一廻目 PLOW

第3話 船上にて

「良い風だなぁ……」


 目を開けて真っ先に飛び込んできたのは、色彩の薄くなった青い空と白い雲。その隣には、主張の激しい太陽が見下ろしてきていた。


 何度目かのザァァという波をかき分ける音と共に、デッキチェアに預けていた身体を起こす。目の前には綺麗な大海原と、遠くに映る小さな島の輪郭。更にその島から先細りにまっすぐ空へ伸びる塔が見えた。そうしてようやく現在の状況を思い出す。船のデッキで日光浴をしていたつもりだったが、どうやらいつの間にか眠ってしまったようだった。


「くぅ~っ……!」


 少し伸びた黒髪をかき上げ、サングラスを外して大きく伸びをする。着ていた白のTシャツやジーパンが汗ばんでいないことから、どうやら快適に過ごせていたらしい。


 初めての豪華客船だった為、乗船してしばらくの間は内部にあるさまざまな施設を見て回っていたのだが、歩き疲れた俺は外の空気を吸いに出て、そして流れるようにデッキチェアへ身を任せたのだった。


 二〇五九年 八月一〇日。夏真っ盛りな時期ではあったが、海上という事と移動しているという事もあって風は涼しく、ジメジメとした暑さは感じられない。……もっとも、潮が肌についてベタつくという不快感はあったが、それもすぐに慣れてしまっていた。


 もうひと眠りしようかと目を閉じると、船上のスピーカーからガーという機械音と共に、老齢の——おそらく船長であろう男性の声が聞こえてきた。


《えー、皆さま大変長らくお待たせ致しました。本船は、後三〇分ほどで目的地の守芽島かみめじまに到着致します。最先端の科学技術を搭載した、夢と希望が溢れる天空テーマパーク〝PLOWプラウ〟でのひと時を、どうぞお楽しみくださいませ》


 それだけ告げると、アナウンスはプツリと途切れる。


「ようやくか」


 デッキチェアから降りて、守芽島から天高く伸びる塔を見る。

 あの塔こそ、この船に乗る全員の目的地であるPLOWというテーマパーク。遠近感が働いていないのではないかと思うほど大きく、そして高い。


 それもそのはずで、PLOWは全長約一〇、〇〇〇メートルの一〇〇階建て。敷地面積は五〇〇、〇〇〇平方メートルと、高さも広さも申し分ない——どころか、高さに関しては規格外な規模。そんな場所に俺は向かっていた。


「それにしても、本当に当たるとは」


 約二〇年という長い年月をかけて建てられたPLOWがようやくプレオープンに至るということで世界中から抽選を行い、幸運にも当選した一〇、〇〇〇人には一週間の滞在が許可されていた。——来場者を一〇、〇〇〇人に制限したのは試験的な意味も込めて、客が充分楽しむことができるようにと混雑を避けた結果なのだろう。


 そんな高倍率な確率を突破できると思っていなかった俺は、当たるわけがないと駄目元で応募してみただけだったのだが、どうやら幸運な部類に入ったようで、一週間の間PLOWという場所がどういうところなのか体験しに来たのだった。こうして豪華客船の上で横になっていたのも、その一環。


「……しかし、首が痛くなるな」


 近付くにつれて、徐々にPLOWの姿が鮮明になっていく。

 螺旋状に、まるで蛇がとぐろを巻くかのように等間隔でツタが絡まる緑色の外壁。空へピラミッド状に伸びる塔。雲を優に超えるその姿は頂上が見えない。


 倒れたりしないのだろうかと心配になるが、実際こうして無事に完成するまでは安全性に問題があるとして建設中止を訴える抗議活動が頻繁に起きていたし、インターネット上には〝バベルの塔の再来〟と揶揄やゆする声も多く見られた。


「バベルの塔、か」


 声に出してから、不吉な言葉を口にしたと心に僅かな影を落とす。


「——ん?」


 その時、視界の端に女性の姿が映る。てっきりこの場にいるのは俺だけだと思っていたが、どうやらもう一人いたようだった。


 長く伸びた黒いポニーテールがサラリと風になびき、黒紫色のワンピースに身を包んだ綺麗な女性。深窓の令嬢という言葉がしっくりくるほど美しい人だった。見たところ自分より少し年下の二〇代後半と見られるその女性は、ついさっきまでの俺と同じように、空高く伸びる塔を見ている。


 ぼうっとその端整な横顔に見惚れていると、視線に気づいたのか女性がこちらを見てきた。普段ならすぐに視線を逸らすのだが、どうしてか目が離せず、互いに見つめ合う時が流れ——はっとして目を逸らすも、女性の視線はその後も思いの外長く続いていた。


 少しして、女性がどこかへ去っていったのを確認してから息をつく。


「ふぅ……」


 怪しい人物だと思われただろうかと反省しながら、改めてPLOWを見る。

 その天と地を繋ぐ圧倒的な存在感はまるで異世界に迷い込んでしまったかのようで、到着するまでの間、俺はその非現実的な存在を前に、ただ呆けるばかりだった。

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