12
憧れた人
今思えば、藤本陽生とゆう存在が、あたしの生きる道だった気がする。
それはあたしの片思いだけど、藤本陽生の“彼女”でいれる事が、心の支えだった。
いつも堂々としていて、真っ直ぐな姿勢を変える事は無くて。
言い方を変えれば、横柄で偉そうな人だったけど。
あたしにはとても冷たい人だったけど、それさえも、好きな子が居ると分かれば頷けること。
好きな子がいるのに、あたしみたいな肩書きの彼女に、優しくする筈がない。
そう思えば、やはり藤本陽生は一途な男で、あたしの憧れだった。
…――朝、お弁当は作らなかった。
そんなあたしに、母はやっぱり何も言わなかった。
昨日の今日で、あたし達親子に見える変化は無かったけど、あたしの心はとても軽くなっていた。
それは母も同じだったんじゃないかと、漠然と思えた。
いつも通り登校して、いつも通り授業を終えて、いつも通りの昼休憩。
お弁当を持たないあたしは、手持ち無沙汰で三年生の教室がある階へと向かった。
「あ、ハルくんの彼女」
顔見知りの先輩達が、いつも通り話かけてくれる。
あたしが、藤本陽生の彼女じゃなくなった時、今まで通りこうして接してくれるのかなと考えて、寂しさが胸に広がった。
三年二組の教室の前。
震える心臓の振動を感じながら、教室内を見渡した。
やっぱり、一番に目に止まるのは、
「春ちゃんや!」
大好きなシゲさん。
いつもあたしが見つける前に、見つけてくれる人。
「どうやってん、デート?」
楽しそうな声を出すシゲさんは、当然あたしの心境を知らない。
「うん」
曖昧に微笑んだあたしに、
「ん?」
シゲさんは“何か”を、敏感に感じ取ったのかもしれない。
「デート…」
「シゲさん」
何か言われる前にと、シゲさんの言葉を止めるように口を開いた。
「陽生先輩に、話があるの」
至って明るく切り出した。
「話?」
「うん」
「ハルにだけ?」
「そう。だから、シゲさん先に行っててほしい」
シゲさんに勘づかれないように、今にも笑みが零れ落ちそうな明るい声を出した。
「ふーん。何やシゲさんハミゴやな?」
ふてくされるシゲさんに、ハハッと笑ってみせた。
「まぁ、しゃあないか。ほなハル呼んで来るし、シゲさんはお先に行ってます」
「うん、ごめんね!」
最後まで明るく努めた。
シゲさんごめんね…って、心で何度も謝った。
すぐシゲさんが「ハルー!」って叫んで、あたしの心臓はバクバクと暴れ出した。
「ほなね!」
出て行くシゲさんに頷いて、手を振るあたしの背に、
「おい」
藤本陽生が君臨した。
ゆっくり振り返るあたしは、藤本陽生の瞳にどう映っているんだろう。
「話ってなんだ」
「え?」
「シゲが言ってた。俺に話があるって」
あたしの瞳には、今も憧れる存在として映っている。
「あー…、ちょっとこっち来て貰えますか」
とりあえず、人気の無い廊下の端へと移動した。
藤本陽生は相変わらずのしかめっ面で、以前なら恐れてたその表情ですら、今はあたしの決意を鈍らす程、ずっと見ていたいと思える。
昼休憩のざわつきが、いつもの日常なんだと、あたしを奮い立たせた。
「陽生先輩…」
ずっと、好きでした。
「別れます」
「……」
「……」
「……」
「あ、あの…」
真っ直ぐ目を見て伝えたあたしの決意を、
「…わかった」
少しの沈黙の後、藤本陽生はあっさりと承諾した。
あまりにも呆気ない。
言葉も出ないとはこうゆう事で…まぁ、予想通りと言えばそうなるけど。
やっぱり呆気ない。
「すいません、あたし何かが、別れるとか言って…」
藤本陽生からしたら、こんな肩書きの彼女に別れを告げられる義理なんて無いと思う。
だけどこれは、あたしなりのケジメ。
縮まらない距離なら、藤本陽生から離れるしかない。
そうゆう意味で、きちんと言葉にして伝えたかった。
「…じゃあ、これで」
立ち去るあたしに、何も話す気は無いらしい藤本陽生は、当然と言えば当然の態度で。
「あ、あの!」
振り返ったあたしに、視線だけ向けて来る。
「昨日は、楽しかったです。ありがとうございました」
最後にそれだけ伝え、藤本陽生に背を向けた。
泣くかなと思ったけど、涙なんか出やしない。
少し足早にその場を後にした。
振り返ってみたかったけど、ヘタレなあたしにそんな度胸は無い。
きっと藤本陽生はもう居ないだろうし、あたしが振り返る行為は、ケジメに成らない気もしたから。
無心に、距離を取るように突き進んだ。
教室に戻って、シゲさんに何て言おうかなって、頭を抱えた。
だけど言い訳じみたセリフなんて意味が無いから、あたしはこれで良いんだ。と、シゲさんにはそれだけ伝えようと思った。
シゲさんの事だから、藤本陽生が屋上に顔を出して、あたしが居ない事に気づく。
そうなれば「春ちゃんは?」と、そんな風にあたしの所在を藤本陽生に確認するはず。
聞かれた藤本陽生は、さっきの事をシゲさんに伝えると思う。
そのあたしの考えが正しければ、午後の授業が始まる頃には―…
「は、春ちゃん!!」
「……」
もう来た。
早いよシゲさん…
「さっきハルに聞いてんけど!」
「うん」
「ど、え?どうなってん?」
慌てようが怪しいシゲさんに、教室内の注目が集まる。
「ちょっと、出ようシゲさん…」
引っ張るように連れ出した先は、やはり廊下の隅で…
人気が無いのを確認しながら、
「別れるゆうたん?」
シゲさんは単刀直入に聞いて来た。
