第三章:変異体はぐれ魔物

第15話:残された者達

――今はまだ、貴方を信じましょう。


 レインは誰かの声を聞いた。

 女性の様で、そして優しい声。

 

 意識を失って身体が冷たくなるのを感じたが、その声を聞いてから水の勢いが様に感じる。

 そして周囲も温かく感じ、徐々に身体の自由や意識が覚醒していった。


♦♦♦♦♦


「……ッ!」

 

 意識が覚醒し、目を覚ましたレインを出迎えたのは布の天井だった。

 頭がぼんやりとしていたが、ここがテントであるのを理解するのに時間は掛からず、自分が助かった事が自覚できた。


「ここは……?」



 どうやら自身は生きているとレインは自覚し、同時に状況を考える。

 やや不格好だが、確かに建てられているテント。

 けれど、保温魔法も使われているのか、この中はとても心地良い暖かさを保っていた。

 

「……影狼や所持品は?」


 周りを確認すれば自分の武器である影狼を始め、道具袋や財布すらも置いてあった。

 身に着けていたマントだけがなかったが、一番重要な存在もいない事にレインは気付いた。


「――ステラ王女! グランもか?」


 重要な二人がいない事に気付いて立ち上がると、テントの外から気配と誰かの声が聞こえた。

 

「この声は……」


 聞き覚えのある声を頼りに、レインは影狼を持ってテントから覗き込むと、その視線の先に一人の少女が座り込んでいた。

 ブルームーンの様な美しい青い髪。その見覚えのあるポニーテールはステラだった。


 レインはすぐにテントから出て彼女の傍に行くと、彼女は膨らみのある地面の前で祈りを捧げていた。


「偉大なる神々よ……この解放されし魂を天へとお導き下さい」


 ステラが唱えているのは一般的な死者へ捧げる祈りであり、目の前にある地面の四つの膨らみの下には遺体が眠っていると分かった。


――この大きさはグランではない。暗殺犯達の遺体か?


 色々と察したレインは取り敢えず祈りが終わるのを待ち、祈り終えたと同時に動いた時だった。

 ステラも音に気付いてバッと振り返るが、レインだと分かると安心した様に笑顔を浮かべた。


「レイン様! 眼が覚めたんですね!」


「……貴女もご無事で良かった。――しかし、先程のは?」


 そう返答して彼女が祈っていた場所へ視線を向けると、ステラは悲しそうな表情を浮かべながら頷いた。


「護衛団の者達です……と同じ様に流れ着いていました」


 そう言って顔を横へ向けるステラに合わせ、レインも顔を横へ向け、ようやく今自分達がいる場所を理解する。


「……湖?」


 水面すら揺れていない静寂で、広大な森に囲まれた湖だった。

 流された時の激流が嘘の様な光景であり、同時に自分達がどれだけの距離を流されたのかを理解させる。


 そんな湖で、レイン達がいるのはプライベートビーチの様な、ちょっとした陸地の空間だ。

 周辺には馬車の残骸と、その破損した箇所から物資が見え隠れしている。


「……物資はあるのか」


「はい……不幸中の幸いです。そのお陰でテントも建てられ、何とか落ち着ける場所ぐらいは作れました」

 

