第13話 ゴブリンの夜(6)
三日月照らす原っぱに、ライキの困惑した声が響く。
「な、ナイツ……あの豚野郎、人間の言葉を喋ってるぞ! 知性があるのか!?」
「上位の魔族モンスターは人語を解するんだよ。知性も、普通の人間と同等と思っていい……でも、まさかコイツが生き延びてるとは思わなかった」
「ナイツ、この豚野郎に会ったことがあるのか?」
「遠い昔にね」
「なにをブツブツ喋ってるブヒ、かあぁーーーッ!!」
巨大なバトルアックスを軽々と持ち上げ、僕とライキに攻撃を仕掛けてくる。
オークキング特有の、体重を乗せた重い一撃だ。
しかし。その速度はあまりに遅い。
僕たちは大振りの攻撃を難なく避け、後方に飛びのいた。
「ブフゥッ! ちょこまかとウザったいガキ共ブヒね!」
「……なるほどね」
後退の体勢を戻し、僕は得心いったとばかりに頷く。
コイツは腐ってもオークの王様だ。
本来の攻撃速度は、八歳児に避けられるような遅いものではない。
風を切り、風圧だけでゴブリンの首を吹き飛ばせるような、そんな豪快な攻撃力を誇っていたはずだ。
なのに、現在では僕たちに攻撃を当てることすらできない。なぜか?
見たまんまである――腹が減りすぎているのだ。
かの七色の英雄は、魔族モンスターを八割殲滅した。その影響で、コイツら残存モンスターたちは渓谷や山奥に身を潜めなければならず、狩りも存分に行うことができなかったのだ。
無闇に獣を狩れば、喰い跡から
そうして二千年間。木の実などで飢えを凌ぎながら空腹に堪え、ひっそりと生きてきた。
そのせいで身体は痩せ細り、オークキング本来の力も失われてしまったのだ。
が。ついに空腹が限界を超え、彼ら残存モンスターは人里に降りていく愚行を犯した。
今回のゴブリン襲撃も、
「山におとなしく引きこもっていれば、死なずに済んだのに」
「だから、さっきからなにをブツブツ言ってるブヒかああぁぁーーーッ!!」
再び振り上げられるバトルアックス。
僕は退くこともせず、【
すると。速度上昇したオークキングの右手からバトルアックスがすっぽ抜け、はるか後方の森まで飛んでいった。
「……ブヒ?」
これは、タマと制御訓練をしていたときに発見した【俊敏の杖】の欠点だ。
【俊敏の杖】は身体速度が5倍になるだけで、体感速度までもが5倍になるわけではない。
ゆえに。突然、能力を付与されても通常の体感速度が追いつかず、こうして感覚の
「恨まないでよね」
オークキングが呆気に取られている隙を突き、僕は一気に距離を詰めた。
すれ違い様にオークキングの右足の筋を切断し、元いた位置に飛びずさる。
直後。オークキングはドスン、とその場に片膝をついてしまった。
「ウ、ウグア? ぽ、ポークの右足に、力が入らないブヒ……」
「次は左足だ。あなたの皮膚には耐魔の加護があるから、炎魔法は使えない。なら、こうして物理攻撃で一手一手追い詰めていって、確実に討伐するだけだ」
「お、お前……どうしてポークの『耐魔加護』のことを――」
「――どこで拾ったッ!!」
そのときだった。
ライキが喉を壊さんばかりの大声で、オークキングに問いかけ始めたのだ。
その表情は、見たことのない憤怒に塗(まみ)れている。
「オレの言葉がわかるんだろ!? その左手の小指に嵌(は)めてる『青色の腕輪』を、どこで拾ったかって訊いてんだッ!!」
「は、はぁ? う、腕輪って……ああ、これブヒか」
右膝を地に着けたまま、オークキングは左手の小指を見やった。
そこにはたしかに、青い金属の腕輪が嵌められていた。
オークキングのサイズでは指輪に見えるが、人間基準だと腕輪相当だ。
大人の女性の手首ぐらいで、ちょうどフィットするサイズだ。
そう。
大人の女性の手首ぐらいで
〝――こういうのは案外、忘れた頃にひょっこり出てくるもんさ――〟
ゾッ、と。
