第15話 レッドドラゴンの歯(上)
ゴブリン襲撃から二年が経った、ある冬の日。
十歳になった僕とライキは、今日も北の原っぱで剣術の鍛錬に励んでいた。
雪が降り積もった真っ白な草原で、僕たちは木剣を振るい、切り結ぶ。
緊迫した空気が流れていた。
一手一手を真剣に。まるで実戦かのごとき気概で、互いの攻撃に対処していく。
魔剣学院に入学するため、ひいては剣士になるためには、一分一秒も無駄にできない。
入学まで残り二年。
もうお遊び感覚で鍛錬をやっている暇はないのだ。
「ここだッ!」
鍔迫り合いを離れ、ライキが弱めの雷撃を放ってきた。
この二年間。電気の『制御』イメージを欠かさず行ってきたライキは『解放』をマスターし、こうして自由自在に雷撃を操れるようになっていた。
が。魔法の訓練をしてきたのは、なにもライキだけではない。
「遅いよッ!」
雷撃を木剣で受け止めると、僕は【
感覚のズレは0・1秒もない。杖の能力が馴染み始めている。
ゼロ距離の攻防。ライキの顎下を平手で打ち上げ、背中から真下の雪原に叩きつけた。
「ガハッ……!」
「これで、僕の六連勝だね」
ライキの喉元に剣先を突きつけ、手合わせ終了。
雪がクッションになっただろうから、【
かじかむ両手を吐息で温めながら、「ふぅ」とライキの隣に座り込む。
二年前に比べ、僕らの身体もだいぶ大きくなった。
ライキの両手首に光る青色と黄色の腕輪も、もうズレ落ちてこない。
スタミナも増え、杖の能力の負担にも堪えられるようになった。
剣術の腕も向上してきている。
僕のほうがまだ腕前は上だけれど、ライキの実力も侮れない。
いまのライキだったら、ひとりでゴブリン千体も楽勝のはずだ。
さらに、ライキは雷撃という稀有な攻撃手段を手に入れた。
まさに鬼に金棒である。
僕も負けていられないな。
まあ僕の場合、持っているのは金棒ではなく杖だけれど。
「だいぶ洗練されてきてるけど、細かいところでまだ無駄な動きが多いね、ライキは。さっきの雷撃も、攻撃に使うんじゃなくて牽制に使っていればよかった。そうすれば、雷撃を躱されたとしても剣で追撃を加えることができる」
「ああ、そういう戦術もアリなのか……クソ、咄嗟の判断が苦手だな、オレは」
「弱点がわかってるだけマシだよ。改善ができるからね」
「何気にポジティブだよな、ナイツって。さすが『剣聖』を目指してるだけのことはあるぜ」
「い、いやいや! 僕がなりたいのは剣聖じゃなくて剣士だよ! ただの平凡な剣士!」
「あれ? そうでしたっけ?」
「とぼけ方が白々しいよ……まったく」
剣聖とは、剣士の道を極めし者のことだ。
剣士の頂点と言っていい。
剣聖は、七ヶ国が運営する『世界剣士連盟』から、その称号を与えられる。
そして、剣聖の称号を得るためには、各国で行われる『剣舞祭』や『魔剣王決定戦』などの大会で何度も優勝を重ねることが必要なのだそうだ。
噂では、剣聖のさらに上位――『
剣聖が剣士の頂点ならば、剣聖王は剣士の終着点、とでも言おうか。
まあなんにせよ、僕には縁のない話だ。
剣聖でも剣聖王でもない。僕はとにかく、平凡な剣士になれればそれでいいのだから。
「というか、ライキもこの前『七色の英雄』みたいになりてえ、とか言ってたよね?」
「あれは、その、なんとなくそう思っただけだよ! 別に本気で言ったわけじゃ――、っと」
ふと。
寝転ぶライキの腹からぐぅ、と大きな音が鳴った。
空を見上げると、太陽が真上に差しかかっている。お昼時のようだ。
僕は立ち上がり、ライキに手を差し伸べる。
「一旦僕の家に戻ろうか。お母さんが僕たちのお昼ご飯を作り置きしてくれてるから、それを食べよう。タマも待ってるだろうしね」
冬になると、タマは僕とライキの鍛錬に付き添わないようになる。
タマ曰く。
〈だって寒いんスもん〉
だそうだ。
まあ、猫だからね。寒がりなのは仕方ない。
ちなみに。タマも今年で十歳になる。
猫としては高齢に位置するのだが、老化や体力減衰などは見られない。見た目も成猫になりたての頃と同じ。ずっと若々しい二歳児の猫のままだ。