 ステラの言葉に、レインは今度はじっくりと周囲を見渡した。


 彼女が建てたからか、外から見れば不格好なテント。

 また、隣には木と木に紐を括り付け、そこに干されている自身のマント。

 更に周囲には、魔力を込めれば起動する“充魔式”の魔物除けも設置されていた。


「ステラ王女が、これを全て一人で?」


「はい! 何とか頑張りました!」


 元気一杯に両手を握り、返事をするステラにレインは感心する。


 どれ程まで眠っていたか分からないが、一国の姫の割に一人でテント等を準備したのは大したものだ。

 だが、そんな事を褒めるよりも先にレインは懐に入っている一本の筒を取り出す。


――親書も無事だったか。


 それはサイラス王から受け取った親書だった。

 保護魔法のおかげで濡れておらず、紛失も免れた親書を見つめながら、今後の事も考え始めた。


――護衛団は事実上の壊滅。だがステラ王女と親書があるならば任務の続行は可能。だが問題は……。


「……グランも巻き込まれたか」


 もう一人の四獣将、グラン・ロックレスの存在。


 暗殺の黒幕は少なくとも、ルナセリアの王族護衛・首都防衛の精鋭である“近衛衆”のヴィクセルすらも支配下に置けた人間。

 グラウンドブリッジ崩壊は確実に両国に伝わり、事態を理解している者達ならば護衛団が巻き込まれたのを察する事ができる筈だ。


――遺体が見つかっていない以上は疑い、追っ手も差し向ける可能性が高い。


 合成魔物まで準備していた以上、敵側は川に落ちたかどうかは関係なく、遺体を見るまで生きている事を前提で動くに決まっている。


 その為、追っ手を差し向けて来るのが想像に容易く、遠い旅路となるルナセリア本国まで護衛するのにグランの力が欲しかった。 


「生きているのか……グラン?」


 湖を見ながらレインが呟いた時だ。


「――生きています」


 その呟きを隣で聞いていたステラが、同じ様に湖を見ながらそう呟いた。

 真剣な瞳と、声から伝わるしっかりとした口調。まるでグランの生存に対し、確信すら持っている様に見えた。


「……そこまで言い切るとは、まるで分かっているかの様だ」


「えっ!? えっと……!」


 その言葉にステラは何故か過剰に反応し、いかにも誤魔化そうとする様に両手を振りながら言葉を探す素振りをすると、やがて思いついた様に笑顔を浮かべた。


「私とレイン様も無事に流れ着いたんですから! きっとグラン様も無事に何処かに流れ着いている筈です!」


「……そうですか」


 自信満々に誤魔化した様子のステラだったが、レインには明らかに何かを隠している事はお見通しだった。

――というよりも、レインじゃなくても先程の様子を見れば分かった。


「自分や他者に嘘を言えず、そして騙せないタイプか」


 典型的に嘘が付けない人間だが、当のステラは誤魔化せたと思ったのか安心して息すら整えていた。

 

「ふぅ……なんとか誤魔化せました」


 小さく言えば、この距離でも聞こえていないと思っていたのか。

 

 逆に疑いそうになるが、レインは馬鹿らしくなってしまって追求せず、馬車の下へと向かい荷物を取り出し始める。

 けれど、その姿を見て、ステラは慌てて止めようとした。


「レ、レイン様いけません! まだ休んでいなくては!?」


「……お気になさらず。特にこれといった外傷はない」


「ですが……」


 ステラの心配の声を背後から聞き続けながらも、レインは手を止めず、運良く残っていた自身とグランの荷物を取り出す。

 その他にも次々と馬車を変えては荷物を取り出し、選別し始める。

 

「……まさか殆どの物資が無事とはな」

 

 道具・食料品・魔物除け等の旅用品は疎か、お金すら無事だ。

 これで少なくとも野宿や旅に必要な物は十分であり、当分は安心できるが、運んで移動すると思えば多過ぎる。


――俺一人ならば良いが、ステラ王女がいるならば無理は出来ない。


 自分だけなら無理は出来るが、今回は護衛がメインだ。

 それにより長い旅、その準備も考えなければならない。


「道筋や寄る街もそうだが……やはり日数もか。暗殺側の目的が王女の殺害なら、あまり時間も掛けられない」


 限られた日数で、ルナセリアへの帰国。

 それまでの道。荷物も、最悪この場に多くを置いて街で整えることも考える。

 

――まだ異変はない。ならばその間はステラ王女の身を守らねば。


 己の任務を自覚し直したレインは、自分の後ろで手伝う様に鍋等を運ぶステラを観察する。


――何故こうも無防備に己を晒す? そこまで俺を信じているというのか。


 隙だらけで、己のペースのまま無警戒なステラを見て、レインは呆れた。

 

 守ったとはいえ、殆ど初対面でしかない自分と二人。

 しかも信頼していた者達から裏切られたばかりで、何故に警戒をしないのかと。


――だが、それはそれで任務がし易くなるか。

 

 刺客が来なくとも、場合によっては自分の手で命を奪う事になる。

 ヴィクセルも最期に意味深な視線を向けていた。

 自身から何かを察したのか、それとも他に何かがあるのか。


 色々な疑問は消えないが、今はまだ己の任務の優先順位が、ステラの身の安全であると自覚し、荷物を運んでいる内に日も沈み始めてしまう。

 

