第26話 スライム剣士と魔王(下)

「【魔装光臨まそうこうりん】ッ!!」


 聞き慣れぬ詠唱を口にした瞬間。

 ナイツ・ロードウィグの全身が、まばゆい煌きに包まれる。

 

 数瞬後。魔王ガルランテの眼前に現れたのは、『白銀の剣士』だった。

 純白のフルプレートアーマーを身にまとい、頭部もアーメットで覆った完全武装。背中には黒いマントがたなびき、右手には真っ青な大剣が握られている。

 物々しい装備とは裏腹に、魔力値の増減は見られない。

 だが。近寄りがたき雰囲気が、ガルランテの皮膚をチリつかせていた。


「……相方のスライムを武具に変えたか」


 たしか『千の大賢者』の中に、そんな能力を有した者がいた覚えがある。

 そんなことを思い返しながら、ガルランテが鼻腔に残った血液を噴出すと、肉体がジュウウウ! と白煙をあげて完全回復した。

 ガルランテの魔王固有スキル、【不自然治癒オールダイ】である。

 並大抵の火力では、魔王を傷つけることはできない。

 だからこそ、わずかでも傷をつけた先ほどの右ストレートの不意打ちに、ガルランテは驚嘆の意を示していた。


「どうやら、ゴミはゴミなりに鍛錬を積んできたらしい。どれ、『財宝』の前の前菜として、お主の実力を見てやろうではないか。スラ助よ」


『黙れ』


 獣の唸り声にも似た二重音声が、アーメットの隙間から漏れ聴こえた。

 その直後だ。

 サッ、とわずかな突風が吹いたかと思うと、突如ガルランテの視界がガクン、と一段下にさがった。


「……な、?」


 理解が追いつかない。

 ガルランテの両脚が、太ももからバッサリと切断されていた。

 ここまでの深手を負ったのは、生まれて初めてのことだった。


 あふれ出る血もよそに、ガルランテは【不自然治癒】で太ももを生やし、背後――いつの間にか通り過ぎていた白銀の剣士を振り返った。

 横薙ぎ一閃。蒼の大剣を振り抜いた姿勢を戻し、ナイツがガルランテに歩み寄ってくる。


『どっちがゴミか教えてやるって言っただろ。お前が僕の実力を見るんじゃない。僕がお前のお遊びに付き合ってやるんだ。戦闘狂』


「……ッ、この、弱者が吼えるな!」


『こっちの台詞だ』


 大剣を握り、ナイツが浅く腰を落とす。

 そのとき。アーマーの縫い目から、赤い液体が一筋流れ落ちた。



    □



〈ご主人、わかってると思うっスけど〉


〈大丈夫。三十秒で終わらせる〉


 そう念話で応えたのち、僕は小さく深呼吸をする。

 

 いま僕は、【武装誓約の杖アーマーエンゲージ】で武具化したタマを、【融合の杖フュージョン】で僕の身体に融合させている。

 そうすることで、半分になっていた『千本の杖』の能力を、本来の威力に戻したのだ。


 しかしそれは、肉体にとてつもない負荷がかかることを意味している。 

 先ほどの一閃も、【俊敏の杖スピード】と新たな【雷光の杖サンダー】の能力を併用し、神速の横薙ぎを体現したものだが、たったそれだけの攻撃で両脚の血管が破裂していた。

『千の大賢者』の能力に、僕の身体が堪え切れていないのだ。

 三十秒も持てば御の字だろう。


『【狂乱の杖バーサーカー】ッ!!』


 叫び、僕は自身の基本ステータスを10倍に引き上げた。

 視界に火花が散り、理性が剥離していくと同時に、底知れない力が湧き上がって来る。

 いまはただ、目の前の魔王を倒すことしか考えられない!

 膨れ上がった僕のオーラに、ガルランテが目を見開いた。


「これは、よもや千の大賢者共の能力……しかし、なぜお主のようなゴミが」


『――二十人』


 区切って、大剣を両手に握り締めながら、僕は言う。


『お前は、千の大賢者二十人と戦ったことがあると、そう自慢げに話していたな。なかなかに刺激的な殺し合いが楽しめたと、そう笑っていた――だが、? 


