良い人

口数が減ったあたしに、シゲさんが空になったお弁当箱を手渡してきた。


それを無言で受け取るあたしは、自分でも嫌な奴だと感じている。



「なぁ春ちゃん?」



だけどシゲさんはいつだって、嫌な表情一つ見せずに接してくれるから、あたしは甘えてるんだ。



「何や楽しい事でもしたら、気分も晴れるんちゃう?」



返事すらしないあたしに、シゲさんはある提案を持ちかけた。



「このシゲさんが協力したるし、ハルとデートしてきたらええやん」


「デート!?」


「あ、反応した」


「…っ!」


「分かりやす」



笑うシゲさんにムッとしながらも、“デート”とゆう言葉に胸が弾んだのは事実だった。



出来る訳ないと思いながら、シゲさんがあたしの気分を上げる為に言ってくれたんだって思いながら、シゲさんが語るデートプランに耳を傾けたのは、恋する乙女なら仕様がない事だと思う。



「シゲさん、ごめんね…」


「何が?」


「気を遣わせてるなって思って…」


「そんな事ないで?春ちゃんがハルの為に努力してんのは、シゲさんよう知ってるし。ハルは鈍感やから、そうゆう春ちゃんの気持ちに気づかんねんな。今日かて、せっかく“おめかし”してんのに「可愛い」の一つも言わへんやろアイツ!」



