第22話 友達だから
唐突すぎる退学宣告に、1-Bの空気が固まった。
サミアが、静かに口を開く。
「……理由を訊いても?」
「お前が弱いからだ、サミア・ピーチライズ」
変わらぬ高圧的な態度で、生徒会長であるボルン・ダラルは続ける。
「お前は【
「…………」
存在価値のないゴミ。
その、二度と聞きたくなかったフレーズが、僕の脳の奥を熱く焦がした。
「入学金もすべて返金する。お前は女子寮に入寮予定だったな? すべてキャンセルしろ。いますぐにでも荷物をまとめて、さっさと自分の屋敷に帰るのだな」
「テメエ……黙って聞いてりゃあ、好き勝手言いやがって――」
「――生徒会長さん」
暴発寸前のライキを止め、僕は椅子から立ち上がった。
岩のように大きな巨躯が、僕のほうに振り向く。
「貴様は、たしか
「ナイツ・ロードウィグです。サミアさんが弱いから退学させる、という話みたいですけど、それはとんでもない誤解ですよ。サミアさんは優秀な生徒だ。将来、剣聖にだってなり得る素質を持っている。実技試験で彼女に勝てた僕だからこそ、断言できます。サミアさんは弱くなんかない」
その場しのぎなんかじゃない、心からの本音だ。
炎の鞭を、質量を伴わせて顕現だなんて、そう簡単にできることではない。魔剣学院での六年間、研鑽に研鑽を重ねれば、間違いなく剣聖に届きうる才能だ。
僕の弁明に、しかしボルンは「ハッ」と鼻で笑い飛ばして。
「失位階級の貴様の言うことなど、アテになるものか」
「サミアさんの実力を見てもいないのに見下しているあなたのその目も、僕にとってはアテにならないんですけど」
「……なんだと?」
「お前ー、会長に向かってなんだその口の利き方はー? あーん?」
ボルンの隣でくせっ毛をイジっていた副会長、グロア・エリエが話に割って入ってくる。
か細い声だな。なよなよしているというか、頼りない声だ。
ここで口喧嘩をしても始まらない。
だから僕は、弁当箱を綺麗に仕舞うと、生徒会長の前に立ち、こう言った。
「僕と勝負しませんか? 生徒会長さん」
「勝負、だと?」
「負ければあなたの自由に。僕が勝てば、サミアさんの在学を許可してください」
「なぜ俺様が貴様と戦わねばならんのだ。仮に、サミア・ピーチライズの強さを証明するのであれば、当の本人が俺様と戦うべきだろうが」
「察してください。僕がブチ切れてるからですよ」
一瞬。言葉を失うボルン。視界の端で、ライキも意外そうに驚いている。
まあ、僕もここまで感情を発露するのは久しぶりだ。
頭の奥で、パリン、とあの破砕音が聴こえる。
「本人が勝負に出ちゃったら、サミアさんがあなたを痛めつけても、僕があなたを痛めつけられないでしょう? それじゃあ意味がない。僕の友達を侮辱したあなたを、僕が痛めつけられない――だから、僕と勝負してください。生徒会長さん。怖いのなら、『怖いよお母さーん』って泣きながら、いますぐこの教室を出て行ってください。それで、今日のところは見逃してあげますよ」
「……それは、俺様が【
「あ、そうなんですか? 道理で髪色が『無駄に』鮮やかだなと思ってました」
自分は純潔の王族だから、分家のサミアをこれほどまでに見下してるわけか。
隣にいるグロアの髪も薄緑色で、【
くだらない。
媚びへつらう人生は、あの魔王城に置いてきたんだ。
「というか、そういうお家自慢はいいですって。生徒会長さん。無駄に『タメ』ないでください。シンプルに
「……クックック、いいだろう」
押し殺すような笑いと共に、ボルンは口端を歪める。
その額には、ピキピキ、と怒りの青筋が浮かんでいた。
「もはや撤回は許されん。貴様との勝負、受けて立とうではないか。失位階級ごときが図に乗りおって」
「勝負を受けてくれてありがとうございます――サミアさんも、それでいいかな?」
事後承諾のような形になってしまったけれど、遅れて僕はサミアに訊ねた。
サミアは展開の速さに追いつけていないのか、唖然とした表情でコクリ、とうなずくことしかできないようだった。
「ありがとう。絶対に勝つから、安心してお弁当食べてていいよ」
「では、勝負の日取りが決まり次第、追って連絡する。首を洗って待っておけ」
「……え? なに言ってるんですか?」
教室を去ろうとしたボルンとグロアに、僕は思わず素で訊ねてしまう。
この人たち、本当に武に携わる魔剣学院の生徒なのか?