「……、……貴様」


『覚悟しろ、ガルランテ。ここからの勝負は、七対一なんて生易しいものじゃない。千対一で行われる、ただの〝暴力〟だ』


「小癪な……借り物の力を得たぐらいで思いあがるなッ!!」


 怒号と共に、ガルランテの右手から爆炎魔法が放たれた。

 背後の闘技場を包まんばかりの巨大な爆炎を、僕は【耐魔の杖マジックガード】でコーティングした大剣で斬り裂く。


「なッ……我の魔法を、いとも容易たやすく!?」


『行くぞ!!』


 最後の理性を振り絞って叫び、僕はガルランテに向かって特攻を仕掛けた。


 怒涛の攻防。

 闘技場前に、甲高い剣戟音と、魔法がぶつかり合う音が木霊する。

 それはまるで、二千年前の勇者パーティーとの一戦のようだった。


 ――いける。

 ――確実に、ガルランテに勝てる!!


 ガルランテの強力魔法が鎧となったタマを焦がし、僕の大剣が魔王の四肢を両断する。

 そのたびに、鎧の中で僕の肉体が弾けた。

 筋肉はとうに千切れ、骨もバキバキに折れている。口端からは赤黒い血液が流れ出、目尻からは赤い涙が垂れ落ちていた。


 それでも止まれない。


〝――えへへ。おめめまん丸にしちゃって。驚かせすぎちゃったかな――〟

 

 僕は、止まってはいけない。

 カルラは、僕にはじめての家族を教えてくれた。

 はじめての母親を、僕にくれた。


〝――ありがとう、ナイちゃん。ありがとう。私はもう、幸せでお腹いっぱいだよ――〟

 

 そんな彼女を、傷つけられた。傷つけてしまった。

 許せるはずがない、許していいはずがない。

 僕は、絶対に止まってはいけないんだッ!!


 残り、十秒。


〈ご主人……もうこれ以上は、ご主人がたないっス!!〉


〈あと、一撃……!!〉

 

 理性をなくした脳内で、眼前のガルランテを睨む。

 もう何度目かもわからない、ガルランテの超再生。

 両腕をなくした魔王が、歯噛みしながらその場に立ち上がる。

 再生速度が遅くなってきている。ガルランテの魔力が底を尽き始めているようだった。


 そこで、僕は【緊縛の杖チェーン】を発動し、ガルランテの身体を拘束した。

 すぐに解かれるだろうが、一瞬の隙は作れる。

 案の定。両腕を再生させ、バリン! と魔力蔓を解くガルランテ。

 そこ目がけて、僕は100%全力の【火焔の杖ファイア】を放った!


「グ、ぬうううぅぅッッ!!」


 焼け爛れるガルランテの肉体。【弱魔の杖ウィーク】で魔法耐性を下げていたのが役に立ったようだ。

 決めるなら、ココしかない!


『ああああああぁぁぁあぁーーーッッッ!!!!!!』


 十割以上の力を絞り、僕は蒼の大剣を振るった。

 青い閃光と共に、ガルランテの肉体が腹部から横一閃に両断される。


「ガギャアアアアアアアァァァァァーーーーッッッッ!!!!」


 獣のような咆哮。

 すぐ再生が始まるかと思われた肉体は、しかし、両断されたままだった。

 心臓部のない下半身が、ジュウゥウ! と蒸発し、ガルランテに残されたのは上半身――胸から上の部分だけとなった。


 再生するための魔力が底をついたのだ。


「こ、この我が……貴様のようなゴミに……、グゥ!!」

 

 両腕を器用に操り、ガルランテが背後に飛びずさった。

 そのままカエルのように飛び跳ね、アイドラルンの街中に逃げ去っていく。


 残り、0秒。


『待、て――、!?』


 追いかけようとしたところで、僕の目の前に地面が襲いかかってきた。

 正確には、僕の肉体が限界を迎え、地面に倒れ伏してしまった。

 直後。役目は終えたとばかりに解除される魔装形態。

 内臓もかなりヤラれている。顔を動かすことすらむずかしかった。


〈だ、大丈夫っスか……ご主人……〉


 見ると、僕の顔近くに倒れる、タマの姿が見えた。

 息も絶え絶えといった様子で、ヒューヒュー、と浅い呼吸を繰り返している。

 いまにも途切れそうな意識の中。僕は血にまみれた左手をタマに伸ばし、残された最後の力で【回復の杖リカバリー】を発動した。

 タマの身体が瞬時に回復していく。

 驚きに起き上がったのち、タマは僕を困惑顔で見つめた。


〈なッ……なんで! オイラよりもひどい傷なのに、どうして自分を二の次にするんスか!! もっと自分を大切にしてほしいって、オイラお願いしたっスよね!? なのに、どうして!〉


