第18話 炎の淑女(下)
夜の
ロードウィグ家のリビングには、僕とカルラ、そしてカナエラの三人がそろっていた。
カルラに事情を説明するため、なにより、カナエラに服を着せるためである。
同性の、それも大人が介入してきたおかげか。カナエラは先ほどまでの強情っぷりが嘘かと思うほど素直に、カルラの言葉に従って家の中に入っていった。
いまはちゃんと服を着、ソファに座ってお茶をすすっている。この服は、カルラが子供の頃に着ていたお古だそうだ。
一般庶民の服を着てもどこか優雅に映るのだから、やはり王族の人間はちがう。
さておき。
「よかったー。私はてっきり、白昼堂々ナイちゃんが女の子を襲ってるのかと思っちゃったよ。ダイさんの墓前でなんて説明しようかまで考えちゃったもん。なるほどね。国王の娘さんと剣の勝負をしてるときに、服が破れちゃったんだね……ん? 国王の娘……国王の娘ッ!?」
僕と同じようなリアクションでカナエラを二度見し、驚きに目を見開くカルラ。
環境が同じだと思考も似てくるみたい。親子だなあ。
「こ、国王の娘さんが、どうしてナイちゃんと?」
「まあ、大した理由でもないのだが――」
そうして。
カナエラは事の経緯を話し始めた。
国王の娘、ということで変に緊張していたカルラだったが、話が進むごとにその緊張は和らいでいったようだった。
まあ、本当に大した理由ではないしね。
話が終わった頃には、カルラは「そっかー」と安心したように胸をなで下ろしていた。
「ナイちゃんが悪さしちゃったのかと思って私、ドキドキしちゃったよ。そっかそっか。ナイちゃんたちの実力を見に来たんだね。ということは、カナエラちゃんはこのあと、ライキくんのところにも行くつもりなの?」
さっそく『ちゃん』付けとは。
カルラの人懐っこくフレンドリーな性格は、国王の娘相手でも健在のようだ。
まるで近所の娘さんを相手にしているかのようなカルラの態度に、けれどカナエラはまったく不快感を示さず、どころか柔和な笑みを
「いや、その必要はないだろう。ナイツ少年に付き合う以上、ライキ・レイスンの実力も相当なのだろうが、コレよりも強い逸材が同じ村に二人もいるとは思えないのだ」
『コレ』を強調して、カナエラは僕のほうを見やった。コレって。
コップをテーブルに置き、カナエラは続ける。
「なので、長々と話しておいてなんだが、ボクの用事はもう済んでしまったことになる。服、助かったのだ、カルラ殿。この恩はまたあらためて返すぞ」
「え? もしかしてカナエラちゃん、これから家に帰るの? お外真っ暗だよ?」
「問題ないのだ。ボクはそこら辺の暴漢にやられるようなヘマは――」
「ダメだよッ!」
立ち上がりかけたカナエラを、隣に座るカルラが引き止めた。
「夜に女の子をひとりで出歩かせるなんて、子供を持つ親としては絶対に許可できないよ! 最近は、セキナトル領の北端にある村で大量殺人事件が起きたって話も聞くし、そんな危ないときにカナエラちゃんひとりで帰らせるなんて絶対にできないよ!」
「いや、心配してくれるのは嬉しいが……」
「ダメったらダメ、絶対にダメ! もう遅いから今日は泊まっていきなさい! 布団もあるし、晩ご飯もおいしいの作るから!」
「しかし……」
「しかしもカカシもないの! とにかく帰るのは明日、明るくなってから! ね?」
「……ふふ、わかったのだ」
降参とばかりに両肩をすくめ、カナエラは苦笑まじりにソファに座りなおした。
カルラにこんな泣きそうな顔で懇願されたら、誰だって座らざるを得ないだろう。
どっちが子供なんだか。
「では、お言葉に甘えて泊まっていくことにしよう。それでよいか? カルラ殿」
「えへへ、うん! がんばっておいしい晩ご飯作っちゃうからね! 期待してて!」
「うむ。腹を空かせて待っているのだ」
「よーし! それじゃあ早速作り始めるから、先にふたりでお風呂、済ませちゃってねー」
言い置いて、足早に台所に向かうカルラ。
心なしか、いつもよりはしゃいでいるようにも見える。もしかしたら、カナエラのことを娘のように思っているのかもしれない。
まあ、この家の子供は息子の僕だけだしな。母親としては、女の子供がほしくなるのも無理はないだろう。
「……ナイツ少年」
ふと。カナエラが震える声で話しかけてきた。
なぜかうつむいたまま、耳まで真っ赤にしている。
「どうしました? カナエラさん」
「そ、その……さっき、カルラ殿が『ふたりでお風呂』と言っていたのだが……」
「……え?」
「ぼ、ボクたちはまたも、裸の付き合いをしなければならないのか……?」
「語弊がありすぎます、その言い方」
けれどまあ。
家の大黒柱であるカルラの命令には従う、これがこの家のルールだ。
