第15話 荒ら屋の童女

 春佳と別れた後、エレベーターに乗り込んだはいいものの、何階に何があるかまったく分からなかったので、とりあえず適当に押した五六階へ向かうことにした。


 そうして止まったエレベーターの扉の隙間からは、僅かに光が漏れている。


「っ……」


 扉が開いたその先に待っていたのは、彼方まで続く一面花畑の世界。そして、その花畑を覆うようにして存在する巨大な桜の木。陽の光、風が頬を撫でる感覚も心地良く、その光景に思わず言葉を失っていた。


 辺りを見ても、この階には。ここは自然の中でくつろぐことを目的としている場所なのだろうか。


 そんなことを考えながら、その場にしゃがみ込み、足元に咲く色取り取りの花に触れてみる。


「感触がある……匂いもする……?」


 ホログラムはどれだけ精巧な作りをしていても所詮しょせんはただの映像。触れることはもちろん、匂いを感じ取ることもできない。


 ……それなら、これはどういう事だろう。もしかして、ホログラムではなく本物の花を植えているのだろうか?


 そんな事を考えていると、突如として足元に優しい風がサァッと吹き抜けていき、風の通り道を示すかのように次々と草花がこうべを垂れていく。


「——ん?」


 風の行方を追った先に見えたのは、小さなあばら屋とそれを囲むようにして広がる浅い水面。

 ……はたして、あんなものが今まであっただろうか。


「……いや、見落としてただけか」


 実際にこうして目の前にあるのだから、そういうことなのだろう。それかホログラムによってたった今出現したものか。そのどれもが自分自身を納得させるだけの理由にはならなかったが、とりあえず目の前にある小屋へと向かうことにした。


 花を踏まないよう隙間を縫うようにして歩いて、小屋の周りに張られた水面まで辿り着く。


「……これは……偽物か?」


 水溜まりのように浅い水面を指先で触れると、波紋は広がるが指は濡れておらず、水に触れた感触も無い。この水はホログラムだ。


「……よし」


 幻に過ぎないと分かっていても多少の躊躇ためらいはあったが、意を決して一歩を踏み出す。一〇メートルほどの短い距離だったが、バシャバシャという水をかき分ける音が響き渡っていった。


 そうして何事も無く渡り切った俺は、目の前で寂しげに佇む小屋を見上げる。近くで見ると小屋の木板はささくれ立っていて、その隙間から小屋の中を覗けるのではないかと思うほど荒れ果てていた。


 どうしてこんなものがあるのか、意図を測りかねるのと同時に、胸中に奇妙な違和感のようなものが渦巻く。不思議な、運命を変える何かがあるという類の予感だった。


「——どうぞ、お入りなさいな」


 小屋の前でどうしたものかと考えていると、中から幼い少女の声が聞こえてきた。


 その声を聞いた途端、心臓が早鐘を打つ。理由は分からない。けど、この扉を開ければその答えが分かる。そんな気がして、声に誘われるがまま扉を開く。


 部屋には中央にテーブルと椅子が二つあるだけで、それ以外には何もない。まるで時間に置いていかれ、忘れ去られてしまった、そんな灰色の世界を思わせる。そんな世界に、少女——より幼く見える童女が椅子にちょこんと座ってこちらを見ていた。


 緑色の着物から伸びる透き通るほど白い肌と、腰まで長く垂れる綺麗な白い髪。更に特徴的だったのは、瞳の色。緑色の右目と赤色の左目——所謂いわゆるオッドアイというものだろう。


 そんな、まるで人形のように整った顔立ちは時を忘れさせるのに充分な衝撃だった。しかし、その衝撃のおかげもあってか動悸どうきはいつしか治まり、冷静になった今思い出した事もあった。


 目の前の童女は、式典を抜けた際に森の中にいた童女と同一人物だということ。つまり、彼女はホログラムでもAIでもない人間。そう理解すると、この奇妙な空間に身を置いていてもどこか安心することができた。子供のように見えるが、おそらくはスタッフの一人なのだろう。


「君は——」


 一体誰なのか。そう口にしようとして言葉に詰まる。その先の言葉を言いたくない。そんな不思議な感覚が必死に喉元で声を押し留めていた。


 なぜそう感じたのか。自分自身に問いかけて理解する。この子とはどこかで逢ったことがある気がしたからだ。式典を抜け出した時ではない、それよりももっと前に。


 そんな既視感の答えを得ようと記憶の糸を手繰たぐるも、闇ばかりが広がり一向に糸口さえ掴むことはできない。


「とりあえず座ったら?」

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