第12話 気圧

 エレベーターの中から外の景色を眺める。海と島ぐらいしか見えなかったが見晴らしは素晴らしいの一言で、ぐんぐん高度を上げていく箱の中でしばらくの間ぼうっとしていた。


 だが、すぐあることに気付く。


「あれ、このエレベーターってPLOWの真ん中にあったよな?」

「そだよ」

「じゃあなんで外の景色が見えてるんだ?」


 そう、PLOWの中心にあるのなら、壁が邪魔をして外の景色が見れないはずなのだ。


「ああ、それは外壁にカメラを取り付けてるからだよ。その映像をリアルタイムで映してるってわけ」

「は~、なるほどな」

「外の景色を見たくなかったら、そこのボタン押せば別の風景や絵にすることもできるけど」

「いや、このままでいいや」


 その時、ふとエレベーターの階数表示を見ると、一から九九までの数字しか表示されていないことに気付く。


「ん? 九九階までしか行けないのか?」

「設計上の都合でね。一〇〇階に行くには、一度九九階で降りて階段を使って行くしか方法がないの。SOWISがエレベーターの延長線上にあるのが理由なんだけどね」

「へえ。それにしても一〇、〇〇〇メートル上空か、一体どんな景色が——。……ん? 一〇、〇〇〇メートル上空……?」


 一体どんな景色が見られるのかと想いを馳せていると、ある重大な事実に気付く。


「……ちょっと待てよ、このまま九九階まで行くのか……⁉」

「そうだよ。晴れてたらすっごい景色が見られるんだけど——って、どうしたの? そんな真っ青になっちゃって。……ははーん、もしかして高所恐怖症だな?」

「そうじゃない、気圧だ気圧! そんな高い場所まで一直線で行こうとしてるんだぞ⁉ ここの半分に満たない高さの山に登るときだって身体を慣らさないと高山病になるのに……っ!」


 春佳の肩を振りながら増えていく数字を目の端で追う。


「ぢょ、ぢょっと落ち着きなさいよぉ! こ、このエレベーターは最高時速八〇キロだから、途中で止まらなければ八分ぐらいで九九階までぇ——」


 頭をガクンガクンと揺らしながら春佳は答える。


「八分⁉ そんな速さで昇って行ったら——」

「……お菓子の袋みたいに膨らんで、破裂する?」


 にへらと笑いながら呑気に答える春佳に、俺の危機感は最高潮に達する。


「分かってるなら早く止めないと!」

「ぷ、PLOWは完全に気圧を制御してるから大丈夫なのぉ! て、手を、と、止めろぉ~!」

「……気圧を制御してるだって?」


 そう言われてようやく掴んでいた肩を離す。


「はぁ……普通に考えてそんな欠陥エレベーター動かしてるわけないでしょ?」


 言われてみれば確かにそうだ。このままでは春佳にとっても自殺行為。それに思い返してみれば頼りになる場面も——。


「……やっぱり一度、五〇階。いや、二五階辺りで止まろう」

「ちょ、ちょっと待てー‼」


 ホログラムのホの字も知らなそうな春佳の間抜け面を思い出して、急いで二五階のボタンを押そうとする。だが、その手を春佳は全力で阻止してくる。


「何するんだっ!」

「それはこっちのセリフ! あーもー! そもそもリリィが送り出してくれたでしょ⁉」

「……そういえば……」


 はたと我に返る。確かにリリィがそんな失敗をするはずがない。それに、やはり冷静に考えてみればそんな地獄への片道切符のようなエレベーターが普通に稼働しているとも思えなかった。


