第14話 人間かAIか

「くそぅっ……」

「あはは、残念だったね」

「さっきまでは晴れてたんだけどなぁ」

「よしよし。でも雲はいっぱい見れたからよかったよかった!」


 肩を落としたまま透明な壁に手をつく俺に、春佳は肩をポンポンと叩きながら慰めの言葉を贈ってくる。


 春佳オススメのスポットに着いたはいいものの、外には一面の雲化粧がほどこされていた。春佳が言うには、これは高層雲というものらしい。光り輝く純白の絨毯じゅうたんを想起させる景色は幻想的で美しかったが、その下にあるものを見てみたかったので、やはり少し残念だった。


「まだ七日間もあるんだし、いつかは見れるって!」

「まぁ、それもそうだな」


 言って、館内を見渡す。目につくのはSOWISと数個のカプセルだけ。


 春佳いわく、設置されている透明なカプセル——通称〝Bouvardiaブバリア〟は、対象の深層心理を引き出して人の記憶をさかのぼって見ることができる機械のようで、医療目的でも使用することができるようだ。なのでPLOWの中でも優れものとのこと。


 魅力的だと思ったが、すでに予約が埋まってしまい滞在中には利用できないようで、代わりに断続的に鳴る鐘の音が終了の合図で——等々、細かな説明をしてくれた。


 どちらにせよ、利用できないのならこれ以上この階にいてもしょうがないだろう。

 そう思い、九九階のエレベーターへ向かって歩いていく、その途中——。


「えっ⁉ やばっ、もうこんな時間⁉」


 春佳は文字通り館内に浮かぶデジタル時計を見て驚いた声を上げる。


「何か用事でもあるのか?」

「うん、ちょっとね」

「そうか。……ガイド役ありがとう、楽しかったよ」


 ここまで元気に案内してくれたのもあって別れるのは少し寂しかったが、やはりいつまでも春佳を借りているわけにはいかないだろう。


「ふふん、あたしがいなくなったらきっと寂しいぞぉ~?」

「そうだな」

「ありゃ、意外に素直?」

「まぁこんなに広い場所なんだ。会えるのはこれが最後になるかもしれないしな」


 春佳と出会ってからまだほんの小一時間程度だったが、それでも別れを意識してつい感慨に浸ってしまう。


「……はぁ……分かった分かった!」


 そんな俺の内心を知ってか、春佳は観念したように両手を上げて降参のポーズをとる。


「どうしてもあたしに会いたくなったらリリィでも呼んで。そうしたら会いに行くから」

「え、いや、そこまでは……」

「んなんでよっ! わざわざ特別扱いしてあげてるんだから、そこは素直にありがとうでいいでしょうがっ!」

「冗談だよ、ありがとう春ちゃん」

「あんたが春ちゃんって言うな!」

「なんだ、リリィにだけ許した愛称だったのか」

「別にそういうわけじゃないけど」

「じゃあいいじゃないか」

「まぁどうしてもその呼び方がいいって言うなら……」

「いや、流石に冗談だよ。ちゃん付けはこっちも恥ずかしいし」

「んなんなのよっ!」


 なんでもツッコミを入れてくれる春佳が面白くつい遊んでしまったが、ツッコミ疲れたのか春佳は肩で息をしながら呟く。


「山だったら高山病になってるわよ、これ」

「PLOW様様だな」

「ふっ、そうね」


 お互いに顔を見合わせ、くすくすと静かに笑う。


「…………ねえ、一つ聞いていい?」

「ん?」


 このまま別れる——かと思いきや、春佳はうつむきがちに神妙な表情で聞いてくる。そこにこれまでのような戯れ合いの気配は一切感じられない。


「リリィの事なんだけど……彼女、志樹から見てどう思った?」

「どうって?」

「うまく言えないんだけど……AIだと思う?」

「ん? どういう意味だ?」


 リリィに実体が無い事はすでに確認済みだ。本物の人間であるかのように見えることについても、ホログラムとAIによるものだと説明を受けている。その上でAIだと思うか、という質問はどこか違和感を覚えるものだった。