あらゆる偶然の一致に、僕の背筋に怖気が走った。
悲惨な死体。首の切断面。大きな獣。
シデンとの会話の中で、ライキは『もう片方の腕輪』と口にしていた。
あれはおそらく、この青色の腕輪のこと。
黄色と青色の腕輪は、ふたつで一組だったのだ。
そして。あの青色の腕輪の持ち主は、ライキの――
「六年前ぐらいに食べた人間の遺品ブヒ。ガルランテ様の瞳のように綺麗な青色だったから、ポークの私物にしてやったんでブヒよ。ブヒヒ。あの人間、紫の茎に白い花弁のおかしな花を大量に持ってたブヒから、面倒くさくなって丸ごと食べたんブヒ。そのせいで、コレの存在に気付かなかったんブヒよねえ……いやあ、牙に引っかかってくれてよかったブヒよ」
「ッ……ろ、六年前に、食べ、た……?」
「んん? よく見るとお前、そのとき食べた人間と同じ褐色肌ブヒね。それに、その二の腕の黄色の腕輪、この青色の腕輪に似てるブヒ……ははぁん? もしかして」
魔族は悪知恵が働く。
ライキの反応からすべてを察したオークキングは、劣勢にもかかわらず声高に笑い始めた。
嫌な予感に、僕は臨戦態勢を取る。
「なるほど、そうブヒか! この遺品の持ち主は、お前の――」
「――それ以上喋るなッ!!」
叫び、僕は再度オークキングに向かって駆け出した。
その事実を口にすれば、ライキは治らない『傷』を残すことになる。
それだけは絶対に阻止しないと!
走りながら、僕は【
が。大きく息を吸ったところで、残った20体のゴブリンが一斉に僕の行く手を遮ってきた。
ゴブリンたちもまた、本能でオークキングの意図に気付いたのだろう。
いまはまず、ライキの精神を壊すことが先決だと判断したのだ。
「くッ……ライキ、聞いちゃあダメだ!! いますぐ耳を――」
「――おいしかったブヒよ!! お前の母親はッ!!」
右足を引きずり、前のめりになりながらも、オークキングは唾を飛ばしてライキに告げる。
告げてしまう。
「頭は固いから捨てたブヒが、全身の肌に肉に内臓に骨に血液、ぜーんぶ堪能したブヒよ!」
「……、――」
「ポークの食べ方の流儀があってブヒね? 骨についた肉をしゃぶり尽くして、最後に骨ごと噛み砕くのがポークの最高の楽しみなんブヒよ! お前の母親も、そうやって食べ尽くしてやったブヒよッ!! ブヒヒヒヒヒッ!! ブヒャハハハハッッ!!」
「――、あ、アあアあぁぁァぁァァーーーッッッ!!」
悲鳴めいた咆哮を轟かせ、ライキはがむしゃらに突進をしかけた。
しかし。平静を欠いた攻撃が通じるわけもなく、オークキングの左手にガシッ、と身体ごと掴まれてしまった。
「バカなガキが! 捕まえたブヒよ!」
「う、あガぅ……!!」
「ライキッ!! 待ってて、いますぐ助けるから!」
「お前ら、そっちのガキをなんとしても殺すブヒ! こっちの褐色はポークが食べるブヒ!」
オークキングの命令に、ゴブリン共が「ゴガアアアッ!!」と決死の覚悟で僕に突撃してきた。ココが最後のチャンスだと察したのだろう。
進路方向は完全に塞がれていた。
僕は歯噛みしつつ、ゴブリン共を討伐していく。
「絶対に死なせないッ!!」
速く、もっと速く。
筋肉を可動域の限界まで酷使して、短剣という名の牙を振るう。
焼け切れそうな思考の奥で、パリン、と聴き慣れた破砕音が響いた。
その間にも、ライキの身体はメキメキ、と
「あァ、うグアあぁーーッッ!!」
「ブヒヒヒッ!! ミンチにして丸呑みにしてやるブヒ! お前の母親と同じように――」
「――【
十秒とかからずゴブリン20体を始末した僕は、オークキングの全身に魔力の蔓を這わせた。
が。動きが封じられただけで、ライキを潰す握力までは封じられていない。
けれど、これでいい。
「な、なんブヒか、この妙なヒモは……! まあいいブヒ、ひとまずこのガキだけでもすり潰して、ポークの胃袋に放り込むブヒッ!!」