前世が三百歳越えのモンスターだったことが関係しているのか。はたまた、【
真実は定かではないけれど、まあ、長生きしてくれるのは純粋に嬉しいことだ。
相棒が死ぬところなんて、僕は絶対に見たくないのだから。
「ところでよ、ナイツ」
小粒の雪が降り始めた中。
ふたりで帰途についていると、どこかそわそわした様子でライキが話しかけてきた。
「今日は午後の鍛錬はやめて、ちょっと村の冒険者ギルドに行ってみねえか?」
「? いいけど、どうしてまた」
「昨日、父さんから聞いた話なんだが……なんでも、モナルーペ村の北東にある『スイゴ山』の山道に、大きな『ドラゴン』の足跡が残されてたらしいんだ。つい一週間前の話だそうだ」
「へえ、ドラゴンの足跡が……」
ドラゴンは『
人間以上の知性を有し、言語を解する。プライドが高く、気まぐれ屋としても有名だ。
本来仲間であるはずの魔族に反発して、人間に加担するドラゴンも少なくない。
二千年前はそこら中の山に棲息していたが、現在では見る影もない。
世界各地を探しても、五頭も存在していないのではないだろうか。
「珍しいね、現代でドラゴンだなんて」
「珍しいどころの話じゃねえ。世紀の大事件さ――それでいま、この村のシケた冒険者ギルドにも、ドラゴン討伐のクエスト要請が来てるみてえなんだよ。猫の捜索依頼が関の山だったこの
「あはは。なるほど。午後はそのクエストがどんなものか見学しに行こう、ってことね」
「ギルドに行くのは正解。でも、見るだけではねえな」
「? どういう意味?」
「討伐しちまおうぜ、そのドラゴン!」
「……はい?」
呆然とする僕に、ライキは不敵に言う。
「オレたちでドラゴン討伐するのさ! 父さんの話では、クエストの報酬金は5千G以上って話だから、ナイツの魔剣学院の学費も余裕で払えるようになるぜ!」
ワイドパレンズの通貨は、銀の硬貨である『シルバー』と、金の硬貨の『ゴールド』で成り立っている。表記上はシルバーが『S』、ゴールドが『G』とされている。1万Sで、1Gと同等の価値だ。
農家の平均年収が200G、騎士の年収が500~600Gと聞くから、単純に騎士年収の十倍相当の報酬金がもらえる計算になる。
魔剣学院六年間の学費には充分だ。お釣りがくるほどの額である。
「……なるほど、そういうことね」
ライキの真意に気付き、僕は呆れた笑みをこぼす。
ライキは、僕の家庭の経済事情を心配してくれているのだ。
僕の家は母親と息子、ふたりきりの母子家庭だ。普通の学校ならまだしも、特別な課目を履修することになる魔剣学院に入学したら、学費の支払いだけで手一杯になってしまう。
なにか、副次的な収入を得る必要があるのだ。
魔剣学院に行きたいという話自体は、二年前にカルラにしてあった。
カルラは快諾してくれたけれど、内心は厳しいと思っていたはずだ。
そうした事情を踏まえると、このドラゴン討伐の依頼は渡りに船なのかもしれない。
「たしかに学費を払えるようになるのは嬉しいけど、別にライキが気にしなくてもいいのに」
「気にするに決まってんだろ。親友の進路が懸かってんだから――オレなりに色々考えてたのさ。父さんに頼んで、カルラおばさんの給料を三倍にしてもらうとか。でも、それをやるとほかの給仕に示しがつかなくなるから、したくてもできねえんだ……だから、昨日ドラゴン討伐の話を聞いて、本当にラッキーだと思ったんだ! これを討伐できれば、ナイツと一緒に魔剣学院に行ける、って」
「ライキ……」
「ど、どうだ? ナイツがよければ、挑戦するだけでもしてみねえか?」
不安そうな、けれど期待に満ちた瞳で見つめてくるライキ。
僕自身、カルラに金銭的負担をかけている罪悪感があった。どこかで、なにかしらの形で援助しなければ、と思っていた。
そして現状、十歳の僕が収入を得るにはコレしか手はなさそうだ。
「わかったよ、ライキ。一緒にドラゴン討伐に行こう」
