覚えてます?」と、岡本が間際らしい言い回しをした。
「…覚えてますけど」
「俺、ずっと思ってました」
「…そうですか」
「何でだろうって」
「知らんわ!」
「津島さんがシゲさんの事を好きだって知ってて、何で陽生さんは津島さんと付き合ってんのかなって」
「は?」
「彼女でありながら、彼氏の友達が好きな女の、どこが良かったんだろうって」
「何それ…」
岡本が言ってるのは、付き合い始めた頃に出回った噂と同じに聞こえた。
「俺達には、津島さんがそうゆう風に見えてたって事っす」
少しだけ岡本の口調が強くなった。
「陽生さんの言動には、それなりの理由があると思うんすよ」
「…理由」
「耐えてたのは、津島さんだけじゃないって事っす」
「え?」
「陽生さんも、たくさん我慢してたと思います。津島さんが傷ついてたみたいに」
「陽生先輩が我慢…?」
そんな事、到底信じられない。
「津島さんってやっぱバカっすね」
「はぁ?」
何度もバカ呼ばわりされれば、眉間に皺が寄るのは当たり前。
「ちょっと考えたら分かると思うんすけど」
「…いや、」
「噂が出回った時、陽生さんが助けてくれたんじゃないんすか」
「それはっ…」
「デートした日に、陽生さんがお兄さんのお店に津島さんを連れて行ったって、シゲさん言ってましたよ」
…シゲさん余計な事を。
「てか、明和さ…陽生先輩のお兄さんが言ってたの」
突如、話題に明和さんが登場した事で、あたしはあの日の…お店で明和さんから聞いた事を思い出して、このしつこい岡本に話そうと思った。
「陽生先輩には、あたしと出会う前からずっと好きな人が居たって…」
「好きな人?」
この事実には、さすがの岡本も表情を曇らしていた。
「お兄さんが言ってんだから、間違いないでしょ」
「……」
あたしの問いかけに、初めて無言になった岡本は、腕を組んで頭を傾げる。
「やっぱおかしいっす」
そして、何が引っかかるのか、とことんあたしの意見を潰しにかかる。
「おかしいっすよ」
「…何が」
「普通そうゆう事、陽生さんの彼女って分かってて、しかも初対面の津島さんに言いますかね」
「それは、陽生先輩が“あたしには伝えてある”ってお兄さんに言ったから」
「だとしても、陽生さんのお兄さんがそんな無神経な事言いますかね?」
「多分、悪気は無かったと思う」
「シゲさんが慕う程の人ですよ?その辺の常識はあると思うんすよね」
「でも言ってた…」
あたしの言うことなんて全く信じようとしない岡本に、イラッとした。
「陽生さんのお兄さんがどうゆうつもりでその話をしたのか知らないっすけど、やっぱり陽生さん本人に直談判(じかだんぱん)した方が良いっすよ」
「だから…」
岡本と話してると、この話題がエンドレスに続きそうで嫌気がさしてくる。
「何でそんな悲観的なんすか?自分の好きな人と両想いだって言ってんすよ?普通ちょっとぐらい期待しないっすか?」
「期待はしない」
「何でっすか」
だって、藤本陽生は…
「あたしの名前すら覚えてないと思う」
自分で言って、溜め息が漏れた。
「はぁ?」
それをこの男は、呆れたような声を出して、
「勘弁して下さいよ…」
何故か肩を落とした。
今のあたしの言葉のどこに、呆れるような要素があったのか理解出来ない。
「名前知らない訳ないっすよ!何言ってんすかアンタ!」
「ア、アンタ…?」
「好きな人の名前知らない訳ないっすよ!ましてやアンタ達付き合ってたんすよ?どんだけバカなんすか!」
「なっ!」
「陽生さん可哀想っすよ!」
言い返す間を与えずに、岡本は一気に思いを吐き出した。
その表情が本気だと分かったから、バカと言われてもさっきみたいな怒りは沸き上がらなかった。
「陽生さんが、津島さんに教室に来るなって言ったのは、」
意気消沈するあたしに、岡本も声を落ち着かせ、ゆっくりと話し出した。
「津島さんに傷ついて欲しくないからじゃないっすか?」
「…あたしが傷つく?」
「変な噂が流れないように、津島さんを遠まわしに遠ざけてたんじゃないっすかね」
「え…?」
「津島さんと陽生さんが付き合う前から、津島さんは、シゲさんの事が好きだって思われてたんすよ!二人が付き合いだしても、一部の生徒は津島さんに対対する風当たりがキツかった…津島さんが教室に行く度に「またシゲに会いに来た」そう思われてたんすよ!」
岡本の声が、ちょっとだけ怒ったような声に変わった。
「…気づいてないのは、当人の津島さんと、脳天気なシゲさんくらいで…二人が教室で接触する度に、陽生さんと付き合ってる津島さんの事を周りは罵倒する。それが津島さんの耳に入らないように、陽生さんは教室に来るなって言ってたんじゃないっすか」
岡本の必死な物言いに、体も視線も、岡本から逸らす事が出来なかった。
「でもすぐに噂は津島さんの耳に入って、あの事があって…陽生さんはずっと心配だったと思うんすよ!また津島さんが傷つくんじゃねぇかって。津島さんがシゲさんの事を好きだと思ってる陽生さんからしたら、あの噂の事が解決した後も、仲良く話す二人を見てるとまた変な噂が流れんじゃねぇかって、大袈裟かもしれねぇけど、陽生さんはずっと心配してたんじゃないっすかね」
「……」
「…陽生さんは十分、津島さんの事を想ってましたよ」
その悲しそうな岡本の言葉を、疑う気には成れなかった。
「津島さんの為にも、陽生さんに直接聞いた方が良いっすよ!」
だけど、信じる気にも成れなくて―…
「俺一緒に行きますから!津島さん!」
岡本の必死さに根負けしたあたしは、ゆっくりと重い腰を上げた。
「あたしは、あんたに無理矢理連れて行かれるんだからね」
そして、不安ばかりを抱えたまま、精一杯の強がりを口にした。
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