〈相棒、だから〉

 

 まぶたを半分閉じかけながら、僕は言う。


〈相棒が、死ぬところ、なんて……僕は、絶対に見たくない、よ……〉


〈ッ……、このバカご主人! 【回復の杖】! 【回復の杖】!〉

 

 タマの能力が僕の全身を癒していく。

 傷は立ち所に消えてなくなったが、磨耗した精神までは元通りにならず。


〈タマが、無事で、よかった……〉

 

 僕は、静かに意識を手放した。





「おい、大丈夫か!? ナイツ!」


 ナイツが気絶した直後。闘技場内からライキが出てきた。

 ガルランテが逃走したことで、魔力の呪縛から解き放たれたのだろう。

 闘技場内を見ると、サミアが眠るカルラを介抱している。

 

 校舎にいる教師がこぞって闘技場方面にやってきた。彼らもまた、ガルランテの魔力にアテられていままで動けなかったようだ。

 倒れるナイツに駆け寄るライキを見届けたのち、タマはアイドラルンの街に向けて駆け出した。

 すべての因縁に、決着をつけるために。



    ○



「ハァ……ハァ……、クソ、クソクソクソッ!! 我が、我がなぜこのような目に……!」


 アイドラルンの路地裏に、魔王の呪詛が響く。

 上半身だけになったガルランテは、陽射しを避けるようにして這いずっていた。

 傷口を焼いて塞いでいるので出血はないが、このままでは魔力枯渇で絶命してしまう。

 一刻も早く、自然あふれる土地で魔力を補給しないと。


「あってはならぬ、魔王たる我が敗走など……絶対に、してはならぬのに!」


「――【大食の杖イートン】」


 ふと。

 そんな声が聴こえたかと思うと、突如、ガルランテの両腕が音もなく消失した。

 いや。正確には、空間ごと喰いちぎられた。


「ガッ、な――!?」

 

 噴水のような出血が、ガルランテの両肩口から吹き出る。

 見ると、路地裏の石畳が二箇所、クレーターよろしくごっそりと抉れていた。


「不思議なんスよね」


 中性的な声音に、ガルランテはハッと視線をあげる。


 チリリン――


 住宅街の渡り橋。その手すりの上に、赤茶髪の少年が猫のような姿勢で座っていた。


「この【大食の杖】で食べた部分はどこにいっちゃうのか、オイラもいまだによくわかってないんスよ。大食の名の通り、オイラの胃の中に入ってるんスかね? でも、膨れた感じはしないし……未知の空間にでも廃棄処分されてるんスかね?」


「き、貴様は……まさか、スラ助のスライムか?」


「そうっスよ。共鳴合図レゾナンスサインが響いたんスから、一発で誰かわかるでしょ。血を失いすぎて、思考能力まで低下してるんスか?」


「ならば丁度いい、我を助けろ! 貴様はあのスラ助とはちがう。魔人よりも、モンスター種のほうが我への崇拝は強いはずだ! さあ、早くしろ!!」


「……本当に、思考能力が低下してるみたいっスね」


 言って、赤茶髪の少年――タマは、無言で再度【大食の杖】を発動した。

 人間に擬態しているいま、杖の能力はナイツと同等になっているはずだ。

 今度はガルランテの胴体部分の傷口を抉り取った。両肩、胴体と、三箇所から湯水のように血液が流れ出る。


「命令できる立場にないんスよ、アンタは。アンタに残されてるのは、死ぬか、殺されるかの二択っス」


「グゥ……ま、待て、出血がマズい……このままでは、我の命が……!」


「ニャハハ。いやあ、理解に苦しむっスね。アンタなんて存在価値のないゴミなのに、なんでせいにしがみついてるんスか? オイラだったら、即自害してるほどの弱者なのに」

 

