涙の記念日

やけにソワソワした気分だった。



何かある訳ないのに、してくれる筈なんてないのに、それでも期待してしまうあたしは、その辺の恋する女の子と、何も変わらないんだと思う。



だから気持ちだけでもと思って、いつもは化粧なんてしない顔に、メイクを施した。



誰もあたしの顔なんて見てないのに、俯き歩いてしまうのは、いつもと違う自分を、あたし自身が一番意識してるからかもしれない。



バイトの時しかしない化粧。派手にならないように頑張った。



藤本陽生に会うのが、いつにも増して緊張する。


いつもと違う自分を見られるのは、ドキドキする。



藤本陽生からの反応を期待してる訳じゃない。


だけど少しでも、“可愛いな”って思ってもらったら…なんて考えてる。



何度も鏡で自分をチェックして、廊下を歩く度に…いや、学校に居るだけで、いつ鉢合わせするかと思うと、お昼にお弁当を持って行く時まで、やっぱりあたしはソワソワしてた。



一睡もせずに向かった学校で、当たり前に授業中は欠伸が止まらず―…



それでも毎日こうして遅刻も欠席もせず通うのは、家に連絡してほしくないから。


バイト出来なくなったら嫌だから。



そんな訳で、眠気と戦いながらも、何とか昼休憩まで意識を保てたあたしは、



「ねぇ」



何の前触れも無くかけられた声に、握り締めていたお弁当を隠すように振り返った。



ここは三年生の教室がある階で、声をかけて来た人もきっと三年生。



「ハルくんの彼女?」



おまけに、藤本陽生を知っているらしい女の生徒。



誰だろう?と思いながら、「そうです」と返事が出来なかったあたしは、自分でも“彼女”とゆう立場を卑屈に思ってるのかもしれない。



「春ちゃんでしょ?」



次の質問には、「そうです」と、答えられた。




「やっぱり!よく見かけるもんね?」



屈託のない笑顔を見せるこの人は、藤本陽生の友達…?



それとも――…





「サナエちゃーん!春ちゃんに無駄に絡まんとってー」



その軽い口調に振り返ると、シゲさんが腕を組んで壁に寄りかかってた。



「何でよ?普通に話しかけただけじゃん」



それに対して苦笑いを浮かべたサナエちゃん…って人。



「そー?ならええけど」


「なに、シゲも春ちゃん可愛がってんだ?」



楽しそうに笑うサナエちゃんは、とても可愛い感じの人で…



「そら友達やもん」



爽やかなシゲさんとお似合いだなぁなんて、漠然と思った。



二人を交互に見やるあたしに、シゲさんが「それ、ハルの弁当?」とあたしが持ってたお弁当を指差す。



それに頷くと、



「マジで?ハルくん愛されてんじゃん」



答えたのはサナエちゃんだった。



「ほな今から渡しに行くんや?」



微笑むシゲさんに、あたしは苦笑い。



不意にシゲさんと交わる視線…



「ハルちゃん、おめかししてるやん」


「え?」


「化粧」



人差し指であたしのほっぺたをプニプニするシゲさん。



「あー、ちょっとね」



照れ笑いを浮かべるあたしに「ふぅーん」と、シゲさんは含み笑いを見せた。



「ほな先に行って、ハルおるか見て来るし」



そう言ったシゲさんは、あたしとサナエちゃんを残して先に行ってしまう。




三の二と書かれた教室までの何メートルかを、何故かサナエちゃんと二人で歩く。




「春ちゃんって、いつも化粧してないの?」


「はい」



どうしてそんな事をサナエちゃんに話さなきゃいけないんだ…と思いながらも、シゲさんがさっき言った言葉を、サナエちゃんは疑問に思ってたのかもしれないと、そう自分を納得させた。