 レインとステラは急ぎ、夜営の準備を行うのだった。


♦♦♦♦


 テントの傍を焚き火が照らし、鍋を囲んでレインとステラは腰を下ろしていた。

 焚き火で温めた鍋の中身、それはステラが作った特製シチューが入っており、パンと一緒に彼女が取り分けてレインへと手渡した。


「食材が無事で良かったです……あまりに強い衝撃を浴びれば、保護魔法も消えてしまいますから」


「……そうですね」


 シチューを受け取りながらレインは短く答え、食べ始めるがそのまま黙ってしまう。

 美味しいのか、それとも気に入らないのか、それぐらいは言って欲しいとステラは思っていた。


「え、えっと……お味はどうでしょう?」


「問題ありません」


 二人しかおらず、互いに相手の人間性を知らない。

 ステラはコミュニケーションを図ろうと積極的に話しかけるが、レインも口数が少ない。


 だから何を言っても短い返答だけだが、ステラは、そんなレインが冷たい人間とは思っていなかった。

  

――あなたは、ずっと傍にいてくれましたね。


 ステラが目を覚ました時、目の前にいたのはレインだった。


 気を失いながらも、ずっと自分を抱きしめていたレインの姿を見て、彼女はグラウンドブリッジから落ちた時の事が脳裏に浮かび、自分を省みずに守ってくれた事を思い出す。


――自分の身を呈してまで私を守ってくれた貴方を、冷たい人とは思いません。祖国でも聞いた心無き獣と呼ぶ者もいましたが、ただ不器用な人に私は見えます。

  

 ステラは、レインは口数が少ない人なんだなと思うだけだった。

 けれど、レインの様子に多少は困った様に笑うしかなく、やはり静かすぎるのは寂しかった。


「星が綺麗ですね……」


 空気と静寂を破る様に、ステラがそう言って夜空を見上げれば、存在しているのは一面の星空。

 宝石の様に輝き、お菓子の様に魅力的に見える景色を見ながらステラは静かに話し始めた。


「私、こんなちゃんとした野宿って初めてです。準備も、周囲の安全も全て周りの方々がしてくれてましたから」


 ステラは初めての経験に感傷深く呟いた。

 アスカリアへ来る時、今日までの時も、基本的にステラは自分用にされている馬車の中で寝泊まりしていた。


 食事の時は我儘で外に出て食べていたが、周囲には護衛の騎士によって約束された環境が整っており、野宿と言うには恵まれ過ぎて、今が逆に新鮮に感じている。

 

「……だが、その割にはテント等の準備は出来ていたようですが?」


 その話を聞いたレインが、ここで反応を示した。

 姫なのに、テントを建てられたのが不思議だったからだ。

 すると、案外ステラはすぐに答えた。 


「それは読んだからです。実際には出来ないので、読みながらイメージばかりしていました。――でも、実際にやると難しいですね」


 ステラは思い出していた。

 王女である自分は自由な時間を貰っても、自由に行動する事が出来ない。

 だから買い物がしたいから少し城下まで――なんて出来る筈もなく、ステラが出来た事は本を読んで事だけだった。


「……本はと同じです。読むだけで、色んな事を私に教えてくれました」


 書庫の本に飽きた時には、メイドや騎士の人達に頼み、何か面白そうな本を頼んだりした事もあった。

 最初は姫であるステラのお願いに面食らうが、そこは民や使用人達に慕われてる王女だ。

 困惑するが、断った者は誰もいなかった。 


 そんな皆が持って来てくれた本、それは個性が良く出ていたものばかりだ。

 料理・魔物・キャンプ等々、色んなジャンルにステラは楽しく読ませてもらったのを今も覚えている。 

 テント等の組み立ての知識もそれで覚えたもので、それを聞いたレインも納得した。


「……本の知識ですか」


「はい! みんな城の書庫にはない本ばかりで楽しかったです。メイドや騎士――ヴィクセルも貸してくれました……」


 思い出してしまった。ヴィクセルの事を。  

 自分が小さい頃からいたヴィクセルは、ステラにとってもう一人の親の様な存在。

 