「くぅっ! あたしよりもリリィの方が信頼されている……!」

「春佳も信頼してるよ」

「ああはいはい、そうですかー」


 取って付けたような言葉に春佳は頬を膨らませながら、そっぽを向いて手摺てすりにもたれかかっていた。


「はぁ~、まったく。酔ったらどうするのよ」

「つい面白くなってやりすぎた」

「はぁ⁉ なに面白くなってって! ゼッタイ悪いと思ってないでしょそれ!」

「少しは思ってるさ」


 考えてみれば、春佳はあの霧山紬の娘。そして曲がりなりにもPLOWで働いているのだ。もう少し信用してもいいのかもしれない。


「それに、仮に気圧の調整がされてなかったとしても身体が爆発——なんてことにはならないから!」

「そうなのか?」

「うん。まぁでも、早めになんとかしないと危ないとは思うけど。さっき言ったお菓子の袋みたいにはならないから安心して」

「詳しいんだな」

「……詳しいもなにも、あれもこれもそれも全部パンフレットに書いてあるし、なんならPLOWに入場する前にもう一回説明してたはずなんだけどなぁ」

「そ、そうだったのか」


 皮肉を含んだ春佳の冷ややかな視線が突き刺さる。この件に関しては遅刻した俺が完全に悪いので何も言えない。


「まぁ志樹があたふたしてる面白い姿を見られたことだし、許してあげるか」

「それはどうも」


 はあ、と溜め息をつく春佳に感謝を告げる。


「それでさっきの話の続きだけど、気圧のことについて簡単に話すよ?」


 春佳はおもむろに右耳へ手を当てながら続ける。


「まず地上の気圧を一と仮定すると、一〇、〇〇〇メートル上空の気圧は〇・二気圧まで下がるの。もちろんこの落差に人間の身体は耐えられない。だからPLOW内で調整をしてるってわけ」

「へえ?」

「地上でも人間の身体は常に一気圧の負荷がかかってるんだけど、同時に一気圧で押し返す力が働いてるから平然としていられる。飛行機を例に出すけど、耳がキーンって痛くなる時があるでしょ? あれは空気が身体の外に出ようとして起きる現象なの」

「唾を飲み込んだりすると治るあれか」

「そ! あの現象は気圧差によって起きるものなんだけど、一〇、〇〇〇メートル上空の飛行機の中の気圧は〇・八。対する人間の体内気圧は一。この〇・二気圧の差によってあの現象は起きてるわけ。ここまではいい?」

「ああ」

「じゃあ飛行機内の気圧を〇・八じゃなくて、一にしちゃえば耳も痛くならないのにーって思わない? そうすれば——」

「地上にいる時と変わらなくなる……ってことか?」

「その通り!」


 春佳は指をビッと立てて得意気に答える。


「……でも、気圧を同じにすればいいだなんて、そんなこと誰でも思いつきそうだけどな」

「それはそうなんだけど、飛行機の強度や重量の問題とか、外気との差で結露けつろしちゃって電子機器に影響が出るとか色々問題があるからね」

「ふぅん? それをPLOWでは可能にしたということか」

「そういうこと!」


 自信満々に答える春佳。ついさっきまでグロッキー状態になっていた少女と同一人物とは思えない。


 そんな中、スラスラと難しい話を続ける春佳の姿を見ていて気付いたこともあり、つい悪戯いたずら心が芽生えていた。


「いやぁ、でも感心したよ。正直ポンコツなのかと思ってたけど、充分活躍できそうじゃないか」

「……褒めるつもりならポンコツっていらないでしょ! 素直に喜べないんだけど!」

「というわけで、仲直りの握手をしてくれないか?」


 言いながら俺は右手を差し出す。


「え、なに急に」

「これまで偉大な先達に失礼な態度をとってきたからな、仲直りの印だ」

「偉大……ま、まぁそこまで言われちゃあ?」


 そうして春佳はまんざらでもない表情のまま右手を出そうとして——何かに気付いて手を引っ込めた。


「ん? どうした? 握手してくれないのか?」

「ひ、左手で握手しない?」

「いや、駄目だ。左手での握手はマナー違反だ。そんな事はできない」

「あたしは別に気にしないから!」

「駄目だ、俺が気にする。国や地域によっては左手に悪魔が宿ると言われたり、決別するなんて意味もある。そんな事できるわけないだろ?」

「ぐっ、ぐぐ……適当な事を……!」

「適当じゃないさ、そので聞いてみたらどうだ?」

「え⁉ あっ!」


 一瞬の隙をついて春佳の右手から無線機をさらう。


「ずっと耳に手を当ててるからまさかと思ったが、不正はよくないぞ?」

「なぁっ! ふ、不正なんてしてないし? 連絡が入ってたから何かなと思って聞いてただけで——」

「そうかそうか」


 弁明を続ける春佳を窘めながら無線機を返す。


「ぐぬぬぅ~! だって、あんなこと覚えられるわけないでしょー‼」


 ニコニコと笑う俺をよそに、エレベーターの中では春佳の叫び声が木霊こだましていた。

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