「陽生先輩に聞いたの?」
「せや、春ちゃんが居いひんから「どないしてん?」言うたら、「あいつは来ない」とか言うて、ハルのバカが変にかっこつけてんねん!」
きっと藤本陽生は普通に伝えたんだと思う…
「意味分からんし、ハルに問いただしたら別れたとか言うし、何で別れたんや!言うても無視しよんねん!せやからシゲさん大パニックでここまで走って来たわ!」
息遣いが荒い時点で、シゲさんの慌てようは見て分かる。
「何でや春ちゃん?何で別れるとか言うたん?」
藤本陽生が何も言ってないのに、あたしが話して良いものか悩む。
「陽生先輩は、あたしから別れを告げたって、言ってたんですか?」
「え、ちゃうの?」
「いや、伝えたのはあたしですけど…」
「せやから何でやねん…!」
もしかしたら藤本陽生は、結果的に振られた形となるのが嫌で、何も言わないのかもしれない。
勿論あたしは振ったつもりなんて更々ない。
だけどケジメとして、別れを口にしたのはあたしだから、事実だけ見ればあたしが藤本陽生を振ったとゆう事になる。
それは藤本陽生のプライドを傷つけたのかもしれない。
今更ながら、自己中心的な自分の言動を申し訳なく思った。
「陽生先輩は、あたしが別れるって言ったとは言ってないじゃないですか…」
藤本陽生が不利な状況は、避けたかった。
「せやけどハルが別れるとか言う訳ないやん!」
「そんな…シゲさんがそう思ってるだけだよ…」
「ちゃうわ!絶対ありえへんから!ハルが何かしたんか?春ちゃんに嫌われるような事したんか?あー!もしかして昨日何かあったん?」
昨日ってゆう単語に、デートの事を言ってるんだってすぐに分かった。
思い出すのは、明和さんとの話―…
「違います」
「ほな何でやー…」
力無い声を出すシゲさんに、申し訳なさが募った。
「シゲさん…ごめんね。せっかく色々と良くしてくれたのに…」
「そんなんどうでもええわ…何か理由あるんやろ?だって春ちゃん、ハルの事好きやんか!」
「シゲさん…」
「何か誤解とかあったんとちゃうん?ほら、また変な噂聞いたとか、何や女が言うて来たとか!春ちゃん前言うてたやん?違うなら違うって言うてくれんと、信じてまうって!何か誤解が…」
「シゲさん!」
話を聞けと言わんばかりに、シゲさんを一喝した。
「シゲさん違うの。何も誤解してない」
「せやけど春ちゃん、」
「ほんとに。誤解も無いし、誰も悪くない。あたしがこうしたかったから、これで良いの」
「意味分からんわ…」
シゲさんはそう呟いた。
「ほんま意味分からん」
「…シゲさん」
「何かあったんやろ?」
「…何もないから」
「せやったらこの半年はなんやってん!」
シゲさんの大きな声が廊下に響く。
「シゲさん落ち着いて…!」
周りに聞こえるんじゃないかと、焦るあたしなんてつゆ知らず。
「他に好きな奴出来たんか?」
シゲさんは見当違いな事を言い出した。
だけどそう思われても仕方ないのかもしれない。
何も言わないのは、肯定を意味してしまう。
「春ちゃん…何か言うてぇや」
シゲさんの苦しそうな声に、あたしは顔を上げられなかった。
だってしょうがない。
藤本陽生に好きな人が居るのに、あたしがいつまでも“彼女”として振る舞う事なんて出来ない。
だって、もう限界…
だからあたしは、離れると決意したんだ。
「もうね、嫌なの…」
「え…?」
「付き合いたくないの…」
「はっ?」
「だから別れた…」
「は?」
「だからっ!」
シゲさんの反応が物凄く不愉快で、思わず声を荒げそうになった時、
「アホやろ」
その冷たい声色に、言葉を失った。
「何やねん」
自分で嫌われるような事を言っといて、いざそうなると、泣きたくなるぐらい苦しかった。
「ほなもう好きにし」
その言葉を最後に、シゲさんはあたしに背を向けた。
一度も振り返らずに、見えなくなった。
藤本陽生から離れると決めた以上、シゲさんとも一緒に居る事は出来ない。
シゲさんと繋がっていれば、藤本陽生の姿がチラついて、ケジメもクソも無い気がした。
だからこれは予想通りの展開で、この結末はしょうがないと思えた。
だけど、人の別れがこんなにも呆気ないなんて、ましてや一日に二度も経験するなんて―…
特にシゲさんとは、藤本陽生よりずっとずっと長い時間を過ごして来て、いつもあたしの事を心配してくれて、優しくて…
そのシゲさんとの別れは、ある意味藤本陽生よりもあたしの胸を締め付けた。
午後の授業が始まって、少しだけ気が紛れた。
これからは、藤本陽生やシゲさん達と一緒に居る事は無い。
気まずい別れとなってしまった事を、あたしは少し後悔してた。
もっと別の形で伝えられたかもしれない。
だけど、ケジメってゆうのはそんな甘いものじゃないって事も分かってる。
穏便に終わらそうなんて思ってたら、またズルズル繋がりを求めてしまう。
午後の授業の終わりを告げるチャイムが、まだフワフワしてるあたしの気持ちに渇を入れてくれた。
今はまだ実感が無いだけかもしれない。
明日になれば、あたしと藤本陽生が別れたってゆう噂が流れると思う。
そうなれば、あたしは益々藤本陽生から遠ざかって行く。
藤本陽生が「憧れの人」として、あたしの胸で思い出になる事を、早く早く……と、願うばかりだ。
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