第25話 スライム剣士と魔王(上)
もう充分だ。
全盛期とまでは言わないが、この数年で八割方の力は取り戻した。
これだけ満ちていれば、思う存分楽しめるだろう。
「待っているがよい、『財宝』たちよ」
不気味な満月が照らす夜。
不穏な影が、暗き山を降り始めた。
□
〈ご主人、本当に遅刻しちゃうっスよ!〉
〈わかってる、焦らせないで!〉
七月初旬。
朝食のパンを口にくわえながら、僕は急いで制服に着替え、玄関に駆け出す。
昨夜はどうしてか寝つきが悪く、寝坊してしまったのだ。
ライキには先に魔剣学院に向かってもらっている。
靴を履いていると、タマが僕の足元でぐるぐる回って急かしてきた。目回らないのかな? こうしたタマとの登校風景もだいぶ慣れてきたな。
「それじゃあ、行ってきます!」
「あ、ナイちゃん、ちょっと待って! いまお弁当包むから――」
「ゴメンなさい、本当に遅刻しちゃうので! お昼はライキのお弁当をもらいます!」
行ってきます! と再度告げて、僕は玄関の扉を開けた。
背後から「あとちょっとなのにー!」と嘆くカルラの声が聴こえる。ゴメンなさいお母さん。今日まで無遅刻無欠席を貫いてきているから、その記録を崩したくないんです。
〈【
〈当然。タマ、僕の肩に乗って!〉
〈了解っス!〉
併走していたタマが、僕に左肩に飛び乗ってくる。
それを確認したのち、僕は【俊敏の杖】で加速し、魔剣学院向けて全力で走り出した。
「ま、間に合ったー……」
午前八時半。朝のHR直前に教室に駆け込んだ僕は、ミハエル先生がいなくなったと同時に、机に突っ伏した。
机の上に座るタマが、大丈夫っスか? と言わんばかりに、僕の頬をぷにぷに押してくる。赤ん坊のときにも、なんかこんなことあったな。
と。隣席のライキが頬杖をつきながら。
「しっかし、ライキが寝坊ってのも珍しいな。いつもはオレが寝坊するほうなのに」
「昨日はなんか眠れなくてね。お母さんのお弁当を受け取る暇もなかったよ……」
「そんなにか。コイツは、夏の雪が降るかもしれねえな」
「というわけで、ライキ。お昼ごはん、ライキのお弁当すこしちょうだい」
「…………」
「ちょうだい?」
「いや、別にいいけどさ……あまりに堂々としたカツあげで驚いちまった」
「カツあげだなんて人聞きの悪い。おすそ分けって言って」
「堂々としたおすそ分けってなんだよ――、っと。もう一時間目か」
教室の戸が開き、一時間目の教師が教卓に立つ。
二千年の因縁が断ち切られる一日は、こうして幕を開けたのだった。
□
「はい、もっと魔力を練りこむように! そこ、集中が切れてるザマスよ!」
お昼間近の四時間目。
僕たち1-Bの面々は、闘技場で
入学して三ヶ月。クラスメイトの半分が、魔剣の生成を習得しつつあった。
ライキやサミアは完璧にマスターしているので、いまは練度を高める個人鍛錬をしている。
「……まだ造れそうにないザマスか?」
「はい、やっぱ無理そうです」
いまだに魔剣の『ま』の字も生成できずにいた。
そもそもの魔力値がゼロに等しいのだから、それも当然といえば当然なのだけれど。
呆れられるかと思ったが、しかし、ミハエルは神妙な顔つきで両腕をつかねて。
「まあ、魔剣を使用せずに成り上がった高名な騎士や冒険者は、世界に五万といるザマス。魔剣降臨はあくまでひとつの手段として捉え、ロードウィグさんオリジナルの『武器』を見つけるのも手ザマスよ」
「僕だけの武器……なるほど、ちょっと考えてみます!」
「ふん。精進するザマスよ」
言い置いて、ミハエルは他生徒の監視に戻っていく。