「そうなんだ。じゃあ今日はたまたま?」


「…そうですね」



サナエちゃんはとても可愛らしい人で、凄く感じも良くて、あたしは自分の態度に不安が過ぎる。



「春ちゃんは化粧してなくても可愛いのに。ハルくん絶対驚くね」


「…そうですかね」



だって、自分の声が段々低くなってる。



サナエちゃんの口から、ハルくんハルくんって…藤本陽生の名前が出る度に、何だか良い気がしない。



どうゆう関係か分からないから、余計にモヤモヤする。




「春ちゃんって、ハルくんの好きそうな感じだもんね」



その知った気な物言いに、素直に喜ぶ事は出来なかった。



「またサナエちゃんやぁー…無駄に絡まんとってって言うたやん」



果てしなく感じた教室までの距離。



辿り着いたあたし達を見つけるなり、かけられたシゲさんの呆れた声が、あたしを心底ホッとさせた。



「だから何でよ!話してただけじゃんか!」



教室の中からドアの前に立ったシゲさんと、廊下に立つサナエちゃん。



その間で、サンドイッチ状態のあたしは、



「だってサナエちゃん、無駄に話しが長いねん」



また二人を交互に見やる。



「それシゲに言われたくない!」


「うわー心外や!俺のトークに無駄なんてもんは一切ないわ!」




シゲさんの存在は凄く不思議で…さっきまでサナエちゃんに対して不快感でいっぱいだったのに…




「関西弁が何か騒いでるね」



呆れたようにあたしへと視線を向けてくるサナエちゃんに、



「うん」



自然と言葉を返せてた。



「春ちゃんまで酷いわ!シゲさん泣いてまうで」



いつもおちゃらけてるシゲさんが、泣くってゆうフレーズがあまりにも似つかなくて、思わず笑いそうになった。



「何か春ちゃん、今日嬉しそうにしてんなぁ」



シゲさんには、あたしの気持ちが見透かされているように思えてならない。



「いっつもめっちゃ、かわえーねんけどな?何か今日はゴッツかわえーねん」


「…あ、ありがと」



サンドイッチ状態のままシゲさんに褒めちぎられ、今にもふわふわと浮いてしまいそうになった時、



「早くハルくん呼んであげなよ!」



思い出したかのように声をあげたサナエちゃんに、目を向けた。



何てゆうか、それはサナエちゃんが言うセリフじゃないと思う…



「…それサナエちゃんが言うたらアカンわ」



そう思ったのはシゲさんも同じだったみたいで、



「何でよ!」



反論するサナエちゃんが凄く可愛く見えたのも、あたしだけじゃないと思う。



「ハル!」



キーキー言ってるサナエちゃんを交わして、シゲさんがその名前を呼んだのは、まだあたしの中で心の準備が出来てなかった時で…



「こっち来い!」



シゲさんの背に身を隠して、ドキドキが増すのを必死で落ち着かせようとした。



「春ちゃん来てんで」



藤本陽生の気配をすぐそこで感じた瞬間、シゲさんが柔らかい口調でそう言葉を発する。



勇気を出して視線を向けると…



「……」



思わず目を逸らしてしまう程、藤本陽生からの視線をやけに感じた。



だけどそれは、恋焦がれるようなものじゃない。



明らかに化粧をしてるって分かるあたしの顔を、シゲさん達と同様に見てしまったんだと思う。



いつも無視するくせに…



「ほな、昼食べに行こか?」



シゲさんに背を押されて廊下を少し進むと、サナエちゃんはそこで「じゃあまたね」と、その場を離れて行った。



せっせとシゲさんに背中を押されながら、付いて来てるのか分からない藤本陽生が気になって顔だけ振り返ると、



「…ふっ」



コソッと笑うシゲさんの息遣いが聞こえて、



「そこ居てんで…」



笑いを残したような口調で、あたしが振り返った方とは反対側に視線を向ける。



つられてあたしもそっちに振り返ると…



後ろに居るシゲさんの斜め横に、死角となるそこに、藤本陽生が付いて来ていた。



「あ…」



すぐそこに居たとゆう予想外の事実に、自分が必死すぎて…それをシゲさんに悟られたかと思うと、恥ずかしさと気まずさから、もう後ろは振り向けなかった。



屋上に着いていつもの場所に座り、いつものようにお弁当を置いた。



既に居た何人かの先輩達の元へ、藤本陽生は行ってしまう。



だけどそれに文句を言える筈もなく、藤本陽生の分のお弁当をどうしようかと眺めていた。




「春ちゃん、ハルに弁当渡してき?」



お弁当と藤本陽生を交互に見つめるあたしに、シゲさんが口を開いた。



きっと、渡したいけど遠慮してるように見えたんだと思う。




そんな訳ないのに。



だけどシゲさんがニコニコ微笑むから、あたしは渋々重たい腰を上げた。



少し離れた場所に、藤本陽生とその取り巻きが座り込んでるのが見える。



あたしには見せない笑顔で、あたしにはかけられない言葉を交わしているんだろう…



一歩一歩、彼らの元へ近づくにつれ、周りの空気が変わり出す。



あたしの存在を意識してか、チラチラとこちらに視線を向けて、すぐに笑い声がピタリと止まる。




一言で言えば、感じが悪い。




「…あの、」



その中でもやっぱり、



「何だ」



あたしの“彼氏”と言われてるこの人が、この場の空気を変えてるんだと思う。



まるで“近づくな”と、威圧されてるみたいだ。




「お弁当…」



恐る恐るそう口にすれば、周りに居る取り巻き共の視線が痛い。



そうやって気まずい思いをしている彼女に、彼氏は何にも言葉をくれない。




「何か、今日可愛いっすね」



変わりに口を開いたのは、周りからいつもKYって言われてる藤本陽生達の後輩。



実はあたし達、同じクラスだったりする。




「…いや…」



戸惑いながら俯くと、ジロジロと見られているのは、化粧してきたからだと気づいた。



俯くあたしの頭上から、誰かの咳払いが耳に届いた。




「シゲにでもやれ」



その低い声は、いつもあたしを突き放す。



「え?陽生くん、またシゲさんにあげちゃうんすか?」



傍に居た誰かが、あたしを気にしてか…困惑の声を出している。




「食いてぇ奴が食えばいいだろ」



顔を上げたあたしは、その言葉にピクッと引きつった頬を隠すように笑った。



「シゲさんに…あげてくる」



走り去りたい衝動を必死で抑え、普通に…何も気にしてない風に見えるように、背を向けて歩いた。



ここで文句なんて言ったら、面倒臭い女になってしまう。



泣き出してしまったら、ウザイ女になってしまう。



傷ついてるなんて知られたら、あたし達には“別れ”しかない気がしたから。





だけど今日は―…



…―付き合って半年の記念日だった。

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