「勝負を仕掛けられたら、もうその直後から勝負開始でしょうが。僕がなんのためにお弁当を仕舞ったと思ってるんですか。いますぐにでもあなたをぶちのめすためですよ――まさか、わざわざ闘技場に足を運んで勝負すると思ってました? どんだけ平和ボケしてるんですか。僕が喧嘩を吹っかけた以上、あなたの戦場はいまこの教室なんですよ」
「……貴様、正気か?」
「だから、『タメ』はいらないですって。早くかかってきてくださいよ、筋肉ダルマさん」
ブチッ、と。
ボルンの怒りがピークに達した音と共に、巨躯が踵を返し、僕にタックルを仕掛けてきた。
鋼のような両手が僕の胴体を掴み、勢いそのまま窓際まで走り出す。
「死んで後悔するなよ、失位階級ッ!!」
「それはこっちの台詞ですよ!!」
直後――バアリィン!! と。
僕とボルンは重なるようにして、1-Bの教室を飛び出した。
ここは本棟の四階だ。受身を取らなければ普通は死ぬ。
落下中。僕はボルンの耳元で、至近距離からの【
「グガァッ!? な、なんだこの音は……!」
ボルンの左耳の鼓膜を破った僕は、目の前の巨体を蹴り飛ばし、なんとか地面に着地することに成功した。
ボルンもまた、【威圧の杖】を受けながらも、ギリギリ体勢を戻して着地する。
しかし。ボルンはすでに足元がおぼつかなくなっていた。
「嘘でしょ? まだ武器を振るってもいないのに、もうフラフラなんですか? ……というか、しまった。僕、武器なにも持ってないや」
「――あ、やべえ」
と。そんなわざとらしい声が聴こえたかと思うと、1-Bの窓から掃除用のモップの柄が放られてきた。
誰かなんて見るまでもない。ライキだ。
「急に掃除したくなったからモップ取り出してきたのに、手すべらせて落としちまった。ああ、やべえやべえ。どうしよー」
「あはは、棒読みすぎるよ。ライキ」
勝負の公平さを期すために白々しい演技をしているのだろうが、さすがに大根すぎるよ、ライキ……。
ともあれ。これで武器が手に入った。
カランカラン、と音を立てて足元に落ちたソレを足の甲で跳ね上げ、僕はボルンと対峙する。
青筋が額を覆い、ボルンの表情は憤怒に塗れていた。
「生きて帰さん――
ボルンが叫ぶと、彼の手にオレンジ色の『戦斧』が顕現した。
オークキングのソレほどではないが、人間用としてはなかなかにデカいサイズのバトルアックスだ。見た目同様、ボルンはパワータイプなのだろう。
「【橙の継承】の爆発魔法、とくと味わうがいいッ!!」
斧の周辺にボン、ボン、と小さな爆風を渦巻かせながら、ボルンは戦斧を振るった。
その攻撃に、僕は心底驚かされた。
子供のチャンバラかと思うぐらい、攻撃速度が遅かったのだ。
「は?」背後の校舎から、ライキの呆れた声が聴こえる。
わかる。僕も同じ気持ちだよ。
体感としては、やせ細ったあのオークキングの攻撃、その三分の一以下の速度だ。
「ぐ、ぬぅ――!!」
爆発をまとったボルンの攻撃は、当然のことながら僕に回避される。
ガキン、と戦斧を肩に乗せ、ボルンはなぜかしたり顔で口元を吊り上げた。
「クックックッ、すこしは楽しませてくれそうだ! では、次は本気で――」
「もう終わらせますね」
なんだか、急に冷めてしまった。
途端にこの勝負がつまらなくなった僕は【
モップの柄で足払いをし、ボルンを転ばせると、今度は右耳の傍で【威圧の杖】を発動した。