失位階級が見下されるようなものではない、と判明してから、僕自身のこともすこしは見直してくれたようだ。
〈前に話を聞いたときはもっと悪い奴かと思ったんスけど……案外いい先生じゃないっスか〉
僕の近く。観客席の手すりの上に座るタマが、念話で話しかけてきた。
僕は手にした木剣を振りつつ。
〈そうだね。先生の期待に応えられるように、もっとがんばらないと……まあ、オリジナルの武器と言われても、まだ全然思いつかないんだけど〉
〈オリジナルの武器っスか……この間、【
〈もうそれ、オリジナルというかなんというか……〉
〈まあ、少なくとも独創性はあるっスよね。魔剣ではなくなるっスけど――、ッ!?〉
そのとき。
唐突に、背筋にドス黒い悪寒が走った。
ほかの者も感じたのだろう。クラスメイト全員が練習の手を止め、ほぼ無意識に……あるいは本能的に、南口に視線を向ける。
「――ほう。
そこには、異質な黒服をまとう、ひとりの少年がいた。
年齢は僕たちと同じくらい。金髪金眼を輝かせ、闘技場内の生徒たちを見やっている。その表情は自信に満ちあふれ、不遜さすら覚えるほどだ。
優雅に、ゆったりと。
まるで、この闘技場が――この世界すべてが、自分のものとでも言わんばかりに、金髪の少年はこちらに歩みを進める。
「小さな魔力が乱発していたから何事かと来てみれば……ここは人間の学び舎か? しかし、あまりに未熟よ。我の求める水準には到底達していない」
「ちょっと、あなたどこの子供ザマスか? いまは授業中――」
「――『散れ』」
そう、少年が何気なく口にした瞬間。
歩み寄っていったミハエルの身体が、パン、と弾け飛んだ。
バラバラに四散する肉片、飛び散る血液。ボトボト、と無残に転がるミハエルだったモノを踏みつけながら、金髪少年は微笑を浮かべる。
「なんだ? いまのは。まさか、コレが童共の教官だったのか? 嘆かわしい。未熟なまま育たぬわけよ」
僕たちは絶句したまま、その場から動けない。
目の前の状況を、正しく受け入れることができなかった。
ミハエルの死が理解できないのではない。
少年から発せられる魔力の量が、あまりに規格外すぎたからだ。
離れた場所にいても、喉が詰まりそうになる。それほどまでに膨大、そして濃厚。
およそ、人間が内包すべき魔力値を超えている。
〈ご、ご主人……アレ、も、もしかして……〉
〈……いや、でも、そんな、まさか……〉
考えたくない推測に、僕の本能が警告音を鳴らし続ける。
いますぐココから逃げろ、と。
少年がこちらに一歩、一歩近づくたび、クラスメイトたちが腰を抜かして尻餅をついていく。
それでも、なんとか立ち上がっていられたのは、ライキ、サミア、そして僕の三人だけだ。
と。
不意に、少年の視線が、僕たちのほうに向けられた。
チリリン――
目を合わせた直後。あの綺麗な鈴の音が、脳内に響いた。
と同時に、ナニカが共鳴したかのような、不思議な感覚が訪れる。
同じ魔方陣で転生した者同士を引き合わせる、共鳴システム。
夏の雪、だ。
つまり。目の前にいるこの少年は――
「ま、魔王ガルランテの、転生体……」
「この感覚は……そうか、カハハ。よもや二千年の時を経てお主らに会うとはな。スラ助よ。後ろの猫はあのスライムか。まさか、お主らまでもが転生していたとは」
金髪の少年――魔王ガルランテの言葉に、背後のタマが〈え?〉と疑問の声をあげた。
僕は木剣の柄をギュッ、と強く握り締め、搾り出すように答える。
「……そ、その名前は、捨てた」