事実。十歳になった現在でも、僕はカルラと風呂を共にすることがある。カルラが「今日はお仕事疲れたから一緒に入ろう? 入るよね? 入らないわけがないよね? ね……?」と、顔先二十センチで圧力をかけてくるからだ。
断るとどうなるかは……考えたくもない。
であれば、僕とカナエラに残された選択肢はひとつ。
「まあ、入るしかないですよ……僕たちふたりで」
「…………へ、変な気を起こすなよ? ナイツ少年」
「起こさないですよ。僕をなんだと思ってるんですか」
「変態で外道でえっちな少年」
「ひゅー、誤解のオンパレードだあ」
いやまあ、全裸の少女を押し倒したのは事実なんだけれども。
全裸の少女を押し倒した。うん、字面が悪すぎる。
変態の汚名、一緒に風呂に入ることで、どうか水に流してはくれないものだろうか。
流してくれなかった。
「い、いま、指の隙間からこっちを見ただろ!? ちゃんと鏡越しに見えているのだぞ! 変態えっちマンめ!」
「見てませんよ! 湯船で顔をすすいだだけでしょ!?」
「ふん、どうだか……ボクが身体を洗い終わる前に、その湯船でノゾきの罪も綺麗にすすいでおくのだな!」
「なにちょっとドヤ顔してるんですか、全然うまくないですよ!」
「ほら、やっぱり見ているではないか! 変態ドエロむっつりマンめ!」
「せめて呼び名ぐらいは安定させてください!」
ため息をつき、僕は窓外の満月に視線を移した。
結局、変態の汚名を被ることになってしまった、午後七時。
カルラの命令に従い、ボクとカナエラは一緒にお風呂に入っていた。
最初は気恥ずかしさしかなかったけれど、一度全裸を見せているからか、カナエラは意外とスムーズにこの状況を受け入れたようだった。
いまは、僕が浴槽に浸かり、カナエラが身体を洗っている。
と。カナエラが「しかし、まあ」と感慨深そうに口を開いた。
「普通の家庭の風呂というのは初めてなのだが、なかなかどうして気持ちのいいものではないか。この手狭さが癖になるのだ」
「金持ちの嫌味ですか……まあ、気に入ってもらえたようでなにより。僕はもう、どんな広さだろうとお風呂に入れるだけで幸せですよ」
「? よほど風呂が好きなのだな、ナイツ少年は」
「いままで味わう機会が少なかったので」
二千年前にも風呂はあったけれど、毎日入ることは贅沢とされていた。まして、僕のような下っ端魔族となれば、二週間に一回ほどの入浴しか許されなかった。
その点、現代では平民でも毎日入ることができる。素晴らしい世の中だ。
それもこれも魔族が激減し、平和になったおかげなのだろう。
まあ。最大の元凶、魔王ガルランテの転生体は、まだどこかに潜んでいるのだろうけれど。
「……どこにいるんだろうな」
ポツリ、と小さな声でつぶやいた直後。
「失礼するぞ」
身体を洗い終えたカナエラがザブン、と浴槽に入ってきた。
すでに羞恥心がなくなっているのか、あるいは慣れたのか。僕の前でも一切隠そうとしない。すべてが丸見え状態だ。
「こら、ナイツ少年。もっとそっちに寄せろ。足が窮屈なのだ」
「……、す、すみません」
「? なんだ、やけに素直なのだな」
距離があればまだよかったけれど、こうも近いとさすがに恥ずかしい。
というか、色々見えすぎている!
カルラですらもうすこし隠して……いや、あの人も同じくらいオープンか。うん、そうだった。
湯船の中で膝を突き合わせながら、僕が再度視線を窓外にそらしていると、カナエラが思い出したかのように「ところで」と口火を切った。
「ナイツ少年は、どこの魔剣学院にいくつもりなのだ? 剣士見習いなのだから、入学しないなんて選択肢はなかろう?」
「一応、アイドラルンの魔剣学院を受ける予定です。モナルーペ村からも近いですし。それに、シデンさんともまた会おうって約束しましたから」
「シデン……? もしかしてそれは『雷光のシデン』こと、シデン・リュウソウのことか? たしか、彼の故郷もこのモナルーペ村だったはずなのだ」
「え。カナエラさん、シデンさんのこと知ってるんですか?」
「アホがつくほどの有名人なのだ、彼は」
バシャ、と顔をすすぎ、カナエラはもはや呆れ気味に言う。
「わずか十六歳にしてアイドラルン魔剣学院で『神位階級(ゴッドランク)』認定された、雷使いの神童。双剣使いとしても名高く、数年前にはあの【
「そ、そんなにすごかったんですね、シデンさんって……」
「ボクも一度は会ってみたい武人なのだ――しかし、そうか。あのシデン・リュウソウと知り合いだったか。これは、ナイツ少年の将来が楽しみなのだ」
どこか楽しそうなカナエラの言葉に、僕は思わず苦笑して。
「知り合いっってだけで、僕は単なる一般人ですよ。変に期待しないでください」