 厳しくも優しく、子供の頃に城下町に行きたいと泣きながら駄々をこねた時は、他の騎士達と話を合わせ、お忍びで連れて行ってくれた事もあった。


――そんなヴィクセルがもういない。自分を暗殺しようとし、そして守って死んだ。


「……どうして」


 ステラは思い出してしまい、目尻が熱くなるのを感じ取った。


――険しい表情の方もいましたが、それ以上に多くの方が優しい表情で見送って下さいました。

 

 国を出た時には、こんな事になるなんて思ってもみなかった。

 暗殺の危険は理解してきたが、信頼し、賛同してくれた者達が仲間を殺し、己を暗殺するなんて想像ができなかった。


 優しい記憶が更にそれを印象深くしてしまい、本当に泣きそうになるが、ステラは堪えるように歯を食い縛り、感情を何とか呑み込む。


――分かっています。悲しんでいる場合じゃないのは。それに、王女が簡単に涙を流してはいけない。ましてや、人前でなんて……!  


 王族は国。強いて民の象徴。

 皆、信じて付いて来てくれている。いつでも強い姿を求めている。だから、弱さと涙を見せてはいけない。


 泣いて良いのは一人の時だけ。少なくともステラは、レインが目の前にいるので泣いてはいけないと思っていた。 

 

――耐えなさいステラ……!


 何とか悲しみを呑み込み、無理矢理だが、出来るだけ自然な感じで笑顔を作ってレインに視線を戻した時だった。


「――泣きたいなら泣けばいい」


 不意に発せられたレインの言葉に、ステラはゆっくりと顔をあげると、その黒い瞳がジッと自分の事を見つめていた。


「泣きたい時にこそ、本当の意味で涙を流せる。だが、その時に泣くのを耐えてしまえば本当に泣くことが出来なくなる。――涙は枯れるぞ」


「で、ですが……私は王女です。だから……涙を人前で流す訳には……!」


 レインの声は今までとは違い、どこか優しい声だった。

 だからこそ縋る様に甘えてしまいそうになるが、ステラは己の心へ無理矢理に鍵を掛け、感情を抑え込んだ。

 

――泣くわけにいかない。これ以上、私に何か言わないで!

 

 叫びそうな感情の爆発。

 それすらもステラは抑え込もうとするが、不意にレインが立ち上がった。


「えっ……?」


 突然の事でステラは面食らうが、不思議なのはここからだ。

 立ち上がったレインは何を思ってか、ステラの横を通り抜け、そのまま彼女の真後ろで腰を下ろす。

 

「あ、あの……?」


 これにはステラも困惑したが、レインへ背中合わせのまま問いかけても、レインは一言も発する事はなかった。

 まるで、それはかと思わせるかのようだ。


「あ、あの……もしかして?」


 突然、そして不自然な行動は流石のステラも察した。

 

――誰かの前では泣かない。


 そう言った自分の言葉を、レインは不器用なやり方で叶えてくれたのだと。


 護衛という任務がある以上、離れる訳にはいかないが、ステラは彼の不器用な優しさを理解した。

 その為、、今も沈黙し続けるレインを背にしていると、その不器用な行動がおかしくも思い、思わず笑ってしまう。


「フフッ……!」


 普通の人ならばこんな事はしないだろうが、それを自然に実行するレインを、ステラはおかしかった。


 無表情なレインのギャップも手伝って尚もおかしいが、それは馬鹿にする様なおかしさではない。

 純粋に嬉しさからくるものであり、その心の温かさが彼女の心を溶かし始める。


「あれ……?」


 溶け始めれば、今度は自然と己に付けた溶けてゆく。

 ステラは気付けば自分の頬を伝う涙に気付くが、一度溢れてしまった感情を止めることが出来なかった。

 

「あ、あぁ……!」


 気付けば泣いていた。ただ純粋に、心のままに。

 溢れる涙。心も叫んでいる様に荒れており、もうステラが自分を抑える事は出来なかった。


 一人の人間として、ただ彼女は泣くことを選んでしまう。


「ああぁぁぁぁぁん!!  どうしてぇ……!! どうしてぇみんなぁ……!  あぁぁぁぁぁん!!」


 涙を大量に流し、鼻をすすりながらも泣き叫ぶ彼女の姿は、城で見た時の凛々しい姿ではない。

 純粋に悲しんで泣く、幼い子供の様だった。

 

 その姿に、背後にいるレインは何も言わず、何もするわけではなく見守り続けるのだった。

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