トゲのある言い方をしたシゲさんは、対角線上に居る藤本陽生へ視線を動かした。



「…でも、しょうがないよ」


「ん?」


「うんん」



だって…藤本陽生はあたしになんて興味ない。


そう浮かんだ言葉をグッと呑み込んで、「何でもない」と笑ってみせた。



「まかしとき!シゲさんが最高のデートをプロデュースしたるから!」



まだそんな事を言うシゲさんに、もう苦笑いしか出なかった。



「そやなぁ、やっぱり映画が妥当やろ!」



シゲさんの言うデートプランは、藤本陽生と映画を見に行くとゆうものだった。



何で映画?と思いながらも、あの藤本陽生の事だから、会話せずにただ座って時間を過ごせる映画が、ベストデートプラン!だそうで…



何とも楽しくなさそうなデートだと思ったけど、相手が藤本陽生なら妥当なデートだとも思った。


映画が終われば、それで終了。とゆう、カップルにしては淡白なスタイルだけど、これも藤本陽生が相手なら納得できる。



まぁそんなシゲさんのデートプランも、夢のまた夢と思い、聞き流すしかない。


そもそも、藤本陽生がデートなんてしてくれる筈もなく―…



「春ちゃん今言うてきぃや」


「はぁあ!?」



夢のまた夢を見ているあたしに、シゲさんは絶対不可能な指令を下した。



「何言ってんのシゲさん!無理でしょ!」


「何でや」



驚くあたしに、惚けた声を出すシゲさん。



この人…

本気でデートプランを実行しようとしてる…



「絶対無理…」


チラッと藤本陽生へ視線を向けると、変わらず談笑してるのが伺えた。




「そんな事言うたかて、付き合ってから一度も2人で遊んでへんし、何なら今日の春ちゃんはとびきり可愛いしな、ハルも喜んで誘いに乗ると思うで?」


「ないでしょ!あたしが言えないでしょ!」


「せやかて俺が言うたら、何でシゲから言ってくんねん!ってなるやん」


「知らないよ!だいたいデートなんて出来ないよ!2人で映画とか…まず会話出来ないし!」


「ええやん別に!映画見て、帰るだけや〜ぐらいの軽い気持ちで取り組んだらええねん」


「意味分かんないし!無理だし!」



絶対無理だと思った。

藤本陽生とデートなんて…色んな感情が入り混じって考えられない。



嘆くあたしに、シゲさんは至って普通だった。


とゆうより、シゲさんからしたら、逆にあたしが何故そこまで拒むのかが分からないとゆうようで…



「春ちゃんは、ハルの事好きなんちゃうん?」



少し困惑したような表情を見せる。



「それはっ…」


こんなとこで何で愛の告白なんかしなきゃいけないんだ!と、言葉に詰まるあたしに、


「好きなんやったら、動くのも大事やで」


シゲさんお得意の、納得せざるを得ない促しが始まった。



「ハルもハルやし、春ちゃんも春ちゃんや」


「…えー…」


「えー…もヘッタクレもあるか!」


「……」


「付き合ってる男女が、デートの一つもした事ないとかめっちゃ悲しいやん!思い出の一つも無いとか、虚しいやん!そんなんでこのままやってこうと思えんの?」


「それは…」


「恥ずかしいとか、話出来へんとか、そんなん慣れや!回数こなしてったらええねん!」


「はい…」


「結局のとこ、春ちゃんはハルとデートしたいのかしたないのか!どっちやねん!」



シゲさんの達者な物言いに、圧巻したのは言うまでもなく、



「…デートしたい」



呟き出た言葉は、決して言わされたものじゃなく。


確かにあたしの本音だった。



その思いは、シゲさんにも伝わったみたいで…



「ほな話は簡単やん!行きたいなら行く!グダグダ言うとらんと楽しんだらええねん!」


「…うん」


心境はまだ複雑だったけど、シゲさんの言ってる事は頷けるものだった。


少なくとも、あたしの為に色々考えてくれてる訳で、シゲさんはほんとに良い人だと…自然に緩む頬が、それを証明していた。



「ほな春ちゃん頑張って!」


「えーっ!?」



良い人…だよね…?



