第14話 ゴブリンの夜(7)
ゴブリン討伐後。
領主館に戻った僕たちは、案の定、カルラに泣きながら怒られた。
ゴブリン襲撃で混乱していたのか。カルラは僕がいないことに封鎖したあと気付いたらしく、無理やり外に探しに出ようとしたそうだ。
ほかの村人が必死に止めてくれたそうだが……本当、そのとき止めてくれた人たちには感謝しかない。
ライキはシデンに背負われて帰宅したのだが、領主館に戻る頃には意識を取り戻していた。
こちらも父親にこっぴどく叱られていたが、最後はやさしく抱き締められていた。シデンが口添えする必要もなかったようだ。
ライキを連れ出してしまった僕としては、後悔と猛省に苛まれる光景でもあった。
アイドラルン騎士団が到着したのは、それから一時間後のことだった。
ゴブリン討伐の仕事をなくした騎士団員たちは、夜通し事後処理に明け暮れた。副団長であるシデンの指示に従い、モンスターの死体処理とモナルーペ村周辺の警戒にあたったようだ。
ちなみに。
家に帰って文献を確認してみると、今回、新たに解放された杖の知識は『四本』あった。
【
能力:あらゆる風魔法を使うことができる。
【
能力:対象の跳躍力を10倍に上昇させる。
【
能力:対象を眠らせる。
【
能力:すべての状態異常を治す。
一部限定的なものもあるが、どれも役立ちそうな能力ばかりだ。
特に【全解の杖】はありがたい。【
〈この四本の能力は、ライキの坊ちゃんのお母さんがくれたものなのかもしれないっスね〉
そんな風につぶやいて、タマは物思いにふけるように目を細めていた。
過去の同僚殺しに、ライキの仇討ち。今夜の騒動は、タマにとってもなにかしら思うところがあったのかもしれない。
そうして。
短くも長いゴブリンの夜が明けた、翌日。
「……ん?」
早朝。馬の足音と、大量の金属が擦れる音で、僕は目を覚ました。
いったいなんの音だろう? 眠るカルラの抱擁を解いて、そっとベッドを出る。
いつもこうしてカルラと一緒に寝ているわけではない。毎日カルラとは別々の部屋で寝ているのだが、昨夜は「今日はもう離さないからね」と涙目で言われて、同じベッドに忍び込まれてしまったのだ。
怒った日のカルラは、こうやって僕にとことん甘えてくる。怒ったのはこんなに愛しているからなんだよ、と言わんばかりに『とことん』だ。正直、ちょっと怖い。
まあ、それだけの心配をかけたのだ。甘んじてその甘えは受けることにした。
ずっと抱き締められていたので、すこし息苦しかったけれど。
タマも同じベッドの中にいた。いまはカルラの足元で気持ち良さそうに眠っている。
物音に敏感なタマだけれど、昨日の疲れがあるのか、僕の起床には気付いていないようだ。
「むにゃ……ナイちゃん、牛一頭は食べすぎだよ……むにゃむにゃ……」
「……どんだけ食いしん坊なんだ、夢の中の僕」
寝言をつぶやくカルラに苦笑しつつ、僕は忍び足で部屋を出、玄関の戸を開けた。
朝もやの中。起き抜けの太陽が照らす薄明るいあぜ道を、大量の騎士団が行軍していた。
武装した騎士たちが馬を引き連れ、列を
見ると、騎士たちの表情は疲弊しきっていた。
夜通し行っていた事後処理が、今朝になってようやく終わったのだろう。
「おや? ナイツくんじゃないか」
と。騎士団の最後尾を歩いていたシデンが、玄関前に出てきている僕に気付いた。
前を行く隊列にGOサインを出し、シデンだけが僕の前で止まる。
「随分と早起きだね。昨日の疲れは取れたかい?」
「ええ、バッチリと」
「若いってのはいいね、リカバリーが早いのなんのって。俺は、今回の件に関する報告書やらの作成で徹夜になりそうだよ……ナハハ」
「む、無理だけはしないように……」
「気遣ってくれてありがとう。カルラの嬢ちゃんにもよろしく伝えておいてくれな。また暇を見て帰って来るよ」
わしゃわしゃ、と僕の頭をなでて、シデンが歩みを再開させる。もう行ってしまうようだ。
その直前で、僕は「あの」と彼を呼び止めた。
