初デート
帰宅
タクシーに乗って家まで帰った。
何を考えて、何を思ったら良いのか分からない。
「ただいま…」
「お帰りなさい」
リビングに顔を出すと、母が食事のお皿をダイニングテーブルに並べていた。
「丁度ご飯出来たよ」
「うん、着替えてくるね」
リビングを出て自分の部屋へ向かった。
正直、お腹は空いてない。
てゆうか食欲がない。
だけど食べなきゃいけない。
何か…物凄く辛い。
「今日、お父さん遅くなるって」
「そうなんだ」
「先に食べましょ」
「うん」
ダイニングテーブルに腰掛け、母と向き合って箸を握った。
「頂きます…」
今日の晩御飯は、皮肉にも生姜焼き。
思い出すのは、デートでの楽しかった事―…じゃなくて、明和さんが言っていた話し。
箸でお肉を一つ摘んだ。
母の料理はいつも美味しい。
明和さんの生姜焼きも、凄く美味しかった。
…――なのに、この生姜焼きの味が分からない。
「あの、」
母を見つめるあたしに、
「何?」
至って普通に帰って来た返事。
「ごめんなさい…」
「…え?」
突然の謝罪に、母は箸を止めた。
「何が?」
母は普通に接してくれる。
それ以下でも、それ以上でもない。
あたし達親子に、血縁関係はない。
だからこそ、必要以上に母には気を遣い、母の負担は軽減しなければ成らない。
あたしの都合で、母の生活サイクルを狂わしてはいけない。
だからこそ―…
「ごめんなさい…」
母に、申し訳ない。
「何?どうしたの?」
母が箸を置き、視線を真っ直ぐ向けてくれている。
「食べれない…」
「え…?」
「ごめん…今日は、食べれない…」
母の視線が、ゆっくりとあたしの前に置かれた料理に向けられた。
「あぁ…ご飯?」
その言葉に、視線を落とし、頷いた。
「良いよ、無理しないで。体調悪い?」
母には、本当に申し訳ない。
「ごめん…」
何度目かの謝罪を口にしたあたしに、母の溜め息が耳に届いた。
「ごめ…」
「ねぇ」
謝るしか出来ないあたしに、母の強い口調が届く。
そりゃそうだ。
仕方ない。
あたしはこんな態度をとって良い立場じゃない。
養って貰ってるのに、あたしの都合を優先させちゃいけない。
母が気分を害するのはしょうがない。
覚悟を決め、ゆっくり視線を上げた。
そこには、思った通りの母の鋭い視線―…
「あなたは年頃だから、こうゆう環境で、色々想う事もあると思った」
「……」
「干渉されたくない事もあるだろうし、あたしもそれなりに立場を弁えてきたつもり」
「……」
「だけど、今日は言わせてね」
母の強い口調に、あたしはついに家を追い出されるのかと…この家を出て行く自分の姿が、ふと頭を過ぎった。
「気を遣うのにも、程があると思う」
その言葉に、母を強く見つめた。
「気を遣うのがいけないんじゃないの。気を遣うのと、人の顔色を伺うのは違うでしょ?家族でも友人でも、他人でも…ある程度の気を遣った距離感はとても大切な事だと思う。“親しき仲にも礼儀あり”って言うしね」
母は一度、視線を落とし、
「特にあたし達は、血が繋がってないから、他人と言われてしまえばそれまでよね」
また強い眼差しを向けてくる。
「だけど、他人でも…一緒に暮らしたら家族だと、あたしは思ってる。血が繋がってないから気を遣うってゆう、あなたの解釈を否定するつもりは無い。でも、血が繋がってる家族だって、色々と気を遣ってるように見えない?」
母の言葉に、家族とゆうものを頭の中で思い描いてみた。
「些細なことだけど、食器を片付けるのを手伝ったり、送り迎えをしてあげたり。気を遣ってるようで、本人達は当たり前のように行ってる」
「……」
「何故か分かる?」
「……」
「それは、気を遣ってるんじゃなくて、思いやりだからじゃない?」
度々視線を落とすあたしに、母は変わらない口調で続けた。
「ご飯が食べられないのに、無理して食べようとしたあなたは、あたしに気を遣ったつもりで、顔色を伺ってる。それが思いやりに変われば、「今日はいらない」って、前もってきちんと言葉に出来ると思うの」
「……」
「ごめんね…あなたにそうさせたのは、あたしだね」
その言葉には、さすがに視線を上げた。
「違うの!あたしはただ、」
「うん」
「ただ、引き取って貰った恩もあるし、自分の子でもないのに養ってもらって…」
「まず、そこから話し合わない?」
母はあたしの言葉を遮った。
「あなたが血縁関係に拘るのは自由よ。事実、あたし達は血が繋がってない…」
「……」
「だけど、あたしはあなたと暮らしてる。あたしはあなたの母として、あなたを娘だと思ってる。あなたを養ってあげてるなんて思ってたら、毎日、あなたにグチグチ文句を言うわ」
母は少し微笑んだ。
「親が子供を養うのは当たり前。義務よ。あなたをきちんと育てる責任がある。とても重い事よ。あなたがって事じゃない。その責任が、とても重い、重大なの。親の役目であり、生き甲斐でもある」
「生き甲斐…」
「だから、親が子供を養うってゆう当たり前の事に、あなたが気を遣う必要はない。むしろ甘えて良いぐらいだと思ってる」
「…あたしには、出来ない…そんな事、迷惑かけてるとしか思えない」