「今言うの!?」


「遅かれ早かれ言う事なんやし、今言っといたらええやん」


「ちょっ、ちょっと待ってよ!」



力任せに立たされると、背中をグイっと押された。



「待ってもヘッタクレもあらへんっ」


「いや意味分かんないし!あたしにも心の準備が―…」


「そんな事ゆうてたら、春ちゃんおばぁさんになってまうやんか!」


「大袈裟だよっ!」



グイグイと押される力に負けないよう、踏ん張る足に目一杯力を込めた。



「大袈裟ちゃうやん!善は急げってゆうやろ!」


「そんなの分かってるよ!今すぐにでも言えるんなら言ってるよ!」



切りのない攻防戦を繰り返す中、あたしのその言葉によって、シゲさんの力が弱まった。



「だいたいシゲさんが言い出したんだから、協力してくれても良いじゃん!」


「あー…」



バツの悪そうな声を出したシゲさんは、完全にあたしから離れ、


「そやな…ごめんごめん!アカンわー…俺の方がヒートアップしてもうたやん!」


「いや…」


拍子抜けする程、呆気なく食い下がった。



「春ちゃんの言う通りや!そらそうやわ!分かった!キッカケ作ったるし!」


「え…」


「それやったら言いやすいやろ?」



ニコッと笑ったシゲさんに、「キッカケって何…?」って言おうとした言葉は、



「おいハルー!!」



藤本陽生の名を呼ぶシゲさんの声によって、発する事が出来なかった。



ゴクン…と息を呑むあたしは、こっちに視線を向けた藤本陽生を見て、完全に思考がストップした。



「ちょっとこっち来い!」



そんなあたしの事なんてつゆ知らず、シゲさんは脳天気な声を出す。



「俺が最初適当に話するし、様子みて春ちゃんに話振るから、そしたら言うんやで!」



耳元でそう囁かれ、ゆっくりシゲさんに視線を合わせると、満足げにウインクなんてものをされてしまった。


そんなシゲさんのマイペースぶりに、返事をする余裕もないまま、



「何だ?」



落ち着いた低い声を発しながら、藤本陽生がもう目の前まで迫って来ていた…



ズルズル…と、迫り来る藤本陽生のオーラが…



「シゲさ…っ」


勝手に追い詰められたあたしは、助けを求めようと、咄嗟にシゲさんを見上げ、



「シゲ」



鮮明に届いた低い声の所為で、最後まで言葉に出来ず…



「おまえ遅いねん!呼ばれたらさっさと来いや!」



シゲさんプロデュース、『恐怖のデートお誘い大作戦』が開始された。



開口一番、藤本陽生に突っかかるシゲさん。


その隣に立つあたし。


向かいには、今日に限ってやたら機嫌の悪そうな藤本陽生…



この異様な三角形の空間が息苦しく感じるのは、きっとあたしだけ。



「この前行った店あるやんか?」


「この前?」



だって2人は普通に会話している。



「ラーメンやラーメン」


「……」


「あっこ旨かったな」


「…シゲ」


「分かってるやん、また行きたいなぁ思うてん」



いつシゲさんがあたしにどう話を振ってくるのかと、気が気でいれず…そわそわドキドキしながら、2人の会話に耳を済ました。



「ハルは何も言いひんから、いちいち確認せなアカンやん」


「おまえが俺に確認して行動した事なんてねぇだろうが」


「そうか?まぁそうやんな」


ヒヒッて笑ったシゲさんに、呆れたように目を細める藤本陽生が、何だか可笑しかった。



「おまえ何で俺を呼んだんだ?」


「え?」


「…てめぇふざけてんのか」


「ちゃうやん!昨日、あっちでハル達が映画の話してたやん?」


「おまえよく知ってんな…」


呆れ返す藤本陽生をよそに、あたしは“映画”とゆう単語が、ここか!?と、過剰に気になってしまった。



ついに来るか!と、シゲさんの反応を伺ってしまう。



「そら嫌でも聞こえてくるやん、あんだけ見たい見たいゆうて騒いでたら」


「騒いでねぇよ」


「でも見たいゆうてたやん」


「…何だよ」



突如、藤本陽生が怪訝な表情を見せたかと思うと、


「春ちゃんは知ってる?今話題らしいねんけど、アクション映画とかゆうやつ」


「え!?」



やはりこのタイミングで、シゲさんからぶっつけ本番の作戦が始動された。



藤本陽生を目の前にすると、只でさえ戸惑うあたしが、上手い言葉なんて言える訳がない…



「知らないです…」



とりあえず聞かれた質問に答えようと、嘘を言うのもおかしいからそう答えたけど…


この時点で、作戦は失敗に終わったと思った。



「そうなんやー、ハルはこう見えてアクション映画が好きやねんで」



だけどシゲさんは、至って変わらず会話を続けてくる。



「そうなんですか…?」


映画とか見るんだ…


チラッと藤本陽生へ視線を向けたら、まんまとカチ合った視線…



「関係ねぇだろ」


「…はい」



関係ない事はないだろ…



「関係なくないやんけ!なんなら春ちゃんかて映画好きやゆうてたやん」


今思った事をすかさず言葉にしてくれる、流石プロデューサーシゲさん!



