第6話 天寿症
彼女の名前が呼ばれた瞬間、思わず声が出た。それまで大人しく見ていた観客も途端に色めき立ち、しばらくして大きな歓声と拍手が辺りを包む。
それもそのはずで、これまで霧山紬に関する情報はほとんどが遮断されていたからだ。分かっている事といえば、
当時は霧山嶺蝉の娘ということだけで有名だったようだが、天寿症の治療薬を開発した功績は凄まじく、未だに世界中から感謝と称賛の声を一身に受けている。
かく言う俺も天寿症とは深い因縁があり、両親の死の直接の原因というだけでなく、自身も数年前に天寿症に
……当時のさまざまな感情が込み上げてくるものの、こうして恩人の顔を見られるというだけでも嬉しいものがある。
——そして、会場の熱気に誘われるように霧山さんが現れた。
手入れをあまりしていなさそうなほど痛んだ——というより無造作な肩程ある茶髪に、フレームの鋭い黒ぶちの眼鏡、薄い黒のニットの上に白衣、同じく黒のワイドパンツを着用している。ついさっきまで研究に没頭していましたと言わんばかりの恰好だ。
「——え? あれが霧山紬? なんか想像したより全然若くない?」
「化粧が上手いんじゃないの?」
「あ、そっか。はぁ~、あたしにも化粧の仕方教えてほしいわ」
「……あんたねえ……」
わざわざ声に出していたのは若い二人組の女性だけだったが、彼女たちの言う違和感は俺も感じていたところでもあった。噂によると霧山さんは先ほど登壇していた黒石と同じ五〇代だったはずだが、パッと見では二〇代前半ぐらいに見える。
「——本日は遠路はるばる、PLOWへお集まりいただき誠にありがとうございます」
落ち着いた口調で霧山さんが口を開くと、先ほどまでザワついていた声はピタリと止まり、一言一句を聞き逃すまいと静寂が訪れた。親子二代で続いた天才の系譜。その天才がいったい何を話すのか、皆興味津々といった様子で食い入るように見つめていた。
「元々は計算機科学、生物学を専攻していたのですが、PLOWを完成させるに当たり——」
「ほう、あれが霧山の生き残りか。なるほど、科学者らしい不愛想な顔をしておるわ」
静かに聞き入っている中、俺の隣に立つ中年太りの男性が、連れと
「儂好みではあるが、ああも不愛想だとどうも食指が動かんなあ。生涯独身だというのにも頷けるわ。まったくもったいない」
「ええ、ええ! まったくもってその通りですな!」
事前に用意されたものであろう原稿を淡々と読む霧山さんの声に混じって、品性の感じられない二人組の声が真隣から聞こえてくる。眉をひそめ睨みを利かせるも、こちらに気付く様子はない。
「なんでも、実の妹が死んだ時も涙ひとつ見せなかったようですし」
「死んだ? ……まさか天寿症か?」
「ええ。ですが、どうやら直接の死因はそれじゃないようで」
「ほう? 面白そうな話じゃないか、なんだというんだ?」
「ここの建設に関わった人から聞いたんですがね。
言いながら、
「まぁ、儂の周りでも何十人と死んだからな。呪いに当てられては仕方ないか」
天寿症——三二年前に突如として現れた原因不明のウイルスだ。
人から人へ感染することはないが、一度感染した人間の致死率は一〇〇パーセント。症状の進行に関しては個人差こそあるものの、感染者の多くは〝五感神経の消失〟、〝四肢の麻痺〟、〝臓器の機能不全〟、〝脳機能の低下〟、などが進行していき、早ければ一年、遅くとも五年で確実に死に至るとされていた。
また、天寿症の恐ろしいところは症状だけでなく、効果的な治療法が長い間見つからなかったことにもある。世界中で天寿症の研究を進めたものの、治療法どころか症状の進行を遅らせる方法すら見つからなかった。
そのこともあり、逃れることのできない天からの寿命として〝天寿症〟と命名されたようだったが、一部の人間は天寿症を
そんな絶望的なウイルスなだけに、自ら死を選ぶ人が多く——どうやら集団パニック状態だったのも関係していたようだったが——天寿症の患者の死因の一位は〝自殺〟。
そして、その暗黒の時代で運良く天寿症に罹らなかった人の死因で最も多いのも自殺となっていた。これも、自らが天寿症に罹ってしまったのではというパニックからきていたものだったらしい。
だから、もし彼らの言う話が本当だったとしても何ら不思議な事ではないのだ。全世界で約一〇〇、〇〇〇、〇〇〇人という
……だが、それでも他人の死を
式典の途中で勿体ないとも思ったが、わざと隣の二人に聞かせるよう舌打ちして、その場から立ち去る。
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