これじゃあ、単なる弱い者イジメだな。
「ぐわあああぁぁぁッッ!? み、耳がああああぁぁーーーッッ!!」
〈……どうします? 降参しますか?〉
間合いを取ったのち。鼓膜が破れて聴こえないと思うので、【
両耳が聴こえなくなったせいで念話に疑問を抱いていないのか、ボルンは張り上げるような大声で。
「この程度で負けを認めるわけがなかろうッ!!」
〈わかりました〉
再度近づき、【威圧の杖】を発動。
今度は鼓膜の先、脳を重点的に揺らしにかかる。
本当は【
こんな状況で杖の魔法を使うことはできない。
使えて精々、大声と誤魔化すことができる【威圧の杖】ぐらいのものだ。
〈どうです? まだやりますか? 生徒会長さん〉
「ま、まだだ……まだ終わらん……」
〈ハア、わかりました〉
それから数度、脳を揺らしに揺らしまくった。
目をぐるんぐるん回し、何度も嘔吐していたボルンだったが、十七回目の大音波で。
「も、もう、いい……」
〈はい? 聴こえないです、ちゃんと言ってもらえますか?〉
「もう、もうやめてくれッ!! お、俺様の負けだッ!!」
僕の接近を両手で拒みながら、オロロ、とその場で嘔吐するボルン。
僕は呆れたため息をつき、ボルンの肩に手を触れて【
両耳の鼓膜を回復させると、【
どこか困惑した表情で、僕を見つめてくるクラスメイトたち。
窓際で待っていてくれたライキだけが、笑顔で僕を迎えてくれた。
「おつかれ、ナイツ。くっそ弱かったな、あの会長」
「だね。あれもたぶん鍛錬不足な人だと思う。王族って身分に満足して、努力を怠ったんだ」
「宝の持ち腐れってやつか。もったいねえ。磨けば光っただろうに」
「まあ、あの人の性格を考えると、磨いてもあまり光らなそうだけど……副会長は?」
「情けない声あげて逃げちまったよ。『まだ退学云々言う気なら、オレと闘りましょうよ』って誘ったら、猛ダッシュで教室を出て行っちまった」
「脅しちゃダメだよ、ライキ」
「お前が言うな――ともあれ、だ」
言って、ライキは教室内のサミアを振り返った。
「よかったな。これでお前の退学はなくなったぜ、サミア。ナイツに感謝しろよ」
「……どうして」
唖然と、信じられないといった表情で、サミアは言う。
「どうして、わたしのために? きみには……きみたちには、関係ない話なのに」
「どうしてって、それは……」
〝――お前たちは『存在価値のないゴミ』であるにも関わらず、なぜ生(せい)にしがみついているのだ――〟
はるか昔。ガルランテに言われたあの台詞が、ふと思い返されたから。
そんな事情を話せるはずもないので、僕は席に戻りながら、つとめて平静にこう答えた。
「友達だから、じゃあ納得できない? 友達がバカにされたから、僕は勝負を仕掛けたんだ」
「……友達? わたしと、きみたちが?」
「うん。そうだよね? ライキ」
「まあ、ナイツのダチっていうんなら、オレのダチでもあるかな? 一応」
「……友達、友達……」
噛み締めるようにつぶやいたのち、サミアはおもむろに席に座り直し、言った。
「本当、余計なお世話」
その返答を聞き、僕とライキは思わず目を合わせ、ニヤけてしまう。
サミアの表情が、ひどく嬉しそうなソレだったからだ。
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