 聞き覚えのある台詞を耳に、ガルランテが憎悪の視線をタマに向ける。


「……ッ、貴様……!」


「拾ったオイラたちに対して、アンタがぶつけた台詞っスよ。なに憎らしそうに睨みつけてるんスか。自業自得って言葉も知らないんスか?」


 もう一度、【大食の杖】を発動。

 今度は、ガルランテの左目周辺をそぎ落とした。


「ガ、ハァ……ッ!!」


「殺す前に、ひとつだけ質問っス」


 区切って、タマは手すりから飛び降ると、ガルランテの頭部を見下ろしながら、続けた。

 これを訊かなければ、コイツは殺せない。


「なんで、オイラたちの村を壊滅させたんスか?」


 二千数百年前。

 ナイツとタマは、スライム剣士の村で死にかけていた。

 村は炎に包まれ壊滅状態だった。

 そこに偶然、ガルランテが通りかかり、ふたりを助けた、という話だった。


 だが――真実はちがう。


 スライム剣士の村を壊滅に追いやったのは、誰でもないガルランテだったのだ。


「オイラは、それこそモンスター種だからか、生まれたばかりのそのときのことをよく覚えていた。もちろん、アンタが村を滅ぼしていく様子も鮮明に覚えてるっス。オイラの両親をゆっくりと踏みつけて、ぐちゃぐちゃにすり潰すサマも、この目でちゃんと見てたっスよ」


「…………」


「だから、答えるっス。どうして、オイラたちの故郷を滅ぼしたんスか?」

 

 これまで、ナイツに話してこなかったことだった。

 前世では話せなかったから当然として、転生したあとも、タマはこの事実を伝えるつもりはなかった。

 ナイツは、いまの環境を大切にしている。

 前世の禍根を持ち出したところで、余計な怒りを募(つの)らせるだけだと思ったのだ。

 

 だから、タマは――自分ひとりで背負うと決めた。

 この恨みは、憎しみの因縁は、自分ひとりで決着をつけると決めていたのだ。


「覚えて、いない」


「……は?」


 ようやく搾り出されたガルランテの返答に、タマは耳を疑う。

 しかし。魔王はそれがまご方無ことなき本心であると言わんばかりに、真っすぐな瞳で応えたのだった。


「スライム剣士の村を滅ぼしたことは覚えている。だが、あのチンケな村を滅ぼした理由はとんと覚えていないのだ――暇つぶしで滅ぼしたのか、スライム剣士という人馬一体型のモンスターの実力を測りたかったのか、まったく検討がつかん。もちろん、貴様らを拾った理由もだ」


「――――」


「逆に教えてくれ、スライムよ。? 我には、それが不思議でならん……弱者であれば、滅ぼされるのは当然だというのに」


「……ニヒヒ、安心したっス」


 吹っ切ったように言って、タマはその場で伸びをした。

 晴れやかな、けれど、奥深くにたしかな憎悪を持った表情で言葉を続ける。


「もしここで手違いだったとか、許してくれーだとか、そういったことを言われてたら、色々と『にぶる』ところだったっス。ありがとうっス、悪を貫いてくれて」


「? なにを言って――」


「【消滅の杖イライザー】」


 つぶやいた直後。ガルランテの背後の空間に、小さな黒点が発生した。

 それは渦を巻きながら、目の前にある対象を――瀕死の魔王を吸い込み始める。


「これ、一回きりの能力なんスけど、どうしても使ってみたかったんスよね。わからないものがあると、どうしてもウズウズするんスよ、オイラ。好奇心が旺盛で」


「な、こ、いや、待て……待て、スライムよ!! 我を消滅させるなど、魔族の冒涜――」


「見てわからないんスか? いまのオイラは人間っスよ。元の姿も、単なる猫。まかり間違っても、アンタと同じ魔族なんかじゃあないっス」


「い、嫌だ! 死にたくない!! 早く助けろ! 我が死ぬことなど、決して――」


「アンタを生かす選択肢はないっス。それは、故郷を壊滅させられたからじゃあない。理由は、たったひとつのシンプルなものなんスよ」


 慌て、懇願するガルランテを眼下に、タマはこう言い遺した。


「オイラの大切なご主人を傷つけた――アンタの死ぬ理由は、ただそれだけっス」


 声にならない絶叫をあげ、魔王が黒点に飲み込まれていく。

 ガルランテの消えた昼下がりの路地裏でひとり、タマは寒さを堪えるように両肘を抱いた。


 こうして。

 スライム剣士の二千年来の因縁に、決着がつけられたのだった。

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