「させる、かああぁ――ッ!!」
自分自身に【俊敏の杖】をかけ、僕は全速力でオークキングに突撃した。
感覚のズレに思わず転びかけるが、僕とタマは何度も訓練してきている。
一秒と経たずに5倍速の世界に慣れた僕は、そのままオークキングの身体を駆け上る。
そして。刃こぼれでボロボロになった短剣をかざし、オークキングの額に深々と突き刺した。
「ブヒャアアアアァァァァーーーーーッッッ!?」
紫の鮮血が夜空に飛び散る。
オークキングの左手が開き、ライキが地面に落とされた。
「ライキ!! 『解放』だッ!!」
悶えるオークキングの顔面から離れ、僕はライキに叫ぶ。
この瞬間のために【緊縛の杖】で動きを封じ、額に短剣を刺したのだ。
これで、逃げることも短剣を抜くこともできなくなる。
「あの短剣に雷撃を放て! 誰でもないライキの手で、ミレーさんの仇を取るんだッ!!」
「……ッ、グッ、ああああああああぁぁぁッッッ!!」
地面に伏していたライキが怒りに奮起し、震える右手をオークキングに向けた。
ピリッ、と細い雷光が額の短剣に走り、一秒の静寂を経た直後。
ゴガアアァァンンッッ!!
神の裁きかと見まごう一筋の雷撃が、オークキングの脳天に撃ち落とされた。
普通なら、この雷も耐魔加護の皮膚が
だが、いまは
これなら、落雷のダメージも体内に直に与えられるはずだ。
「ブ……ヒ、ァ……ガッ……」
「か、母さ、ん……」
全力の『解放』と同時に、ライキは気を失ってしまった。
僕はすぐさまライキに駆け寄り、【
呼吸は安定している。急な雷撃の放出で失神しているだけのようだ。
対して。オークキングの全身は真っ黒に焦げ、プスプスと黒煙が昇っていた。
八歳のライキがこれほどの雷撃を放つとは……耐魔加護がなければ、間違いなく消し炭になっているところだ。
しかし。
「……ぶ、ブヒィ……こ、この、クソガキ、どもガ……ッ!」
オークキングはまだ生きていた。
僕たちを憎々しげに睨みながら、焼き切れた魔力の蔓を振り払い、地べたを這ってこちらに近寄ってくる。
「絶対に殺すブヒ、殺すブヒ、殺すブヒ、殺すブヒ、殺すブヒ、殺すブヒ……ッ!!」
「……
ライキをそっと寝かせたのち、僕は標的に向かって駆け出した。
最期の特攻だ。
巨大な右手が僕を掴もうと襲い掛かる。瀕死状態にしては素早い動きだ。
キングとしての誇り、ないし執念なのだろう。
けれど、いまの僕にとってはあまりに遅すぎる。
軽々と攻撃をかわして間合いを詰めると、僕はオークキングの口に右手を突っ込んだ。
口の中も、立派な『体内』だ。
「豚の丸焼き、お待ちッ!!」
叫び、【
オークキングの目や口、耳や鼻の穴から大火焔がボワッ!! と吹き出す。
数秒間、炎を放射し続けたのち、僕は右手を引っこ抜いて後退した。
ライキの雷撃に加えて、内蔵を燃やし尽くす火焔。
これで生きていたら化け物だ。
戦闘態勢は解かぬまま、焦げた豚を注視していると。
「…………ガ、ルラン、テ、様…………」
かすれた声でそうつぶやき、ドスン、とオークキングはその場に倒れ伏したのだった。
念のためにしばらく警戒を続けるが、動く気配はない。
耳を澄ませてみても、心音や空腹音は聴こえてこない。
完全に死んだようだ。
ふと。森の奥からケタケタケタ、と、せせら笑いが聴こえてきた。ピクシーだ。
いくつにも重なるその笑い声は、しばらくすると聴こえなくなった。
どうやら今回の『
「終わった、かな……」
僕は体勢を戻し、安堵の息をついた。夜空を仰ぐようにして草地に座り込む。
見ると、僕の両足と両手が、小刻みに震えていた。
制御訓練のときにはなんともなかったけれど、こうした実戦下での杖の能力の連続使用は、肉体的負担が大きいようだ。緊張などの精神面の変化で、疲労度が増減するのだろうか?