「あんなデタラメな強さで一般人? なにを言う。どんな形であれ、ボクが誰かに負けたのは初めてなのだぞ? 元剣聖の冒険者にも負けたことはなかったのに。こんなの、期待するなというほうが無理な話なのだ」
「……それは」
「きみは確実に強くなる。これからもっと、さらなる高みへ上り詰めることができる。ボクが保証するのだ。だからこそ、ボクはきみに期待し続けるよ」
嘘偽りのない真剣な眼差しで、こちらを見つめてくるカナエラ。
その大きすぎる期待がむず痒くて、僕はふっと視線をそらしつつ。
「……ほ、程々にお願いします」
「うむ。程々に期待するのだ」
そう言って、カナエラは鼻歌交じりに天井を仰ぐ。
窓外の満月が、色んな感情でノボせそうな僕を見下ろしていた。
□
〈遅いっスよ、ご主人〉
「おわっ!」
夕飯を食べ終えたのち。
寝支度を済ませて自室のベッドに潜り込むと、布団の中で待機していたタマがひょこっ、と顔を出して僕の胸元に乗ってきた。
〈び、ビックリして思わず声だしちゃった……『遅い』って、僕を待ってたの? タマ〉
〈そうっスよ。今日の夕方、手合わせしてたときに【
〈ああ、そういえば聴こえたような……そのあとの押し倒しが強烈すぎて忘れてた〉
〈……ご主人のえっち〉
〈やめて! あれは誤解なんだ! タマだけは僕の味方でいて!〉
〈ニヒヒ、冗談っスよ。オイラはずっと味方っス――ところで、あの赤い嬢ちゃんは?〉
〈お母さんの部屋だと思うよ。今日はお母さんと一緒に寝るみたい。夕飯のときに、お母さんに強引に迫られて根負けしてたから〉
〈なら、この【
言って、タマは右手を伸ばすと、枕元の棚に置いてある千本の杖の文献を指し示した。
〈ご主人、そこの本取ってほしいっス。寒くて布団から出られないっス〉
〈……ねえタマ。寒がりなのは仕方ないにしても、そろそろ運動とかしたほうがいいって。お腹ぷにぷにだよ?〉
〈言わないで……わかってる、わかってるんスよ、自分の怠惰なお腹のことは〉
悲壮感あふれる顔で目をそらすタマ。
そうか……うん、まあわかってるのならいいか。
〈はい。取ったよ、タマ〉
〈わーい、ありがとうっス。それじゃあ、オイラが言うページを開いていってくださいっス〉
〈はいはい〉
本を枕の上に置いて、タマの指示通りにページをめくっていく。
結果。新たに解放された杖の知識は、『四本』あった。
【
能力:あらゆる氷魔法を使うことができる。
【
能力:魔法耐性が向上する。
【
能力:対象の身体速度を遅くする。
【
能力:対象を変化させる。
〈戦闘で役立ちそうな能力だね。最後の【変化の杖】は、ちょっと扱いがむずかしそうだけど……あれ? この杖の概要、どっかで聞いた覚えがあるな〉
〈五年前にオイラが『おもしろい杖』の候補として、ご主人に話したんスよ。なにをどう変化させるのかがわからないんで、かなり限定的な用途になりそうっスけど〉
〈ああ、それで覚えてたんだ……本当に記憶力いいなあ、タマは〉
〈そんなことないっスって――ともあれ。能力のチェックとかはまた後日っスね。今日はもう寝るっスよ。本、ありがとうっス〉
言いながら、頭まで布団にもぐり始めるタマ。
本を片付けて明かりを消すと、僕も布団を顎下までかけた。
〈おやすみ、タマ〉
〈おやすみさないっス、ご主人〉
布団の中から、クークー、と、くぐもったタマの寝息が響く。
二千年前から変わらない、三百五十余年見続けてきた就寝風景。
転生しているであろうガルランテも、この現世で変わらないナニカを持っているのだろうか。
そんなことを、暗い室内をぼんやりと見つめながら思った。
□
明けて翌日。
朝食を食べ終えると、カナエラはすぐさま帰宅の準備を始めた。
今日の昼までにセキナトルに戻らないと、王都騎士団がカナエラ捜索のために出兵しかねないのだとか。どうやらココにはお忍びで来ていたようだ。
「世話になったのだ、カルラ殿。ナイツ少年。この恩返しは、近いうちに必ず」
そう言って、カナエラはあっさりと家を出て行った。
まるで、すぐにまた会える、とでも言わんばかりの淡白さだった。
それから一週間後。
ここら辺では見慣れぬ行商人が自宅の扉を叩いた。
なんでも、レッドフィル家から直々に、ロードウィグ親子へプレゼントが届いているとのこと。
僕とカルラは訝しみながらも、届けられたその大きな箱を開封する。
箱の中には十着近い女性物の衣服と、長剣サイズの木剣が二本入っていた。
衣服はどれも高級品で、一着何Gするかもわからない。これが、別れ際に言っていた『恩返し』のようだ。
カルラへのプレゼントはまだしも、まさか無骨な木剣を送りつけてくるとは。
僕は嬉しいけれど……なんともまあ、淑女らしからぬプレゼントである。
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