「ほ、本当か!? やったー! これで一緒に魔剣学院に行けるな!」
「あはは、気が早いってば」
雪道ではしゃぐライキの背中を眺めながら、やっぱ子犬みたいだよな、なんてことを思った僕なのであった。
□
昼食を済ませたのち、僕とライキは早速、村外れにある冒険者ギルドに向かった。
キィ、と両開きのスイングドアを押して、ギルド内に足を踏み入れる。
「わぷっ」
ガヤガヤと騒がしい空間に、冬を忘れる熱気が篭もっていた。
いつもは村の老人たちが座っている木製のテーブルも、いまでは満席状態。五十名を越える冒険者たちが、しかめっ面でクエストボードを睨んでいた。
カウンターでは、受付のお姉さんがクエスト受注の記入作業に忙殺されている。
「わあ……見て、ライキ。冒険者がいっぱいだよ」
「だな。閑古鳥が鳴いてたのが嘘みてえだ。同じギルドだとは思えねえよ……まあ、スイゴ山に一番近い村だから、逗留地としてココを選んでるってだけなんだろうけど」
「まるで別世界だね……それで、クエストってどこで受けられるのかな? 遊び半分にギルドを覗きに来たことはあるけど、クエストの受け方までは知らないよ」
「ほかの冒険者を見る限り、あそこの『クエストボード』って書いてあるところでクエストの受注番号を確認して、受付にその番号を伝える、って流れみてえだな」
「なるほど。それじゃあ、まずは番号を確認しに行こう」
なんでギルドに子供が? という冒険者たちの奇異の視線を無視して進み、クエストボードで番号を確認する。
・受注番号:378
・クエスト:『スイゴ山のドラゴン討伐』
・受注期間:一ヶ月
・達成条件:ドラゴンの死体、もしくは死亡を証明する部位〈逆鱗(げきりん)か奥歯〉
・依頼主 :ゴーンズ・レッドフィル
・報酬金 :5600G
クエストの依頼書を眺めながら、僕は両腕をつかねる。
「378ね。達成条件は、死体か部位か。ドラゴンの死体を持ち帰るのは不可能だろうから、これは部位を持ち帰って来いって意味だろうね……それにしても、逆鱗に奥歯か。5600Gの報酬金も頷けるよ」
「逆鱗ってのは聞いたことがあるな。たしか、ドラゴンの顎下にある逆立った
「すげえ怒るってやつだね。触られた瞬間、怒りに我を忘れて、自分が死ぬまで怒り続けるって言われてる。実際、二千年前……じゃなくて、すごい昔には、勇者パーティーのひとりに逆鱗を触られて、大陸の半分を燃やし尽くしたドラゴンがいたらしいよ」
あのときは大変だった。
魔王城にまで火の手がおよんで、城内がススだらけになったのだ。
結局、そのときのドラゴンはガルランテが瞬殺していたけれど。
「め、めっちゃ怒るじゃん……そんなにヤベえのか、ドラゴンの逆鱗って」
「だからこそ達成条件に指定されたんだろうね。もうひとつの奥歯っていうのはたぶん、ズルして入手できるような部位じゃないから、かな? 奥歯なんて、普通は死んだドラゴンからしか採取できないだろうしね」
「なるほど。ドラゴンの爪とか翼の切れ端とかだと、最悪倒さなくても入手できちまうからな。確実な死亡の証拠としての、逆鱗と奥歯なわけだ」
「そういうことだと思う――それで、依頼主は、ゴーンズ・レッドフィル?」
読み上げて、僕は思わず目を見開いた。
「これって、あのゴーンズ・レッドフィル?」
「だろうな。報酬金の額からして、同姓同名とも考えにくい……オレもいま初めて知ったぜ」
「まさか、『国王』が依頼主とはね……」
およそ二千年前。
かの七色の英雄は新たな脅威にそなえて、七つの国を建国した。
と同時に、英雄たちは自国の『王族』ないし『王家』となった。
自身が国の象徴となることで、統治の潤滑を図ったのである。
しかし。建国したはいいが、後に続く子孫たちが争っては意味がない。
ゆえに英雄たちは、『
その後。七色の英雄の血筋は脈々と受け継がれていった。
王族は二千年経った現在でもなお、強い権力、および影響力を保持している。
七つの国名と、その国を統治する七つの王族は、以下の通り。
王都『セキナトル』、【
水都『アオガリル』、【