「甘える事と、迷惑をかける事は違う」
「……」
「甘える事は、心を許す事だと思ってる。心を許してもらえて、迷惑だなんて思わない」
「でもあたしは…」
「うん」
「それでも、肩身が狭い…」
「うん」
「血の繋がった娘を平気で置いて行く親だっている」
父親の顔を思い浮かべた。だけど、上手く思い出せなかった。
「そうね、だけど逆もある。あたしは血が繋がってない母親だけど、あなたを見捨てたりしない」
目の前に居る母の顔が、グワンっと音を立てるように揺れた。
「養ってあげてるとか、あなたはあたしの子供じゃないとか、そんな風に思うぐらいなら、あなたに「一緒に暮らさない?」なんて言わない。あなたがあたしを受け入れられないのは仕方ないの。それはあたしの責任だから。だけど、あたしはあなたを受け入れてる。それはあたしの勝手。責任とか、重みとか、関係ない。あたしが勝手に、あなたを子供にして、あなたを育てると決めたの」
もう、母の姿は良く見えなかった。
「気を遣わせてごめんね…口下手だから、うまく伝えられなくて…あなたに窮屈な想いをさせてしまった」
母の言葉に、大きく首を横に振った。
「あたしがご飯を作っているのに、いらないと言えば、手間をかけさせてしまうと、あなたは感じるかもしれない」
母には、全てお見通しだったんだと…視線が下がる。
「確かにそうゆう状況になれば「せっかく作ったのに」って思うわ。あたしも人間だからね?でも、そうゆうのを「しょうがないなぁ」って終わらせるのが、家族でしょ?」
「……」
「文句を言う時もあれば、嫌な気分になる時もあって当然よ。それでも次の日には、朝、顔を合わすのが家族でしょ?あなたと血が繋がってないとか、あたしには関係ないの。旦那とだって、度々イライラしてる時がお互いにある。それでもあたしは旦那のご飯を作って、朝には顔を合わすの。いつの間にか自然に話してたりする」
「…うん」
「あたしの言いたいこと、分かる?」
母はそう続けた。
だからあたしは深く頷いた。
母に嫌われてると思ってた訳じゃない。
むしろ、良くして貰ってると感謝してる。
だけど、母が実の母じゃないと知りながら、引き取って貰ったとゆう現状が、この距離感を自ら作ってしまった。
感謝してるからこそ、迷惑をかけちゃいけないって。
母や旦那さんの負担になったらいけないって。
強く思うようになった。
そんな風に一度感じてしまったこの距離感を、すぐに縮める勇気がない。
そんなあたしに、
「すぐじゃなくても良いの」
母は手を差し伸べてくれた。
「それはあなたのペースで良いの。ただ、知ってて欲しかったから…あたしの想いを。あたしの言動が、あなたに距離を置かせてしまう原因だったのかもしれない」
「そんなっ…」
「ごめんね」
「そんな…」
「こんな言い方しか出来ないから、あなたを傷つけたかもしれない」
「そんなこと…」
母の言葉に必死で首を横に振るあたしを、母は悲しげに見つめていた。
「あなたがまだ三つの頃、初めて会ったのよ。あたし達」
母は不意に、そう呟いた。
「あなたが生まれた時をあたしは知らない。だけど、あなたの幼少期をあたしは知ってる。そして、これからもあなたの成長を見届けたいと思ってる」
母が話す度に、必死で唇を噛み締めた。
「お母さん…」
「なに?」
「…あたしの好物、何だか知ってる?」
突拍子の無い質問にも関わらず、母はフッと表情を和らいで、
「春は、昔から生姜焼きが好きだったよね」
「…うんっ…」
一歩踏み出す勇気を、あたしにくれた。
「春が生姜焼きを食べれないなんて言うから、体調でも悪いんじゃないかって思った」
母はそう言ってた。
だから―…
「あたしね、彼氏が居る…」
母にその存在を打ち明けた。
「何となく、そうじゃないかなって思ってたよ」
「どうして?」
「毎朝、お弁当作ってたでしょ?」
「あ…」
「それに、今日もデートかな?って」
「…知ってたの?」
「まさか。そんな気がしただけ。今日出かける時の春は、何てゆうか、女の子だったから」
母は、本当にあたしと向き合ってくれてたんだと思った。
きちんと見てくれてた。
だからこそ、あたしの変化を敏感に感じ取ってくれたのかな…
「でもね…」
あたしは決意した。
「別れようと思う」
母と話をして、思いやりが大切だと知った。
気を遣っているようで、顔色を伺ってる事に気づいた。
家族だからこそ、埋められる距離がある。
それをあたしと藤本陽生に置き換えた時、あたし達の距離は縮まらないと思った。
あたしが一方的に距離を縮めようとしても、相手が同じだけ遠ざかれば意味がない。
藤本陽生はきっと、今でも片思いをしてる。
忘れられない人がいる。
初めから、あたしが入り込む隙なんて無かったんだ。
肩書きなんて、本質を生かせなきゃ意味がない。
「明日、別れる」
「そう…」
母は静かに呟いて、それ以上は何も言わなかった。
残してしまった生姜焼きが、何だかあたしに思えて悲しくなった。
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