「ほら、こないだも映画の話、してたやんな?」



映画は好きだけど、シゲさんに好きだと言った事はないし、映画の話をした事もない。



だけど、ここまでくれば流石にあたしでも分かる。


シゲさんがあたしの為に、藤本陽生を誘いやすいように話を振ってくれているって…



だから、シゲさんの為にも、あたしはこの作戦を成功させなければ成らない。



「あたし…」


「ん?」


「映画見に行きたいです」


「そうなんや、どんなのが見たいの?」


「…映画、見に行きませんか…?」


「って、俺スルーかいな!」



藤本陽生の目を見て、ちゃんと言えた。


すぐ逸らしたけど、でも、言えた…



「春ちゃん、俺の事は無視やな!」



隣で笑ってるシゲさんの声が、あたしには有り難かった。



「今度の日曜日、行きませんか?」



シゲさんの存在に支えられ、絞り出した言葉は、意外にもハッキリと音を伝えた。



人一倍空気が読めるらしいシゲさんは、いつの間にかあたしの背後に下がってて…


カチッとライターの音がしたと同時に、煙草の匂いが鼻を掠めた。



きっとシゲさんは、藤本陽生が返事しやすいように、視界から離れたんだと思う。



「無理だ」



…だけど藤本陽生って人は、ほんとに期待を裏切らない。



「ダメ…ですか?」


「めんどくせぇ」



…はい、断られた。



想定内とはいえ、いざ断られると溜め息すら出ない…



「…そうですか」



これ以上の会話は必要ない。


物分かりの良い反応をしないと、藤本陽生の中で、あたしは面倒臭い女になってしまう…



「おいシゲ」



逸れた視線は、あたしを通り越してシゲさんに向けられた。



「話は終わりか?」



作戦は失敗に終わったし、もう話す事なんてない…





「アカンアカン!何言うてん!」



と思ったのに、シゲさんが慌てたように駆け寄って来た。



「彼女おるの証明せなアカンやん!」



再びあたしの隣、藤本陽生の向かいに立ったシゲさんの言葉に、



「はぁあ?」



嫌悪感いっぱいに低い声で反応した藤本陽生。



「春ちゃんと付き合うキッカケになった理由や!おまえの事グチグチ言うて来てる“ダーリン”おったやろ!そいつに彼女おるん証明せんと、いつまでも面倒くそう付きまとわれんのハルやで!」


「……」


「彼女おるん証明したら、もう何も言うてきぃひんって言っとってん!ハル面倒くさいの嫌やんか!これで一つ解決すんねんで?」


「…ほんとだろうな?」


「ほんまやて!そのダーリン映画館で働いとんねん!せやからダーリンが働いてる映画館に春ちゃんと映画見に行ったら、間違いなく「ハル彼女いてるやん!」ってなるやんか!」


「……」


「彼女居てんの証明するには、もうこれしかないで!」


「……」


「ハル!!」


「…わかった。シゲの言う通りにする」



えぇーっ!?



と叫びそうになった言葉は、何とか声にならずに済んだ。



作戦成功とゆうより、シゲさんの巧みな話術に感無量で…



藤本陽生の目を盗んでニヒッと笑ったシゲさんに、あたしは半ば放心状態でひきつり笑いを浮かべた。




「おいシゲ、もういいか?」


「おー!もうええで!わざわざ呼びつけて悪かったな!」



シゲさんが満面の笑みで手を振る素振りを見せれば、藤本陽生は無表情のまま背を向けた。



「ってちょい待ったー!」


「…何だ」


「まだ行くな!まだ話終わってないやん!びっくりや!」


「…もういいって言っただろうが」


「せやねん!すまん!日時の詳細を決めてへんかったわ!」


「日時だぁ?」


「せや!春ちゃんとのデート、いつにすんねん」


「…はぁ?」


「はぁ?って何やねん」



明らかに違う2人の温度さは、見ているこっちがハラハラしてしまう程で。



「デートってなんだ、コイツといるとこ見せりゃあいんだろ」



デートに対して否定的な言葉より、藤本陽生に名前すら呼んでもらえないあたしの存在が、雑に扱われている気分になった。




「アホやな!ちゃんとそれらしくしとかな信じてもらえんやろ!さっさと日時決めてデートせなアカン!」


「別にすぐじゃなくていいだろうが」


「アカーン!、」


「……」


「やると決めたらやるのが男や!ずべこべ言わずにさっさと決めー!!」



シゲさんの叫び声があまりにも大きくて…



「…てめぇそれ、わざとやってんのか?」



怒りに満ちた藤本陽生をよそに、離れた場所に居る他の先輩達が、ヒソヒソとこちらに視線を向けた。



「あらぁー…ちょっと声、大き過ぎました?」


「…おいこらシゲ」


「ちゃうやん!わざとやないねん!」



弁解するシゲさんの顔がちょっと笑ってたから、きっとわざと聞こえるように大きな声を出したんだと思う。



みんなに知られてしまえば、藤本陽生は“男”としてデートをせざるを得ない。

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