「ふむ? まあ、魔族から人間となれば、名は変わっていて当然か。我のこの身体にも、おかしな名前がつけられていたしな……たしか、『サーチ・ダルム』とか言ったか。我を産んだ親共がこの名を連呼してきてな」
旧友との昔話を楽しむかのように、ガルランテは続ける。
「最初はまあ、人間の戯れよと見逃してやってたのだが、我の年が十を過ぎても同じ名で呼び続けおってな。ガルランテと呼べ、と命じても、はいはい、と我の言葉を聞きもせん。ゆえに、両親共々、粉々にしてくれたわ」
「こ、粉々に……?」
「我の本当の名を呼ばぬのだから、当然の報いであろうが。すると、同じ村の者共が家に押し寄せてきおってな。そいつらも皆、同様に粉にしてやったわ。数にして三百ほどか」
「……三百、……!」
「それから、二年ほど山で引きこもり、魔力の補填に専念した。転生後になぜか、我の魔力値は二分の一ほどに減っていてな。それを取り戻すために山へ行き、自然からあふれ出る魔力を補っていたのだ――八割ほどしか戻らなかったが、まあこれでも充分だろう」
ガルランテの着ている異質な黒服は、すべて返り血で浅黒く変色したものだったのだ。異質と感じるわけである。
ふと思い返すのは、二年前。十歳の頃の一場面。
カナエラとの対決後。彼女を家に泊めるという話になったとき、カルラはこう言っていた。
〝――セキナトル領の北端にある村で『大量殺人事件』が起きたって話も聞くし――〟
あの事件は、ガルランテの仕業だったのだ。
名前を呼ばなかっただけで、殺す。
理不尽に思えるこの行動は、しかし、魔王という前世を鑑みると至極『自然』な行動だ。
むしろ、魔王として正しいとまで言える。
もちろん、人間としては大間違いだけれど。
「して、ほかの魔族モンスターたちはどうしたのだ? 魔族であれば、本能で我の転生に気付き、我を出迎える準備をするはずなのだがな」
思わず息を呑む。
数年前。モンスターの活発化が見られ、荷車などが襲われる事件が多発した。
同時期。オークキングが僕たちの村に降り立ち、こう言った。
〝――あの『御方の再誕』を祝して、ポークも万全の状態に仕上げなきゃいけないというのに――〟
全部、魔王ガルランテの存在が引き起こしたものだったのだ。
異常なモンスターの活発化も、すべて。
「まあよい。無駄に祝われても煩わしいだけだ。従者はひとりでいい――行くぞ、スラ助」
「? い、行くって……どこに」
「我に世界を案内しろ。そして、強者を見つけるのだ。我がこの二千年後の世界に来た目的は、それがすべてなのだからな。財宝を探さぬハンターがどこにいる」
言って、僕の手を取ると、ガルランテはズカズカと来た道を戻り始めた。
困惑しながらも、タマが僕の背後を連いて来る。
ライキとサミアは、いまだ動けずにいた。ガルランテの強大な魔力にあてられ、言葉もうまく話せなくなっているようだ。
いつでも、この手を振り払って逃げることはできる。
けれど、それはできなかった。それをした瞬間、残されたライキとサミアが、僕が逃げた腹いせに殺される可能性があるからだ。
情けないが、ライキとサミアはもちろん、現在の僕の実力でも、ガルランテには敵わない。
抑制している力を十割、全解放してもだ。
この十数年。鍛錬を積んできたからこそ、その圧倒的な戦力差が身に沁みてわかる。
いまは、おとなしく従うしかない。ここで逆らっても、無駄死にするだけだ。
「とりあえずは、人間の多い場所へ案内しろ。そこで、まずは一万人ほど殺す。それだけ派手に動けば、現世の勇者共が駆けつけてくるであろう」
「……ッ、いや、さすがにそれは……」
「なんだ、不服か? ならば五万に増やそう。それならば確実に勇者が――」
「――あ、ナイちゃーん!」