と。ひとりでそんなことを考えていると。
〈ご主人! 遅くなって申し訳ないっス!〉
「ナイツくん、ライキくん! 無事かッ!?」
タマとシデンがようやく、この北の原っぱに到着した。
討伐に
まあ、すべて終わったあとではあるのだけれど。
僕の胸元に飛びついてきたタマが、内緒話をするように念話で語りかけてくる。
〈ご主人。さっき、【
〈うん。今回のは僕も聞き取ることができた。たぶん、ライキを守ろうとして
〈そうだったんスね……ていうか、え? そこの焼き豚って、もしかして――〉
「オークキングだと?」
周囲の戦場跡を見回しながら、シデンが唖然とした様子でつぶやく。
「どうして古代の中型モンスターがこんな辺境の村に……それに、ゴブリン共も全員討伐されている……これを全部、ナイツくんたちが?」
「はい。ちょっと手間取りましたけど、なんとか倒せました。最後、ライキが雷撃を『解放』してくれたおかげです」
「さっきの落雷がそれか……もしかして、ココに向かっている最中に見えたあのとんでもなく巨大な火焔は」
「僕が放ったものです。気付いたら使えるようになっていたので、試しに使ってみたんです」
「黒髪にもかかわらず、しかも八歳であんな規格外な魔法を……天才、いや化け物か」
驚愕した表情で僕に顔を向けるシデン。
なんとも言えぬ沈黙に堪え切れず、僕は話題をそらすことに。
「あの、今回のことって、やっぱりみんなに怒られちゃいますよね? 無断で外に出ただけじゃなく、こんな勝手な行動までしたわけですし」
「まあ、そりゃあ怒られちまうだろうな」
「で、ですよね……」
「だが、元はと言えば印の真意に気付けなかった俺のミスだ。カルラの嬢ちゃんにも、それにミレー嬢の親父さんにも、そこまで叱らないよう口添えしておくよ――そもそも、きみたちは村を守った英雄だ。俺やダイみたいにキツく咎(とが)められることもないだろうさ」
「そうですかね……うん、そうだといいんですけど」
カルラはああ見えて、怒ると怖いタイプなのである。
村のみんなを守れるなら、とは言ったものの、できることなら怒られたくない。晩ご飯抜きどころでは済まなくなってしまう。
「しかし……なんというか、ナハハ」
「? なにか気になることでも?」
「ナイツくん。きみは、いったい何者なんだい?」
もはや失笑気味に、そう問いかけてくるシデン。
千体のゴブリンを討伐し、オークキングまでをも倒す八歳児。
信じられないのも無理はない。何者かと疑いたくなる気持ちも当然だろう。
眠るライキと膝上のタマを見やって、僕はシニカルにこう言った。
「ただの剣士見習いです」
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