帝都『メリョクーマ』、【
魔電都市『キシレ』、【
錬金国家『サダイダイール』、【
天空要塞『モミズショクト』、【
旧都『シカレトム』、【
ゴーンズ・レッドフィルは【赤の血統】の正統王家で、王都セキナトルの現国王だ。
僕たちがいるモナルーペ村も、南東の街のアイドラルンも、王都セキナトルの領土内にある。
と。隣り合うライキが、呆れたように両肩をすくめた。
「これだけ冒険者が集まるわけだぜ。クエストの信頼度が段違いだ。なにより、ここで依頼を成功させれば、国王の『お気に入り』になれるかもしれねえ。躍起にもなるって話だ」
「でも、どうして国王がクエスト依頼を? わざわざ冒険者を頼らなくても、セキナトルの王都騎士団とかに命令すればいいのに」
「ちょうど忙しかったとかじゃね? 知らねえけど」
「うーん……まあ、シデンさんも騎士団は忙しいって話してたしね。王都の騎士団ともなると、さらに忙しいのかな?」
「かもしれねえな――まあともあれ、さっさとクエストを受けに行こうぜ。これじゃあ本当に見学に来ただけになっちまう」
言って、ライキは僕の手を引いて歩き出し、受付のお姉さんに声をかけた。
「姉ちゃん。クエスト受けさせて」
「はいは~い、次はどなた……って、あれ~? レイスン家の坊ちゃんじゃな~い。それに、カルラさん家の息子さんまで~。どうしたの~? こんなところに~」
「ドラゴン討伐のクエスト受けに来た。冒険者は自由な職業だから、いつでも誰でも冒険者になれる。つまり、オレらみたいな未成年でもクエストを受けられるはずだろ? だから、番号378のクエスト受けさせてくれ」
「……は~い、次でお待ちの冒険者の方、どうぞ~」
「おい、無視すんなよ! オレたちは本気なんだって!」
「はいはいわかった、わかったわよ~。それじゃあ、カウンターの隅にあるクエスト用紙に、ふたりの名前とジョブを記入してくれる~? それでクエストの受注が完了するからね~」
あしらいつつ、僕たちから視線を外して別の作業に入るお姉さん。
周りで見ている冒険者たちも、クスクスと忍び笑いをもらしている。
どうやら本気と思われていないようだ。
言われた通り、カウンターの隅に移動してクエスト用紙の上部に名前、ジョブ欄に『剣士見習い』と記入していると、ライキが小声で話しかけてきた。
「クソ、完全に子供の悪戯だと思ってやがるぜ。二年前のゴブリン襲撃のときと同じだ。実際に目の当たりにしてねえから、オレたちの実力を信じてくれてねえんだ。千体討伐したってのも与太話だと思ってんだぜ、きっと」
「まあ普通は信じられないよ。八歳の子供が千体のゴブリンを倒す実力を持ってるだなんて」
「どうするよ? ナイツ」
「かまわないさ。信じられないならそのままでいてもらおう。用紙に名前さえ記入しちゃえば、こっちのものだ」
必要事項を記入したクエスト用紙を提出されたら、ギルドとしては正式に受理せざるを得ない。
未成年だろうが悪戯だろうが関係なく、だ。
そうなれば当然、僕たちにも報酬金を得る権利が発生する。
それだけで充分だ。
「むしろ舐められてたほうがなにかと動きやすい。その油断を突いて、僕たちが誰よりも早くドラゴン討伐するんだ。アッと言わせて、みんなの度肝を抜いてやろうよ」
「アハハ、いいなそれ! よし、いまに見てろよ! 姉ちゃんに冒険者ども!」
ナイツ・ロードウィグ、ライキ・レイスン。剣士見習い。
ふたりの名前とジョブを記入したクエスト用紙を提出すると、お姉さんは仕事の片手間に。
「はい、ご苦労さま~。それじゃあドラゴン討伐がんばってね~。勇敢な冒険者くんたち~。暗くなる前に帰るのよ~」
と、僕たちを子供あつかいしながらも、用紙を『たしかに』受理箱に収めてくれたのだった。
僕たちはそれを確認したのち、足早に冒険者ギルドを後にする。
さて。二千年ぶりのドラゴンを拝みに行きますか。
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