と。そのときだ。
南口を抜けて通路に入ったところで、前方からカルラが駆け寄ってきた。
その右手には、今朝もらうはずだったお弁当箱が握られている。
僕は、胸中で叫んだ。
逃げろ!! と。
「えへへ、遅れちゃってゴメンね? ライキくんのお弁当もらうって言ってたけど、やっぱり育ち盛りだと足りなくなるんじゃないかなー、と思って持ってきちゃった。今日はね、ナイちゃんの大好きなカラアゲが――」
「――失せろ、女」
グシャリ、と。
ガルランテの右手が、カルラの右頬にめり込んだ。
直後。カルラの細い身体が、紙切れよりも軽く吹き飛ばされた。
ドゴォン! と通路の壁に背中からめり込み、カルラの口から大量の血液が吐き出される。
なにが起きたかわからない。そう言いたげな瞳でこちらを見つめたのち、カルラはガクリ、と頭をさげ、意識を失った。
僕の理性が正常に続いたのも、ココが最後だった。
パリン、パリン、パリン、パリン、パリン、パリン、パリン、パリン、パリン、パリンッ!!
いくつもの破砕音が、脳内で木霊する。
千の知識が、解放されていく!
「まったく。なんだ、あの女は。もしや、スラ助の親か――」
瞬間。
こちらを振り返ったガルランテの顔面が、グニャリと歪む。
僕の全力の右拳が打ち込まれたからだ。
「ぷぎょらぁッ!?」と奇怪な声を発しながら通路上を飛び、闘技場外にまで転がるガルランテ。
それを見届けるよりも早く、僕はすぐさまカルラに駆け寄り、【
傷はたちまちに消えてなくなった。意識のほうはまだ戻らないが、すぐに目を覚ますだろう。
「ここで待っててください」
通路の壁にもたれさせ、僕はカルラの下を離れる。
目指す先は、決まっている。
〈ご、ご主人! いまのオイラたちじゃあ、ガルランテには……!〉
〈タマ。僕の肩に来て〉
〈へ? か、肩に?〉
戸惑いつつも、僕の肩に乗ってくるタマ。
歩きながら、タマの柔らかな赤茶の毛並みに触れつつ、僕はある提案を申し出た。
タマは驚いていたが、その提案に乗ってくれた。
この場を乗り切る手段は、それしかないと判断したようだ。
〈……了解っス。どこまででもご主人に連いていくっスよ。たとえそれが、地獄だろうと!〉
〈ありがとう。相棒〉
「か、カハハ! やってくれるではないか、ゴミの分際でッ!!」
闘技場の外に出ると、ガルランテが鼻血を拭いながら起き上がった。
禍々しい魔力が増大していく。アイドラルンの街すべてを飲み込まんばかりの強大さだ。
けれど。僕は静かに、眼前の戦闘狂を見据えていた。
恐怖のあまり壊れたわけではない。
先ほどの【
「どっちがゴミか、教えてあげるよ。ゴミランテ」
「なッ……、ご、ゴミランテだと!?」
僕の煽りに、ガルランテの額に青筋が走る。
肩上のタマにそっと手を添え、僕はあの魔王城のエントランスを思い返した。
昔からそうだ。
僕が一番に望むものは、いつだって無情に消えていく。
僕の祈りは届かない。僕の願いは叶わない。
僕は呪われているんだと、本気で嘆いた。
――けれど。
呪われていようとなんだろうと、カルラへの誓いだけは……この身に代えても守り抜いてみせるというひとつの誓いだけは、必ず果たしてみせる。
たとえ、目の前のガルランテと差し違えることになっても。
あまりに激しい熱情が血管を伝い、僕の手の甲を燃やした。
相棒が煌き、僕の身体と融合する。
僕たちはスライム剣士。
人馬一体となって戦う、ふたりでひとつのモンスターだ!
「【
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