「その……もっと、こう本質的な部分の話なんだけど。人間とかAIとか考えないで答えてほしいの」

「……本質的か……」


 難しい事を聞いてくる。——が、今の言葉で春佳が何を言いたいかはなんとなく分かった。おそらく、春佳はリリィの事を一人の心ある人間として認識しているということなのだろう。


 あの表情、言葉選び、仕草。そのどれをとっても、彼女は人間だと、そう錯覚させるには充分すぎる要素だ。近くで接してきた春佳が混乱するのも無理からぬことなのかもしれない。


 今、春佳はそのことについて俺がどう思うかを聞いてきている。もしかしたら、どう接するのが正しいのか迷っているのかもしれない。どうしていきなりそんな話をしだしたのかは分からないが、何か思うところがあったのだろう。


「……あたしは、彼女は人間だと思う。確かに情報を得るためのデバイスは誰かの作り出したものかもしれない。けど、ちゃんと心で考えて答えを出してるって、少なくともあたしは思ってる……」


 どう答えたものかと考えていると、春佳は静かに言葉を紡いでいく。


 彼女がAIについて無知ということはないだろう。AIという存在がどういったものなのか分かった上で、それでも〝そう思いたい〟と言っている。……それなら、そんな純粋な心を持つ春佳に対して俺の出来る返答は、自分の心に嘘偽りなく正直に答える事だろう。


「——求められる情報に対して、膨大な情報から合致するものを判断して提供する。それがAIだ」

「っ……」


 春佳の顔が悲痛に歪む。求めていた答えとは違っていたのだろう。けど、話はまだ終わっていない。


「でも、それは人間も同じことじゃないか?」

「……え?」

「相手の表情や仕草、声の調子を見聞きして、状況に合わせてその都度対応を変えたりする。その時々の最も良いと思う選択を取る。そう考えたら、人間も、作られた存在であるAIも大して変わりはないんじゃないかなって。実際、リリィがAIだなんて言われたところで信じられなかったしな。……まぁ、実体が無いとか命令に背けないとかはあるんだと思うけど、人間も法律や人間関係に縛られてるし、些細ささいなもの……だと思う。だから春佳がリリィのことを人間だと思うなら、それは間違ってないんじゃないか」


 少し無理やりだったか? と思って春佳を見ると、口をポカンと開けて呆気にとられた様子で俺の話を聞いていた。


「……志樹……」

「……ん?」


 目の端に涙を溜めて肩を震わせる春佳を見て、しまったと血の気が引く。そこまで思いつめていたとは知る由もなかったが、このままでは確実に泣かれてしまう。


 なんとかしなければと思考を巡らせようとした瞬間、身体に柔らかな温もりを感じた。


「志樹~‼」

「うおっと」


 突然胸に飛び込んできた春佳を抱きとめる。


 三〇を迎えた男に抱き着く女子高生という構図はあまりに周りの目が恐ろしく、内心早く離れてくれないかとも思ったが、春佳はこちらの心情なんてお構いなしに、自身の顔を俺の胸に埋めて擦り付けてくる。


「もしかしたらあたしと同じ考えなんじゃないかって思ってたけど! う~ん、大好きっ‼」

「そうか、満足したら俺が警察に連れていかれる前に離れてくれないか……!」


 半ば無理やり春佳を押し退けると、その顔は先ほどとは違い明るさに満ちた輝きを放っていた。


「……な、なんだ?」

「……ううん、やっぱりなんでもない!」


 明らかに何かを言おうとしていたのになんでもないと言われては、気になってしょうがない。

 だが、それを聞こうと思ったところで、そういえばと春佳に用事があった事を思い出した。


「それより行かなくていいのか?」

「あっ、やばっ!」


 春佳は、ばっと顔を上げて時計を見ると、急いでエレベーターに飛び乗る。


「今日はありがとうね! それじゃまた!」

「ああ、また」


 別れは案外あっさりしたもので、そのまま扉は閉まり、春佳を乗せたエレベーターは階下へ向かっていった。


 これまで場を盛り上げてくれていた少女がいなくなったことで、それまでのやり取りがすべて夢だったのではないかと錯覚するほどの静寂が訪れる。

 そうして、はたと気付いた。


「……俺も一緒に乗ればよかったんじゃ……」

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