「ん? なんだい、ナイツくん」
「ひとつ訊きたかったことがあるんですけど……僕とシデンさんがはじめて会ったとき、どうして魔眼の話をしてくれたんですか?」
「? それは、どういう……」
「あのとき目の話題を振ったのは僕ですけど、普通は、初対面の人間にそんなプライベートなことまで明かさないんじゃないかな、と思って」
「ああ、そういうことかい。なるほどね」
昇り始めた朝焼けを背に、シデンは両腕をつかねて語る。
「まあ、ハッキリ言っちまえば大した理由はないんだが……そうさね、あえて言うならナイツくんから不思議な力を感じたから、かな?」
「不思議な力?」
「うまく説明できないんだがね。はじめて会ったとき、ナイツくんの身体の中に、なにか『別の魔力』を感じたのさ。いや、感じたというよりは
「ッ……、……」
「それがなんなのかは、いまだによくわかっちゃいないけどね。その不思議な部分に惹かれて、魔眼の正体も明かしてみたのさ。適当な理由をでっちあげるより、この子には素直に話したほうがいいだろうと思ってね。なぜそう思ったのかも、やはりよくわかっちゃいないんだが」
「な、なるほど……そうだったんですね」
つとめて冷静に応えるが、僕の鼓動は焦りに高鳴る。
シデンの魔眼は、僕の身体にある千本の杖の存在を見抜く力があるのかもしれない。
これからは、彼の前では気をつけて行動しないと。
そう思った矢先だ。
「この際だ。ちょいと試してみるかね」
どこか挑発的なシデンの声に顔をあげると、突如、僕の身体の動きが鈍くなった。
両手両足はもちろん、顔の筋肉ですら動かしづらい。まるで溶けた
突然、シデンが
赤い網膜に、面妖な模様が走った眼球。
一目で異形のソレとわかる魔眼を見つめながら、僕はゆっくりと後退りしつつ。
「ど、どうして、魔眼、を……?」
「……嘘だろ。【
「あ、あの……シデンさん、これかなり辛いので、できれば早く隠してほしいです……!」
「ああ、悪い悪い!」
言って、慌てて黒魔布を目元に縛りなおすシデン。
すると。あれだけ鈍化していた僕の身体がフッ、と身軽になった。
「ナハハ、悪いね。ちょいとナイツくんの不思議な力ってのを試してみたくなっちまってさ。先に言っておけばよかったかな。第二段階には移行してないから、気管の動きまでは止まってないはずだけど……どうだい、息苦しかったりするかい?」
「だ、大丈夫です……すごいんですね、シデンさんの魔眼って」
魔法というより、もはや呪いの類だ。
魔力を操るソレとは在り方からしてちがう……ような気がする。
「すごいのはきみさ、ナイツくん。俺の魔眼を見て動けたのは、ナイツくんがはじめてだよ。ゴブリン千体を討伐しちまえるわけだ――そういや、きみは炎魔法が使えるみたいだが、魔法耐性向上なんかの訓練もしているのかい?」
「いえ、特には」
僕が【鎖縛の愛】を受けても動けたのは、おそらく【
タマと互いに【緊縛の杖】をかけ合っていたおかげで、行動不可魔法に対する耐性がついたのだ。
効力が半分になっているとは言え、【緊縛の杖】は千の大賢者が編み出した魔法のひとつだ。
魔眼に拮抗して然るべきだろう。
「なにもしてないのに俺の魔眼を破るとはね、本物の化け物だったか――、っと」
と。ひとりの騎士が駆け足でこちらに戻ってきた。
どうやらシデンを呼びに来たようだ。
「隊から離れすぎたかね? こんなことなら引率役にレガルを連れて来りゃよかったな」
「すみません、僕が引き止めたせいで」
「ナハハ。気にすることじゃないさ。俺も、別れる前にナイツくんと話せてよかったよ」
言って、シデンは再度僕の頭にポン、と手を乗せた。
「それじゃあ、またな。ライキくんと、あの不思議な猫ちゃんによろしく言っといてくれ」
「不思議な猫ちゃん……?」
僕が首をかしげている最中にも、シデンは笑いながら騎士の下に歩みを進めていく。
その中途。ふと思い出したかのように、シデンは言った。
「五年後。『アイドラルン魔剣学院』で会えるのを楽しみにしてるぜ、剣士見習いくん!」
