第11話 霧山春佳

「……しかし、単純計算で一階あたり一〇〇メートルか……室内でバンジージャンプができるな」

「いいね、それ面白いかも! あとで紬に聞いてみようかな?」


 俺の何気ない一言に春佳が目を輝かせる。

 紬というのは春佳の家族か、もしくはここの技術者の一人だろうか? パッと思い浮かぶのは霧山紬しかいないが、まさかそれはないだろう。


 どちらにせよ——。


「そんなお菓子をねだるみたいにお願いされても困るだろ」

「大丈夫だよ! あたしがこれどうかな? って言ったことを取り入れてくれたこともあったし!」


 この言い方からして、やはり技術者かなにかに親密な関係の人がいるのだろう。でなければ、ただのバイトにそこまでの発言力はないはず。


「あー、信じてないなぁ? でも本当だよ! なんと、あたしのお母さんである紬はここのCEOなんだから!」

「……CEO?」


 つまり、PLOWの最高経営責任者か。……しかし、そのポジションに就いているのは霧山紬のはず。もし春佳の言っている事が本当なら、春佳の母親は霧山紬ということになるが、霧山さんに娘がいるだなんて話聞いたことが無い。


「春ちゃん! そんな大事な事簡単に教えちゃ駄目じゃないですか!」

「えー、いいじゃん別にぃー。志樹に知られたところでどうなるわけでもないでしょ?」

「それはそうかもしれないけど、誰かに聞かれてたらどうするんですか!」

「誰も聞いてないってことはリリィが一番分かってるでしょ?」

「それはそうですけど……可能性の話です!」


 ……この慌てようは、まさか冗談ではなく本当に?


 しかし、もし本当ならリリィが焦るのも頷ける。霧山紬は有名人だ。式典の時に噂話をしていた二人組のように、これまで嫉妬や羨望せんぼうの対象にされてきたのだろう。そんな人物に娘がいたとなれば、春佳もその対象になりかねない。


 リリィも春佳の身を案じて怒ったのだろうが、当の本人はなんでもないといった様子でのらりくらりと聞き流している。傍から見ると、その姿はまるで思春期の少女と、その子に手を焼く母親のようにも見えた。


 しかし、春佳が霧山紬の娘であるのなら、あの時耳にした男の噂話は間違いだったということになる。話では霧山さんは独身だったからだ。


「……やっぱり、人の噂ほど当てにならないものは無いな」

「ん? 何か言った?」

「いや、なんでもない。それより、本当にあの霧山さんの娘なのか?」

「うん、そうだよ!」


 あっけらかんと言い放つ春佳は胸を張り、リリィは明らかに返答に困っている。どうやら、今度も嘘や冗談を言っているということではないらしい。


「……分かった。リリィも安心してくれ、誰にもこの事を話すつもりは無い。どうしても心配なら誓約書でも——」

「……いえ、柊さんなら他言たごんするということもはないでしょうし大丈夫です。すみません、お気遣いしていただいて」

「気にしないでくれ。しかし、随分と信頼されてるみたいだな」

「春ちゃんとの会話でどういった人なのかある程度判断できましたから。それに、体温の変化、瞳孔、息遣いなどで嘘はついていないと判断しました」

「な、なるほど」


 初めてリリィをAIのようだと思ったが、なんにせよ信頼されているのは間違いないか。


 ——その後、手持ち無沙汰になった為、一階の情報だけリリィに聞くと、やはりここは飲食店やお土産コーナーをメインに展開している場所らしく、VIPや従業員の多くは外の木造ホテルではなくここに泊っているとのことだった。


 そんな小話を聞いていると、すぐにエレベーターの前まで到着する。


「ここからお好きな階に移動することが出来ます。他の階ではもっと楽しんでいただけると思いますよ」

「もう充分驚いたんだが、これ以上となると期待が膨らむ——ん?」


 入ろうとしたエレベーターの隣に、〝STAFFスタッフ〟と書かれた扉を見つける。従業員専用のエレベーターか、それとも待機室でもあるのだろうか? と、そんな事を考えていると、俺の視線に気付いたリリィが優しく声を掛けてくる。


「ああ、そこは掃除用具が入れてある物置部屋のようなものですから、気にしなくて大丈夫ですよ」

「へえ、掃除用具を。ん? 掃除……?」


 当然といえば当然だが、冷静に考えてこのだだっ広い空間を掃除する人がいるのだ。……想像すると、頭が下がる思いになる。


 ボタンを押すと、チンッというエレベーターの到着を告げる機械音が鳴り、同時に扉の上に付いていた石が紫色に光る。到着を知らせるランプの役割を担っているのだろう。


「この宝石はムーンストーンといって、月の輝きが結晶した聖なる石と呼ばれているんです。進むべき道を示してくれる、といった意味があることから採用が決まったようですよ」

「へえ、随分ロマンチックなエレベーターだな」

「光る色に関してはランダムで決まるので、次見る時は別の色になっているかもしれないですね」


 俺が石——だと思っていた宝石を眺めていると、リリィがそれを察したのかすぐに教えてくれた。こうした些細な疑問に即座に答えてくれるのはありがたい。


「色々説明してくれてありがとうリリィ。また会いに来るよ」

「ふふっ、私の方こそありがとうございました。大抵の人は私がAIだって分かると扱いが雑になるんですが、柊さんはお優しいですね」

「別にそんな事はないよ。それじゃ」


 いつか友人と別れる際にしたのと同じように片手をあげると、リリィは満面の笑みで返してきた。


「ありがとうございます。それでは、また話しかけてくださることをお待ちしていますね」


 そうして、エレベーターに乗った俺へ綺麗なお辞儀をする。


「春佳もありがとうな」

「え? あたしも一緒に行くけど?」

「えっ?」


 予想外の返答に思わず声が出る。


「え、な、なに? ダメだった?」

「いや、俺は別に構わないけど、そんな自由に動き回ってもいいのか? 一応仕事中なんだろ?」

「一応ってなによ! 別にどこにいろって細かく決められてるわけじゃないかし。それに、こうしてお客様にPLOWを案内してるんだから問題ないでしょ」

「……まぁ、問題無いならいいんだけど。じゃあ、行くか?」

「はーい!」


 元気よく返事をする春佳を連れてエレベーターに乗り込むと、扉がゆっくりと閉まり始める。


「それでは柊さん、そそっかしいところもありますが、春ちゃんのことよろしくお願いしますね」

「ああ、任せてくれ」


 俺の言葉に、リリィは笑顔のまま小さく手を振る。


「はあ⁉ ちょっとリリィ、それってどういう」


 春佳の抗議する声が届く前に、無情にも扉は閉まった。


「意味——!」


 虚しく室内に響く春佳の声。エレベーターの稼働音がより一層憐れみを誘ってくる。


「く、くぅう~! またあたしのこと子供扱いしてぇ~‼」


 今にも地団駄じだんだを踏みそうな春佳を放ったまま、背もたれに寄り掛かって俺は目を閉じた。


「……騒がしい一日になりそうだ」

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