「はい、お元気で!」
遠ざかるシデンの背中に手を振り、見送ると、僕はゆっくりと朝焼けの空を見上げた。
「……魔剣学院って、なんだっけ?」
□
「『七色の英雄』に代わる次世代の英雄を育成するための教育機関を、魔剣学院っていうんだよ。冒険者ギルドも、最初は同じ目的で併設された機関だな。さすがのナイツでも、そこら辺の歴史は勉強したことあるだろ?」
「あー、なんか本で読んだ覚えがあるかも。さすが、勉強家ライキ」
「うるせえ――まあ、魔剣学院のことはオレもちょっとだけ調べたからな。なんでも、十三歳から十八歳までの色んな力自慢が集結する場所らしいぜ。剣士はもちろん、武闘家や魔術士なんかも入学してくんだってさ。面白そうだよな」
「? 魔『剣』なのに、剣を持たない人たちも来るの?」
「ここで言う『剣』ってのは敵に対抗するための……あるいは身を守るための『矛(ほこ)』を指してるらしい。なにも物質的なソードに限定してるわけじゃねえってこったな。拳だろうと魔法だろうと、斧だろうと槍だろうと。それがそいつにとっての『矛』なら、ソレは『剣』になり得るってことだ」
「剣を広義的に捉えてるわけね……」
シデンは、僕がそこに入学するであろうことを見越して、あんな別れの言葉をかけたわけだ。
言いなりになるようで癪だけれど、剣士として興味を惹かれてしまっているのは事実だった。
「そこに入学したらなにを学べるの? ライキ」
「そこまではオレも知らねえよ。でも、卒業生の大半は各国の騎士団や魔術本部に属するか、独り立ちして冒険者の道を選ぶんだと。騎士は堅実で安定してるけど、出世がむずかしい。冒険者は自由で安定してねえけど、当たればデカい……とかなんとか」
「へえ。じゃあ、僕のお父さんは自由を選んだわけか」
「一概にそうとも言い切れねえだろうけどな。色んな事情があったかもしれねえし」
そう言って、ライキは供えられた花を綺麗に手入れし始める。
太陽が真上に昇った、お昼過ぎ。
僕とライキとタマは、村の西側に位置する森の入り口、ミレー・レイスンの慰霊碑を訪ねていた。
昨夜、ミレーの仇を取ったことの報告のためである。
「てか、ナイツは魔剣学院に行く気なのか?」
「そうだね。剣士を目指すのなら、そこに行くしかなさそう」
話を聞く限り、剣を扱う者は騎士志願と見なされてしまいそうだけれど、まあいいだろう。
剣の道に生きる剣士か、人を守る騎士か。
その辺りの展望は入学してから決めればいい。
「オレも行くよ」
躊躇いなく口にして、ライキは屈んでいた姿勢から立ち上がった。
その表情は、今日の青空のように清々しい。
「今回、母さんの仇を取れたことで決心がついた――オレは、誰かを守れる騎士になりたい。母さんのような人を二度と作らないためにも、誰かを守ることのできる『剣』でありたい」
「……でも、ライキは家を継がないといけないんじゃあ」
「なんとか説得してみせるさ。騎士にしろ冒険者にしろ、一生続けるつもりもないしな。世界中のモンスターを一匹残らず討伐し終わったら、オレのこの『ヤンチャ』は終わりだ。そのあとは素直に家督を継ぐよ」
「そっか……うん、そっか」
噛み締めるようにつぶやいて、僕は抱きかかえているタマをギュッ、とさらに抱き締める。
収まらない顔のニヤけを、タマの背中で隠す。
嬉しかった。
あと数年で終わりが来ると思っていた僕たちの鍛錬を、これからも続けられるのだ。
同じ学院で。同じ戦友として。
〈ご、ご主人。ち、ちょっと苦しいっス……ご主人、あの、ご主人ッ!?〉
〈あ、ゴメン!〉
「んん? なんだよ、オレが騎士だなんてガラじゃねえ、って顔だな?」
タマへの抱擁を緩めると、ライキが茶化すように問いかけてきた。
「そりゃあ、ナイツに比べればオレなんてまだまだだけどよ……」
「い、いや、そうじゃなくて! いまのは、えっと……ああ、そういえばッ!」
一緒に戦い続けられるのが嬉しい、だなんて恥ずかしくて言えない!
ので、誤魔化しきれないと察した僕は、小ざかしくも話題転換を試みることに。
移した先は、ライキの両手首に光る腕輪についてだ。
「そ、その青色の腕輪、随分と綺麗になったね。今日会ったときビックリしちゃったよ」
「……なんか逃げられた気がするけど、まあいいや」
言って、ライキは自身の右手首にある、ピカピカの青色の腕輪を見やった。
あの日の夜。オークキングの死体処理をしていた騎士団が、青色の腕輪を遺留品として回収し、レイスン家まで届けてくれたのだ。
そのとき、青色の腕輪は真っ黒に焦げてしまっていた。ライキの雷撃が原因だ。
元通りに削るには、相当な時間を要すると思っていたのだけれど。
「オレも、ここまで綺麗になるとは思ってなかったから驚いたよ。いつもは芝刈りの鎌やらを研いでる専属の研ぎ師がいるんだけど、そいつが一晩でやってくれたんだ。『ミレー様には生前お世話になったから恩返しがしたい』って言ってさ」
「そうだったんだ……今度は失くさないよう、ちゃんと大事にしないとね。ミレーさんの愛が詰まった宝物なんだから」
「シデンのおっさんもそう言ってたな。大丈夫。もう離さねえさ――にしても」
ふと。ライキは昔を思い返すようにして、森の外観を眺めた。
「六年前のあの日、なんだって母さんは森に花を摘みに行ったんだろ? 花なんか、使用人に取りに行かせればよかったのに」
「……そうか。ライキ、まだ気付いてなかったんだ」
「え……な、なんだよそれ。ナイツは知ってんのか? 母さんが花を摘みに行った理由」
「たぶんだけど」
区切って、僕は慰霊碑を見つめながら口を開く。
「きっとミレーさんは、ライキのために
「……オレの、未来を?」
「ゴブリン襲撃の夜、オークキングはこう言ってた。『あの人間、紫の茎に白い花弁のおかしな花を大量に持ってた』って。この特徴的な色合いは明らかに夜見草のことだ。オークキングに襲われたとき、ミレーさんは大量の夜見草を持ってたんだ――そして、夜見草は縁起のいい花だ。夜になると灯り出すことから未来を照らす『道しるべ』とされている。これは、ライキが教えてくれた知識だよね?」
「……ッ、――」
ミレーの真意に気付いたのだろう。ライキは顔を強張らせ、息を呑んだ。
供えられた夜見草を見やり、僕は続ける。
「ミレーさんは二歳になったライキの未来を願って、たくさんの夜見草を集めてたんだ。ほかの人間に頼らず自分ひとりの力で。母親としてできる最大限の祝福を、生まれて間もないライキに送ろうとしてたんだ。『どうか、息子の未来が明るく照らされますように』、って」
「――――」
「その願いだけは……祈りだけは、ミレーさん自身が行わなくちゃいけなかったんだ。誰よりもライキの明るい未来を願っている、母親のミレーさんが」
「…………母、さん」
つぶやき、唖然とその場に膝をつくライキ。
慰霊碑を前にしてうつむくその両肩は、細かく震えている。
六年越しの母親の愛に気付き、打ち震えているようだった。
森の樹々が揺らめき、穏やかな風が吹き付け、ライキのすすり泣く声が流されていく。
かける言葉が見つからない。
いや、ここは言葉をかけないのが正解なのだろう。
と。ここで。
僕の両腕から、タマがひょい、と飛び降りた。
タマはそのままライキの腰後ろに行き、匂いをマーキングするように額を密着させると。
〈元気出すっスよ、ライキの坊ちゃん〉
そう、念話を使って励ましたのだった。
怪しまれるリスクを
すると。涙目のライキが驚いた顔でバッ、とこちらを振り返った。
ダッシュで逃げてきたタマを抱きかかえ、僕は白々しく視線をそらしておくことに。
「な、ナイツ……いま、その猫喋らなかったか……?」
「へ? な、なに言ってるのさ。猫が喋るわけないだろ? ねえ、タマ?」
「ニャーオ(そうっス)」
「いや、絶対に喋った! 頭の中に直接聴こえてきたんだって! ナイツの声じゃない、なんかクソ生意気そうな奴の声が!」
「フ、フシャシャーッ!(な、生意気そうってなんスか!)」
「ほら、見てみろナイツ! まるでオレの言葉を理解してるみてえに怒ったぞ!! こうなったら身体の隅々まで調べ尽くして……あ、待て! 逃げるなッ!」
またも僕の腕を飛び出し、たまらず逃走するタマ。
全力で逃げてるな、あれ。
「待てこら!」濡れた目元を
遅れて、僕も走り出す。
「ふふ、あはは!」
草原を駆けている最中、僕は思わず笑ってしまう。
あれだけ悲しそうにしていたライキが、いまはもうすっかり元気に笑っているからだ。
これでいい。これがいい。
雷の少年には、稲光のようにまぶしい笑顔がよく似合うのだから。
「ナイツ! あの猫捕まえたらこのまま北の原っぱに行こうぜ! なんか、思いっきり泣いたら無性に剣を振りたくなってきた!」
「あはは! 了解、今日は手加減してあげないからね!」
「ニャゴニャー!(元気出させすぎたっスー!)」
ミレー・レイスンの慰霊碑に見送られて、僕たちは前に、前に進んでいく。
流れる風景の中、草地の片隅。
ひっそりと咲く夜見草の花弁が、僕らの
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